覆い隠された欺瞞 その3
「それで、ルミ様……。今後、忙しくなるというのは……?」
「あぁ、それねぇ……」
ルミは返答しながら、がっくりと落としていた顔を上げた。
その表情には酷く疲れたものが、まるで墨の様にこびり付いている。
「いや、だって、淵魔がココ、襲ってくるでしょ?」
「でしょ、と言われても……。え、そうなんですか?」
余りに気安く、余りに自明と言わんばかりの物言いに、レヴィンは目を丸くする。
半信半疑で首を傾げるしかなく、それを見たルミは、やはり当然であるように頷く。
「そりゃ、そうでしょうよ。アタシ達の接触をね、いつまでも隠せるワケないんだから。都合の悪いモノは消したいハズなのよ。……まぁ、それだけが理由じゃないとも思うけど」
「だから、淵魔に襲わせる? 俺達諸共、飲み込んでしまおうと?」
「……んー、そう思ってるんだけど。でも、そうなると、アイナの駒が宙に浮くのよね。損切りのつもりなのか、他にも似た駒があるからこそ、失おうと痛手じゃないのか……」
腕を組んだまま、ルミは再び顔を俯けて考え込む。
そんな彼女を見て、アイナは恐ろしい物に触れる様な手付きで手を伸ばした。
二人の距離は離れていて、手を伸ばしたところで触れられはしない。
しかし、その手は縋るものを求めて、伸ばされている様にも見える。
「あたしは……その、選ばれたんですよね? ――勿論、それは利用する為の駒として、という意味ですけど……。でも、何故だったんでしょう?」
「さぁて、何故だったのやら……」
「あたしは、一年も前にやって来ました。それまでずっと、先生……先生のお世話になっていたんです。どうして助けてくれるのか、そう尋ねたこともありました……」
そこまで言って、アイナは一度、言葉を切った。
伏せられた目には深い悲しみが浮かんでいる。
後悔、悔恨……そういった感情がありつつ、同時に感謝も捨て切れていないと、その目は物語っていた。
「可哀想だから、不憫だから、捨て置け無いから……、そう言ってくれて……。本当に多くの手助けをしてくれたんです。それが、全部、演技だった……?」
「自分で呼び込んでおいて良く言うわ、って感じでしかないけどね。別にアンタが最初でもないし、百年は前から断続的に連れ込まれていたんだけど。――大抵、何かしら役目を負わされた上でね」
「役目……」
アイナは我知らず、胸の上に手を当てた。
そこの裏地に作られたポケットには、神器が隠されている。
「面倒なのは、何の役割も持たないフェイクまでいるって所よ。異世界人がこっちに紛れ込んでると知って以来、それを元の世界に返してやるのも、アタシ達の役目になった。そして、奴もそれを知るからこそ、時には罠まで仕掛けられていたのよ」
「罠、というと……?」
別の世界から人を拉致していた事、それ自体は由々しき事態だ。
しかし、それと罠とが、アイナには直接的に結び付かなかった。
アイナは罠と聞いて連想したのがトラバサミで、尚のこと言ってる意味が分からず混乱した。
「あんまり直接的な質問するとねぇ、発狂して死んだりするのよ。あるいは、突然豹変して襲い掛かってきたりとか。そうした催眠……あるいは、洗脳がね、異世界人には仕掛けられてる。だからこっちも、アンタって異世界人? とか訊けないのよ。だから敢えて、日本人名らしき名を名乗って反応を見る、胡乱な手段で探ってたワケなんだけど……」
「それ、それって……。つまり……、あたしも発狂するかもしれないって事ですか!?」
それでは罠というより爆弾だ。
条件付きで起動する爆弾が、いつの間にやら仕掛けられていることを意味する。
それを知らされ、アイナは発狂しそうな気分になった。
だがそれは、冷め切った態度のルミに否定される。
「落ち着きなさいな。アンタは明らかに、特別な役割を押し付けられてる。だって、神器を持たされてるから。……そうでしょ?」
「は、はい……」
「だったら、それは
「つまり、それが……最奥の間で必ず封印しようとする、とか……そういう?」
「かもしれない、と思って連れて来たんだけどねぇ……」
アテが外れた、と肩を竦めて息を吐いた。
「今だって、別に封印するような真似してないから。もっと別の理由だったんでしょ」
「え、いいんですか、それ……」
二人の会話を見守っていたレヴィンだったが、流石に今更、封印を良しとする態度に疑問を呈した。
むしろ、それが本当なら、身体を張ってでも止めなければならない事態だ。
レヴィンは今更ながらに、いつでも妨害できるよう、構える姿勢を見せる。
「大丈夫よ。やると分かっているんなら、実際に動くより前に止めてやれるわ。形振り構わず……それこそ、止められようモンなら、死にもの狂いで実行しようとするでしょうけど、気絶させてしまえばそれで済むし」
「な、なるほど……。それなら、目覚める前に解呪するとか、催眠を解くとかしてしまえば安心、というわけですか……」
そういうコト、と頷いて、ルミはアイナへ視線を移す。
その彼女は、自らが何をするか分からず、その未知に恐々としていた。
「あまり深く考えても仕方ないわ。何を命令されてるかは深層心理に刻まれていて、本人にも自覚できないハズだから」
「じゃあ、あたしが『鍵』を最初から握っていたのも……。気付けば手の中にあった、と思ってましたけど……」
「呼び出したアイツに握らされていただけ、でしょうね。大抵の人は、召喚された時に生ずる衝撃で、気絶しちゃうから。まんまと第一発見者っていう体で接せられるし、同時に恩も売れるって寸法なんでしょ」
今まで謎に思っていた部分が解き明かされ、そしてそれを行えた唯一の人物がアクスルと知り、アイナは胸の奥が苦しくなった。
