現代遊戯 その2

 ミレイユ達が奥御殿へ帰還し、一時の休みを得ている一方、レヴィン達は今も継続して道場へと通っていた。

 一応の成果を得た今でも通うのは、特別新たに指示を受けていなかった、そうした理由もある。

 しかし、何より大きな動機となったのは、自分達が井の中の蛙だと、思い知らされたからだった。


 魔力の――日本では理力だが――制御力に関し、レヴィン達は一歩も二歩も劣っている。

 それは刻印技術がないからこそ、日本ではその力を磨かざるを得なかった……それだけの話かもしれない。

 しかし、だからこそ鍛え上げられた土台が違った。


 それは繊細さ、と言い換えても良いのかもしれない。

 逆にレヴィン達はその性質上、力で振り回す所が多かった。

 それがアヴェリン達との力の差に、はっきりと現れている部分でもある。


 この道場に通うことで、それが磨かれ鍛えられているとは、三人全員の感想だ。

 だから、通い続ける事に異論はない。

 何よりレヴィンにとって、まだ勝てていない相手がいた。

 その男に勝てない限り、決して退かない構えだった。


「若がやる気なのは……まぁ、結構な事だがよ。そうは言っても、そろそろお呼びの掛かる頃合いじゃねぇのか。それとも、戦力になるってボーダーを超えない限り、ここで鍛えるおつもりなのかね?」


「さて、そればかりは……」


 道場へ行く道すがら、ヨエルが首を傾げて口に出せば、ロヴィーサから気のない返事が返った。

 大神レジスクラディスとその神使に、何か考えがあるのは察せられる。


 アルケスには反撃すると明言されていて、レヴィン達もそれを疑ってはいなかった。

 明確な日にち――出撃日などが決まっているなら、そこに合わせて心身を整えたい気持ちもある。


 だが現状、そうした事を伝える前触れすらなかった。

 鍛えろと伝えられて以降、そこから新たなお達しもない。

 熱心な信者であっても、そろそろ不安になっても仕方ないだけ、最初のお達しから日時は過ぎていた。


大神レジスクラディス様が、俺達を力不足と見ているのは仕方ない。神使の方々に比べ、どうしたって弱いから」


 後ろ向きな台詞を言ったレヴィンだが、その表情は悲嘆に暮れていなかった。

 むしろ、どこか凛々しさすら感じられる、前向きなものだ。


「だが、鍛えたところで使い物にならない、と見られていたなら、そもそも鍛えたりしないと思う。どこまで使い物になるか、試されているんだ。その期待に俺達は応えなきゃいけない」


「……ま、そうだな。無駄と思えば、即座に割り切る方々でもあるだろ。何も言われないってことは、そのまま続けてろって意味なんだろうしな!」


「遊びに夢中で、忘れ去られていなければ、ですけど……」


 熱意を帯びたヨエルの台詞は、ロヴィーサの一言で急速に萎んだ。

 レヴィンでさえ、即座の否定をしないところに、神の威光の問題深さを感じさせる。


 暫しの間、三人の間に沈黙が降りた。

 しかし、それも僅かな時間で、すぐにレヴィンは持ち直し、拳を持ち上げて強く握る。


「……いや、大神レジスクラディス様には、きちんとしたお考えがあるはずだ。それは信じないと。そうとも、信じなくては……! 俺は信じてるぞ!」


「何やら、自己暗示を掛けなくては、信仰に陰りが出てしまうご様子です」


「まぁ、を見せられたら、無理もないって感じだけどな」


 ヨエルも敢えて詳しく口にしないが、ロヴィーサには正確に伝わっていた。

 何しろ、あの飯屋で見た大神レジスクラディスの姿と本質は、目を疑うほどの驚きに満ちていた。


 今更それを蒸し返すのも、蒸し返してレヴィンの様子がおかしくなるのも嫌なので、二人はそれ以上話を続けず、話題を変える。


「ともかく、鍛える事について異論はありません。立ち向かう相手を思えばこそ、どれほど鍛えても、鍛え足りるという事はないでしょう」


「まったくだな」


 ヨエルが軽い調子で同意した。

 その辺りで、三人は道場へ辿り着く。

 いつもの様に素足になって、道場へ入ると共に一礼した。


 そこで待ち構えている隊士達の顔ぶれは、常に一定ではない。

 彼らは代わる代わるやって来て、レヴィン達の相手をしてくれているのだ。

 そして、その中にはレヴィンの目当てとなる、未だ負け越す剣士がいた。


 線は決して太くない。

 女顔にも見えるが、今は精悍さの方が濃く出ている。

 まだ二十歳も越していない青年剣士こそ、レヴィンが求める相手だった。


 真っ当な剣術勝負で、レヴィンの相手を出来るものは少ない。

 今もレヴィンが高い戦意を以って睨みつけるアキラの他には、数えて三人もいなかった。


 そして、その中でも同じ剣術を使う相手として、レヴィンが強くライバル意識を向けているのが、そのアキラだ。

 決して実力は離れていないのに、何故か勝てない。


 二つに一つ、少なくとも三つに一つの勝ちを拾える相手だと思えるのに、未だレヴィンは勝利を掴んでいなかった。


「贔屓目なしに、実力は大きく離れちゃいない。というより、魔力総量や才能の多可で比較するなら、若の方がまさってるのは、誰もが認めるぐらいだろ。……なのに、勝てない。そりゃ、若からすると納得できないし、ムキにもなるよな」


