隠密移動 その7

 ミレイユが宣言した通り、休憩なしの長距離走は、日が傾き始めるまで続けられた。

 体力の底が尽き、筋肉は悲鳴を上げ、走る限界が訪れても、ならば一休み……とはならなかった。


 神使達の準備は万全で、水薬を数多く用意していた。

 スタミナ回復、疲労除去、筋力アップなど、その種類まで豊富だ。


 それを飲ませるわけでもなく、ビンのコルクを抜いて、液体を直接ぶつけることで、レヴィン達を治癒した。

 回復するその一時すら、足を止めてはならない、との考えらしい。


「あら、感謝しなくっても良いのよ。全部、低級水薬だから。使う場面なくって、いっつも『個人空間』の中で腐らせてたのよねぇ。ようやく出番が出来て、道具も喜んでるってものよ」


「道具とは、使われて初めて真価を見せるものですしね。観賞用じゃないわけで」


 ユミルとルチアから、次々に軽口を叩かれ、レヴィンは辟易とした思いがした。

 しかし、思ったとしても、それを態度には出さない。

 不敬と思うからではなく、出すだけの余裕がないだけだった。


「はっはっ……! ぜぇ、ぜひっ……!」


「それにお前らは、習うより慣れろ、の方が向いている」


 アヴェリンが息も切らせず並走しながら、レヴィンの背中と腰を順に叩いた。


「体力が回復し、筋力に余力が出来た今こそ、魔力の制御と運用に意識しなくてどうする。――循環が乱れてる。息が苦しいからと、上半身の特に胸へ集中し過ぎだ」


「は、はヒィ……っ!」


「必要なのは継続的運用だ。足に集中すれば楽に感じるかもしれんが、長続きしない。その上、魔力を無駄にし過ぎる。一瞬で接敵したいのでなければ、足への局所的運用に意味がない」


