未知の世界 その6

 目の前で起きているのは、微笑ましい光景には違いない。

 しかし、よく考えるまでもなく、おかしな光景だった。

 神と神使の関係は、王と臣下の関係に近い。


 神威を蔑ろにする行為は、些細なものであれ重罪とされる。

 もしも神官の前で同じ様な言動を神へ向ければ、多大な叱責を受けるだろう。

 レヴィンはその信仰心から、相手が神使であろうと――神使であればこそ、苦言を呈さなければならなかった。


「神使様に、こういう事を言うのも、はばかられると思うのですが……」


 まず、レヴィンは一言、断りを入れてからユミルへ諭す様に言う。


「神に対する態度と言動には、もう少し考えた方がよろしいのではないでしょうか……? 我々、信徒としても心穏かでいられない、と申しますか……」


「あぁ、ほら……。言われてるぞ、ユミル。やはり使う言動にも、適切な場という物があるらしい。これを機に改めて見るのはどうだ?」


 ミレイユがレヴィンの苦言に乗って頷くものの、ユミルは全く気にする素振りを見せなかった。

 アヴェリンがそれに同意する視線を向けても、梨の礫でつまらなそうに顔の横で手を振る。


「はぁン? 言動だの何だの、そんなの言われたって、今更でしょ? ちょっと言われた程度で直せるモンですか」


「お前が威張って言うことか」


 それは神からの苦言に違いなかった。

 しかし、その表情は楽しげで叱責には程遠く、むしろ全く気にした様子がない。


 レヴィンにとって、それを許す態度は不思議でしかないが、主と臣以上の固い絆があるからこそ、為せることなのだろう。


 心許せる友人関係――。

 それがユミルだけでなく、他の神使からも感じられる、もっとも妥当な表現という気がした。


 そして、四人がその様な関係であるなら、レヴィンから何を言えるものではない。

 一人の信徒として、神使の態度に思う事があるのは確かでも、当人同士が納得ずくであれば、何言うものでもないのだろう。


「しかし、営業モード……とやらが出来るなら、俺の前でも続けて欲しかったのですが……」


「まぁ……アンタの立場からすると、そうかもね。同じユーカードと言っても、初代から数えてもう随分、代を重ねてるし、熱心な信者なのはこっちも把握してたし」


「幻想は崩されたくないですよね。それが綺麗であり、掛け替えのないものなら尚更……」


 ユミルがどこか興味無さそうに言うのに対し、ルチアがフォローするように言葉を継ぐ。

 そうして、ルチアは困り笑顔になって顔を振った。


「ただ、まぁ……。単に取り繕うのが、面倒になったというのが真相でしょう。こちらで過ごす時間が一日か、その前後で済むならともかく、きっとそうはならないんでしょうから」


「ちょっと、お待ちを……!」


 神陣営の誰もが当然、という顔で彼女の言葉を受け止めているのに驚き、それでレヴィンは手を上げて言葉を挟む。


「すぐには、帰れないんですか……!?」


「さて……、そう思ってますけど……。実際のところ、どうなんですか?」


 ルチアがミレイユへ顔を向けると、向けられた彼女はその視線から逃げる様に、窓の外へと顔を逸らした。


「まぁ、それこそ食後すぐ、という話にはならないだろうな」


「何故です……!? 今も向こうでは、アルケスの裏切りにより、世界が蹂躙される間際なのではないですか!? 再戦するにしろ、まず飯を食って力を付ける事には納得しましたが、それならどうして……!」


