悪辣な罠 その3

 恥ずかしがるアイナに、背を押されて急かされギルドを出る。

 周囲から向けられるむず痒い視線に耐えられず、手続きが終わると、彼女は逃げ出す様に迷宮へと飛び出した。


 そうして追い付いた先では、いつもの迷宮入口の雰囲気で賑わっており、誰一人アイナを気にした様子もない。

 流石にさっきの今で、事情を知っている探索者はいなかった。


 それでようやく心を落ち着けたアイナの傍に、レヴィン達が追いつく。

 しかし、そこで出会った人物に、レヴィンは思わず顔を背けてしまった。


「おや、兄さん達じゃないスか。どうも、今日からまた迷宮挑戦スな!」


 いつもの猿顔に笑みを乗せ、手を挙げながら近付いてくる。

 ホラーツの傍には、やはりボッテンもいて、ボーッと遠くを見つめていた。


「あ、あぁ……。そうか、お前たちもか。精が出るな」


「兄さん達程じゃありやせんや!」


 彼の何が悪い訳ではないが、大見得を切って挑んだくせに、大した結果を見せらないので肩身が狭い。

 ひたすら同じ階層――しかも六十階層――で、ずっと足踏みしているのは、不甲斐ないと思われても仕方なかった。


「……どうしたんスか。あ、聞きましたよ」


「ん、何をだ……?」


「アイナの姐さん! 何か上手いこと、探索者のパーティの瓦解を防いだらしいじゃないスか!」


「え、もう知ってるの、お前……? あの場に居たのか?」


 いえいえ、とホラーツは顔の前で手を振った。


「まぁ、色々と情報のツテがあるもんスから! それにしても意外だったなぁ……いや! 悪い意味じゃないスけどね? でも、兎獣族を見直した、って声もチラホラあるんスよ」


「あ、うぅん……。そうなんですか。兎獣族を持ち出されても、私としては困ってしまうと言いますか……」


 アイナはロヴィーサの陰に隠れて、肩を小さくさせて両頬を擦る。

 そんな様子をホラーツは微笑ましい目で見て、次にレヴィンへ視線を移した。


「これから、また最下層狙いの挑戦スか?」


「あぁ、長いこと足止め食らってしまったが……。今日こそ鎧戦士を超えてやる」


「流石スなぁ……! なぁ、ボッテン?」


「ブヒ……」


 感嘆の声を上げたホラーツに、レヴィンは訝しげな視線を向ける。

 その視線を誤解なく受取ったホラーツは、破顔して言った。


「いや、気を悪くしないで下さい。その挑戦心に感服してるんス!」


「そうなのか? 不甲斐ないと思ってるが……」


「結果だけ見ると、そうかもしれんスな! でも、そんなのは他の探索者も同じスよ! 誰一人、魔の六十層を抜けられない。兄さん達だけが無理な訳じゃないスから! 『恩寵』がないから抜けられないっていうなら、それは確かに不甲斐ないのかも知れないスが」


「あぁ、そう言われても仕方ない……」


 そして、そうして誰も突破出来ないから、レヴィン達の力量も一緒くたに考えられがちだ。

 誰かが突破出来ているなら、そこを基準に出来るものの、等しく誰も突破できないから、レヴィン達もその程度だと思われているだろう。


 だから、ホラーツの視線を正面から受け止めるのが怖かった。

 しかし、それとは真逆の感想が、彼の口から飛び出した。


「いや、兄さん達が別格なんて、もう十分、分かってるスから! そんなしょぼくれた顔しないで下さいや!」


「……そうなのか?」


「だって、兄さん達が籠もると、一時間は出てこないって話スからね! 他の奴らは五分と保たないらしいスよ? それで今や、誰も挑戦しようとせず、大型修正待ちを決め込む始末スよ! 兄さん達みたく、今日こそはって気概を持ってる奴なんていねぇんじゃねぇスかね?」


