悪辣な罠 その5

 鎧戦士が持つ間合い、そして一足の距離や速度は、これまで嫌というほど味わってきた。

 点と点を結ぶような、一瞬で間合いを詰める足運びと移動術は、今で以っても見抜けていない。


 双方の距離は十歩以上離れているが、鎧戦士ならば一呼吸の間も要らず、そしてたった二歩で詰めて来る。

 幾度も見た光景だから、レヴィンの頭で瞬時にそこまで計算できた。


 そして、レヴィンのすぐ背後にはアイナがいる。

 彼女を護る意味合いでも、この場から逃げる訳にはいかなかった。


「――フッ!」


 軸足を前に踏み出し、腰をひねる動きと共に抜刀する。

 相手の動きに合わせたつもりだが、それすら見切られ躱された。

 ロヴィーサとヨエルもその時には左右に広がっており、挟撃する形で武器を振るう。


「ハァァッ!」


「オッラァァ!」


 しかし、それも俊敏な動きでロヴィーサの攻撃を躱し、ヨエルの大剣は手を添えて外へ流す。

 それと同時に一歩踏み込み、ヨエルの胸付近を肩で押した。


 傍目には、ごく軽く押した――あるいは触れた様にしか見えない攻撃だ。

 しかし、直後に大きな衝撃音と共に、ヨエルは壁際まで吹っ飛ばされる。


「ごっ……ふ!」


 一時の制止の後、ヨエルの身体は壁際からズルズルと落ちた。

 レヴィンが次なる一撃を繰り出したその時、刃の先を指先二本で掴み取られ、身動き出来なくなった。


「ぐ、くぅ……っ!」


 押しても引いても、びくともしない。

 腹を蹴り込んだが、これもまた相手に何の痛痒も与えなかった。

 そして、ゆっくりと空いた片手が持ち上がる。


 ガントレットを履いた手が、レヴィンの顔面にまでやって来た。

 掌底が来る――。

 そう思って身構えたものの、次なる一撃がいつまで経ってもやって来ない。


 ロヴィーサが打ち込もうとした連撃も、その奇妙な間の取り方で訝しげに止めた。

 これまでの容赦なさを考えれば、寸止めなど有り得ないことだ。


 一切の隙も、一切の慈悲も見せない敵――。

 それが鎧戦士というものだ、と知っていた。


「……そう焦るな」


 初めて声を聞いて、レヴィンは瞠目する。

 むしろ話せたのか、という驚きがあった。

 それはロヴィーサにしても同様で、表面には出さないまでも、警戒を強くしたのはよく分かった。


「お、前は……!」


 何者なんだ、と最後まで言うことは出来なかった。

 突き出された掌底が、そこで何度か前後する。

 刃先からも指が離れると、その掌底の意味が遅まきながら、待てのポーズだと理解できた。


「合格だ。……まぁ、ようやくだな」


「……あっ!?」


 鎧戦士は敵意なし、と手を挙げ、そのまま一歩二歩と下がると、兜を脱ぎ払う。

 金髪が靡いて落ち、そしてその中から、よく知った顔が表れた。


「アヴェリン様!?」


「よくもまぁ、一度も気付かず戦えたものだ。おかしいと思わなかったのか?」


「おかしいと思ってましたよ! 馬鹿みたいな強さだと! どうして勝てないのかと、自分を責めたりもしました! ――勝てないわけだ!」


 レヴィンはアヴェリンとの実力差がどれ程あるか、それまで全く知らなかった。

 四人掛かりの全力でも勝てないだろうと、それだけは分かってはいたが、逆に言えば、分かっていた事など所詮その程度の事だった。


 手合わせした機会もなく、まして真剣に武器を打ち合わせたこともない。

 それでも、逆立ちしても勝てない強者であるのは、その背中を見るだけで理解できたものだ。


 そして、それは事実だった。

 大神レジスクラディスの懐刀として、また絶対に覆らない右腕としての実力は、レヴィンの想像を更に超えていた。


「ルールの抜け道に気付くまで、この訓練は続くはずだった。ユミルの目論見としては、一周期の間に気付くだろう、という話だったが……。ここまで長引いたのは……まぁ、私も予想外だったな」


