開扉奮闘 その4

 甲槍獣は泥に溶けて跡形もなく消え去り、完全に討滅した。

 それでも、即座に終わったと判断せず、レヴィンは周囲へ油断なく視線を巡らせる。

 そうして、他に淵魔の気配もないと判断すると、ようやく全身から力を抜いて、それから膝を付いた。


「……何とか、なったか……!」


「まったくよ……っ! 南方ユダニア領はどうなってんだ……!? あんなの下手すりゃ、領の壊滅だぞ……!」


「何処から湧いて出たにしろ、あれだけの淵魔がいるなど、ハスマルク様にも全くの予想外だったでしょう。ご存知ならば昨日の時点で、そうした話も出ていたはずです……」


 深く考える程、不可解な話だった。

 あれだけ強化された個体、そして複数の要素を取り込んだ個体であれば、今日昨日逃げ出した淵魔とも思えないのだ。


 そして、人面個体であったなら、間違いなく人が喰われている。

 そのうえ前提として、辺境領には冒険者など居ないものだ。


 相手も下に見ているし、領兵にも誇りがある。

 どれだけ優れた冒険者がいようとも、最初から頼りにしないし、戦力の勘定に入れない、という風潮があった。


「だが、刻印を持った人間を喰らっていたんだ。突然、領内で失踪したかに見える人間がいた場合、まず淵魔の被害を考える。それに……」


「淵魔には慎重さや、警戒心ってモンがないからな……。手当たり次第、本能の赴くまま襲うはずだ。他には森の獣しか喰らわなかった、なんて偶然あるわけねぇ……」


「その上、あの巨体です。喰らったものは、十や二十じゃ利かないでしょう。それまでの間、一度も目撃されていないなんて有り得ません」


 辺境領を預かるからには、常に領内を警戒しているはずだ。

 ユーカード領でも常に警備しているし、積極的に魔物を狩るようにしている。


 南方ユダニア領は豊富な森林地帯を有するので、その警戒は更に強いと思われた。

 平原ばかりの東方領に比べ、見つけ出すのも、狩り出すのも容易ではないだろう。


 だからこそ、索敵についても頻繁に、そして厳戒に行っているはずだった。

 地下神殿の洞窟から抜け出した直後、森の中にいたレヴィン達が、即座に発見されることになったのも、その証明といえた。


「森の中も騒ぎになるだろう。縄張りを侵され、混乱した魔獣や魔物に、彼らが気付かないとは思えない。淵魔が森の何処かにいる可能性を、少しでも想定してたなら、もっと厳格な警戒態勢が敷かれてた」


「でも、街にそんな気配はなかったよな……?」


「ならば、あの淵魔はどこから来たんだ」


 全員なにも言えなくなり、沈黙が下りる。

 ――あるいは領外から、なのだろうか。

 しかし、そうなると、やはり何処から、という話にもなる。

 辺境領の境には必ず関が設けられ、高い壁を築くものだ。


 ここを通れば必ず発見されるし、必ず大きな騒ぎになる。

 だが、相手は淵魔なのだ。

 人には踏破が難しい山岳だろうと、無尽蔵の体力と、俊敏な体を持つ淵魔ならば関係ない。


 だから、まったく有り得ない話ではなかった。

 しかし、そうであるなら、やはり問題は出て来る。

 ――その淵魔は、どこから来たのか。


「中央から……、なのでしょうか。人馬の淵魔が、複数いるのは確認しています。実は密かに漏れ出ていたとしても、不思議ではありません」


「……そうだな。既に淵魔は、辺境領にしかいない、という常識が当て嵌められない。何処にいても不思議じゃない、と思うべきなんだろう」


「神殿に囲ってるんだ。それこそ意図的に掛け合わせて、作り出したモンだっているんじゃねぇか? 追跡部隊みたいなモンを、そうして作ってて……中には、あぁいう荒事専門の淵魔もいるのかもしれねぇ」


 あるいは、そうかもしれない、と思えてくる。

 逆に言うと、辺境領以外では淵魔の警戒が薄いのだ。

 むしろ淵魔関係に限っては、まったくの無警戒と言って良い。


 魔物に対しての備えや警戒は相応に強いから、未知の化け物を見れば、やはり騒ぎになるだろう。

 だが、辺境領に比べ、外の世界は余りにも広い。


「神殿は安全地帯、って認識は変わらないしな……。無垢サクリスの淵魔が隠されているくらいだ。ある種の意図を持って別の淵魔を作り出すのも、不可能とは言えない。試行回数が膨大になろうとも、やろうと思えば出来てしまう」


 レヴィンがそう言って、唸り声を喉奥へ押し込んだその時、背後からおずおずとした仕草でアイナがやって来た。

 心配そうにヨエルとロヴィーサを見つめて、そっと声を掛ける。


「あ、あの……お話し中ですけど、それより傷は大丈夫ですか? 治癒術、掛けましょうか?」


「あぁ……、自覚したら痛みがぶり返してきた……! 悪いけど、早速、頼めるか?」


「は、はい、すぐ……っ!」


 慌てた様に頷いて、アイナはヨエルの傍らに両膝を付いた。

 そうして腹部に手を当て集中すると、柔らかい光が溢れてくる。

 数秒、その光を当て続けると、眉間にシワを寄せていたヨエルの表情が和らいだ。


「……いや、助かった。あの淵魔に勝てたのも含めて、何もかんもアイナのお陰だな」


「いえ、そんな、滅相もない! 襲われる原因が、あたしみたいなものですし!」


 アイナは光を消した手を、顔の前でぱたぱたと振った。

 その言い分は、どちらも正しい。


 アイナが『鍵』を使用しなければ、あの淵魔にはきっと勝てなかった。

 しかし、淵魔が襲撃して来たのは、アイナを狙ってのことだろう。


 アイナは照れと焦りを隠すように立ち上がると、続いてロヴィーサの治療に移った。

 表面上は擦り傷しか見当たらないが、吹き飛ばされた時の衝撃は凄まじいものがあった。


 表情に出さないだけで、ヨエル同様、骨が折れていても不思議はない。

 痛い所はないか、心配そうに訊いている所を余所目に、レヴィンは二人を注意深く観察していた。

 その視線が気になったのか、ヨエルが傍に寄って小声で尋ねる。


「どうした、若。何か気になるのか」


「……あぁ、淵魔はアイナを狙ってる。そのハズだな」


「そういう話だった」


「だが、淵魔はアイナが姿を見せても、全く気にした素振りを見せなかった。目の前のロヴィーサを優先したんだ」


「……不自然だな。あぁ、何もかも不自然なことだらけだ。……一体どうなってる?」


 レヴィンはこれに返答しなかった。

 想像するのは容易い。

 しかし、それは勝手な空想を作るのと変わらず、見当外れな想定をするのと変わらなかった。


「先生も言っていたことだ。。憶測は結構だが、それで行動と自由を、自ら縛っても意味がないだろう」


「……あぁ。しかし、気になる。奴らの最優先はアイナじゃなかったのか? 辺境領じゃ、確かにそういう動きだったろ」


「――前提を間違っているのかもしれません」

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