神たる者 その7

 レヴィン達にとって、窓の外に映る光景は、想像の埒外にあるものだった。

 忙しなく行き交う車と、途切れなく続く様に見える建築物……。

 そして、その外観に施された光り輝くパネル。


 異世界に来たと実感しているつもりであっても、目にする物を一つ増やす度、その考えが浅はかだったと思い知らされる。

 飯屋に入るまで――そして飯屋に入ってから見た物で、その殆どを理解したつもりでいたのが、今さら恥ずかしく思える程だった。


 レヴィンは顎元に手をやり、呻きとも、唸りとも取れない声を上げる。

 表情さえ曇らせているレヴィンを見て、姿勢正しく座るロヴィーサが、心配そうに顔を向けた。


「どうされました、若様。ご気分でも優れませんか?」


「いや、そうじゃない。ただ、今更ながらに、アイナの言葉を思い出していただけだ」


「アイナさんの……?」


 不思議そうに首を傾げたロヴィーサへ、窓の外へ目を向けたまま、レヴィンは頷いて見せる。


「何もかも違う、と言っていた。見たらきっと驚く、とも……」


「あぁ……、そうですね。これは確かに、驚かざるを得ないでしょう」


 ロヴィーサもまた、窓の外へと目をやって、苦笑交じりに頷いた。

 あれはまだ旅が始まって、間もない頃の事だ。


 少しでも親睦を深めようと、馬上で取り留めもない雑談をしていた。

 そんな中、アイナがやって来た世界に話を聞き、そうして出た言葉が、何もかも違うとの説明だった。


 彼女の説明が胡乱で言葉少なだった理由も、目の前の光景を見れば納得できる。

 道行く車、歪みなく平坦な道、等間隔で並ぶ柱や、その間を縫うよう置かれた樹……。


 今レヴィンが乗っている物もそうだが、牽引動物も必要なく動く馬車など、実際に目の当たりにしなければ、決して信じなかったに違いない。

 何もかもが想像の外で、ともすれば理解を拒絶して、頭が痛くなる程だ。


 視界に入ってくる全ての物が、現実のものと思えない。

 しかし、幾ら目を瞑ろうとも、そこにあるのは間違いのない現実だった。


「それより、この馬なし馬車が、驚くほど揺れない事に驚いてる。音も静かで、尻や腰の痛みを心配する必要もない。……これ、持って帰れないか?」


「是非ともお願いしたい所ではありますが、それは適わないでしょうね」


「やはり、そう思うか?」


大神レジスクラディス様のご様子が、あれでしたから」


 ロヴィーサが苦い笑みを見せて、それでレヴィンも即座に悟った。

 互いに生まれてからの付き合いだから、ある程度、その表情から何を言いたいか察する。


 神はこちらの世界に、深く精通していた。

 ただ知って学んだ結果ではなく、それ以上の深い知識を持っていると察せられるのだ。

 それなのに、この世界に類似した何かが、あちらには無い。

 つまり、それが答えだろう、とレヴィンは思った。


「異世界の知識や文明など、持ち込む事を良しとされていないんだな……。大層、便利な世の中になりそうなのに……」


大神レジスクラディス様にその気があるなら、とうに持ち込まれていたでしょう。あれば良し、あれば便利と思える物は、少し見渡しただけでも、すぐに分かります」


「だが、持ち込むだけでは利用できない、という理由もあるのかもな。構造を理解できないとか、複製できないとか……。実は知らないだけで、取り入れられている物もあったりするかもしれないが……」


 レヴィンは改めて、溜め息にも似た息を吐く。

 この世界へ感嘆した物でもあり、持ち帰れない諦観に対してのものでもあった。


 どういう理由があるにしろ、それはレヴィンが判断するべき事ではない。

 これだけの文明を素晴らしいと思える感性はあっても、そこに付き纏う諸問題について、考慮するのは簡単ではない。


 改めて鑑みて、思い付く程度の懸念だけならば良いが、きっとそうではないとも、レヴィンは予想できた。

 ただ良さそうだ、の思いつきで、手を伸ばすべきでないのだろう。

 レヴィンは惜しい気持ちを持ちつつも、視線をロヴィーサへ戻して頷いた。


「そもそも、俺が考える事でもないしな。進言を許されるならしたいと思うが……、お前はどう思う?」


「それならば、既にユミル様などが為さっていても、不思議でないと思います。大神レジスクラディス様に対し、大いにあけすけな態度を許されている方ですから……。欲しいと思えば、下手をすると許可すらなく、持ち込む可能性さえありそうです」


「それは流石に……、いや……」


 ――ない、とは言い切れなかった。

 あれほど傍若無人な態度を見せられるなら、己の欲望にも忠実だろう。

 欲しいと思えばそれを諦めない、我欲の強さもありそうだった。


「有り得ないとは言えないか。それに、大神レジスクラディス様もまた、こちらのげぇせんとやら、大層お気に入りの様子だった。欲しいと思っているなら、持って帰ったりしそうなものだが……」


