開扉奮闘 その2
暗い森の奥から姿を見せたのは、大人二人を縦に重ねてなお巨大な、人面の四足獣だった。
人面といっても、人の面影があるという程度で、大きく横へ開いた口や牙は、むしろ狼を連想させる。
身体は甲殻に覆われ、まるで鎧の様にも見え、更には肩や肘からも牙に似た突起物が突き出していて、天然の武器になっていた。
尻尾もまた長く、太い。
甲殻は尻尾の先まで満遍なく覆われ、その先で二股に分かれて、サソリのように突き出している。
まるで槍兵のような獣だった。
「だが、一体なにを、どれだけ喰らえば、こうなるんだ? ひと一人、獣一匹じゃ到底あり得ないぞ……」
レヴィンの独白は、静寂の中で良く通ったが、それに返答するものはいない。
今ではすっかり足を止め、巨大な淵魔を待ち構える格好だ。
そこにレヴィンの冷静な部分が、逃げるべきか判断に迷っていた。
レヴィン達は飛躍的な強化を得られた。
それは間違いない。
しかし、眼の前の淵魔――甲槍獣は、それを以てしても、簡単に倒せない威風を放っている。
「馬鹿みたいな数の次は、馬鹿みたいに強そうな淵魔か……」
「どうする、若。足はそんなに速くなさそうだ。最後尾からついて来て、やっと追い付いてきた野郎だろ。逃げ切るのは難しくなさそうだ」
「そうだな……。逃げ切るだけなら、可能そうに思える」
巨大であれば、即ち鈍重とも限らないのが淵魔だ。
しかし、逃げている最中に一度として姿を見せなかったからには、ヨエルの予想はそう的外れでもないだろう。
そして、仮に見事逃げ果せたとしても、その次が問題となる。
「俺達を見失った淵魔は、次は何処へ行くと思う? ……何よりここは森の中だ。喰らう獣には困らない」
「あぁなるまで喰らったとて、ここまでで十分、とはならないのが淵魔か……」
既に多くが混ざり合って見える淵魔だ。
この時点で相当な強敵だと分かる。
しかし、この脅威を逃がすことは、明日の更なる災厄を作ることに繋がる。
強化するほど手が付けられなくなり、もしも南方領をあれが襲えば、一体どれだけの被害を生むだろう。
それら領兵を喰らった淵魔は、一体誰が止めてくれるのか。
「ここで仕留める以外、選択肢がない」
「そうなるよな……!」
淵魔の脅威は、共有共通。
ここから更に育った淵魔が、東方領を襲うことも当然考えられる。
そして、その時にはもっと、手に負えない淵魔となっているだろう。
出現した淵魔は、その場で残さず、必ず討滅する。
それが討滅士たちの共通認識だ。
アイナという大事な『鍵』が背後に控えていたとしても、これを座視して逃げるわけにはいかなかった。
「――やるぞ、構えろ!」
レヴィンの掛け声で、ヨエルとロヴィーサの顔が引き締まる。
アイナをその場に残したロヴィーサが、レヴィンのすぐ傍まで近寄って短剣を両手に構えて腰を落とした。
甲槍獣はこちらを威嚇する仕草で身体を低くし、それからゆっくりと側面に回ろうとする。
今となっては全く不本意なことに、木々が薙ぎ倒されて出来た空間は、この淵魔が暴れるに十分な場所となってしまっていた。
巨体だからこそ、木々が邪魔して速く走れなかったのだろう。
丸太よりも太い前足や長い槍尾も、木々があればそれを遮蔽物に戦えた。
そして、時に頭上の枝を足場にするなど、レヴィンたち優位で戦闘を進められていたに違いない。
しかし、それは今更嘆いても、詮無きことだった。
レヴィンたち三人はそれぞれ間隔を空けつつ、甲槍獣の動きに合わせて正面を位置取るように動く。
淵魔は基本的に喰らう本能のままに動くものだが、取り込んだものの影響を強く受ける存在でもある。
獣の警戒、人の慎重さを手に入れたからこそ、見せる動きなのかもしれなかった。
「俺が最初に斬り込む。二人は左右から挟み込め。的を一点に絞らせるな」
「了解だ、若」
「今ばかりは、御身の傍を離れた方が良さそうですね」
二人の返答を聞いて、レヴィンはカタナを握り直して突貫する。
甲槍獣の口が大きく開き、身構えるように姿勢を更に低くした。
「刻印・『
左手の甲が光、その刻まれた印章が淡く光る。
それと同時に、レヴィンの身体を幾層もの膜が包んだ。
甲槍獣は左肩を小さく下げ、その代わりに尻を上げる。
そうかと思えば、恐ろしい速度で槍尾が突き出された。
「――クッ!」
事前の動作に気を取られて、尻尾のことまで念頭になかった。
咄嗟に身体を沈めて躱し、転びそうになる体勢を無理やり維持する。
踏み込む形になった左足で、身体を支えつつ捻りを加え、槍尾を下から掬い上げる様に斬り付けた。
その一閃で、槍尾は中程から綺麗に切断される。
鋭く回転して尾先から地面に落ち、一拍の間を置いてから、泥へと溶けて地面に消えた。