「それは、また……。何とも……。申し訳ないことです……」


「鍛える分には伸びるお前らだから、私も少し興が乗ってしまったが……。とはいえ、まずまず及第点は与えて良かろう。今の実力なら、淵魔の強化個体でもそれなりに戦える」


「は……、わざわざ神使様のお手を患わせ、恐縮でございます」


 今更ながら、レヴィンは武器を仕舞って頭を下げる。

 ロヴィーサもレヴィンの傍らに戻って来て、同様に頭を下げた。

 その頃にはヨエルも帰って来ていて、胸元を押さえ、顔を歪めながら、やはり同様に頭を下げた。


「なんで、俺だけ……っ!」


 誰もがアヴェリンの餌食となったのは変わりないが、特別被害を受けやすいのは、いつだってヨエルだった。

 それは今回の戦闘においても同様だ。


 恨み言の一つも出て当然と思う一方、訓練の場であったなら、狙われる理由があったとも思う。

 そして、レヴィンの考えを見透かしたように、アヴェリンから忠言が落ちた。


「お前の防御が下手くそだからだ。攻撃は最大の防御だが……、防御を疎かにして良い理由にはならん。お前は痛みを覚えねば、何を言われても理解できぬタイプだ。だから教えてやっていた」


「いや、口で言われても理解しますって……」


「そんなもの当然、言われる前に自分で気付け。そして、対応しろ。いつまでも、とりあえず斬ってみるつもりで攻撃するから、そういう愚にも付かぬことを口にするのだ。攻撃と防御は同時に行え」


 ぐうの音も出ない反論と共に睨まれ、ヨエルは口を噤んだ。

 そこへレヴィンが、今さっき思いついた事を口にする。


「ともかくも、長らく教練していただき、感謝致します。……ですが、余りに時間をかけ過ぎました。これで踏破出来なかったら、元も子もないのでは……?」


「そんな事、お前らが気にする必要はない。仮にこれが原因で間に合わなくとも、ミレイ様が全て上手く収めて下さる」


「そう……なのですか?」


 これは神と神の勝負事だ。

 そして、レヴィン達はその代理戦争に、駆り出されたようなものだった。

 駄目だったら、その時はミレイユが直接どうにか出来るなら、それは勝負事として成立しないように思う。


 しかし現在は、世界の滅亡の瀬戸際であるとも言える。

 いざとなればある程度、無理を通して言うことを聞かせるだろう、とも思えた。


「――だが、勘違いするなよ。だからといって、お前たちが最下層へ到達出来なくても良い、という理由にはならん。お前達の失敗は、ミレイ様の顔に泥を塗るのと同じ行為だ。まさか、泥を塗られても気にしない、などと言うのではあるまいな?」


