覆い隠された欺瞞 その2

 ロヴィーサは初めて、神殿で淵魔と遭遇した時のことを思い出していた。

 それはアクスルによって、行き先を定められたアルケス神殿で、次に淵魔と遭遇した神殿もまた、同じくアルケス神殿だった。


 その時、先生アクスルはそれが何処の神殿か妙な誤魔化しをしていて、不審に思ったのをロヴィーサは覚えていた。

 アクスルもまた、立て続けに同じ神を祀る神殿で淵魔が出現しては、違和感を覚えるとでも思ったのかもしれない。


 そして、二つのアルケス神殿を襲っていた間の神殿では、淵魔との遭遇がなかった。

 出現するより前に封印できたからだ、とその時は単純に、そう思っていた。

 しかし、そうではなく、アクスルによってただ誘導されていただけだとすれば――。


 豊富な知識を有する者であり、いち早くその危機を知らせてくれた事実がまた、それを後押ししていただろう。

 ロヴィーサは己を悔やむ。


 気付ける機会は幾度もあった。

 そして実際、微かな違和感、不審を感じていたのも事実だった。

 そのか細い糸を掴もうと手を伸ばし、しかし、いつもその手に掴めず、常に逃がしてしまっていた。


 アクスルもまた、そうした違和感を潰す為に、様々な言葉や行動を用意していたことだろう。

 そして最後に、自ら犠牲を買ったように見せて、全ての違和と不審を穴に埋めた。


 ロヴィーサはきつく目を閉じ、歯を食いしばる。

 怒りもあった。しかし何より、己の不甲斐なさこそが許せなかった。

 そして、同時に思うこともある。


 神殿とは別に、街でも、その道中でも襲われたことがあった。

 あれは一体、何だったのか――。


「全ての淵魔が、先生の……アルケス神の手勢だったと思いますか?」


「そうだろう、と思ってる。あれの権能は『疎通』と『遷移』だ。そこから上手くやって、手先の様に動かしたのではないか」


「それが……可能だと思いますか? 淵魔に知能はありません。言葉を理解できるとは……」


「言葉を理解させる必要はない。『疎通』とは、そういうものだ。自らの意思を持たないからこそ、単純な命令こそ良く聞かせられるのだろう」


 ロヴィーサに限った話でもないが、討滅士は淵魔を良く知っている。

 しかしそれは、上手く討滅する為の方法でしかなく、その存在や理屈について理解しているわけでなかった。


 リンの話す内容に、納得できる部分は多々ある。

 それでも、推測の域を出ていないように感じられた。


「私達は、神殿から遠く離れた場所で襲われたこともありました。その時、近くにアルケス神殿はなかったと思います。それでも全ての淵魔が、その支配下にあったと思いますか?」


「……あぁ、街で襲われた時か。お前達を恣意的に狙っていた以上、そう見るべきだ、としか言えない。アルケス神殿の数は少ない……だから隠せていたとも言える。それに、遠くの神殿から呼び寄せる事とて、不可能ではないしな」


「そう、ですね……。それに疎通が可能なら、連れて来た淵魔を潜伏させる事も出来たかもしれません。そして見張られていても、気付けなかった可能性は大いにありました」


 元より旅は、馬を限界まで走らせて急がせたものでもない。

 アクスルとは領都テルティアで別れたが、先回りしようと思えば可能だった。

 途中、立ち寄る街を予測するのは難しくなく、網を張るまでもなかったろう。


「では、それもまた欺瞞だったわけですか……。淵魔に襲わせたのは、危機感を煽る為。神殿へ移動するまで追い付かれる気配がなかったのも、全て『演出』の為だったから……。確かに、そう考えると辻褄が合います。本当に殺してしまえば、根本から計算が狂いますから」


