悪辣な罠 その7
獣人だけあって、俊敏性は大したものだった。
神使であるからか、それに相応しい力量も持っていると分かるのだが、如何せん……相手が悪かった。
それまで徹底的にアヴェリンから、実戦と変わらぬ訓練を受けていたレヴィン達だ。
矢のように飛んで接近する獣人といえど、それはまるで止まって見えた。
「ほっ……!」
相手の動きに合わせて、レヴィンはカタナを振るう。
勝負事であるとはいえ、神使をこんな所で殺してしまう訳にはいかない。
だから十分に手加減し、峰打ちで肩口を狙った。
「ぐく……っ!」
幾ら素早くとも直線的な軌道では、狙ってくれと言っている様なものだ。
刀の切先を置いた所に突っ込んで来たようなもので、直撃を受けてそのまま鋭角に吹き飛んでいく。
地面を転がり、砂煙が長く尾を引いて、ようやく止まる。
致命傷には程遠く、出血もなし、打撲と擦り傷程度しかない筈だ。
しかし、砂煙が晴れようとしても、一向に起き上がる気配がない。
妙だと思って構えを解かずに注視していても、やはり身動き一つしなかった。
「……どういうつもりだ?」
レヴィンは仲間たちを顔と見合わせる。
臨戦態勢を取っていた彼らも、首を傾げるばかりで答えが出ない。
すると、砂煙が晴れた向こうでは、仰向けに倒れたまま、小さく顔を上げて勝ち誇る声が上がった。
「ふ、ふふ……。勝負に……尋常に勝負して、負けたとなれば……気絶したとしても、仕方あるまい……。わ、私は……、寝る」
そのまま、ガクリと首を落とし、高らかに寝息を立て始めた。
それを見ていた仲間の神使が、その手があったか、と言外に表情を明るくさせていた。
「おー、おのれ! シビリー様のカタキ……!」
もっともらしい台詞と共に駆け出すも、その表情はまるで台詞と噛み合っていない。
長い迷路を彷徨う旅人が、ようやく出口の光を見つけたかのような、歓喜の笑みが浮かんでいる。
動きは更に遅く、攻撃に殺意は乗っていない。
その上、どこを攻撃するのも自由なほど、隙だらけだった。
レヴィンは殆ど力を入れず、小突くようにカタナを振るう。
すると、明らかに攻撃した力と見合わぬ速度で、その獣人は吹き飛んでいった。
「むー、むねん……」
吹き飛んだ先は、最初に吹き飛ばされたシビリーのすぐ傍だ。
折り重なるように倒れ、そのまま満足げな表情をさせて気絶する様に眠りに落ちた。
後には、一人だけ犬型の獣人が取り残され、その彼も呆然と立ち尽くしている。
釈然とせず、また置いていかれた様子を見れば、打ち合わせがあったものではないと、すぐに分かる。
悔しげな表情を見せているのは、二人があっさりと職務を放棄したからではない。
逃げ道があったのに、気付くのに遅れ、一人逃げ損ねたせいだろう。
そんな彼に、レヴィンはそっと囁きかける。
「……上手く攻撃しようか?」
「……お頼み申し上げます」
そして、彼の返事は早かった。
こうして、三人を昏倒させたレヴィン達は、八十階層へ降りる権利を、いとも簡単に手に入れたのだった。
※※※
「今度はまた、随分と真っ当な迷宮だな……」
「ここに来て……?」
レヴィンの独白に追随し、ロヴィーサが首を傾げる。
降り立った八十一階は、煉瓦で壁や天井が補強された、ごくありきたりな迷宮だった。
これまで下層地帯は、その環境までが大きく変わり、全く別の世界が広がっていた。
しかし、それに反して新たな階層は、上層に戻ってきたと言われても、信じてしまいそうな迷宮だった。
天井もまた、見上げても暗くて分からぬ程には高いものの、特別な仕掛けがあるようには見えない。
ただし、明かりを照らす鉱石などは設置されておらず、左右の壁際に灯されたランタンだけが、照らす光源の全てだった。
明るさもそれ相応で、遠くまでしっかりと光を運んではくれない。
だから、ランタンとランタンの間には、わずかながらでも闇が残っていた。
「オーソドックスな迷宮って感じですけど……。でも、何か違和感が……」
「そうか……? 違和感……って言うより、これ十階層とかと似た雰囲気で、騙しに来てるって感じか?」
「違いといえば、明かりでしょうか? あちらは明るく見通しが立って、暗闇とは無縁でしたから……」
アイナの呈した疑問は素通りされ、ロヴィーサが首を傾げたまま所見を述べた。
勿論、魔物は比較にならない程、強力な相手が出て来ると想像できる。
安易に気を抜いて良い訳ではないが、溶岩地帯や毒ガスの迷路を抜けたにしては、随分稚拙という感触は残ってしまう。
「まぁ、単に十階層の焼き増しって事はないだろう。暗闇についても、入口からしてこうなら、奥は更に暗いと暗に示しているのかもしれない」
「そうだな、若。この見た目に騙されたらイカンよな。……というか、ここまで来れた奴が、その程度の観察眼な筈もねぇし」
「だから、見た目とは裏腹に、一癖も二癖もある階層、と思っていた方が良い。……何しろ、ユミル様肝いりの変更だぞ。アヴェリン様の罠だけしか、手を入れてないと思うか?」
「……考え難いでしょう。……ここがそうだと断言できませんが、丁度この様な何もなさそうに見える階層とか、狙い目に思えますし……」