「そうだな……。それにはまず、確認しなくてはならない事がある」


「それは……!?」


 レヴィンが意気込み、テーブルの上に手を付いた。

 真意を問い質そうと顔を近付けると、そこを遮る様にアヴェリンの手が差し込まれる。

 その手に気付かされて顔を向けると、レヴィンを頭上から見下ろすかのような錯覚を覚えた。

 それほど巨大に見えてしまう圧迫感と共に、アヴェリンは睨み付けている。


「気安く温厚な態度だからと、勘違いさせたか。誰もお前の意見など求めていない。ましてや、お前の納得など必要ないのだ」


「は……、それは……勿論です」


 唐突に冷水を被った様な心持ちになり、レヴィンは一礼して前のめりになっていた体勢を戻した。

 それから改めて、面前の神へと深く一礼し、謝意を示した。


「勝手なこと、また身を弁えぬ分でございました。深くお詫び申し上げます」


「そう改まるな……。アヴェリンは少し、神へ接する……というか、私への態度に敏感なだけだ。むしろ、レヴィンの態度は、個人的に好ましく思うんだけどな」


「ミレイ様……」


 アヴェリンは物悲しい視線を向けて、小さく息を吐く。


「いつまでも、その様な態度で如何します。誰に対しても穏当な態度は、好ましいと思われます。しかし、貴女様は只の神だけでなく、小神を統べる大神であらせられるのです。もっと威厳を示しあそばされて良いぐらいです」


「……とまぁ、こんな具合だ。神以上に神の事を思う……というのは、近しい臣下であるほど良くある傾向らしいな」


 何処か遠くへ目をやって、苦笑交じりにミレイユが言えば、アヴェリンは尚も不満そうに眉根を顰める。

 しかし、不満を露わにしつつも、仕方がないと思わせる笑みが見えた。

 諦観ではない、もっと別の感情だ。


 こういう御方だから、そういう気質だから、という受け止め方を渋々ながらもしているらしい。

 これまで何度も、この様なやり取りが繰り返されてきたのかもしれない。


 ともかく、とミレイユは視線をレヴィンへ戻して、話を続ける。


「まず、アイナの意志の確認だ。一緒にいるのだから、巻き込まれたのだから、このまま共に戦えとは言わない。そして、誰も言うべきではない。アイナは被害者だ」


「は……、その通りです」


 徹頭徹尾、利用される為だけに、ミレイユの油断を誘う為に用意された駒だった。

 これがたとえば、アルケスが神器を預けるに相応しい何者か、相応の実力を持つ何者かだったなら、即座に排除されていただろう。


 油断できる格下であり、無事に帰してやるべき拉致被害者だから、大神レジスクラディスとして手を出さなかったに違いなかった。

 レヴィンが正しく納得していると、ミレイユもまた納得を示し、アイナへと視線を移した。


「せっかく帰って来たんだ。無事、家へ送り返してやりたいと思う」


「あっ、ありがとうございます……!」


 予想以上に優しい言葉を掛けられて、アイナは裏返った声で礼を述べた。

 焦りからか頬は紅潮し、それを隠すように頭を下げた。


「だからといって、戦うなとまでは言わない。憤りもあって当然、協力を無下に断るものではない」


「そう……ですね。でも、まずは家に帰って……、親を安心させてあげたいです……」


「それが自然な感情だろうな」


 ミレイユは大いに頷き、袂に手を入れる形で腕を組んだ。


「どちらを選ぶにしろ、考える時間は必要だ。お前はまだ、守られるべき立場の人間で、そして、後は我らに任せると言って当然の立場でもある」


「はい……、そこまで考えて頂いて光栄――いえ、恐縮です」


「難しく考える必要はない。いつもアルケスによる拉致被害は、ユミル達の手で対処していた。これもその一つ、というだけだ」


 素っ気ない言い方だったが、アイナはこれに深く感謝しているようだ。

 一礼した姿のままの彼女は、微かに身体を震わせていた。


「……ま、とりあえず家族を安心させてやりたい、ってのは良く分かったし、それなら一度日付確認しといたら?」


「日付……ですか?」


 顔を上げたアイナの瞳は僅かに濡れていた。

 その瞳をキョトンとさせて、彼女は首を傾げた。


「そう。恐らく、という推測でしかないけど、拉致されてから帰還するまで、最低でも半年間は開きがある。でもこれ、最低限の数字でしかないからね」


「最低……。じゃあ、もしかすると……一年以上、間が空いている可能性も……?」


「あり得る」ユミルは小さく頷いて続ける。「下手すれば、死亡扱いされてるぐらい時間経ってるかも……」


「そ、それは困ります……!」


 溢れそうな涙は引っ込んで、焦った表情でテーブルに手を突く。

 それを見たユミルは淡泊な態度で、頭頂部を人差し指でカリカリと搔いた。


「そうは言っても、こればっかりはね……。もう覆しようがないし、十年という数字も仮に過ぎないけど……。でももし、その十年ぶりに娘が帰って来たとしてさ、年は取ってないし、どこかおかしい所もないと分かったら、果たして親はどう思うかしら?」