 ロヴィーサの内側にわだかまっていた違和感が、まるで氷解していくかの様に感じられる。

 アクスルにしろ、淵魔の動きにしろ、様々な違和感が点在していた。

 状況にそぐわないと思える所もあり、全ての裏側に大神がいると聞いても、納得できなかったものだ。


 何故ならば、まず大神に世界を滅ぼす理由がない。

 それは人間には分からないこと、知るべき立場になく、神の御心など推し量れないだけ、と考えることも出来た。


 しかし、神の裏切りが背景にあった、と納得するだけなら、それはアルケス神の方が余程頷ける話だった。

 全ての神殿に淵魔は隠れているのか、それは本当に真実間違いないのかまで、分からないことだ。


 だから、今までは溢れてくる可能性を信じて、確認することなく初手封印が基本だった。

 だが、もしそうでないのだとしたら、実際にどこかの神殿を見てみればハッキリする。

 大神の祀る神殿を、何処か一つか二つ見繕い、最奥の間を調べれば分かることだろう。


「アルケス神の目的は、一体何なんでしょうか。淵魔と結託している所を考えると、それこそ世界の破滅を望んでいるとしか思えませんが……」


「それは直接、訊いてみなければ分からんだろうな。反旗を翻すからには、相応の理由があると思いたい。だが奴は、子供の稚気にも似た癇癪を持つ輩だった。下らん理由だとしても驚かん……」


「そんな……。神様なのに……?」


「神なればこそ、そんなものだ。私から言わせれば、真の敬意に値する神など、大神様以外いないと思っている。神とは本来、自分勝手で利己的な存在なのだ」


 神使という立場にあっても、その発言はいかにも危ういものと思われた。

 吐き捨てるような言い方ではなく、ただ事実を述べているように見えるのが、尚更ロヴィーサの不安を煽った。


「まぁ、気にするな。今の世の神は、その中にあっても不条理な真似をしない。……それより、そろそろ服も乾いたろう。着替えたら、ロシュ大神殿に行く。そこで合流する手筈だ」


