開扉奮闘 その3

 レヴィン達の背後では、アイナが悲鳴を飲み込みながら、戦闘の行方を見守っていた。

 淵魔の狙いが自分である以上、下手に動けないと十分に自覚している。

 だから木の陰に隠れ、戦闘の邪魔にならないよう、息を殺して見守っていた。


 しかし、凄まじい衝撃と共に吹き飛ばされたヨエルを見たら、ただ息を殺して見守っているのも、どうかという気持ちになってくる。

 アイナは戦闘ではお荷物にしかならないが、傷の治療については誰より秀でている。


 もしも今、ヨエルが生死の境を彷徨っているなら、治癒術で正に九死に一生を救えるかもしれない。

 そうは思っても、足は動いてくれなかった。


 恐ろしい怪物――淵魔を前に、その威圧感と恐怖で、身体を雁字搦めに縫い留められたかのようだ。

 しかし、アイナも既に覚悟して、彼らと行動を共にしていたのだ。


 直接、戦力として貢献できずとも、共に戦うことは出来ると思っていた。

 戦友として、気持ちを一つにしていると疑っていなかった。

 それなのに、視線の先にいる淵魔はそれとは全く別物で、まさしく想像を絶していた。


 ――飛び出したら殺される。

 それが明確に理解できて、だからアイナは動くことが出来ない。


 なんて薄情な、と彼女は自嘲しながらも思う。

 これまで寝食を共にして、互いに心を預けられる仲ととなり、そして彼らは自らを護る為に戦ってくれているのだ。


 だから、アイナもまた、同じように護りたい、救いたいと思っている。

 そうだというのに、思いだけで身体は動いてくれなかった。


 その時、鉄同士がぶつかり合う様な衝撃音が、耳をつんざく。

 レヴィンが甲槍獣の槍を、その身体と刻印で受け止めた音だった。


「――今だ、やれッ!」


 その掛け声が聞こえるよりも速く、既にロヴィーサは動いていた。

 両手に構えた短剣で、螺旋を描くように身体を捻り、甲槍獣の側面から幾重もの連撃を浴びせる。


 甲殻が砕かれ、そして剥がれ落ち、肉を抉りはしたものの、深手にはなっていない。

 傷は見る間に塞がり、甲殻もまたすぐに再生する。

 地面に溶けて消えた甲殻は、先程の足を切断した時と比べれば、実に小さな傷としかならなかった。


「くっ……!」


 ロヴィーサは歯噛みしながら、更に連撃を加えようとしたが、甲槍獣の注意がレヴィンから移った。

 憎悪の双眼を燃やし、身体の向きを変え、ロヴィーサへ肩からぶつかりに行く。


 咄嗟に攻撃を中断し、大きく後方へ飛び退きつつ、更に突き出された肩を足場にして逃れる。

 しかし、甲槍獣の攻勢は、それで終わらなかった。


 僅かに身体が発光したかと思うと、まるで瞬間移動したかのように姿が掻き消える。

 どこに消えた、と思った瞬間には、五歩の距離を無視して甲槍獣が出現していた。


 肩を突き出す格好は、依然として変わっていない。

 ロヴィーサはその動きに対応できず、馬に跳ね飛ばされるより、凄惨な衝撃と共に吹き飛ばされていった。


 きりもみ回転して飛んだロヴィーサは、地面に激突すると、尚も回転したまま森の下生えを抉り、倒木に当たってようやく止まる。


「ロヴィーサさん……!」


 アイナの口から、か細い声が漏れる。

 甲槍獣の動きは予測不可能だった。

 唐突に消え、そして現れたように見えた。


 だが、直前に見えた発光は、レヴィンが見せた刻印発動の時とよく似ていた。

 もしかすると、甲槍獣が得た刻印とは、そうした瞬間移動をさせる効果を持つのかもしれない。


 アイナは、これで迂闊に動けなくなった、と更に自覚せざるを得なくなった。

 もしも、甲槍獣がその気になったなら、眼の前の敵を無視して襲い掛かる事ができてしまう。


 だがそれは、隠れている限り、絶対の安全の保障をするものではない。

 それもよく自覚していたことではある。

 しかし、いつでも襲えてしまえるその事実が、彼女の身体を更に固くしていた。


「ロヴィーサ!? ――お前の相手はこっちだッ!」


 レヴィンが吠え、カタナを構えて斬り掛かる。

 しかし、甲槍獣は彼を全く相手にしていなかった。

 仕留められる内に仕留めるつもりなのか、レヴィンの斬撃を無防備に受けつつ、それでも攻撃をやめようとしない。


「――くそっ! こっちを向け!!」


 レヴィンは一度、カタナを納刀してから腰を深く落とす。

 一呼吸してから、鋭い呼気と共に銀光の一閃が走った。

 一刀のもとに、その前足がごとりと落ちたが、それでも甲槍獣は目標を変えない。


 足が地面へ泥と消え、体積を減らす代わりにまた生え変えても、レヴィンには見向きもしなかった。

 前腕が一度斬り落とされたことで、タイミングこそズレてしまったが、振り上げたもう片方の足でロヴィーサを潰そうとしている。


「――だめっ!」


 流石に、この時まで木の陰に隠れ続けていられなかった。

 アイナは咄嗟に飛び出し、大声を上げて両手を頭上で振る。


「こっちよ! あたしはここにいる!」


「馬鹿野郎、アイナ! 隠れてろ!」


 レヴィンが腕を振って戻るよう指示したが、もう遅い。

 甲槍獣はその声に反応し、アイナを見るなり動きを止めた。

 しかし、目を奪われたのは一瞬だけで、再びロヴィーサへ顔を戻してしまう。


