現代遊戯 その3

 カタナを一振りして構え直し、レヴィンはいっそ楽しそうに笑った。

 これまでの生涯を通して、剣術の腕で敵わない、と思わされた相手は何人かいる。


 剣術だけでなく体術も含め、その基礎は祖父エーヴェルトに教わっていたし、幼い頃は決して手が届かないと思わされたものだ。

 そして、直近においては、アヴェリンという比較するのも烏滸おこがましい戦士がいた。


 どちらにおいても共通するのは、その当時、対峙して敵う相手ではない、と感じたことだった。

 しかし、目の前のアキラは違った。


 筋力、体格ともに勝り、魔力総量においても勝っている。

 力押しで勝利をもぎ取れても、決しておかしくない相手だ。

 ――だが、勝てない。


 理由はレヴィンにも分かっていた。

 僅かな技量差、僅かな隙を見逃さない洞察力、そして決して揺るがぬ執念、それこそが勝利の分かれ目だった。

 だから、あと一歩と追い込んだつもりで勝ちきれない。


 しかし、それをレヴィンは頭から嫌がってはいなかった。

 それはつまり、自分が未熟である、という証左だと思うからだ。


 何より、一合カタナを打ち合わせる毎に、一段自分を押し上げられているようにも感じられていた。

 アキラとの試合は、真剣勝負に違いないけれども、互いの力をより高め合う事にも作用している。


 不思議なことに、レヴィンが一歩近付いたと思えば、その分アキラもまた一歩遠退く。

 遠退いたところから受ける攻撃が薫陶となり、それが更にレヴィンを引き上げる。

 そうした好循環が生まれていた。


「――フッ! ハァ……!」


 レヴィンの強烈な抜き打ちが、アキラの額を掠めただけで躱される。

 滑るように踏み込んだレヴィンは、更に第二撃を叩き込んだ。


 しかし、それはアキラの面前で弾き返される。

 飛散した火花が両者の前で光り、二人の視線が交叉した。


 レヴィンの目には不敵な笑みが浮かび、アキラの目にも似た物が浮かんだ。

 しかし、そこには若干の緊張も含まれる。


 両者は特別に言葉を交わしたりしない。

 静けさの満ちる道場の中で、打ち交わす白刃の響きと呼気だけが、静謐の中に音を生んでいた。


 ――さっきのは、惜しい所まで行っていた。

 レヴィンが技量を上げて成長すれば、同じだけアキラも成長する。

 その歩みは互いに一定で、常に変わらない歩幅だからこそ、追い付けないものでもあった。


 それでこそ、とレヴィンは思う。

 敵わないと思える相手はいても、好敵手、と言える相手に、レヴィンは巡り合えなかった。


 最初こそ拮抗する事はある。

 ヨエルを始めとし、高い技量を持つ剣士は多くいても、やはり対等の実力者と見る事はできない。


 それだけではなく、互いを高め合い、どこまでも成長させてくれる思いをさせてくれる相手は、アキラが初めてのことだった。

 もしも、その関係に崩れる時が来るとすれば、それは互いの成長に差が生じた時だろう。


 そして、レヴィンが勝利した時、その差はきっと一方的に広がっていく。

 そうはなって欲しくない、とレヴィンは強く思った。


 自分の成長をまざまざと実感できる瞬間は、剣士にとって麻薬にも等しい体験だ。

 いつまでも、この瞬間が続いて欲しいとすら思う。


「ハァ……ッ!」


 両者の技量は、既に伯仲していた。

 共に機敏な動きを見せ、柔軟な体裁きで攻守が頻繁に入れ替わる。


 前後左右に、互いの身体を入れ替える様は、まるで舞踊を見ているかのようでもあった。

 突き出した一閃をレヴィンが躱し、反撃の斬撃を紙一重でアキラが躱す。


 この闘いは、果てしなく続くかに思われた。

 何しろ、同じ刻印を所持している為、容易には決着が付かない。


 互いに未だ刻印を使っていないが、危機と思えば即座に使用できる。

 現状に至っても使っていないのは、互いの呼吸が噛み合い過ぎているからでもあった。


 使う暇がないのではなく、使う必要がない程、互いの攻撃と防御が違和感なく続き、また交代している。

 永劫にも思える時間は――しかし、ある時、唐突に終わりを迎える。

 互いの呼吸に、ズレが生じ始めたのだ。


 それは力量差、技量差から生まれる必然であったかもしれない。

 最初から才能の上でレヴィンが上、そして魔力総量を始めとした、総合的な力量から見ても、レヴィンが勝っていた。


 闘いの中で高め合った技量は、遂にその天秤を片方に傾かせた。

 レヴィンがわざと態勢を崩した所へ、アキラが一歩踏み込むと共に刃を突き出し――しかし、それを直前で躱される。


 思わず態勢が前に出過ぎ、腕が伸び切った所へ、レヴィンのカタナが首筋を捉えた。

 振り下ろし切ってはいない。

