悪辣な罠 その4

「どういう事なんだ、アイナ? 説明してくれ」


「まず、転移を済ませてしまいましょう。移動しながらでも、説明は出来ます」


「まぁ……、そうだな。じゃあ、さっさと突入するか。……そういう訳だから、ホラーツ。色々ありがとう」


「いえいえ、今度こそ、お気を付けなせぇ!」


 ホラーツから手を振って送り出され、レヴィン達は『速達組』の列へ並ぶ。

 その間に説明を聞いても良かったが、アイナが敢えて移動中、と言った意味を考えていた。


 待機列に並ぶ時間は長いものでもないが、五分や十分は軽く越える。

 ならば、その間でも良かっただろうと思えたが、情報の秘匿性を考えたものなのだと察した。


 それで素直に転移するまで待ち、迷宮の中を深く進んだところで、ようやく話が再開された。


「それで、何が分かったんだ、アイナ?」


「あの警告文です。今も設置されたままの……」


「あぁ……。だが、それが?」


 移動中だからと、レヴィンは周囲の気配に散漫だったりしない。

 それはロヴィーサやヨエルも同様だが、同時に楽観的な空気感も漂っている。


 五十階層の赤い線レッドライン相手なら、十分に数をこなしているし、最早敵と認識できる力量でもないからだった。


「レヴィンさん、あの警告文……。ご自身できちんと読みました?」


「いや……、そういや又聞きばかりで、きちんと読んでいないな」


「じゃあ、暗記したものを読み上げますね」


 そう言って、小さく咳払いしてから、アイナは続けた。


「警告、ルールの変更を伝える。五十階層以降に変化あり。腕に覚えがない者は引き返し、腕に覚えがあっても様子見すべし。『恩寵』において、『脱出』を持たざる者は挑戦を諦めよ」


「……あぁ、聞いた通りの内容だな。ちょっと固い文言だが……、でも別に知ってるのと変わらないだろ」


「じゃあ、お聞きしますね」


 アイナは表情を引き締め、試すような口振りで問い掛けた。


「最初に警告、とあります。そして、次にルール変更を。そして腕に覚えがなければ引き返せ、って言ってるんですよ」


「そうだな? それが何かおかしいか?」


「おかしいですよ。これのどこがルール変更なんですか」


「え……?」


 虚を突かれたレヴィンは、咄嗟に言葉を返せない。

 だが、よくよく文言を読み返してみると、確かにおかしい内容だった。


 腕に覚えがないのなら、下層に挑まないのなど常識の範疇だ。

 そして、腕に自信のない者が失敗したとて、それは自己責任となる。

 明文化されていない、ルール以前の問題だ。


「得に最後、『恩寵』の部分がありますから、特に実力不足を強調した内容に見えますけど、これって本当に……ルール変更の部分に掛かってるんですか?」


「そう言われてみると……。確かにおかしい……」


 アイナの懸念と疑問に、ロヴィーサは逸早く理解を示し、数度頷いた。


「実力ない者に挑む権利がないなど、常識の範疇です。そして、挑むことはルール違反ではなく……、そもそも明文化されていないでしょう。失敗して死亡しても、これは自業自得と自己責任で収まる話です」


「ですよね? ……だったら、何を『ルール変更』したんです? 今まで特に制限を設けなかった事について?」


「そうなんじゃないのか? だから、最初に警告、ってあるんだろ?」


 いいえ、とアイナは強く断言した。

 その瞳には断固とした力強さが見える。


「よく考えて下さい。ユミル様が言ってました。自らテコ入れして修正させた、と……。そこから生まれたルール変更ですよ。文言通りに済ませて良いと思いますか?」


「そう……言われると……、確かに……、不安が残るか」


「そう、違うんですよ。あの警告文には、引っ掛けがあると思うべきです。そして、明確なルール変更が、別にあると考えるべきなんですよ」


「しかし、本当に……?」


 ユミルならやりかねない、と思える一方、本当にそんな事をするのか、という気持ちでせめぎ合う。

 だが、アイナの中には揺るぎない確信があって、それを強く信じているようだった。


「後半部分はミスリードです。大事なのは前半部分なんですよ。『警告、ルールの変更を伝える』……この部分です」


「あぁ、しかし……。ルールの変更と言っても、それだけじゃ漠然とし過ぎて分からないじゃないか」


「はい、だからもう一つ立て札がありました。迷宮入口に設置された立て札と、対になる物が用意されていたんです」


「そんなもの、何処に……」


 レヴィンが眉間にシワを寄せて考え込んだ時、横合いからロヴィーサの小さな声が上がった。


「鎧戦士の間……! あそこにも立て札がありました」


「そうです。何て書いてたか覚えてますか?」


「確か……」


 ロヴィーサは顎先を摘む様に手を添えて、当時の記憶を引っ張り出す。

 何しろ三ヶ月前に一度見ただけの内容だ。


 それ以降何度も階層主の部屋に入っていたとはいえ、完全に背景と同化したオブジェクトと化していた。

 思い出すのに時間が掛かっても無理はない。


「そう、『逃げる限りにおいて、部屋から脱出できる』……とか、そういう内容でしたか」


「そうですね。でも正確には、『去るもの追わず。逃げる限りにおいて、扉は開かれる』です」


「同じ事じゃないのか?」


 レヴィンの疑問に、アイナはきっぱりと首を横に振る。


「違います。……というより、同じことだと誤認させる書き方をしてるんです。さっき、対となる立て札だって言いましたよね? だったら、『ルール変更』は『逃げる限りにおいて、扉は開かれる』部分に掛かってる、と見るべきなんです」