いつでも献身的に支えてくれていたし、故郷を思って泣く時も、必ず親身になって励ましてくれたのが、アクスルだった。
しかし、それら全て、恩という鎖で縛る為でしかなかった。
そのうえ、駒として利用する為でしかなく、その身を犠牲にする最期には、必ず報いなければならない、という気持ちにさせられた。
その全てが、――欺瞞だった。
アイナは自分が怒るべきか、悲しむべきなのか分からなくなってしまった。
恩と感じていた気持ちは、すっかり流れ落ちて消えてしまっている。
しかし、そこに残されたものが爆弾と知って、感情の整理がつかなかった。
「どうして、何故……なんであたしなんです……!?」
「別に誰でも良かったでしょうよ。ただ、本当に重要な役目――今回の神器を持たせる役目には、魔力持ちを選ぶ必要はあったろうけど」
「え……?」
「あぁ、そっちじゃ理力って言うんだっけ? まあ、そこは別にどうでも良いわね。神器の発動には必須条件だし。アタシ達が強引な手段に出られない、その対象であるなら誰でも良かったんだろうと思うのよ。実際、理力持ちは必ず神に仕えるワケじゃない? 神の所有物って認識になるから、無体な強硬手段に出られないし……」
その説明は確認ではなく、事実を述べているだけだった。
そして、その事実の羅列に異世界を詳しく知っている風を感じさせる。
神使……それも異世界人を送り返す役目を担うとなれば、自然と詳しくなるのかもしれない。
しかし、そこには単に知識で知る以上の説得力を感じられた。
「あの……ルミ様は、あたしの世界をご存知なんでしょうか? 何というか、随分……」
「そりゃ知ってるわよ。行ったコトだってあるしね。そちらの神様についても、よぉくご存知よ。よぉくね」
「そ、そうなんですか……」
ルミの言葉には、その言い方からして裏の意味を感じ取れる。
しかし、それを明らかにするつもりもないのは明らかで、アイナは続ける言葉を持てずに閉口した。
「……ま、ともあれ『鍵』を持たせたからには、重要な役どころなのは間違いない。そして、それを今更取り返そうなんて、馬鹿げた考えは持ってないハズ……」
「……そう、なのでしょうか?」
レヴィンが疑問を大いに含んで尋ねると、ルミはうっそりと頷く。
「そんなの片手落ちも良い所でしょう。既にアルケスの計画は、最終段階まで来ているの。ユーカードってカード、そして神器のカードを切ったからには、その最終局面まで来ていると考えて良い」
「でも、向こうにしても『鍵』は重要な物に違いないのでは? 神使様に回収されて良しとするとは、とても思えません。あぁ、だから淵魔が攻めてくると……!」
「それを予測してないとは言わないけど、本命ではないと思うのよね。当初は安全な隠し先として選んだのか、とも考えたんだけど……」
そう言って、ルミはアイナへ流し目を送った。
実際、アイナへ渡された神器は、多くの意味において『鍵』で違いなかった。
神器の中でも、特に可能とする幅が大きい。
有効活用できる場所は多岐に渡り、手放すなど考えられないことだ。
効果の一端を知るレヴィンでさえそう思うのだから、次の懸念を思い付くのも当然だった。
「単に龍穴の封印だけが目的とは思えません。今や本当の目的が何だったのか、それすら見えてきませんが、いずれにしても、神使様が預かっておくべきなのでは?」
「そうしたい気持ちはあるけど、それが罠であるコトの方が怖いのよね。何が掛けられているか不明だから、アタシの手に渡るコトで、何かが発動するかもしれない。だから、何が起きるか、起こせるか……それを確認するまで持たせておくわ。そう遅くならず、そういう感知とか、結界とかに精通してる神使が来てくれる筈だし」
「そうなんですね……」
元より、入念な準備と計画を持って挑んでいる相手が敵なのだ。
その手に渡る可能性を考えていないとは思えず、そして本当に渡したくないと思っているなら、迂闊に手出しできない何かを、仕掛けていると考えていた方が良い。
用意周到、狡猾なところは、これまでの経緯から十分理解できていた。
準備が整う前より早く、ヤブに手を突っ込む必要はない。
「でも、何というか……不気味です。鍵の奪取が目的でもなく、でも淵魔はここに攻め込んで来ると、そうお考えなんですか」
「そう思ってるわ。……ところで、神器の話が出たから訊くけど、持ってる神器は一つだけ? 隠して持ってる物はない?」
「は……、は? いえ、ありません。当初はそれを狙って神殿を襲う事もあったのですが……」
しかし、いずれの神殿にも必ず神器が安置されている訳でもなかった。
何より不手際ばかりが目立って、回収している暇もなかった。
レヴィンは確信を持って、所持していないと断言できる。
「一つとして、新たに神器を得ていません」
「そう……、そうなの……。じゃ、アンタらとは別件なワケね……。身を隠していた、その時なら可能だった……えぇ、そういうワケね」
ルミが一人納得して、口元を抑えては幾度か頷く。
その渋面を浮かべた表情が不安になり、レヴィンは堪らず声を掛けた。
「あの……?」
「いえ、いいわ。とりあえず危急の方を処理しましょう。……詳しく話すには、ちょっと場所が悪いわね。地図もいるし。状況を理解したなら、アンタも精力的に動いてくれそうだし」
ルミはアイナへ視線を固定させたまま、そう言った。
しかし、それに目を白黒とさせたのは、アイナの方だ。
まるで期待されている様に聞こえる口振りに、困惑の方が大きく勝った。
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