悪辣な罠 その8

 迷宮内はこれまで、基本的に光源に溢れ、暗闇とは無縁だった。

 この八十階層も光源こそあるが、過不足なく配置されている訳ではない。


 周囲を見るには十分でも、しかし見通すには頼りない……。

 そうした絶妙な配置がされていた。


「天井も見えないしな……。これではどれだけ高いのか分からない」


「不意打ちを狙う魔物が潜んでいるなら、隠れ場所には困らない、という気が致しますね」


 レヴィンの独白に、ロヴィーサが警戒を強めながら同意した。


「ランタン同士が、等間隔で並んでいないのも曲物です。慣れた頃に、少し長い暗闇があったら、潜む魔物に気付けないかもしれません」


「流石、ユミル様が手掛けた階層……、というべきなのかね。考える程に、嫌らしい仕掛けがあるんじゃないかと思えてくるぜ……」


「疑心暗鬼を煽る計算もあるのでしょう。考える程、ドツボにハマるような……」


 それを聞いて、ヨエルはうっへりと息を吐く。


「いかにも、って感じだよなぁ……。俺そういうの、苦手なんだよ……」


「案外、直感的に進む方が、そうした罠は回避できたりするかもしれませんけど……。選ぶという事は、誘導の一つになっているかもしれない訳ですし……」


 アイナが自信なさ気に言えば、ヨエルは降参と言わんばかりに手を挙げた。


「だったらどの道、俺にはどうする事も出来ねぇ。精々、致死性の罠がない事を祈っとくさ」


「どういう罠であれ、流石に命を奪う事はしないだろう……」


 そう言ったレヴィンだが、実際のところ自信はない。

 ユミルならばやりかねないと思う一方、戦線離脱は確実の罠程度、用意していそうとも思う。


 怪我ならば癒せるが、そう単純な罠ばかり仕掛けないだろう。

 床を踏んだら爆発する、とアイナは言うが、未だに以ってレヴィンは懐疑的だった。


 下手をすれば片足が、膝から下全て吹き飛ぶ。

 そこまで凶悪な罠を仕掛けては、全くの本末転倒であるはずだ。

 ユミルが手掛けた変更は、あくまで成長促進の為に用意された試練で、それは彼女の口から直接聞いている。


 ならば、致死性の高い罠はない、と考えるべきだった。

 ――ただし、その致死の許容範囲について、大きく隔たりがあるかもしれないが。


 レヴィンがその様に考えを纏めた時、カチリ、と固い感触が靴底に伝わった。

 その直後、前方の暗闇から、何か射出される音がする。

 風を切り裂き、ランタンの明かりに反射して、何かが恐ろしい速度で飛来した。


「――うぉッ!?」


 レヴィンは咄嗟に身を躱し、身体を横に向ける。

 その間一髪避けた所に、一本の矢が通り過ぎて行った。

 狙いは首元……、もっと背が低い人間ならば、目や眉間に刺さっていたかもしれない一矢だった。


 こめかみから冷たい汗が伝い、喉元に手を当てる。

 既に遥か後方にまで飛んで、見えなくなった矢を目で追いながら、呻くように呟いた。


「おい、嘘だろ……。下手すりゃ死んでたぞ……」


「ほらね、やっぱりあったでしょう?」


「何でアイナは、そんなに自慢気なんだ……!?」


「いえ、すみません! 失言でしたっ。予想通りだったのが嬉しくて……」


 肩をすぼめて、アイナは陳謝する。

 本気で怒っていた訳ではないので、レヴィンも荒らげていた息を整え、自らも謝罪を口にした。


「いや、俺も言い過ぎた。しかし、そうなると……アイナはこうした罠に造詣が深い、と考えて良いのか?」


「どう……なんでしょう? 所謂セオリーとか、定番を知っているだけの話で、幾らでも派生や邪道があるんです。ベタな所を見せておいて油断を誘う、というパターンもあるかもしれませんし……」


「しかし、俺達はその定番すら知らないんだ。どういう所に罠がある、とか知ってれば参考になるんだが……」


 アイナもこれには考え込み、記憶を辿る素振りを見せる。

 顎先を指先で摘むようにして、首を何度も左右に傾けた。


「色々考えてみたんですけど、セオリーに囚われないのが、一番の解決策……という気がします。例えばさっきの、矢の罠ですけど……」


「あぁ、あれな……。どこを歩くのか分かってるのか? それらしい目印なんかもなかったし……」


「ある程度は分かると思いますよ。それに、九割不発で終わっても構わないんです。必ずしも作動することを目的としていません」


「それって、罠の意味あるのかよ?」


 当然の疑問は、ヨエルの口から吐き出された。

 そして、これにレヴィンも同意して首を上下させる。


 罠は獲物が通る道に配置してこそ意味がある。

 適当に置いた罠は素通りされるだけで、全く意味がない。


「これが例えば森だとか、どこを歩くか分からないなら、もっと吟味した場所に置くべきだと思います。でもここは、必ず両端に壁があり、通る道はその中央……ある程度、最初から誘導されているんです」