ロヴィーサがそう締めると、誰もが眉根を顰めて迷宮を睨む。
ユミルならば、汎ゆる罠を仕掛け、またその様子を見ては笑って楽しむだろう。
それが現実感を持って想像できてしまう。
その時、唐突にアイナが声を上げ、煉瓦の一部を指差した。
「――あっ、これ! 最初から、何かおかしいと思ってたんですけど……」
「なんだ……?」
レヴィン達は揃ってアイナが指差す方向を見る。
しかし、そこにあるのは他と比べても違いが分からない、何の変哲もない煉瓦だけだ。
彼女がおかしいと言える根拠こそ、レヴィン達には見つけられなかった。
「何かおかしいか? ちょっと変わったモザイク模様ってだけだろう?」
煉瓦はどこかの工房で、素焼きされて作られた品ではない。
迷宮にある全ての物は、ヤロヴクトルの神力によって形成された非現実の品だ。
少々変わった作りでも、そういうものかと納得できる程には、何があっても不思議ではない。
「いや、違うんです。これモザイク模様とか、そういうんじゃなくって……。これドット絵風ですよ!」
「ほぅ……、『どっとえ風』……。それって何だ?」
「いや、つまりですね、何て言ったら良いんだろう……。すごくゲーム的ってことですよ」
腕を組んで、悩ましげに言葉を発したことから、最大限分かり易く説明してくれているのは、レヴィン達にも分かる。
しかし、その説明だけでは、いかにも言葉が足りなかった。
「ゲーム的……。まぁ、最初の立て札からして、ユミル様の手の上って感じだったが……」
「あ、えーと……。上手く説明できる気がしないので、そういう事で良いです。つまりですね、この変わったモザイク模様は、挑戦ですよ。挑戦状であると同時に、注意喚起にもなっていると思います」
「そうなのか……?」
「そうでなければ、不自然な模様の煉瓦を用いる意味もないじゃないですか。何かあるぞ、って教えてるんですよ」
それ自体は、納得のいく話ではあった。
立て札の件を思い返してみても、分かり辛いヒントをわざわざ残している。
読むか、あるいは見つけても、即座に分からない形で与えるのが、ユミルらしいやり方だとも思えた。
「アイナとしては、この風変わりなモザイク模様それ自体が、その立て札的役割を果たしてる……って言うんだな?」
「しかし、一部だけ変更してるとかならともかく、これ全体に広がってるぜ? これでヒントになるのかよ?」
「ヨエルさんの疑問も分かりますが、――なります。これはそういうモノなんです」
「そうか、そうなのか……」
アイナの表情は確信に満ちている。
言葉にする度、その確信を深めている様にも見えた。
そして、彼女がそこまで言うのなら、信じてみようというのがレヴィンの考えだった。
「分かった。アイナがそこまで言うなら信じよう。……それで、これはどういう注意喚起なんだ?」
「いえ、そこまでは分かりません」
「おいおい、そりゃないぜ、アイナ……」
がっくりと肩を落としたヨエルに、アイナは両手を左右に振って、慌てて弁明を始めた。
「あ、その、そういうんじゃないんです。これ、ダンジョン物じゃないかと思うんですよ……!」
「……そりゃそうだろ。迷宮探索に来てるんだ」
「そうじゃなくてですね、ダンジョン攻略……というか、全体の構造的にローグライクものに近いですから、そうしたゲームのベタな所を攻めて来るんじゃないかと……」
「……すまん。アイナの言ってる事が、全然分かんねぇ」
肩を落としたままのヨエルが、困り顔で頭を下げた。
アイナも自分の説明の不備を詫びて、話を続ける。
「つまりですね……。例えば、床に隠されたスイッチがあって踏むと爆発するとか、矢が飛んで来るとか、宝箱にはミミックがいるとか、そういう罠が用意された階層……だと思うんです」
「それがつまり、げぇむ的なベタな部分、なのか?」
「ですね。この階層がそういうテーマで作られているなら、ですけど」
レヴィンは額に手を当てて考え込み、あり得るかどうか考え込む。
ユミルならば、どんなに下らない事でも、下らないからこそ真剣にやって来そうに思われた。
何より、そこにセオリーがあろうとも、それをレヴィン達は知らない。
知っているのはアイナだけだ。
そして、その知られていることを前提として組み立てているのは、『ドット絵風』とやらの煉瓦を見れば分かる事らしい。
果たして真実であるかどうか、それはまだ分からない。
しかし、ある種大きな確信を持って、アイナがそこまで言うのなら、とりあえずその想定で階層を進もうと決心する。
「分かった、罠……罠の……、いや待て。床にスイッチなんて早々、配置するか……?」
「するんです。そういうモノなんです」
にわかには信じ難いが、アイナは強く熱弁する。
その瞳には、これまでとはまた別種の熱意が隠れていた。
「まぁ、分かった……。ここは罠の階層と思って進もう。床と言わず壁に関しても、迂闊に触るなよ。……いいな?」
「了解だ、若」
ロヴィーサからも首肯が返って来て、そうして一同は慎重に一歩を踏み出した。
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