「しかし、それがないと言うのならば……」


「……あぁ。否と断じられたから、なんだろうな」


 実に惜しい、とレヴィンの心の底で嘆く。

 神のすること全て、決して間違いがないとは思わない。

 しかし、安易に手を出すべきでないものがある、という考えは理解できた。


 そして、信者としては、その判断を支持するまでだった。

 信者とは、その名が示す通り、神を信じると表明している者だ。

 神の行いとその是非に、文句を付けられる筈もない。


 ただし、不安に思う事はあった。

 レヴィンは一度表情を改め、それから窺う様に、ロヴィーサへと顔を寄せる。


大神レジスクラディス様のこと、……どう思った?」


「どう……と、仰りますと? 神を騙っている別者かもしれないと、お疑いですか?」


「いや、違う……! そうじゃなくて……」


 レヴィンはゆっくりと顔を横へ振り、それから一応……一応念の為、声を落としてロヴィーサに問うた。


「まぁ……実際、それを疑いたい心境ではあるんだが……。やけに人間臭いと言うか、神らしい威厳も最初だけだったというか……」


「化けの皮が剥がれて来た、とでも言いたげでございますね?」


「そこまでは言ってない……!」


 レヴィンは大声で否定しそうになり、慌てて音量を落とした。


「ただ、想像と違った……、だろ? 幻滅とは違うんだが、何なんだろうな、コレ……」


「若様の御心は若様しか分かりませんけれど、言いたい事は分かる気がいたします」


「――そうだよな」


 横からヨエルが口を挟んで来て、含み笑いを浮かべながら言葉を続けた。


「いや、若の言いたい事も分かるぜ? 完全で、完璧で、一つの傷もない姿を御想像していたのは、俺も同じだ。人とは違う、もっと厳かな存在と思っていたのに、実際はその内面だけ見れば、人とそう違わなく思える」


「だよな……!」


「神使の方々も、特別に上から見下すって感じじゃないしな……。リンさん――いや、アヴェリン様と言い直さなきゃいけんか。ともかく、あの方以外は、どうも敬う姿勢が低い様に見える。そして、大神様も、それを認めている様子だった」


「気安い関係なのは、別に悪い事じゃないんだろうが……。本当なら、王族と臣下よりも、よほど厳しい間柄なんじゃないか……?」


 しかし、その実態としては、むしろ冒険者パーティに近い。

 力あるリーダーの元に集う、力ある者達。

 時々、冗談を言い合いながら、気安く振る舞う姿は、まさしくレヴィンが思い描く冒険者と良く似ていた。


「近付き難く、直接の会話すら不可能ってよりかは、ずっとマシとも思えるんだが……。でも、信者としては、物申したい気持ちもあって……。いや、こんな事をお前らに言っても仕方ないって分かってるんだが……」


「まぁ、そうよなぁ……。本来、同じ卓で食事を取るなんて有り得ねぇ話だし。場所が手狭だったとか、そんなの理由にならないだろ、普通。本来はありがたい、と拝むぐらいして当然。何なら、俺達は床で食べて良かったぐらいだ」


「そうだよな……。いや、もしかして試されてた、なんて事はないか? 相応しい態度を取れるかどうか、そういう類の……」


「若様、それは少し考え過ぎでないかと……」


 ロヴィーサがおっとりと笑って、困ったように眉根を下げた。


「思い描く理想と、余りに違って混乱していらっしゃるのは、よく分かります……。けれど、私の予想としては、こちらの世界だから……、それを理由に満喫しているだけに思えますね」


「……どういう意味だ?」


「神の御前とあらば、本来なら平伏し、許しなく頭を上げる事も許されず、対面など控えるべきなのは間違いないでしょう。でも、それはここが異なる世界だから、免除されているに過ぎないのでは、と思ったのです」


「確かに、それは……」


 世界が違えば、神も違う。

 そうして大神レジスクラディスは、異なる世界へやって来た。

 敬まうべき人間、礼を徹するべき常識、それらは自らが庇護する世界でこそ、向けられるものだ。


 世界が異なるからといって、神の威厳や崇拝が消えるわけではないが、それでも異なるルールがあるのは確かな事だ。

 ここでは、その常識を通さねばならない理由がない。

 だからこそ、神であれ、人と変わらぬ態度を見せるのかもしれなかった。


「理由はどうあれ、節度は守って欲しいよな……」


「それには同意します。神の威厳を、世界の違いという理由だけで、捨てて欲しくありません」


 今から向かう先が何処なのか、レヴィン達は知らない。

 しかし、神を迎えに寄越した神がいるのは確からしかった。

 その神への対面に際し、持ち得ていた威厳を捨てて欲しくないと、大神信者のレヴィンは強く思った。

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