「俺達も、別に勝ち筋が見えた訳じゃないけどな……。ただ、がむしゃらになる理由があるってだけで……」


 レヴィンは謙遜した言葉を吐いたが、ホラーツは尚もいやいや、と首を振る。


「今の迷宮は明らかにおかしい……、そうじゃないスか? 明らかにこれまでとレベルが違います。まるで、誰も下層に近付けたくないかの様ス」


「……そうかもな」


「でも、だからって兄さんが諦めちゃ駄目スよ! 他の全員が諦めても、兄さん達は目指さなきゃ! 兄さん達は、『恩寵』ナシで踏破して見せるんでしょ?」


「あぁ、それは間違いない。必ず踏破する。……しなきゃならない」


 ホラーツは安堵と感動を綯い交ぜにした笑みを浮かべると、ボッテンの太腿を軽く叩く。


「ほら、だから言ったろ? やっぱり諦めるつもりなんか、サラサラねぇんだって」


「……ブヒ」


「……なぁ。前から思ってたんだが、ちゃんと意思疎通できてるのか? ブヒ、としか聞いたことないんだが……」


「なに言ってんスか! 俺達は子どもの頃からのマブでダチっスよ! 何言ってるかなんて、ちゃんと分かってるに決まってるス!」


 ボッテンの視線はずっと遠くを指しており、ホラーツを見てすらいない。

 そこに友情があるかは怪しく思えるが、いつも二人一組なのだから、何かしらの絆があるのは確かなのだろう。


 その時、ボッテンがホラーツを見下ろし、堰を切った様に話し始めた。


「ブヒ、ブヒブヒ、ブヒ。ブヒブヒブ、ブヒブヒ」


「……本当かよ、ボッテン?」


「何て言った……っていうか、言葉は話せないのか?」


「言語なんて些細な問題スよ!」


 自信満々の答えに、レヴィンはとりあえず頷く。

 人獣の常識を知らないレヴィン達だ。

 実は多くの人獣が言語を使用しないとしたら、下手にヤブをつつく訳にもいかなかった。


「……それで、何て?」


「夜寝る前に爪を切るのは良くないんだそうで。ゲン担ぎは大切にしろって事スかね」


「本当にそう言ったのか!? 脈絡もなく!?」


「言ったスよ! こういう奴なんスよ! それがコイツの個性ってやつなんス!」


「ブヒブヒブヒ、ブヒブ、ブヒブヒブヒ、ブヒブヒ。ブヒヒ、ブヒ、ブヒ」


「おい、ボッテン! そりゃあ、俺も不思議に思ってた!」


 大袈裟に驚き、ボッテンの太腿を掴んだホラーツに、レヴィンは一応声を掛ける。


「……今度は何て?」


「居眠りしている時にビクッとなるアレ、いつも不思議って言ってるス」


「だから何で、唐突に訳分からんこと言ってるんだ、そいつは!」


 殴りたくなる衝動を必死に抑え、持ち上がった手をもう片方の手で抑える。

 ホラーツはいつもの笑顔を、しまらない猿顔に乗せ、まぁまぁと手を振った。


「ほら、ちょっとは気が抜けたでしょ? 気負いばっかりじゃ、迷宮は踏破できませんぜ」


「お前……、まさかその為に? じゃあ、さっき言ってたのは……」


「いや、それはアイツが本当に言った事ス。そういう奴なんス」


「……あ、そう。いや、待て。それこそ本当に、本当か? 怪しく思えてきた……」


 何しろ非情に疑わしい。

 分からぬ事を良いことに、適当なことを言っている疑いは晴れなかった。

 その時、再びボッテンが感情も顕に鳴き声を上げ始める。


「ブヒブヒ、ブヒヒ、ブヒブヒ、ブーブ、ブヒブヒブヒ、ブヒブヒ。ブヒヒ、ブヒブヒ、ブヒブヒ。ブブブ、ブヒブヒ、ブフフ」


「……何て?」


「本当です、だそうで」


「――お前、絶対訳せてないだろ! 過去イチ長い台詞だったんだぞ!」


「何言ってんスか! 俺達の友情は永遠なんスから! ちゃあんと意思疎通できてるスよ! ……なぁ、ボッテン?」


「……ブヒ」


 嘘か真か、それはレヴィンには分からない。

 この場の誰も分からないだろう。


 深く追求しても無為だと悟り、すっかり脱力して肩を落としたレヴィンは、大きく息を吐くと立ち直る。

 後ろに控えていたヨエル達を見返すと、微妙な引きつった笑顔が返ってきた。


「……まぁ、それじゃあ、行ってくる」


「えぇ、お気を付けて。今度こそ六十階層の突破、期待してますぜ」


「鋭意、努力するよ」


 力なく手を振って、ホラーツと分かれようと横を通り過ぎようとした時、アイナが付いて来てない事に気付いた。

 迷宮前広場から、入口脇の立て札を真剣に見つめている。


「……どうした、アイナ?」


「いえ、あの立て札……」


「あぁ、前からあるヤツだろ? 何て書いてたっけか……?」


 ヨエルが首を傾げると、ロヴィーサがすかさず答えを口にする。


「ルールの変更、でしたね。五十階層以降に変更があり、腕に覚えがない者は引き返せ、という内容だったかと。腕に覚えがあっても様子見で、『脱出』を持つこと必須だとか……」


「あぁ、そうだったな。ホラーツから聞いたんだった。……それが?」


 再びヨエルがアイナに顔を向けると、彼女の顔はみるみる険しいものになっていく。

 遠くに見える立て札は、この場から目にするには、少し厳しい。

 だが、時間を掛けて文言を読み込む程に、アイナからは不穏な気配が立ち昇った。


「どうしたんだよ、おい。……おい、アイナ?」


「あ、えぇ……。あの立て札、撤去されないんですね?」


「そういや、長い事あそこにあるよな。最初は急遽の変更だったから、周知を早める為に、そうしたとか何とか聞いてたが……」


 そう言って、今度はホラーツに顔を向ける。

 未だ傍を離れていなかった彼は、それに大きく頷いてみせる。


「そうスよ。……というか、そう思われていた、というべきスが。ギルドの方にも警告文は渡ってたスから、それから幾らもせず全ギルド員に伝わった筈スよ」


「でも、アレは残ったままなんだな……?」


「まぁ、今となっては十分周知された筈で、残しておく意味、あんまないと思うスけどね……。でも、勝手に撤去できないスし……」


「どうして?」


「そりゃ、ギルド側が置いたんじゃなくて、迷宮側がその意思で持って設置したからスよ。だから、ギルドが勝手に撤去して良い理由がありやせん」


 それ自体は、理解できる理由だった。

 ギルドは探索者を管理する組織であって、迷宮運営の管理組織ではない。

 迷宮に関する多くの事に、手を出せる権限を持たないのだ。


 アイナはそれを聞くと、むしろ大いに納得し、それから確信めいた笑みを浮かべる。


「どうした、アイナ……?」


「急ぎましょう。六十階層を突破する鍵が、手に入ったかもしれません」

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