「え……?」


「何だ……? 何が……?」


 アイナもレヴィンも、予想外の展開に自分の目を疑った。

 淵魔の目的は、アイナの抹殺――ないし、捕食だったはずだ。

 まずもって優先させる目標なのに、それを無視してロヴィーサを狙う理由が分からなかった。


 ――あるいは。

 傷を修復する為に、捕食を優先する。

 淵魔の本能として、そういう事もあるのかもしれない。


 だが、それでも違和感は拭えない。

 目の前の命を捕食し、より弱い個体、より傷付き弱体化した個体を襲うのは、淵魔の本能だ。


 しかし、淵魔が見せた異常行動の原因は、アイナにこそあったはずだった。

 いるはずのない淵魔が、数多く突然出現し、追って来ていたのもその一環だったはずだ。

 ――それなのに。


 甲槍獣はアイナを無視して、ロヴィーサを攻撃しようとしている。

 振り上げられた前腕が、肩の直上へ達した。

 何をするにも間に合わない。


 レヴィンの攻撃でさえ止められない、そう理解してしまったその時――。

 上空から雄叫びと共に、見覚えのある大剣が振り降ろされた。


「オラァァッ!」


 落下速度の上乗せで、甲槍獣の前足は両断されて宙を舞う。

 大剣が地面を叩いて、足元を揺らす程の衝撃を起こした。

 アイナは立っていられず尻もちを付き、レヴィンはこの機を逃さず、もう片方の前足を切断していた。


「ギィィィィ!?」


 両前足を失った甲槍獣は、頭から地面へ激突し、それでもロヴィーサへ喰らいつこうと顔を伸ばす。

 すかさずレヴィンはロヴィーサを救出しようと動いたが、その時既に彼女は目を覚まし、両手に短剣を持って起き上がるところだった。


 甲槍獣の頭を踏み台に蹴り上げ、その延髄を螺旋状に回転しながら斬り付ける。

 やはりそれは、甲殻こそ抉り飛ばしたものの、深い傷になっていない。

 しかし、攻撃の意図を察したレヴィンが、甲槍獣の肩を蹴り上げ、身体を捻りながら勢いを付けて落下した。


「ハァッ!」


 銀閃が走り、甲槍獣の首をカタナが両断する。

 甲槍獣の頭は、そのまま地面に残されつつ、その身体を後ろ足だけで立ち上がろうとした。

 それをヨエルが大剣で、バットスイングの様に力任せに殴り飛ばすと、片足を吹き飛ばしながら盛大に吹き飛んだ。


 今度は流石にすぐには起き上がれず、切断された足を上空へ向かってバタつかせている。

 荒い息を吐きながら、呻くようにヨエルが呟く。


「くそったれめ……! まだ元気なのかよ……」


 胴体を上下半分に両断してやれば、それこそ大いに弱体化させられるのだろうが、何しろ巨体が相手ではそれも難しかった。

 単に大きいだけでなく、甲殻があって簡単には切断させてくれない。

 そうなると、やはり切断し易い部位を狙って攻撃するのが、現実的というものだった。


 呆れた声を出しながらボヤいたヨエルだが、それに対してボヤきたく者も別にいた。

 レヴィンが甲槍獣を油断なく見据えながらも、ヨエルへ皮肉げな笑みを浮かべながら声を飛ばす。

 

「敵もタフだと思ってたが、お前も予想以上にタフだな。あの一撃は、流石に拙いと思ったんだが……」


「馬鹿野郎、こっちはアバラ折れてんだぞ。痛くて泣きそうだ。あっちを見てみろ、未だに元気満々だろ。とても真似できんね」


「言ってる場合じゃありませんよ。効果が薄かろうと、今の内に甲殻の一枚でも削っておくべきです」


 砂混じりの唾液を吐き出して、口の端から垂れていた血を拭った。

 大きく息を吸おうとして顔を顰め、一瞬止まった息をゆっくり吐き出したところで、横合いのヨエルから声を掛けられる。


「――あぁ、お目覚めかい。気分はどうだ?」


「良好ですよ、目覚ましが良かったもので。お陰で未だに揺れている気がします」


「そりゃスマン。次からは、もっと良い目覚まし用意しとく」


 軽口の応酬もそこそこに、三方から分かれて甲槍獣へ攻撃を再開した。

 最初と比べ、ヨエルとロヴィーサの動きは精彩を欠いている。

 痛みを無視し、無理して攻撃しているのは明らかだった。


 甲槍獣は欠損した足を生やし、全ての再生が終わると、続けて頭も生やす。

 その時には、既に見上げる程の巨体ではなくなっており、成人男性と変わらぬ大きさまで体積を減らしていた。


 そうとなれば、元が幾ら強大な淵魔とて、やりようは幾らでもある。

 刻印の発動と共に姿が掻き消えても、一度見た技だ。

 直前の動作から次の相手を予測しづらい、という特徴はあるものの、来ると分かれば備えられた。


 ロヴィーサの前に出現した甲槍獣は、交差する短剣に受け止め、衝撃を背後に逃しながら飛んでいたロヴィーサは、そのまま軽やかに着地する。

 その背後からレヴィンは背中を袈裟斬りに斬り付け、その逆袈裟でヨエルが大剣を振り下ろした。


 バツの字に切断された体が地に落ち溶けると、流石にもう再生しなかった。

 残った下半身も、そのまま力なく倒れて地に溶ける。

 最後まで油断なく構えていたレヴィン達は、一切の動きが見えなくなることを確認し、それから盛大に息を吐いて力を抜いた。


「まったく……!」

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