現代遊戯 その1

「無事のご帰還、まことに祝着でございます」


 ミレイユが奥御殿へ帰還したのは、それから二日後の事だ。

 大きな門を潜った次に見えた光景は、女官たちが一同勢揃いで頭を下げている所だった。

 一般人として見える様、服装は勿論、幻術も掛けていたのだが、そうした小細工が通用するのは入口までだ。


 神の出迎えとなれば、一切の妥協なく、礼節に則った形で出迎えるものらしい。

 今は十名を超える女官が両脇それぞれに控えていて、掛かる言葉を待っている。


「出迎え、大儀」


 その一言で、女官達が一斉に顔を上げる。

 出迎えの中心で頭を下げていた女官長も、その声を聞いて曲げた腰を伸ばした。

 そうしてミレイユの頭からつま先まで見つめて、にこりと笑う。


「それでは、早速お召替えを致しましょう。準備は既に万端、整えてございます」


 そう言うなり、一礼したのち踵を返し、ミレイユ達を先導して歩き出す。

 丁寧な仕草と口調ではあったが、どこか有無を言わさぬ態度だった。


 その先導に沿って歩きながら、ミレイユは頭部に置いたままだった星型サングラスを、改めて掛け直す。

 そうして目元を隠した彼女は、横を歩くユミルへそっと耳打ちした。


「これは……、騙し通せたと見て良いのか?」


「そんなワケないでしょ。……っていうか、その馬鹿みたいな黒メガネやめてよ。あのコの品性が疑われるわ」


「良いではないか。パーリーピーポーって感じでのぅ」


「それが嫌だって話をしてるんだけど?」


 ユミルが苦言を呈しても、ミレイユは気にも留めた様子がなかった。

 機嫌よく鼻歌を鳴らしながら、宮と宮を繋ぐアーチ状の橋を渡る。


 そこから見える庭園はまた見事なもので、常日頃、庭師の精髄が込められた作品だという事が分かった。

 そうやって目を楽しませていると、前を歩く鶴子が、上品に横顔を見せながら笑う。


「そうそう、御子神様が外でご公務に励まれていたからでしょうか。オミカゲ様も大層、精力的に向き合ってらして……。判を押すだけの簡単な仕事ばかりをお願い申し上げたとはいえ、実に実直な仕事ぶりでございました」


「ほぅ……。それは、感心……だな」


「はい、我々も実に感じ入ったものでございます。普段は何かと気もそぞろ、非常に時間が掛かるものでございましたのに……。御子たる神が外へご公務で出向いたとなれば、目の前の書類もよく集中できるのかもしれませんね」


「そう、だな……。そういうものかもしれない……」


「今後とも、オミカゲ様には是非、その仕事ぶりを継続して欲しいものでございます」


 そう言うと、老人特有の皺深い笑みが、より一層深くなる。

 ミレイユは敢えてそこから目を逸らし、それから細かく首肯した。


「う、うむ……。私からも、よく申し付けておこう」


「あら、申し付けるだなどと……。滅相もない事でございます。オミカゲ様ならば、こちらが何を言わずとも、しっかりと物事を正しく見定める目をお持ちです。……そうでございましょう?」


「そう……、そうだな。そうとも」


 しっかりと頷いたのを見終わると、それでようやく前を向き直す。

 ミレイユは今更ながらサングラスを外し、胸元のポケットにしまった。


 何故だか非常に不謹慎と思えたからだが、色々な意味でもう手遅れだった。

 ミレイユはもう一度、ユミルへそっと耳打ちする。


「これは、もしや既に……?」


「確認する意味ある? どう考えても、バレてるでしょ。バレてないフリしてくれてるだけで」


 分かり切っている疑問ではあった。

 しかし、そうでない可能性に賭けたかった。

 望みが薄い可能性であろうと、そこに一縷を期待せずにはいられなかったのだ。


 ミレイユはガクリと肩を落として、うっそりと背後へ目を向ける。

 そこには多くの女官が付き従っており、壁のようになっている。

 それは穿って見るなら、逃さない表明のように思え、ミレイユ尚も肩を落として、更に重い息を吐いた。



  ※※※



 着替えが終わってすぐ、ミレイユの神処に向かってひた走る。

 扉を開かせ中へと入り、更に長い廊下を抜けた先の部屋には、オミカゲ様がルチアだけを伴に茶を飲んでいた。


 その光景を視界に収めるなり、ミレイユはオミカゲ様の肩を掴んで、奥の部屋へと二人きりになってしまう。

 そこで幾ばくかの遣り取りと、言葉の応酬があってから、二柱の神は部屋から出て来た。


 オミカゲ様は既にぐったりと疲れた様子を見せ、そしてミレイユは呆れた様子を見せつつ、何も言わずに元の席へと戻る。

 アヴェリンやユミルにも椅子を勧め、そして茶の代わりを頼んだところで、二人に向けて笑みと共に労った。


「二人とも、アイツのお守り、ご苦労だったな」


「いえ、別にぃ? こっちも楽しませてくれたしね」


「はい、苦労という程の事はございませんでした」


 ユミルとアヴェリンの両名から返事があって、鷹揚に頷いていると、背後から透けるようにして出来たフラットロが、首筋に鼻面を押し付けてくる。


「あぁ、フラットロも。良くやってくれた」


 そう行って首筋辺りを撫で、彼も機嫌を良くしたところで、改めてミレイユは二人に問う。


「問題は起こさなかったか?」


「はしゃぎっぷりが目に余ったし、暴走気味ではあったけど、言ったらまぁ、それぐらいだったわね。面倒な輩に絡まれるコトもなかったし」


 へぇ、とミレイユは意外そうな顔つきで、オミカゲ様を見つめる。

 当のオミカゲ様は、非常に不服そうであったが、反論するつもりはないようだ。


「ともかく、約束は守った。お前の望みどおりだ。こっちもちゃんと、務めを果たしたぞ」


「予想以上に早く事件が解決してしまい、滞在時間が短くなった事については、そなたのせいではないからの。そこに文句を言うつもりはないが……! しかし、もっと上手くやれなんだのか……!」