「若様も、そこに……?」


「間違いなく」


 不安もあったが、信じる他なかった。

 それに、神使の言葉に疑問を持つのは、正しい信徒の在り方とは言えない。


 乾き終わった装備を手に取り、手早く着替え終え、火の始末も終えると早速、出発する。

 深い森でもなく、僅かな時間で外へ出ると、遠方の高台には立派な神殿が目視できた。

 距離も遠くなく、日が暮れる頃には到着できると思われた。


 その時、左手の地平線で砂塵が待っているのに気付いた。

 自然に起こるものではない。

 ある特有の状態で起きる、限られた範囲で巻き起こる砂塵だった。

 例えば、騎馬が列をなして走った時などが、それに当たる。


 リンが動きを止めて注視し、ロヴィーサも合わせて砂塵を見据えた。

 あまり多い数ではなく、精々百騎前後で、大所帯とは言えない規模だ。

 近付くに連れ、その姿が明らかになって来る。


「あれは……」


 ぽつりと呟いたロヴィーサの声は、風に流されすぼんで消えた。



  ※※※



 レヴィンはルミに案内された神殿の最奥で、頭を抱えて蹲っていた。

 頭というより、目というべきなのかもしれない。

 二つを覆って、懺悔するように頭を下げている。


 ルミの言い分――大神の善性を信じたかったレヴィンだが、それまで自分の目で見て来た淵魔もまた、起きた事実には違いなかった。

 状況的にアクスルは不審な点が多い。

 そうだとしても、口では何とでも言える、というレヴィンの主張をルミは認めたのだ。


 全ての神殿に淵魔が潜む――。

 アクスルは確かにそう言って、レヴィン達の危機を煽った。

 それが事実かどうかは、実際に見てみれば早い。


 本来は部外者を通せる場所でないとはいえ、ルミが同行するといえば、これは神官長でさえ拒否できない。

 そうして、現実を目の当たりして、レヴィンは己の過ちを遂に認めた。


 最奥の間、龍穴を封じる部屋の中には、淵魔など潜んでいなかった。

 当然、龍穴の中に隠れているということもない。


 ここを守護する精霊はルミとレヴィン、それからアイナを見て、面倒くさそうな視線を向けていた。

 しかし、害する存在でないと判断し終えると、何を言うでもなくすぐに消えた。


「俺は……、俺は……!」


「レヴィンさん……」


 傍らに膝を付き、その肩に手を乗せるアイナにも、レヴィンは反応を見せない。

 大神に対する裏切り、不敬、謀反……それら全てが、今のレヴィンに圧し掛かっている。


 大神を信仰するのは誇りだった。

 その神に認められた一族として、神の御心に沿う淵魔討滅を使命としてきた。


 先祖代々誇りにしていた、その信仰をレヴィンが泥に塗れさせたのだ。

 強い信仰心を持っていたからこそ、それが今、反動となってレヴィンを苦しめている。


 それを静かに、ルミが無感動な視線を向けていた。

 入口の壁に背を預け、腕を組んで二人の様子を見下ろしている。


「……ま、アンタの気持ちは良く分かるけどね。やってしまったコトは変えられないし、自らの行いを許せないって思うでしょうけど」


「あぁ……、レジスクラディス様、お許しを……! 俺は……!」


「いいから立ちなさいよ、男が泣いてる姿とか、見てて鬱陶しいだけなのよね」


「そんな言い方――!」


 アイナが顔を上げて非難する視線を向けたが、やはりルミの態度は変わらない。

 いつもと変わらぬ、面倒くさそうな視線を向けるだけだった。


「アンタらが被害者で、利用されただけの駒だなんて、こっちはとっくに分かってんのよ。誰も責めないし、許してやるって言ってんの。蹲って嘆くより、もう少し建設的な行動取れない?」


「レヴィンさんが、ショック受けるなんて当然ですよ! 今まで信じてた神様に裏切られたと思って、でも単なる傀儡だったなんて……そんなの、そんなの……!」


「別にそこまで言ってなかったけど、アンタも中々言うわね」


 茶化されたと分かって、アイナの表情が更に険しくなる。

 それを鼻で笑って、ルミは続けた。


「いやぁ、アタシが言うと笑い草にしかならないから、あんまり言いたくなかったんだけどさ……。神使の意味、分かってる? 神の腕の代行者、神の言の代弁者。……そういうコトになってるけど、単なるスピーカーって意味でもないのよね」


「え、っと……」


「大神が、この事態を全く理解してないと思う? ユーカードが下らない策略に乗せられて、それで神に弓引いたとして……怒りも顕に咎めるって? 正しく事態を認識していれば、そんなコトするワケないのよね」


 その言葉に、レヴィンはようやく顔を上げた。

 顔には縋る表情と同時に、己へ対するどうしようもない嫌悪が浮かんでいた。


「アンタは良いわよ、赦されるわ。何ならアタシが、許すと宣言してもいい。でも、アタシは別よ……。絶対、怒られる……」


「お、怒られるんですか、神使の……ルミさんが?」


 信じられないものを見る目でアイナが問うと、ルミは腕を組んでいた片方の腕を、額に当てて頷いた。


「事態に気付いた時点が遅すぎたから。そして、アンタらの利用を許しちゃったから。未然に防ぐのは当然、淵魔の跋扈を許さないのも当然……。何もかも出来てないんだから、そりゃ怒られるでしょうよ」


 まさに暗澹たる、といった表情で溜め息をつく。

 冗談を言っているようには見えなかった。

 これまで人を食った表情は幾度も見せてきたが、今回ばかりは演技ではなく、本気で嫌がっているように見える。


「ともかくね、そういうコトだから。アンタは今日から前向きに、いつも通りの信仰を向けてなさいよ。それが一番喜ばれるから」


「そういうことなら、勿論……。ですが、それでは気が収まりません!」


 レヴィンは涙に顔を濡らしたままルミへ近づき、正座の格好のまま頭を下げた。


「どうか、汚名を返上する機会を頂きたいのです! 神使様の手足として働けるなら、これに勝る喜びはありません!」


「……そういうとこ、やっぱりユーカードって感じよね。後ね、勘違いしてんじゃないわよ。アンタをこき使うなんて、最初から決めてたコトなんだから。これから忙しくなるわね」


「必ずや、満足に足る働きをしてみせます!」


 感涙に顔を濡らして頭を下げるレヴィンに、ルミは困った笑みで二度頷く。

 そうして今後へ思考を移し、己の考えを重ねるにつれ、暗澹たる気持ちへ傾き……それから、がくりと首を落とした。

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