悪辣な罠 その6

「逃げるのは良いですけどぉぉぉ、いつまで逃げるんですかぁぁ……!?」


 アイナの叫びが広い砂漠に、こだまする。

 砂上は脚力を分散させてしまい、固い地面ほど早く走れない。

 それに加え、脚全体に余計な負荷も掛かるので、命を賭けての長距離走に全く向いていなかった。


 その上、サンドウォームの方が余程速い。

 砂丘を蹴散らして進む相手に、いつまでも逃げ切れるものではなかった。


 砂丘の一つを迂回し、その陰へと隠れる。

 これまで同様、サンドウォームはこれも吹き飛ばし、鎌首をレヴィン達へと向けた。


 しかし、その時にはもう、レヴィン達の戦闘準備は整えている。

 レヴィンが両手を組んで下に向け、そこにヨエルが足を乗せた格好で、肩には大剣を担いで構えていた。


「行け、ヨエルッ!」


「――おっしゃぁぁあ!」


 掛け声と共に、レヴィンは両腕を振り上げる。

 それと同時にヨエルも足を踏み抜き、カタパルト代わりの土台は、凄まじい初速を実現させて突貫させた。


 サンドウォームがヨエルを認識した時には、もう遅い。

 次の瞬間には、その赤い線レッドラインを目印にして、ヨエルの大剣が振り抜かれていた。


 巨大な頭が砂の上に落ち、一拍遅れて巨体も横に倒れた。

 その上にヨエルが降り立ち、大剣を頭上で掲げる。


「よし、よくやったヨエル」


「いきなり疲れましたぁ……」


 アイナがその場に、ヘナヘナと崩れ落ちた。

 だが、そんな彼女を、ロヴィーサは優しく抱き上げ、立ち上がらせる。


「疲れている所でしょうけど、急ぎませんと」


「へ……?」


「あれ一体とは限りません。それに、また今の不意打ちが今後も決まるとは限りません。なるべく音を立てず、可能な限り速やかに、この場を立ち去らなければ」


 アイナは泣きそうな顔をして頷いたが、ロヴィーサの説明に納得を示すと、ぐっと顔を引き締める。

 その時にはヨエルも傍に帰って来ていて、レヴィンと互いに拳を打ち合わせていた。


「さて、ロヴィーサが言った通りだ。砂丘に擬態しているからには、おいそれと登るのも躊躇われる。一番良いのは、一度として上がらない事だろうが……」


「それでは余りに時間が掛かり過ぎるのでは……」


「そうだな。だから、回数に制限を設けて、なるべくリスクを低減するしかないと思う。それでハズレを引いたら、仕方がないと諦めよう」


「それが一番、現実的かもしれませんね」


 現在は一度出口を見た後なので、大体の方向は分かっている。

 遠回りする事にもなるだろうが、一先ず安心して進めそうだった。



  ※※※



 そうして約五階に渡り、砂漠地帯は続いた。

 照り付ける太陽がなくとも、周囲の気温はそれと変わりない。

 凡そ五日を使って踏破した時には、すっかり疲労困憊していた。


 そして、それを超えれば、次に来るのは溶岩地帯だ。

 同じ階層でも、こうもガラッと様式が変わるのは珍しい。

 ただし、それは六十階層までの話かも知れず、ここから先はどの階層でも、そうした性質を持つのかもしれない。


 そうして、前回は七十八階までの到達で、全ての時間を使い切った。

 しかし、今回は同じ階層まで来たというのに、まだ半分ほども時間を残している。

 これも一重に、アヴェリンが鍛えてくれた賜物だ。


 赤い線レッドラインは強敵に違いなく、レヴィン達であっても油断して勝てる相手ではない。

 しかし、どれもアヴェリンの疾さには程遠く、また全ての攻撃に対応してくる、インチキじみた順応性など見せはしない。


 強敵を――最大とも言える強敵を相手にしていたから、むしろ拍子抜けする場面の方が多かった。


「さて、それは良いがよ……。ここからは未知の世界だ。階層主も次の階で待ってる。気を引き締めねぇとな」


「前回は毒の迷路に苦しまされた……。無味無臭というのが、また嫌らしい。アイナが気付いてくれなかったら、その場で死んでいたかもしれない」


「あたしも偶然、みたいな所ありましたから……。理術には解毒術がありますから、試しに使ったら重くなった体が回復したので……」


「細く曲がったりする道が多いから、空気が滞留してたりすんのかね? いっそ松明でも投げ込んでみりゃ……」


 手持ちの道具に松明がないので、この場で試すことは出来ない。

 しかし、ロヴィーサはヨエルの声を遮って、強い口調でそれを止めた。


「止めて下さいね。引火性の強いものだったらどうするのです? 下手すると、その場で生き埋めですよ」


「いや、でも……あぁ、そうか。『恩寵』があるなら、毒無効を付けるとかすりゃ、簡単に回避できるんだもんな……。わざわざ、危険な処理方法を選ぶ必要がねぇ、と……」


「或いは、風魔術で送風する、とかですか。一呼吸で致死する類ではないので、それだけでも有効だと思います。我々には、いずれにしても手の届かない手段ですが」


「では、どうする……?」


 考えられる手段としては、他に抜け道などを徹底的に探すことだろう。

 そこにも毒がないとは言えないし、どこまで行っても警戒しないわけにはいかないが、取れる手段としてはその位だった。


 道の数は多く、これまで幾つも枝分かれを選んできた。

 その中に実は、本当の『当たり』が紛れていて、より安全な道があったとしても、全く不思議ではない。


「一つ階を跨いで正解の道がある、とかあるかもしれませんしね……」


「下る階段は一つじゃない、ってパターンか……。これまでは一つだけだったから、必ず一つだと思い込んでいたが……。一つでなければいけない、というルールもないよな……」


