未知の世界 その7
アイナが席に座り直してからしばし、困惑した顔からハッキリと困り顔へと変わると、それからしゅんと肩を竦めた。
「……最初は一年で済んだ、と思いましたけど……。でも、それでも一年は長すぎます。きっと家族に沢山迷惑を……」
「いやいや、一年で済んで良かった、と思うべきよ。誰もが五体満足で帰れたワケでもなし。……そもそも、帰れない奴だっていた」
異世界から拉致された人は、例外なく利用する為に用意された駒だ。
神使に下手な介入をさせない為、あるいは介入の手を少しでも緩めさせる為、捨て駒にと用意された。
直接的に日本人か否かを探るだけで、発狂して死ぬ者さえいたのだと、かつてユミルも語っている。
それも全て、真の役目を負った者を、途中で送還させない為の布石に過ぎなかった。
その駒を最終的な位置へ動かすまで――、大神へ神器をぶつけるまで、排除されるわけにはいかなかったから、指した手だったに違いない。
その悪辣さを思うと、レヴィンは吐き気にも似た怒りが沸き上がって来た。
だが、その目的を完遂したから、アイナも帰ってこれたのかと言えば、決してそうではない。
アルケスの目的は、大神を世界から追い落とす事だった。
その過程で都合よく帰れただけの話であって、慈悲や褒美で帰還できたわけでもなかった。
どこまでも利己的に利用された結果が今でしかないと、レヴィンは良く理解していた。
ならば、確かにそれは、運が良かった、と言える事なのだろう。
無事に帰ってこれた、一年で済んで良かった、と思うべきなのかもしれない。
しかし、アイナは喜ぶべきか、あるいは消沈するべきか、今はそれさえ迷っている様だ。
そこへミレイユが、小さく首を傾げて問う。
「……ところで、まだ具体的な日付まで聞いていなかったな。今日は西暦何年の、何月なんだ?」
「二十一年の、九月末日でした……けど。……あの、何で深刻そうな顔を?」
アイナの言葉に誘われて、レヴィン達は三人揃った動きで、ミレイユへと顔を向けた。
そこにはアイナの指摘通り、ミレイユが深刻そうな顔をしていて、そして他の面々も同様だった。
ただし、アヴェリンだけは澄ました顔だ。
これは事の深刻さを理解していない、というより、深刻に考えるのは自分の役目ではないと理解しているからだった。
「何か拙いんですか……?」
「お前にとっては好ましいが、私にとっては違うだけだ。ここは……この時代は、我らにとって過去に当たる。基本的に、過去へ干渉するべきでない、との原則を考えれば、あまり好ましくない状況だな」
「過去……。それに……、大神様にとって? 異世界の神様が、こちらの世界の過去とか、どうして関係あるんですか?」
アイナの問いに、レヴィンも内心で同意する。そして同じく、疑問に思った点だった。
そもそも、セイレキなどと言う暦を持ち出せた時点で、違和感が大きい。
こちらの世界に対し、単に詳しいというだけでは、とても説明も付かない気がした。
過去への干渉も何も無いはずだ。
今の言い様だと、まるで元々、この世界に居たかのように思えてしまう。
そうして、レヴィンは唐突に思い付く。
アイナが大神を別の何かと見間違えていた、それこそが一つのヒントではないか。
果たして本当に、単なる見間違いだったのだろうか。
単に顔の似た別人、と見るには、偶然が偏り過ぎているように思われた。
「あなた様は……、こちらの世界と元々、無関係ではないのですか? だから、その様な言い方を?」
「その通りだが、説明するのは面倒くさい」
「めんど、う……」
レヴィンは絶句したが、ミレイユの表情は変わらなかった。
「何より、意味もない。知っておくべき事は、彼女が無事、帰途につけるという事実だ。我々は誰の記憶にも残さず、ひっそりと後にするのが理想だな」
「ま、確かにね。最悪でも、完全に配慮し、計算尽くで協力してくれる相手でない限り、大っぴらに知らせるべきじゃないかも」
ユミルが窓の外、店内にいる客、そして店員へと視線を移しながら頷く。
「今のところ、隠蔽魔術は上手く作用しているし、誰の目にも不自然な誰かがいると思われてない。このまま、こっちの世界を離れれば、過去への干渉も殆どゼロで抑え込めるでしょう。アタシ達がいた事実も、露と消えてくれる……」
「実際、それが最も現実的で、堅実なやり方でしょう」
ルチアが顔を上げて断言して、それから顎先を摘みながら続ける。
「でも、どこまでがアルケスの計算通りだったのでしょうか。それを考えた場合、この状況までも含まれていたとしたら、少々面倒な事になります」
「……あぁ、それは……確かに面倒だな」
ルチアの指摘に、ミレイユは頷いて納得する様子を見せた。
この時点で、レヴィンはすっかり置いてけぼりで、全く理解が追い付いていなかった。
同じく置いて行かれたらしいアヴェリンが、ミレイユへ顔を向けて丁寧に問い掛ける。
「つまり、どういう事でしょうか?」
「我々を異世界に追放する事を目的としつつ、その過去へ送り返す所までが計画だった……のかもしれない。奴は御大層な文句を言っていただろう?」
「
その言葉に、ミレイユはうっそりと頷く。
「時間的矛盾や齟齬を作り出す事で、私という存在をどうにかしようとした、とかな……。とはいえ、どこまで本気だったのか分からないが……」
