隠密移動 その6

 夜を通してする見張りと言っても、レヴィンにとっては気楽なものだった。

 ユミルからは危険な魔物など出没しない、と聞いているし、警戒すべき野盗なども、この近辺には居ないらしい。


 そうは言っても、近くに森がある以上、はぐれた魔獣などが寄って来る可能性もあり、全くの無警戒でいるわけではない。

 だが、逆を言うと警戒すべきはその程度でしかなく、レヴィンにとっては遊びの範疇だった。


 未だ経験の浅いアイナは緊張を解けずにいたが、そうは言っても、危険と思えば逃げ込める家がある。

 身を守る壁があるだけで、心の余裕は随分と違うものだ。


 その上、逃げ込んだ先には、これ以上なく頼りになる方々が眠っている。

 万が一の事態も起こらないと思えば、気持ちに余裕も出た。


 結局、その夜見張りが一巡りした間、何の異常も見当たらなかった。

 レヴィンの順番は最後に回されたので、夜が明けてミレイユ達が起き出す頃を見計らい、井戸で水を汲んだ。


 すぐに顔を洗ったりしたいだろう、という配慮からで、実際これは言葉にされずとも、礼を述べる視線があった。

 とはいえ、この程度の気配りは、臣下ならば当然の範疇だ。

 殊更、褒めるに値しないのは当然だった。


 身支度を整え、簡単な朝食が用意され、これにも舌鼓を打つ。

 ルチアの食に対するこだわりは大変なもので、どうやら旅の間、食事に不満が出ることはなさそうだった。


「今日はペースを上げて進むぞ。休憩は基本的になしだ」


 ミレイユが宣言すると、アヴェリンは実直な態度で頷き、ユミルは背を向けながら、ひらひらと手を振る。

 ルチアも合わせて、誰もが気楽に了解していた。


 彼女らはそのペースを良く知っているから、見せられる気楽な態度なのだろう。

 しかし、レヴィンとしては恐々としたものがある。


 休憩なしの強行軍ともなれば、嫌な予感も間違いではあるまい。

 レヴィンは思わず、ヨエルと顔を見合わせた。


「休みなし、馬もなし、か……。まぁそれなら、徒歩より幾らか急ぐ、速歩きって所か……?」


「まさか、走るってこたぁないよな……?」


 互いに希望を述べ合って、それからミレイユの方を見つめる。

 そこにはどんな感情も浮かんでいなかった。

 真意が掴めず、助けを求めるように視線を彷徨わせる。


 そこで目の合ったユミルが、にんまりと嫌らしい笑みを浮かべて待ち構えていた。

 それで全てを察してしまう。

 互いの予想は恐らく外れていて、そしてろくな目に合わないと、このとき肌で感じてしまっていた。



  ※※※



「はぁ、はぁ、はぁ……!」


「ぜぇ、ぜぇ……くそったれ……!」


 レヴィンの予想は的中していた。

 速歩きで進むなど、とんでもない。

 いま現在、長距離走を殆ど全力に近いペースで走らされていた。


 休憩なしの宣言通り、既に二時間近く走り通しなのに、その間一度たりとも足を止めていない。

 レヴィンでなくとも、音を上げてしまいそうだった。


 しかし、ミレイユは元より、神使の三人さえ全く堪えた様子がない。

 アヴェリンはその実力からして順当としか思えないが、ユミルも飄々とした様子で、まさに疲れ知らずだ。


 そのうえ、完全な後衛魔術士のルチアでさえ、走るのを全く苦としていない。

 汗一つかかず、息も切らしていないのは、いっそ異常と言って良かった。


 更に言うなら、魔術を一切使ってない。

 疲労回復や敏捷上昇など、走るのに有利な魔術というものは存在する。

 しかし、一切の魔術的補助なく、彼女らは走り抜いていた。


「まったく……! どうかっ……ひぃ! してるぜ……っ!」


「俺達は……! ぜぇっ……! 走りに、来てるんじゃ、ないってのに……!」


 しかも、走りやすい均された道ではなく、街道から逸れ、無人の荒野を行くが如しだ。

 小石や倒木、急な斜面など、それら障害物を躱して進む必要がある。


 直線的に進めない場所もあり、距離を無駄に進まされて、精神的に辛いものもあった。

 その中で、いっそ意外なのがアイナの存在だった。


「はっはっ、ほっほっ……!」


 彼女は一定のペースを乱すことなく、余裕を感じられる態度で付いて生きている。

 いや、語弊なく言うなら、レヴィン達一行で最も体力を残しているのがアイナだった。


 ロヴィーサはレヴィン達の悪態に付き合わないだけで、ペースを合わせるのに必死だ。

 休んで良いと言われれば、その場で崩れ落ちそうな危うさがある。

 それは汗の量からも察することが出来た。