「それは……、受け入れてくれる、とは思いますけど……」


 アイナは考える仕草をさせて、口元に手を当てた。


「でも、説明に困りますね……」


「何でも正直に答えて理解してくれるんなら、それでも良いでしょうよ。でも、本当に十年経ってたなら、説明の準備だって必要でしょう?」


「はい……、ですね。私も心の準備が出来ますし、まずその確認からですよね。店員さんに訊けば、今日の日付ぐらい教えてくれるかな……」


 アイナは即座に背後の店員へ呼び掛けたが、全く気付かず別の客への応対を続けた。

 店内は音楽が掛かっているものの、人の声を遮るほど大きいものではない。

 客同士の話し声も控えめなもので、アイナの声が届いていないとは思えなかった。


 それで彼女も、もう一度声を掛けてみたのだが、尚も店員は全く気付く素振りすら見せなかった。

 わざと気付かぬ振りをしている、としか思えない程で、レヴィンもその態度には首を傾げた。


「何だ……? 飯を待っている間は大人しくしてろ、って意味か? そういう風習とか?」


「いや、そんな事ないですよ。声、小さかった、かな……?」


 再び声量を上げて呼び掛けてみたものの、やはり店員は気付かない。

 手を振って呼んでも全く視界に入っていない対応で、流石におかしいと思い始めた。

 そうしてどうしたものか、とアイナが意気消沈したところで、ユミルがくつくつと笑いだした。


「隠蔽魔術掛けてるんだから、そりゃあ解除しないと見つけてくれないわよ。このテーブル席一帯はね、外から見た者からは全く違和感なく、景色の一部とかしか映らないようになってるから」


「えぇ……!? さっきまで普通に、注文とか取ってたのに……!」


「そりゃ、その時までは普通だったから。当然でしょ? 大事な話しようって時に、誰が聞いてるか分からない状況を看過すると思う?」


 いつの間に、とレヴィンも呻く気持ちでユミルを見つめる。

 刻印の使用であれば、それだとすぐに気付けただろう。


 しかし、それがなかったのなら、魔術による隠蔽だと分かる。

 そうだとしても、レヴィン達にも気付かせず使うのは、やはり至難の業だ。

 魔術の使用には魔力を制御し、魔術として発現させるプロセスが必要なので、本来は刻印よりも多大な時間を使う。


 だが、目の前にいるのは神使なのだ。

 楽しげに笑い、余裕の態度を見せるのは、見せかけだけのものではない。

 レヴィン達に察知させないほど、高度な制御技術を駆使して魔術を使った、というだけなのだ。


 そこもやはり、神使として遇されるだけの実力がある、という事なのだろう。

 感心するべきか、自分の不甲斐なさを呆れるべきか、レヴィンが困っているとアイナが席を立つ。


「じゃあ、席から離れたら問題なくなるって事ですね?」


「そうね。そこの席から二歩でも離れたら、問題なく声が聞こえると思うわ」


 ユミルの言質を取ると、アイナは席から離れるだけでなく、自ら歩み寄って店員に声を掛けに言った。

 呼び付けるのではなく、足を運ぶのがアイナらしい、とレヴィンは思いながら見つめる。

 アイナは店員に二、三、質問をした後、しっかりと頭を下げて、それから戻って来た。


「どうだった?」


「とりあえず、十年なんて大層な年月じゃなくて安心してます。でも……、どうやらあれから、一年経ってるみたいです」

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