「ギィィィィッ!」
威嚇なのか怒りなのか、甲槍獣は金切り声を上げつつ尻尾を一振すると、次の瞬間には新たな尾先が生えて来る。
既に解り切っていたことなので、レヴィンに動揺はない。
淵魔を倒すには身体の一部を斬り落とすなどして、地道におの体積を削っていくしかないのだ。
魔物や魔獣ならば、身体の一部を切断してやれば、それで随分有利になる。
場所を選べば――首の切断が出来れば、それだけで勝負も決まるだろう。
だが、淵魔にそれは通用しない。
蓄えた生命力を全て吐き出さすまで、決して動きを止めないものだ。
淵魔は弱い内に叩け、と言われる所以だった。
その上スタミナという概念もないので、力尽きるその瞬間まで、常に全力で動き回る厄介さも併せ持っている。
ここもやはり、魔獣や魔物と大きく異なる部分だった。
「オラッしゃあ!」
レヴィンが甲槍獣を引き付けている間に、ヨエルが側面から大剣を振り下ろした。
厚い甲殻の上からだろうとも、後ろ足を深々と抉り、一瞬の均衡の後、その腕を振り抜く。
それで片足が切断されて、甲槍獣の体勢がガクンと崩れた。
「――ハッ!」
そこへ逆側からロヴィーサが躍り出て、体勢を維持しようと突っ張っていた左腕へ斬り付ける。
しかし、短いリーチの武器では、傷付けることは出来ても、切断までには至らない。
それはロヴィーサも良く熟知していて、だから手数で押し切った。
才能を開扉された彼女の動きは、以前とは比べ物にならないほど素早く、また鋭い。
到底目に追える速度ではなく、抵抗しようと前足を振るう動作すら、ロヴィーサにとっては問題にならない。
振り払う動作に追い付き、追い越す動きのまま短剣が煌めく。
甲槍獣が前足を振り下ろそうとした時、既にそれは宙を待っていた。
「ギィィィィッ!?」
緩やかな弧を描いて落ちた腕は、地面への接触と共に、泥へと変わって消える。
しかし、甲槍獣が損失した部位は、一呼吸の間に元へと戻っていて、斬り落とされた部位と反比例して、その体は縮小されていた。
それでも、淵魔の戦意に些かの衰えもない。
ギラギラと輝く瞳には、紛れもない殺意で漲っていた。
「全く堪えた様子がねぇな……。あれだけ削ってやれば、少しは動揺だって見せるはずなんだが……」
「予想以上にタフなのは間違いない。だが、勝てる相手だ。油断するな」
「まだ
レヴィンとヨエルが目線を甲槍獣に向けたまま、互いに頷く。
そこへ同じく視線を固定させていたロヴィーサが、鋭い声音で指摘した。
「人まで喰らっているんです。力任せに攻撃するだけとは思えません。十分、ご注意を」
「確かにそうだ。刻印も一緒に取り込んだろうしな」
喰らった人間が、どういう刻印を持っていたかなど、予想するのは不可能に近い。
これが自領の兵士ならば何を刻んでいたか分かるので、その対処も比較的容易だ。
来ると分かっている攻撃ならば、そう怖くはない。
しかし、他領の――それも兵士かどうかも分からない人間ならば、予想するだけ苦労の無駄だ。
それ程、魔術刻印はレパートリーに富んでいる。
「攻め立てろ。ヤツに使う機会を与えるな」
「――おうッ!」
言うや否やヨエルが飛び出し、それに呼応してロヴィーサも動いた。
そしてレヴィンは、二人が仕掛ける攻撃の間を縫うように、敵の注意を引き付けつつカタナを横薙ぎに振るう。
甲槍獣が持つ装甲は厚い。
レヴィンの技量とカタナの鋭利さを以てしても、胸部は特に硬いらしく、表面を傷付けることしか出来なかった。
真正面からの攻撃には、甲槍獣も危機意識を刺激されるのか、殺意の眼差しがレヴィンへ向く。
しかし、既に両脇からはヨエルとロヴィーサの攻撃が、振り降ろされるところだった。
ヨエルの大剣が再び後ろ足を狙った時、その横合いから何かが伸びてきて、彼の身体を吹き飛ばす。
凄まじい衝撃で飛ばされたヨエルは、遥か後方へ弾き飛ばされ、幾つもの樹木を圧し折りながら遠ざかって行った。
「――ヨエル!? くそっ!」
槍の様な形をしているとはいえ、尻尾なのだ。
その柔軟性は良く理解しておくべきだった。
死角からの一撃だったが、ヨエルがあの一撃でやられたとは思えない。
しかし、前線から一人欠落したのは大きく、二人で相手するには辛い相手だ。
相手の力量が分からず様子見だったのは、甲槍獣にしても同様だったらしい。
三人での連携が崩れると、今度は向こうの攻勢が始まった。
レヴィンは刻印による防御で凌ぎ、牽制まがいの攻撃を加えつつ、ヨエルの復帰を辛抱強く待った。
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