開扉奮闘 その5

 そう言って、会話に声を挟んで来たのは、沈痛な顔持ちをしたロヴィーサだった。

 治療を終えた彼女は、隣にアイナを置いたまま、顔だけレヴィンへ向けている。

 レヴィンは怪訝そうな顔をしながら、聞いた単語そのままに問い返した。


「前提から間違っている? ……だが、ならば、その前提って?」


「ハッキリとしたことまでは分かりません。ただ、不自然に思えるとしても、淵魔からすれば自明の可能性はあります。……だって、我々は何も知らないのですから」


「……そうだな。情報が足りない、揃えるべきピースさえ手元にはない。それで考えても……あぁ、詮無きことか……」


「はい。ただ思うことは、指揮官の様な個体がいるかも、と先生はいつか言ってました。……それが私には気になります」


「そう、確かにそうだ……。ずっと最初、領の屋敷で……アイナと初めて会った時に、そういう話があった」


 とはいえ、実際に指揮を取る個体が、その場で確認された訳ではない、とも言っていた。

 しかし、神器を使用すると、その場所を割当てられてしまう事といい、それが単に本能的な動きと見るには不自然だった。


「アイナさんを――神器を狙うのは、淵魔の本能とは別、という気がします。ならば、それを命じた何かがいるかもしれません。そして、アイナさんより私の命を優先させた事についても、命じた何かがいるのなら、不自然ではなくなります」


「あり得る話だ。……でも、何故アイナではなく、ロヴィーサなんだ」


「まず、真っ先に考えられるのは、邪魔だから、という話になるでしょう」


「そうだな……。排除を考えるからには、当然、邪魔に感じたから、という理由になる。……しかし、邪魔と言われてもな」


 ロヴィーサはこれまで、あくまで護衛としての動きしか見せて来なかった。

 護衛が邪魔というのなら、ロヴィーサのみならず、ヨエルやレヴィンもその範疇に入るはずだ。


 状況的に狙い目だったから、その抹殺を優先した、とも考えられる。

 しかし、それを理由に想定しても、やはりしっくり来るものには感じられなかった。


「護衛が邪魔、という話じゃないだろう。ロヴィーサを狙うなら、ロヴィーサ個人が邪魔、と判断できるだけの根拠が必要だ。そして、それは近くで見ていなければ得られない。……そんな事があり得るのか?」


「どうなのでしょう……。あるとするなら、追手……という事になるのでしょうか」


「いるかも、と先生も言っていたが……。それが事実なら、俺達に知られず、感知もされないまま、こちらを観察していたという事か?」


「今もそうした気配は感じられませんが、もしかしたら、と考えられるのはそれくらいです。そして、三人の護衛の中で、最も早く仕留められそう、と考えた結果かもしれませんね。まったく、不服としか言えませんが……」


「それだって、外から見ていた程度で分かるもんかよ。内側にいる俺からするとよ、お前の冷静な判断は頼りになるって思うぜ。逆を言うと、排除したい理由はそれだって思えるが……。そんなの、分かり様もないだろうしな?」


 レヴィンは難しい顔をさせて腕を組む。

 ヨエルの言い分には、幾らかの理があるように感じられた。


 戦力で言っても、それぞれの得意不得意があり、状況次第で頼りにしたい者は分けられる。

 そこを除外するとしたら、ヨエルの言う通り、どれ程チームに貢献するか、という部分に焦点を充てられるだろう。


 そして、常に一歩退いて、物事を冷静な判断を下せるロヴィーサは、レヴィンも頼りにする所だった。

 しかし、そこまで詳しい情報を、どうやって知り得るというのか――。


 敢えてロヴィーサを狙う理由など、他にあるとは思えないのに、それだと思うと矛盾する。

 更に眉間へ皺を寄せた時、ロヴィーサが困った顔をさせながら、小さく笑んだ。


「ここで難しく考えても、答えは出ないと思います。……下手な考え休むに似たり、とも申しますから」


 うん、とレヴィンは重苦しく頷き、深刻そうな表情で地面を見つめる。


「そうだな、あまり考え込んでも、答えの出ない問題だった」


 そう言って息を吐くと、今度はカラッとした笑みを浮かべて顔を上げた。


「ならば考えるべきは、当座のことか。危機は脱した。でも、あんな淵魔をいつまでも、けしかけられちゃ堪らない」


「まったくその通りかと。ただ、アイナさんを狙う前提において、被害は大きく外へ広がらない、と見ることは出来ます。でも、行く先々で出現されては身体が保ちません」


「……元より、逃げ隠れするつもりなんてなかったが……。アイナの存在が、暗闇の中で見る篝火のように映るなら……。あるいは、狼煙の様に目印となってしまうなら……。あぁいう淵魔が、次々やって来る、ことになるのか……」