「まぁ、少し考え過ぎではあるかもしれません。余りに胡乱というか、賭けの部分が大き過ぎます。その上、結果を観測できる保障すらない訳で……」
「でも、嫌がらせ程度と考えるには、少し気になる部分ではあるわけよ」
そう言って、ユミルも難しい顔をさせながら眉の端を搔いた。
「そこまで行くと、流石にインギェムだって、協力しようと思わないでしょうし」
その口から飛び出した単語に、レヴィンの鼓動は大きく一度、弾くような鼓動を上げた。
インギェムとは、アルケスと同様の小神であり、『繋属』と『双々』の権能を持つ神として知られている。
更に別の小神が、
しかし、ユミルの放った言葉は、敵対が確定的と思わせないものが含まれていた。
その言い様では、まるで裏切りはないように感じる。
そして、ミレイユもまた、楽観した様子を一貫して崩していない。
まさか信じるに足る根拠でも、そこにはあるというのだろうか。
しかし、レヴィンには到底そうとは思えなかった。
むしろ、もっと最悪の事態を想定してしまい、思わず背筋が寒くなった。
「六柱の小神の内、まさかその半数が敵に回った……なんて事は? 大丈夫なんでしょうか?」
「全く問題ないし、何か勘違いしているから訂正してやろう」
ミレイユはつまらなそうに息を吐き、コップの水で唇を湿らせてから続けた。
「前提として、インギェムは私を裏切ってない。ここが過去である事実から、ルヴァイルの関与すらも妥当と思えるが、やはり同様に裏切ってないだろうな」
「じゃあやっぱり、半数は敵に回っているんじゃ……!? え、しかし……。『孔』を作り出して、こちらの世界へ送り出したのは、その……インギェム様、ですよね? その様な発言を聞いたような……」
「ルヴァイルが『孔』を開いたのは間違いない。何か情報を吐き出さないかと焦った振りを見せたら、何やら得意げに
だから、その二柱が裏切ったのは確定だろう、とレヴィンは言いたいのだ。
創造神たる大神を、世界から追放する――。
その片棒を担いだとなれば、それは明確な裏切り行為だ。
そうに違いないはずなのに、ミレイユは元より他の神使まで、全く問題として捉えていないようだった。
「私はな、インギェムの事は信頼しているし、それはあちらも同様だと思っている。敢えて孔を開いたのは、何か弱みを握られたからだろうな」
「……アイツの弱みなんて、ルヴァイル以外なさそうだけど。だから、双方に対して脅しでも掛けたのかしらね? 淵魔を使って神処を取り囲むとか、人質ならぬ
ユミルの言い分に、ミレイユは迷いなく頷いた。
「そういう事だろうと思う。已むに已まれず……そして、その程度の困難ならば、突破して解決すると信頼しているから、協力するのも拒まなかったんだろう」
そう言ってテーブルに肘を立て、手の平に顎を乗せたミレイユは、窓の外を見ながら静かに笑んだ。
「インギェムは……。何をしようが私を止められないと、それを良く知っている」
怒りもなく、呆れもなく、その他一切感じられない笑みだった。
それなのに、そこへ含まれた壮絶なものを感じられて、レヴィンは一瞬、呼吸する事すら忘れた。
「汎ゆる困難、汎ゆる辛苦すら、私を止めるには尚足りない。そして私は、――やると決めたら必ずやる」
余りに静かな、余りに感情を感じさせない、凪のような決意だった。
しかし、その言葉には絶対的な重みがある。
それを正確に感じ取ったアヴェリンは、背筋を正し、手を太ももの上に置いて、音を立てずに一礼した。
ルチアもまた似たようなもので、アヴェリンよりは浅い角度で一礼している。
そうした中で、ユミルだけは相も変わらぬ態度だったが、その瞳の中には壮絶な色が浮かんでいる。
――神の一言は余りに重い。
この状況を苦ともしておらず、そして解決しようとする決然たる意志がある。
そして、新たに裏切った神などいない、と他ならぬ大神が言うのなら、レヴィンはただ信ずるのみだった。
「アルケスは弑する。それは既に、この私が決めた。やった事の責任は、必ず取らせる」
「ハッ……! 必ずや我らが、その首、献上いたします」
アヴェリンが顔を伏せたまま言って、ミレイユが静かに首肯する。
そうして、意を伺うように顔を向けたのだが、続く言葉には苦みが満ちていた。
「しかし、過去に飛んだこの状況は、如何ともし難い。帰ると行っても、即座には……」
「神であろうと、簡単ではないですか……」
「うん……。まぁ、そうだな……」
先程までとは打って変わって、随分と曖昧な言い方で言葉を濁した。
そこにレヴィンは違和感を覚える。
しかし同時に、そこで苦言を呈せられる程、図太くもなかった。
続く言葉を待っていた時、横合いから声を掛けられる共に、料理が運ばれて来た。
「お待たせいたしました、先にお飲み物です」
強制的に会話が中断され、それぞれの前へ供されるのを待つことになる。
流石に、それを無視して、話し続けられる雰囲気でもなくなった。
何より鼻腔を擽る香りに、レヴィンもまた我慢できなくなる。
そうして、アイナからフォークを手渡されると、最早待ちきれない思いで、次々と並べられる料理に釘付けとなった。
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