「そうさなぁ……。壁際は最初から注意しようっていうんで、触れない位置まで離れてたしな……」


「ランタンのせいもあるでしょう。余りに光が目元にあると、返って遠くが見えません。壁にランタンがあるのなら、その光からは遠ざかろうとします」


 ロヴィーサから説得力のある発言もあって、ヨエルはなるほど、と大きく頷く。


「つまり、罠はランタンから離れ……光の陰になっている所にあり、その直線上に矢を飛ばせば、それなりの命中率が期待できるんだな? しかし、九割不発に終わるっても良いと思うものか?」


「良いんです。一つしか仕掛けちゃいけない、なんてルールないんですから」


「……おい、こんなのが大量にあんのか?」


「あると思うべきです」


 アイナは強く断言した。

 そして、闇夜を見通そうとせんばかりに、遠くへ視線を向ける。


「そして、躱されようと、一つでも作動させられれば、目的は達しています」


「なんでだよ? 仕留められるに越したことはないだろ?」


「勿論です。でも、そうじゃなく……これから罠を警戒して進まざるをなくなったでしょう? 有るか無いか分からない、じゃないんです。ある、と証明されてしまったんですから」


 そして、一度でも発動させれば、以前と段違いの警戒度になる。

 パーティはお行儀よく、一列に並んで移動したりはしない。


 即座に臨戦態勢を取れるよう、ある程度互いの距離を離して移動するものだ。

 そうであれば、尚更誰かがスイッチを踏む可能性は上がる。


「もしかすると、この先ではロープでも張って、見ただけで分かり易い罠とかあるかもしれません。気付かぬ者でも、嫌でも注意を引くような、罠の存在を周知する罠があったりとか……」


「そこまでするかね?」


「それは自信ありませんけど……。でも、これは『ゲーム』なんです。ユミル様からの挑戦状ですよ。そのユミル様が手掛けた階層なら、引っ掻き回すのに手段は選ばないと思うんですよね……」


「まぁ、そうか……。そうだな……。『どっとえ風』とやらの煉瓦も、暗にそれを示唆している、という話だったか……。そうか、『ゲーム』ね……」


 レヴィンは頭痛を堪える様に顔を顰める。

 それから指を眉間に当て、絞り出すように声を発した。


「では、我々は……。現在やはり、ユミル様の掌の上……って訳だな。もしもロープを張ってる、わざとらしい罠なんてあったら、これはもう確定と考えるしかない」


 そうして進んだ道の先、果たして、アイナが言った通りの罠があった。

 左右の分かれ道、右へ進んだ行き止まりの壁には、分かり易くクロスボウまで置かれている。


 全く隠すつもりがなく、完全に露呈していた。

 というより、発見して欲しいのだろう。

 罠の実在を知らしめる為に、わざと用意した罠に違いなかった。


「ズバリ、アイナの言う通りになったな。……じゃあ、ここからはどうなると思う? より一層、罠を警戒するべきか?」


「……勿論、警戒すべきです、けど……。矢が飛んできたり、例えば油壺が飛んできたり、そうした小さな罠がメインになると思います」


「油壺は小さな罠じゃねぇけどな……」


 周囲はランタンばかりで、火には事欠かない。

 実際に燃料を燃やしているかは疑問だが、そのつもりがあれば、実は突然爆発……なんてことも起こせる。

 小さな火の粉が舞ってしまえば、簡単に引火すると想像できた。


「あ、はい……すみません、軽率でした。あたしが言いたいのは、警告じみた罠ばかりで終わるだろうって事です。レヴィンさんが踏んだ矢の罠も、射出された距離は遠かったですよね。十分な飛距離があれば、躱すのも容易くなるわけで……」


「しかも、正面からだ。殺すつもりなら、背後から射る方がより確実だな。そうしなかったのは、警告の意味合いが強いからか……」


「多分、そうだろうってだけですけど……。それに、残り時間はどれくらいですか?」


「あぁ、それがあったな……」


 レヴィンは懐から一つのロケットを取り出す。

 迷宮都市で売られている品で、中に入っている石が一日経過する事に変色する。

 全部で七色あり、必ず一定法則で変化するので、それを記録しておけば日数を計算できるのだ。


「……拙いな。残り半分を切ってる……」


「毒ガス迷路では、一度引き返したりしましたからね……。でも、そうすると、かなりの強行軍でないといけないんですが、ここに来て罠の脅しですよ……」


「慎重にならざるを得ない分、移動速度は落ちる……」


 ――そして、それでは間に合わない。

 現在レヴィン達は驚異的な速度で、迷宮を攻略している。

 それは間違いない。


 しかし、それはかつて通った道という、経験ありきのものだった。

 ここから先、未知を掻き分けて進むからには、どうしても時間が掛かる。

 そこへ現れた、罠の脅しだ。


「間に合わせようとしたら、ある程度、強引に行くしかない……」


「でも、それだとユミル様が設置した、罠の餌食になりますよ。多分、その二者択一を選ばせたいんじゃないですかね……」


「最悪だ……。何て悪辣な……」


 レヴィンは頭を抱えて唸る。

 それこそ正に、ユミルが見たかった光景、なのかもしれない。

 そして今は、悩む時間すら惜しい状況だ。

 レヴィンは決断を迫られていた。

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