「どちらも階層主の部屋に辿り着くけれど、一方は険しい道、なんて有り触れた話じゃありませんか……?」


「そうかもな。とはいえ、考え出すとキリがないが……」


 いずれにしても、確証などない、全て憶測に過ぎなかった。

 前回、見事してやられた鎧戦士の罠の様に、ヒントらしきものあった訳でもない。

 一度戻って探すのも手ではあったが、徒労に終わるだけでなく、有限の時間を無為に使ってしまう方が何より怖かった。


「……幸い、解毒の理術で回復するのは確かなんだ。なるべく息を止めて、少々強引に行った方が確実性は高い」


「若様、その確実性は、同時にリスクの大きさを無視したものでもありますよ。まだ我々には来期が残されています。最後になるのは次回なのであって、今期ではありません」


「徒労であろうと、別の道を模索するべき、か……」


「時間だけ無駄にしたとしても、他に道がなかった、と分かれば、それも一つの前進には違いありません」


 多くの探索者は、そうやって自分達だけの地図を完成させる。

 そもそも、一年足らずで迷宮を制覇しよう、などと空想を語ったりしないものだ。


 地に足を付けて、一つ一つの罠を見破り、法則性を見つけ、着実に到達階層を増やして行くものなのだ。

 それはレヴィン達と違って、時間制限を持たないせいでもあるが、命が天秤に乗っている以上、少しでも確実性を上げる為でもある。


 そして、レヴィンの案は破れかぶれに近い。

 時間がないのは確かだが、まだ終わりではなかった。


「そうだな、頭が冷えた。ありがとう、ロヴィーサ」


「いえ……」


 ロヴィーサは、はにかんで笑い、主君に対する礼をとる。


「もし、恩寵頼りでしか突破出来ない構造だったとしても、それは以前までの話だった可能性があります」


「そうだな、があった……それは確かなんだ。恩寵なしで突破できる道が、必ず用意されている。そう思っておこう」


「では……?」


「引き返す。一階戻って、別の道がないか探すぞ」



  ※※※



 果たして、別の道は見つかった。

 別の下る階段が見つかり、レヴィン達は歓喜の声を上げた。

 進言してくれたロヴィーサには、全員から賛辞が送られ、抱いて叩かれ、大いに騒いだ。


 そうして辿り着いた七十九階、階層主の間には、三人の獣人が待ち構えていた。

 その内二人が猫獣人で、もう一人は犬獣人と、獣人国として最も数が多く、有り触れた種族だ。


 その獣人達は、一人が突出した二等辺三角形の形で布陣している。


「我ら、天眷十二獣勇士……。ここから先へ進みたければ、我らを倒してから行く事だな」


「ぅ、十二も……。ならば、残りは更に下の層で待ち構えている、という寸法か……」


「いや、我ら三人だけだ」


「名前負けじゃねぇか」


 ヨエルから至極全うなツッコミが入ると、先頭に立つ獣人から予想外な猛抗議が返ってきた。


「我らだって数を増やしたいわ! というか、何度もお願いしている! 三人だけで迷宮の管理は無理だ! そう言ってるのに……!」


「あぁ、だから十二……。いや、ちょっと待て。三人……そして、管理? まさか、貴方たちは神使だと、でも……」


 すっかり顔を忘れてしまっていたが、最下層までミレイユに連れられた時、ヤロヴクトルを引き連れてきた、あの獣人に違いない。

 そこから芋づる式に記憶が引き出され、主神と口喧嘩していたあの声と良く似ていると、ようやく思い出した。


「あぁ……! あの……!」


「非常に不本意な覚えられ方をされている気がしてならないが……そう、私達はその神使だ。少々、無理して階層主を任せて貰った」


「手合わせを所望、か……」


 そうだとしても驚かない。

 ミレイユと同行していると、神使見習いと見られがちだ。


 どういう手合かと、興味本位に力を量ってやろうと挑む者が出ても、別に不思議とは思わない。

 だが、この予想はキッパリと否定された。


「違う、そんなに暇人ではない。我らはこの三人という数に、文句を言う為にこうして来た」


「いや、それを俺達に言われても……」


「もうギリギリなんだよ……! 何度も数を増やすよう進言した! しかし、未だに補充されぬ有り様だ。何故なら、神使の数は三人まで、と決まっているからな……!」


 そういう話は、ヤロヴクトルと対面した時、ミレイユ達と言い合っているのを聞いていた。

 しかし、それは慣例という訳でもなく、周りが勝手に遠慮しているだけの話だったはずだ。


「何事にも、序列というものがある! 乱してはならぬ秩序というものもな! だから、お前らからも言ってくれ! 大神レジスクラディス様の眷属なんだろ? 一気に十人ぐらい増やしてくれないか!」


「いや、眷属でも何でもないです。というか、そんなこと進言する権利ないですし……」


 思わず敬語で返してしまい、申し訳なさそうに頭を下げる。

 それを見た猫獣人は、苛立たしく自分の太腿を叩いて、天を仰いだ。


「使えねぇーッ! こっちはもう限界なんだよ! 休みなしでずっと働いてるんだ! どうにかしてくれないと、その内ぶっ倒れて再起不能にされちまうよ!」


「そう言われましても……」


「よぉーし、よしよし! なるほど、ならばこちらにも考えがある! 覚悟するんだね!」


 険悪な表情でにんまりと笑うと、目の前の獣人は牙を剥いて、これ見よがしに爪を伸ばす。

 その場でしゃがみ込み、靭やかな筋肉を収縮させると、次いで爆発的な瞬発力で襲い掛かってきた。

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