 白刃は肌に食い込んでもいないし、本当にやろうと思えば、アキラは刻印を発動させていただろう。


 そして、続行しようと思えば、刻印を発動させれば済む話だった。

 だが、互いに分かる事もある。

 レヴィンは明らかに、その技量を一段上の段階へ昇華させた。


 これ以上続けても、これまで見せた様な良い試合にはならないだろう。

 それが分からず、また認められない程、アキラも無粋ではなかった。


「……とうとう、か。参った」


 それを聞くと同時に、レヴィンの額から、滝の様な汗が次々と噴き出して来る。

 あらゆる緊張と集中が、汗すらも封じ込めていた。

 しかし、それらが途切れた瞬間、それまで抑え込まれていたものが溢れて来たのだった。


「……勝っ、た……!」


 一言呟くと同時に、膝を付いて荒い呼吸を繰り返す。

 レヴィンにとっても、外から見えるほど楽な勝利ではなかった。

 幾度となく被った辛酸と、苦悩と苦慮を重ねた上での勝利だった。


 レヴィンは僅かな時間で使い切った体力を奮い立たせ、開始線へと戻る。

 互いに目を見て一礼すると、アキラから賞賛する笑みを向けられた。


 レヴィンもそれにはきつく目を閉じ、再び一礼することで返礼とする。

 次に頭を上げた時、既にアキラは道場の端へと戻った後だった。


 審判から促される視線を受けて、レヴィンも元の位置へと戻る。

 隣に座るヨエルの肩を借りながら床へ座るなり、脱力して肩から力を抜いた。


「良い土産を頂いた……」


「どうやら、そうらしいな」


 アキラからすれば、そこまでしてやる義理などなかった。

 同じ門下生、そして後輩であるなら、それも理解できる。


 しかし、事前にレヴィン達の説明はされており、遠からずこの地を去るとも伝えられていたはずだ。

 それでもアキラはした。

 己の武技と、そこに向き合う精神を、闘いを通じて教えられてくれたのだ。


 息を整え、身体を休めている間にも、次の試合が始まる。

 それを見るともなく見ながら、レヴィンは拳を握り締め、一つの壁を乗り越えた達成感に浸っていた。



  ※※※



 ヨエルとロヴィーサについても、道場に通った事で目覚ましい成長を遂げた。

 元より才能の扉を開かれていた訳で、適切な負荷と鍛練を続ければ、それを伸ばすのは難しくはない。


 ただ、二人にはレヴィンの様に噛み合う相手を見つけられず、その中で順当に実力を伸ばした、という形で収まるだけだった。

 それでも、ただ扉を開いた時と比べれば、その力量は二倍にも、三倍にも膨れたように思う。


 レヴィン達が帰途につき、いつも利用している部屋へ戻るなり、ゆっくりと湯に使って疲れを癒やした。

 三人は同室で過ごしているが、部屋の中にも別途部屋があり、そこで寝泊まり出来るので問題になっていない。


 広々とした木造の居間にて、背の低いテーブルの前へと座り込む。

 椅子を使わない不思議なダイニングだが、暮らしている内に、こちらの方にも随分と慣れた。


 異文化の中で暮らすにおいて、一番良い体験をするには、その文化をあるがまま受け入れることだと悟った。

 お陰で、足を畳んで座る格好も、だいぶマシになっただろう。


 女官が何を言わずともレヴィンに茶を淹れてくれ、しばらくすると、順に湯から上がってきた二人が同じ席に着いた。

 湯上がりに冷たいお茶を飲み干して、開口一番ヨエルが言う。


「それにしても、ここにいると快適すぎて困っちまうよ、なぁ?」


「まぁ、そうだな……。便利を知ってしまうと、同じ水準で暮らせないと不満が出るだろうな」


「そうは言っても、帰った後は慣れるしかないのでは……」


 風呂上がりのロヴィーサは、頭に巻いていたタオルを解き、髪の毛の水分を丁寧に吸っていく。

 それもまた、触れれば肌が沈み込むほど柔らかい布地があって、初めて出来ることだ。


 領地にある布を使ってしまうと、逆に髪を痛めてしまう。

 ロヴィーサが今している習慣も、こちらに来てから女官に勧められて始まった事だった。


「何か達観したような台詞を言ってるがよ、ロヴィーサ。あっちに帰ったら、お前がお気に入りの髪の手入れだって、もう出来ねぇんだぜ?」


「それは……っ! 知って……分かって、ますけど」


「手放し難いよな、やっぱりよ。どうにかお願いして、持って帰れねぇかな?」


「タオルを、ですか?」


 それは実際、乞えば不可能でなさそうに思えた。

 しかし、使っていけばどうしても摩耗するだろうし、譲って貰えた所で僅かな先延ばしにしかならないだろう。


 ただし、それでも幾らか分けて貰えるなら、是非ともお願いしたいという心境は、誰もが一致するところだった。

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