 しかし、アイナは前髪が多少、額に張り付いているだけで、体中から流しているわけではない。

 その部分からも、体力の消耗具合の違いが見て取れた。


「なんで、そんな……余裕なんだ……っ!」


「まぁ、アンタも喋る余裕があるんなら、まだ大丈夫ってコトなんでしょうけどねぇ」


 レヴィンの愚痴にも似た悪態に応えたのは、アイナではなくユミルだった。


「魔力の使い方がヘタクソなのよ。だから、疲れる」


「そんなこと、言われても……!」


「口答えしないの。アタシ達が散々、前で走って見せてたでしょ。それを参考にしなさいな。がむしゃらに走っても、ただ疲れるだけよ。……大体、普段から戦闘で有意に使えてるワケじゃない。それでどうして、長距離、長時間、使えないって話になるのかしらね」


 そう言われても、魔力運用は普段から無意識にやっていた事だ。

 それは例えば腹式呼吸と似ているかもしれないが、意識してやっていなかったことを、今すぐ慣れろは無理がある。


「神使様とは……っ、ぜぇっ! 身体の出来が、違いますよ……!」


「関係ないでしょ、そんなコトは。アイナを見てご覧なさいよ。普段からしっかり魔力制御してるからこそ、今はアンタらより余裕シャクシャクよ。基礎練の違いが、如実に現れてるって自覚しなさい」


「はっはっ、ほっほっ……!」


 アイナに余裕があるのは確かだが、喋る余裕がある程でないようだ。

 何しろ、朝日が登って数時間が経ったばかり。

 本当に今日一日、ずっとこのペースで走り続けるとすれば、話す余裕など生まれようがない。


「アンタらはさ、確かに才能ってヤツがあった。溢れる才能を、雑に振り回すだけで勝って来れたから、基礎の不十分に目が向いてないのよ。……いや、違うか」


 ユミルは一度レヴィン達から離れ、身体全体を舐める様に見つめる。

 つま先から頭頂部まで、全員を順に見つめて、それからルチアへ声を飛ばした。


「ねぇ、どう思う? こいつらって、やっぱ歪よね?」


「歪にもなるでしょう。才能があったのは事実でも、常識に見合った才能だったでしょうから。当然、それに見合った鍛えられ方をした筈で、才気開放された後では全く足りない方法ですから。そこに戦闘技法っていう短距離走に特化した鍛え方した訳で、歪にならない方がおかしいんですよ」


「あぁ……、だからこんなコトしよう、って話になったのね」


 妙に納得した態度で、ユミルは腕を組みながら、うんうんと頷く。

 そうした動きをさせつつも、ユミルの走りは乱れなかった。


 前を見てるか危うい時でも、障害物をひょいと躱していく。

 付いて行くのが精一杯のレヴィンでは、到底真似できない芸当だった。


「でも、何で今なの?」


「丁度良いと思ったからだな」


 ユミルの疑問には、ミレイユが顔だけ横を向けて答えてくれた。

 どうやら話だけは聞いていたらしい。


「レヴィン達はその力を、必要十分に増加させた。想定している敵のレベルを考えた時、足手まといにはならない。だが、お前が見た通り、レヴィン達は未だ歪な所がある。それを矯正してやろうと思った」


「なるほど、親心ねぇ……。使えそうな駒が、更に使えるようになってくれれば、こちらとしても文句ないし。移動距離を稼ぎながら出来る修行ってのが、これの良いところでもあるしね」


「それにほら、もう一つ理由があると思いますよ」


 素知らぬ顔をさせるミレイユに、ルチアが珍しく揶揄するような笑みを向けて続ける。


「出来の悪い子ほど可愛い、って言うじゃないですか。誰かを思い出して、世話を焼きたくなったんじゃないですか」


「あら、それもあったわ。……どうなのよ、アヴェリン?」


 唐突に話を向けられたアヴェリンは、ちらりと視線を向けるなり鼻で笑った。


「アキラはこいつらよりも才能がなかった。思い起こし、比較するのも侮蔑と取れるレベルだ。ミレイ様がなさったのは、単に効率を考えて――」


「いや別に、具体的に誰とまでは言ってなかったけどね」


「……む」


 ユミルから嫌らしい笑みを向けられ、アヴェリンはろくに反論もしないまま正面を向いてしまった。

 それ以上関わると、より酷い絡み方をされると思ったのかもしれないし、彼女の言を認めるのが、素直に癪だったからかもしれない。


 じゃれ合い、からかい合う彼女らにとって、現在の状況は普段の談笑と変わらないものらしい。

 レヴィンは荒くなる一方の呼吸を整えながら、必死に付いて行くので精一杯だった。

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