 大きく釘を刺されると共に、威圧感をもって脅される。

 当然、敬虔な大神信者であるレヴィンは、そうした侮辱を許さない。

 胸を張って顎を引き、決然とした表情で口にした。


「勿論、我々はミレイユ様に勝利を献上致します! その覚悟は、最初から些かも失われておりません!」


「ならば良し。それと……」


 突然、空気が変わったように思え、レヴィンは身構える。

 それから、そっと問い掛けた。


「まだ、何かあるので……?」


「指輪はもう外して良い」


「え、この擬装指輪ですか?」


「そうだ、見ていて慣れない。外せ」


「い、いや……しかし、そうすると他の探索者に遭遇した時、何かと拙いのでは……」


 そもそも、その為の偽装だった筈だ。

 だが、アヴェリンはそれを鼻で笑った。


「ここを通過できる者がいるとは思えん。そもそも、お前ら以外、挑戦者が居なくなって久しいからな……」


「な、なるほど……。しかし、それだともし挑戦に失敗したら、地上に出た時……色々と騒ぎになるのでは」


「では、失敗できない理由がまた一つ増えたな。さっさと外せ」


 強く睨まれて言われれば、レヴィン達に拒否する勇気などない。

 互いに目配せして外すと、それぞれ見慣れた顔が表れた。

 頬などを擦り、懐かしの感触を取り戻したのを実感するのだが、ヨエルなどはむしろ不満な声を上げた。


「いや、久方ぶり過ぎて、逆に慣れねぇよ。あのゴワッとした感触、意外に嫌いじゃなかったみてぇだ」


「あたしなんて、あのモフモフがないと、もう手の置き場が……!」


 特にアイナはストレスを感じると、毛皮の感触に癒され、良い逃避先となっていた。

 それを奪われた格好なので、不満は誰より大きい」。

 しかし、アヴェリンはそうした不満を一切無視し、正面に見える扉を指差した。


「――では、行け。有象無象を打ち破り、最下層に到達しろ!」


「あ、はい……いえっ、失礼をッ! 必ずや勝利を……あ、因みにこれから先のギミックなど、教えて貰えたりは……」


「――さっさと行け!」


 蹴り出される勢いでレヴィンは突き飛ばされ、そして実際、扉を蹴破って階段を転げ落ちた。

 ロヴィーサとアイナは急いで後を追い、ヨエルは恐怖で引き攣った笑みで脇を通り過ぎる。

 後には、アヴェリンの余りに大きな溜め息だけが残された。



  ※※※



 レヴィンが転がりながら降りた先は、念願の七十階層だ。

 ようやく……余りに長い時間を掛け、レヴィン達は新たな階層へと降り立った。

 そうして、あちこち痛む身体を持ち上げ、前方を見渡す。


 そこは見渡す限り砂の大地で、砂丘が連なる以外、他には何もない。

 堆く積もった砂の山は、それだけで視界を遮り、天然の迷路としてしまう。

 一度来たことがある階層だから、それをよく理解していた。


 ただし、砂山の斜面は登れないほど急ではない。

 登れば迷宮も意味を為さず、だから登る設計になっているとも言えた。


「迷路として見ると、難易度は大した事ないんだよな……」


「見れば答えが分かる、親切設計ではありますから。ただ……」


 ロヴィーサが言い淀み、そしてアイナが続けて言った。


「砂の上り下りがツライです……。心折設計ってやつです……」


「ここは難しい階層じゃねぇんだが……。ただただ、ひたすら辛い。それに赤い線レッドラインが、ここに加わるわけだろ。前に来たとき遭遇した、サンドウォーム自体は大したことない敵だったけどな……」


「前階層の……たとえばエンキキの強化度合いを見ると、赤い線レッドラインの強さは約二倍から三倍の間だ。こっちでも同じなら、そう苦戦することはないと思う」


 レヴィンがそう言った時、足元の砂丘が崩れ、レヴィン達は振り落とされた。

 幸い、柔らかい砂の上だから、全員何事もなかったが、何があったかと砂丘を見上げる。


 すると、そこには砂丘と入れ替わり、別の何かが現れていた。

 見上げるほどの巨大な何かは、砂が全て落ちきる前に、その正体を顕にする。


「サンド、ウォーム……?」


 レヴィン達が以前相手にした魔物は、精々身の丈よりも大きい程度の個体だった。

 見上げる程の巨体な個体など、前回は出会っていないどころか、姿すら見ていない。

 そして、蛇にも似た巨大なミミズの顎下には、見せつける様に二本の赤い線レッドラインが入っていた。


「これは……、どうする?」


「――逃げる!」


 ヨエルの問いに、間髪を容れずレヴィンが答えた。

 それと同時に、脱兎の如く逃げ出す。

 巨大な咆哮を背後に聞きながら、レヴィン達はひたすら砂を蹴り上げ走って行った。

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