「そう、そうですね……。階層主を倒さないと、次の扉は開かない。それがルールでした。でも、そのルールが変更されたのなら……」


「いや、そこは大前提だろう? 変更なんてあり得るのか!? 大体、逃げる限りにおいて、って言ってるんだから……!」


「はい。ですから、前方に向かって逃亡すれば良いのです」


「おいおい……」


 ヨエルからも呆れた声が漏れたが、それとは逆にロヴィーサは賛成派だった。


「いえ、あり得ます。鎧戦士が積極的に攻撃して来ないの何の為でしょう? ――余裕の表れ? そうかもしれません。しかし、攻撃して来ない。この部分も重要ではありませんか?」


「逃げる余地を作ってる……。そう、言いたいのか?」


「はい、若様。近付かず、迂回して扉に接近することは可能です。そして、そうであるなら……、前方へ逃亡するのが答えなら、あれ程の強さも納得いきます」


「第一の関門にしては強すぎるよな、確かに……」


 アイナとロヴィーサ、二人の考えを重ねると、じわじわと理解が追い付いてくる。

 しかし、それでも即座に受け入れられなかったのは、これまでの数カ月間、無為に過ごしていたのを認めたくなかったからだ。


 それを見抜いたからか、アイナが駄目押しの一言をねじ込んでくる。


「勝つのではなく、出し抜く。それが鎧戦士への最適解、そういう事だと思います。こう考えると、すごくユミル様らしい問題じゃないですか……!」


「あぁ、らしいな……。すごくって気がする……」


 それは認めない訳にはいかないだろう。

 そして、いつまでも正攻法の間違った方法で挑むから、レヴィン達はいつまでも突破できなかった。


 そういう事に違いない。

 レヴィンは大きな落胆の息を吐く。


「時間を随分、無駄にしたな……。皆には苦労ばかり掛けて、申し訳なかった……」


「苦労ばかりの無駄ばかり、ってわけでもねぇよ、若……。あの鎧戦士には随分と鍛えて貰った。一度として勝てなかったが……、意味ある敗北だったろうよ」


「そう思わないとやってられないか。……いや、あの戦いの連続で、強くなったのは確かだ」


「然様です、若様。残り時間が厳しくなったのは確かでしょうけれど、気付けたからには、まだ勝利の可能性は大いに残されています。ここから巻き返しの時ですよ」


 ロヴィーサの笑顔に支えられ、レヴィンに力が戻って来る。

 レヴィンはアイナにも小さく頭を下げ、感謝を伝えた。


「ありがとう、アイナ。君の機転に、どうやら助けられたようだ」


「いえ……! いつも助けられているのは、私の方ですから! こういう部分で、少しでも力になれるなら……!」


「あぁ、頼りにしてるよ」


 アイナの顔にも笑顔が灯り、下層を目指す意欲が増したレヴィン達は、いよいよペースを早めて階層主の部屋へと目指す。

 一日に三階進めれば良いペースとされている下層で、レヴィン達は一気に五階ずつ駆け抜け、目的地に到着した。


 途中の魔物は、赤い線レッドラインでさえ鎧袖一触の有り様で、通い慣れた道なせいもあり、殆ど立ち止まることもなかった。


 そして、レヴィン達より先に挑んでいる探索者もいない。

 さて、と気合を入れ直して、扉のノブに手をかける。


「アイナの推測には説得力があったし、期待してる。しかし、試してみない事には分からない」


「ですね。実は完全な深読み、って可能性もあるわけで……」


 レヴィンがゆっくりと扉を開くと、闇の中から浮き上がるように、鎧戦士の姿が現れた。

 即座に天井の鉱石が煌めき、部屋内を明るく照らした。


 レヴィン達は壁沿いを歩き、必要以上に距離を取って移動し、次の扉を目指す。

 鎧戦士の兜から、目の光は見えない。

 しかし、レヴィン達の動きに合わせて、その顔も動いた。


 ――見られている。

 視線の強さから、それだけは分かった。

 レヴィン達が武器を構えていないので、相手もまた武器を出してはいない。


 しかし、強まるばかりの視線から、いつでも臨戦態勢を取れるのだと告げられているようでもあり、生きた心地がしなかった。

 そうして、遂に扉へ到着する。


 立て札が変わらぬ様子で立っており、『去るもの追わず。逃げる限りにおいて、扉は開かれる』と書かれていた。

 レヴィンは鎧戦士に背を向けないまま、後ろ手にドアノブを握る。

 その時、鎧戦士は急激な動きを見せ、レヴィン達目掛けて突っ込んできた。


「――くそっ、駄目だったか!?」


 悔しげに息を吐き、レヴィンは咄嗟にカタナを抜いて、臨戦態勢で待ち構えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る