 逃げ続けながら防戦するのは不利だと、最初から理解していたことだ。

 ただ、何をすれば有利に働くか、それもハッキリしないのも確かで、出来ること言ったら些細な反撃くらいしかない。

 神殿の封印こそが、その些細な反撃で……そして、それさえ有効とは言えなかった。


「でも、周囲の神殿全てが封じられれば、一応の安心材料にはなるのか……? 距離を離せば離すだけ、淵魔もアイナを見失うはずだ」


「つまり、古来より行われてきた陣取り合戦を、また行う必要があるのですね」


「そのうえ見つからず、秘密裏にな」


 ヨエルが顔を顰めながらそう言って、前髪を掻き毟る。


「しかも、こちとらが上手くやり過ぎると、それはそれで問題と来やがる。あちらさんが本気になれば、計画を前倒しされるだけだもんな。となると、周囲の神殿の封印は、当座の安全確保にしかならないだろ? その先はどうする」


「……どうしようもないな」


 レヴィンが無表情のまま言って、ヨエルは怪訝に眉を顰めた。


「何もかも都合よく、全てを覆せたりしないだろう。相手は神々で、そして数百年の時を掛け、用意周到に準備された計画だ。一石を投じたぐらいで、瓦解するもんじゃないだろうさ」


「そうかもしれないが……」


「事前に計画を知れた……。それが幸いかどうかは分からない。このまま唯々諾々と呑み込まれるか、それとも僅かながらでも傷を負わせて呑み込まれるか……。もしかしたら、俺達に出来るのは、その程度でしかないのかもしれない」


 ヨエルはこれに反論しなかった。

 ロヴィーサもアイナも、やはりこれに異を唱えない。

 レヴィンの言葉が正しいと、既に理解してしまっているからだ。

 失意が空気を支配しようとした時、だが、とレヴィンがそれを遮る。


「だが、良いようにやられたくはない。全くの無意味かもしれなくとも……。神々からすれば、人間なんて蟻みたいなものかもしれなくとも……! 蟻のひと噛みだって、噛まれりゃ痛いと教えてやる」


「そうだな……!」


 それまでの空気を払拭するように、ヨエルも努めて明るく声を上げる。


「味方、援軍、補助、いずれも絶望的かもしれねぇ。でも、先生の仇だ。報いを受けさせなきゃ気が済まねぇ……!」


「神々が相手だろうと、その横暴に異を唱えるだけの権利はあるはずです。たとえ踏み潰されるしかないのだとしても、抵抗する意思を失えば、人間の尊厳だって失います」


 ロヴィーサの言葉に、レヴィンは大いに頷き同意する。

 そして、それは傍らで話を聞いていたアイナも同様だった。


「あ、あたしもお供します! たとえ帰還用の神器が見つかったって、逃げ帰るような真似はしません! そんな横暴、許せるはずないんですから!」


「……ありがとう」


 レヴィンは心から礼を言って、アイナの前へと場所を移す。

 膝を付いて目線を合わせ、改めて礼を言ってから、その手を両手で包むように握った。


「神殿の封印を続行する。今や貫けるものがあるとすれば、その信念だけだろう。ただ、膝を屈して受け入れた方がずっと楽だ。……だが、俺は貫く方を選びたい。どうか、力を貸して欲しい」


「勿論です! この世界に、もしも……。もしも、あたしが来た意味がるとしたら、きっとその為に違いないんですから!」


 レヴィンは嬉しそうに笑みを浮かべ、もう一度しっかりと握って軽く上下に揺らし、それから立ち上がって上方を睨む。


「追手がいる前提で話を進める。どこを行っても安全じゃないと思うが、平坦で見通しの良い道は避けるべきだ。――だから、このまま予定通り、山岳を抜ける」


 全員から了承の返事が上がる。

 レヴィンの見据える先へ、同じように視線を向け、雲の掛かった山陵の頂点を見つめた。

 そこに実際、神がいるわけではない。


 しかし、挑むような目付きで眺めてから、レヴィンは一歩踏み出す。

 後にヨエルたちが続いて、山岳へ向けて歩み始めた。

 それは登山よりも尚辛く、尚険しい道の始まりだった。




                     第一章 終



            ――――――――


ここまで読んで下さって、面白いと感じて頂けたら、感想・評価など、応援して下さると嬉しいです!

次回、幕間を挟んで、第二章が始まります。

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