「いや、無理だろ。入れ替わった初日、顔を合わせた瞬間に、もう何もかもバレてたと思うぞ。オミカゲ様にとっては、やり慣れた仕事のはずなのに、懇切丁寧に教えてくれてたしな」


「むくぅ……!」


 オミカゲ様は顔を歪ませると、胸の辺りを強く握り締めながら身体を捻った。


「最初から無理があったんだよ。顔が同一といっても、雰囲気やら何やら、色々違いはあるんだから。口調を真似て、それらしく振る舞っても違和感は持たれる」


「多分だけど、結希乃も気付いてたわねぇ」


 そう言って、ユミルは悪戯っぽく笑みを浮かべ、頬杖を付いた。


「ミレイユっぽく振る舞ってたけどさ、アンタの場合、ちょくちょく口調で素が出てたし。……まぁ、最初からさ、いつまで騙せるかのチキンレースみたいなモンだったから、さもありなんって感じだけど」


「む、むぅ……」


「それで、オミカゲ。お前の言う条件は叶えてやった。そういう事で良いんだろう? では、報酬を頂こうか」


「う、む……。そうさな」


 ほんの短い時間とはいえ、オミカゲ様は奥宮から外に出て、そして周りの目を気にせず思うがまま羽根を伸ばした。

 ロンドンの観光名所を周り、ミレイユ――御子神へ支給された御手元金を使い、思うように買い物を楽しんだのだ。


 オミカゲ様が神器を譲渡する為の申し出た条件とは、一時の身代わりだった。

 本来、救援の名目でロンドンまで助っ人を頼んだのだが、そこでミレイユと入れ替わった。


 それらしく見えるよう、護衛にはアヴェリンが付き、ユミルとフラットロを供にさせれば、状況的にミレイユと判断される。

 後は髪型と髪色も交換すれば、誰にも見破られずに外出を楽しめる、という算段がオミカゲ様にはあったらしい。


 しかし、実際のところ、ミレイユは初日、鶴子と顔を合わせたその瞬間に見破られたと確信している。

 敢えて指摘などされなかったが、そうでなければ痒い所に手が届く仕事の説明など、鶴子がする理由などなかった。


 ともあれ、問題なく果たしたはずだ。

 オミカゲ様の態度は芳しくなく、身体に重石を付けたかのように鈍いが、約束を反故にはしないだろう。


「まさか、今更やっぱりなしとか言わないよな?」


「せぬよ、それはせぬ。口で交わした約束とはいえ、神の口にて結んだ約束。これを違える事は許されぬ」


「じゃあ、いいだろ。さっさと寄越せ」


「そんな頼み方があるか!」


 オミカゲ様は憤慨する様子を見せつつ、腕組して身体を反らした。


「そなたとて知っておろう。一つの神器を作成するには、大きな損耗が伴う。己の神力を削って作るのだからな。連続で幾つもこの場で、とは行かぬ」


「三つぐらい、お前にとっては大した損耗じゃないだろ。毎日、全国各神社から願力が送られてくるんだから。瞬間的枯渇はあっても、神力不足とは無縁じゃないのか」


「まったく、そなたは……」


 オミカゲ様は腕組したまま、やれやれと首を振って、そのまま顔を中庭へと向ける。


「たとえどういった状況でも、瞬間的枯渇など作るものではない。それが火急の時、やらねば後がない状況ならばともかく、今はそうした切羽詰まってもおらぬではないか」


「まぁ、言ってる事は正しいかもしれないが……」


「日に一つ。それだけ渡す。それで頷け」


「一つ、ね……。別に良いが、作っておけよ、予め。幾らでも時間なんてあったろうが。達成しか有り得ない条件だったんだから」


 ミレイユの苦言はオミカゲ様の横顔に刺さったが、これには一切の返答がなかった。

 どこか拗ねた様にも見え、ミレイユが眉根を顰めていると、ルチアからフォローが飛ぶ。


「オミカゲ様は寂しいんですよ。居なくなったら、また半年後まで会えないんですから。その半年後に出会う私達にも、初対面とも似たフリをして接しなければいけないんですよ?」


「この接触で、逆に色々と制約が増えたのも確かだしな。たとえば、ユミルやルチアは、この歳になって始めて囲碁に興味を覚えた。つまり、それまで勧められたり、近くで接することがなかったって意味だから……」


 ボタンの掛け間違いを起こさない為には、そうした些細な混同は失くさねばならない。

 そして、事実としてミレイユは、これから幾度か奥宮へとやって来る。

 だが、その祭に彼女たちが囲碁に興味を抱かなかったのも事実で、そして部屋に囲碁盤などなかったものだ。


 オミカゲ様は、これからそうした矛盾が発生しないよう、ミレイユ達とは細心の注意を払った言動が必要になる。

 それを思えば、色々と厄介事を申し付かるくらい、素直に受け入れてやるべきかもしれなかった。


「……分かった、三日だな。では、その間に出来る限りの親交と、やるべき事を詰めていこう」

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