「は、は……ぃっ! んぐ! ぜひっ……!」


 レヴィンは何とか返事するのが精一杯で、それすら呼吸が乱れて辛くなっていた。

 ちらりと横を見ると、ヨエルも同じ様に辛そうに顔を歪めていたが、ロヴィーサは飲み込み早く、余裕を取り戻しつつある。


 アヴェリンもそれは感じ取っていて、満足気な笑みを浮かべた。


「うむ、中々良い。重要なのは循環だ。……分かるな?」


「は、はい……っ! 分かりかけて、来ました……っ!」


「お前たちの基礎は十分以上、合格ラインに達している。だが、魔力運用を昔のままでいるから齟齬が出る」


「どうやら、短時間に高効率で扱う分には、支障ないようですけどね」


 ルチアからの見解も挟まって、これにユミルも頷く。


「だから結希乃は、合格判定出したんでしょ。模擬試合とはいえ、全力の戦闘を幾つもぶっ続けでやれるなら、それで十分と考えるものだし」


「だが、それでは長期戦が不得手となる。特に今のレヴィンらは、淵魔の多くが物足りない相手だろう。恐らくは一撃か二撃……油断せねば、それくらいで討滅できる」


「でも、淵魔は質より量、って戦い方して来るものね」


「まさに、そこが問題だ。これよりは、それが更に顕著となるだろう。倒す力は持っていても、先に体力切れになっては意味がない」


 ユミルはこれに何度も頷いて、嫌らしい笑みをレヴィン達へと向けた。


「瞬発的な運用で強いってだけじゃ、確かに物足りないわ。いえ、勿体ないって言うべきなのかしら。特にこいつら、出来ないんじゃなくて、やってなかっただけだし」


「常に長期戦運用でいて、必要に応じて短期戦用に切り替えるのが一番だ」


 レヴィン達へ言い聞かせるように言葉を放ち、そうしてアヴェリンは睨みを利かせる。


「今の内に慣れろ。そして、身に付けろ。出来なければ、置いて行く」


「ぜっ、ぜひっ……!」


「安心しろ、水薬はまだまだ残されてる。残っている限りは使ってやる」


「どのくらい残っているかは、教えないけどねぇ……? だから、次が最後かも、という危機感だけは、持っておいた方が身のためよ」


 ユミルの笑みが嗜虐的な色を帯びる。

 まるで蛇に睨まれている錯覚さえ覚えた。

 今にも二股に割れた舌が、その口から伸びて来そうな雰囲気がある。


 そして、先程の言葉も、単に発破を掛ける目的で出たものではないのだろう。

 用無しの烙印を押されれば、容赦なく切り捨てるつもりだ。


 レヴィンはヨエルと互いに目を合わせる。

 言葉を出さずとも、気持ちは手に取るように分かった。


 辛い訓練――神宮内の道場で、力を高めたのは何の為か。

 周囲に何も見えない荒野で、ただ打ち捨てられる為ではない。


 レヴィンはこれまで以上に集中して、魔力の制御を全身に漲らせる。

 つい苦しいと感じる箇所へ、移りそうになる魔力を、必死に制御して循環させた。

 それも一重に、己の刃を淵魔へと振るう為――、アルケスの首に叩きつけるが為だ。


 レヴィンは前を走るアヴェリンとミレイユの背中を、必死に食らいつきながら、ひたすら足を動かした。



  ※※※



 夕刻になった頃合いで、ミレイユ達の足はようやく止まった。

 一切の休憩なし、食事すらなし、水分の補給は水薬のみ。それなのに、その補給すら十分に与えられなかった。


 足を止めた時には這々の体で、もはや指一つ動かす労力さえ残っていない有様だった。

 本日の野営場所は森に面した川沿いで、汗で塗れた身体や服を洗うのに、適した所を選んでくれたようだ。


「ありがたい……、ありがたいんだが……。水を浴びる気力すらない……」


「女性陣は元気だぜ……。アイナとロヴィーサを見ろよ。疲れちゃいるけど、疲れてるだけって感じだ。水浴びと聞いて、まぁ嬉しそうに……」


 日が出ている内は、まだしも水温が高いので、入るなら早い方が良い。

 暮れてからだと流石に冷たすぎ、十分に水を浴びる気力すら失うだろう。

 最悪、風邪すら引きかねない。


 早々に入った方が良いと分かっていても、身体が言うことを聞いてくれなかった。

 水薬を使った回復して貰いたいくらいだが、明日の分を浪費してしまうのは避けたい。


「若……、俺も動きたくないと思うが、汗で張り付いた服だって洗わにゃならんだろ……。辛くっても、なんとか動こうぜ……」


「あぁ、だな……」


 一度、倒れ伏した身体は、鉛のように重かった。

 それでも気力を総動員して、何とか地面から引き剥がす。


 特に足が言うことを利かないので、這って進もうとした所で、上からユミルが声を掛けてきた。

 肘を立て匍匐前進し、ずりずりと動いている様を、いつもの薄ら笑いで楽しそうに覗き込んでいる。


「まぁまぁ、酷い有り様ですコト」


「すみませんが……、話してる余裕なんて、ないです……」


「カミサマが直々に修行つけてくれてるんだから、もっと嬉しそうな顔しなさいよ」


「ただ、走ってるだけじゃないですか……」


「ただ走るコトすら出来ないヤツが、なんか言ってるわ」


 ぐっ、とレヴィンは喉の奥で唸った。

 ミレイユの狙いは、それとなく理解している。


 魔力制御とその運用を鍛えるのと同時、移動距離を稼ごうというのだ。

 走り方がもっと様になれば、より早く走れる様になるだろうし、必要十分と見れば馬に乗り換えても良い。


 今後の戦闘を睨んで育成してくれている、というのは分かっていた。

 そして何より、その神が一緒に走ってくれているのだ。


 文句など、口に出して良いことではない。

 それでも、揶揄されてしまうと、愚痴の一つも言いたくなるものだった。


「不甲斐ないとは思っていますよ。ロヴィーサは早々に慣れ、アイナに至っては最初から俺達より出来が良かった」


「俺らが注意されてる時も、アイナだけは何もなかったしな」


「アイナはそれこそ、長距離走に特化した術士だからね。治癒術士ってのは、最初からそうした訓練積むのが常識よ」


「得手不得手の問題、そうかもしれません。彼女は武器を持って戦うのに向いてない。多くの人を治癒する為には、一点特化なんてむしろ邪魔だ」


「理解できてるなら結構よ。これは才能の問題じゃなくて、やり方とか慣れの問題だから。出来ないなんて弱音は許さないわよ」


「はい、精進します」


 結構、と満足気な声を上げて、ユミルは去って行く。

 その後ろ姿をヨエルと見送りながら、呟くように言った。


「……もしかして、励まされたのか?」


「出来の悪い生徒に、釘を刺しに来たんじゃねぇのか」


「まぁ、どちらにしろ、だな……」


 ロヴィーサは今日一日で、アイナへ並ぶほど安定した制御を身に付けた。

 レヴィン達三人は兄弟同然に育てられ、何かにつけて一緒の訓練を受けてきた身でもある。


 アイナの様に、スタート地点からその鍛え方が違うのでは比較できずとも、ロヴィーサが出来たというなら、レヴィン達にも出来ない道理がない。

 同じ訓練を受けていても、やはり得手不得手はある。

 しかし、そんな泣き言を言ってる場合ではなかった。


「やれる奴がいるんだ。俺達が出来ないままじゃ、面目が立たねぇ。そうだろ、若」


「勝ち負けの問題じゃないが、出来ないままなら、俺達の旅は終わりだ。それは認められない」


 レヴィンは腕に力を込め、身体を支えて足を持ち上げる。

 膝を付き、つま先を地面に押し付けながら、ガクガクと震える脚を叱咤させて立ち上がった。


「流されたりしたら笑い者だ。脚に力は入れとかないと……」


「気にする所は他にもあるぜ。もっと下流にいかないと、覗いたの何だのと言われる破目になる」


「それもそうだ……」


 歩く距離は少ない方が良い。

 そうは思っても、今も少し上流で水浴びしている二人の、目に入る場所へ行くわけにはいかなかった。

 レヴィンは重い足を引きずるようにして、下流へと歩いて行った。

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