「そして、現状はそれが、前向きな向上力へと繋がっていますからね。負けて悔しいと思っても、勝てずに腐らないのが、若様の良い所です」


「……そこ。俺のことを変に二人で分析しないでくれないか」


「あら、これは失礼を」


 ロヴィーサは指を揃えて伸ばした手で、上品に口元を覆う。

 ヨエルはこれに、笑みを深めるだけの対応で、レヴィンはやれやれと首を振った。


 しかし、肩ひじ張りすぎていた緊張は、それで良い具合に解れている。

 レヴィンが意識していないところで、二人は十全にそのサポートをこなしていた。


 鍛練の始まりは、まず乱取りから始まる。

 実践形式の軽い運動で、互いに武器を持ち合って、それぞれを打ち合うのだ。

 この時、勝敗は意識しない。


 攻撃の型、防御の型の確認が主な作業で、筋肉を解しながら温めるのが目的だ。

 三分という短い時間で次の相手に切り替わり、粗方一巡したところで終わる。


 この時には既に、汗を拭っても次から次へと溢れてくる程だ。

 そうして、ここからいよいよ、本稽古が始まる。

 指名された両名が戦う事になるから、必ず互いが戦いたいと思う相手と引き合う訳ではない。


「由喜門、前へ。レヴィン殿、前へ」


 しかし、今日は本命が最初からやって来た。

 レヴィンは好戦的な笑みを浮かべると共に、腹から声を出して返事をした。


「――はいッ!」


 開始線へと移動し、アキラと正面から向き合いながら、カタナを構える。

 互いの切っ先が相手を捉え、そして腰を深く落とした。

 顔付き、体付き、どこを取っても別人なのだが、二人はどこまでも鏡合わせに見える不思議な結び付きがある。


「今日こそ勝つ――! そうでなきゃ、いつまで経っても故郷に帰れない」


「僕はいつだって、君に勝てて当然と思ってないよ。けれど、勝負事に手は抜けない。師匠に怒られる……というか、死ぬ目に遭わされる」


「それこそ、望むところ……!」


 レヴィンとしても、勝負上の勝ち負けについて、いつだって真剣だ。

 師匠である祖父エーヴェルトからも、強く躾けられた部分でもあった。

 いつだって、真剣に勝利を求めるから意味がある。


 そして、勝利への渇望と、貪欲な勝利欲が、瀬戸際の勝利をもぎ取ると知っていた。

 レヴィンは愛刀を構え、真っ直ぐにアキラを見据えて細く息を吐く。

 その時、審判より開始の合図が発せられた。


「――始めッ!」


 その音が届くと同時に、二人は床板を踏み込んで激突する。

 端から見ても、互いに真剣を握っているとは思えぬ程の一撃が、二人の間で繰り出されていた。


 治癒術士が控えているとはいえ、一切の遠慮がないのは、互いの手の内を知り尽くしているからではない。

 互いに刻印を持ち、攻撃を防御し、自力で癒せるからでもなかった。


 二人の間には、不思議なことだが、この一撃は喰らわないという信頼感がある。

 だから、普通ならば致命に見える一刀すら、遠慮なく繰り出していた。


「フッ! ハァッ……!」


 更に一撃、上から下、右から左、変幻自在とも取れる攻撃がレヴィンから繰り出され、それをアキラは的確に躱す。

 横へ逸れ、刀で弾き、踏み込み様に力点を反らした。


 これ程の若さで、とレヴィンは舌を巻いてしまう。

 どれだけの修練、どれ程の修羅場を潜れば、これだけの力量が身に付くのか、一向に分からない。


 アキラの言う、師匠の教えが良かったのもあるのだろうが、それだけとも思えなかった。

 自分の強さに誇りを持っている――。

 それは手合わせして、自然と理解したことだ。


 しかし、それは自惚れや、自慢とは全く別物でもあった。

 己の強さが自分一人で培われたものでないと、アキラは良く理解している。

 アキラの強さは、その培ってくれた多くの人間を背負った強さだ。


 だから、アキラは強い。

 負けを簡単に諦めないし、最後の瞬間まで勝ち筋を探し続ける。

 それがここ数回、手合わせして理解してきた事だった。


 しかし、それと同時に、一つ理解し一つ近付いた、と思った分だけ勝利は遠退いていく。

 それがもどかしく、また挑み甲斐がある。


「――シィッ!」


 レヴィンは最後に大きく踏み込み、力を凝縮させた一閃を振り抜く。

 しかし、これも上手く刀で受け止め、いなされ、躱されてしまった。


 アキラは大きく吹き飛んだが、ダメージは如何程も入っていない。

 それはカタナから伝わる手応えからも理解していた。


 そして、吹き飛んだアキラは床板に手を付き、身体を半回転させ着地する。

 そのまま一足飛びに帰って来て、そのまま大上段の一撃で反撃した。


「……流石だ」


「そっちこそ」


 互いの口の端には笑みが上る。

 まだ戦いは、始まったばかりだった。

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