蠢動 その5

 ミレイユは両手を使って『念動力』を用い、一度に大量の瓦礫を退ける。

 神官たちが総出で悪戦苦闘していたのが嘘の様に、入口は簡単に姿を見せた。


 しかし、そこに人の姿はなく、また襲い掛かって来る何者もいなかった。

 武器を構えていたのはレヴィン達だけではなく、同じく身の丈程の杖を入口へ向けていたルチアは、安全を確認するなり構えを解いた。


 ただし、ミレイユは険しい顔のまま、眉間に皴を寄せて、ぽっかりと口を開けた入口を睨む。


「……初手から襲って来る訳ではないのか。それとも、既にこの場から立ち去っているか……」


「狙いが龍穴なのか、それともここに誘引したいだけなのか……。それで話は変わって来ますね。襲ったのなら、龍穴狙いだとは考えられますが……」


「いずれにしても、入ってみなければ分からないか。……行くぞ」


 神官たちに後を任せて、ミレイユは入口へと向かった。

 そして、危険に足を踏み込むとなれば、その先陣を切るのはアヴェリンの役目だ。


 そうすると、レヴィン達もただ黙って、後を付いて行く訳には行かない。

 彼女の後に続いて中へ入り、安全を確保した後、ミレイユに入って貰うのが最善だ。


 爆発の余波を受けてか、神殿内部に灯りはなかった。

 ルチアが先んじて照明魔術を投げ入れて、それで周囲の様子が分かってくる。


 瓦礫が多く落ちていて、道を塞いでる場所もあったものの、死体の類は落ちていない。

 血痕なども見当たらないので、この近辺で犠牲になった人はいないようだ。


「取り残された人がいる、という話だったが……」


 アヴェリンが周囲を見渡しながら言う。


「静かだな……、静か過ぎる。他に出入口でもあって、そちらに向かったのか?」


「彼らの無事の確認も大事だが、今は龍穴を優先する。アヴェリン、奥へ向かえ」


「承知しました」


 彼女が実直に返事して、それで神殿の奥へと足を進めた。

 ミレイユの命令は残酷にも思えるが、今は緊急事態だ。

 それに、崩れる天上から逃げて、最も安全そうな場所へと移動しただけかもしれない。


 もしかしたら、向かっている最中、誰かに遭遇する可能性もあった。

 それを期待したのだが、その間に誰かの話し声などもなく、助けを求める声もない。


 それどころか、物音ひとつなかった。

 生存者がいるかどうかも怪しく思えてきた頃、レヴィン達は最奥へと到着した。


「誰も、いないのか……」


 人どころか、精霊の姿さえない。

 最奥の間は別名、龍穴の間だ。

 そして神殿は、この龍穴を保護する為に建立されたものでもあった。


 信仰の場としての神殿は、あくまで外付けの理由に過ぎず、第一に考えるのは常に龍穴なのだ。

 そして、龍穴を守護する精霊がいないとなれば、これはもう確定したと思って良い。


「狙いはやはり、龍穴か……」


「そして、どうやら……既に、られてもいる様だな」


 耳慣れない表現に、レヴィンは困惑した表情で、それを口にしたミレイユへと問うた。


「繋げた、とは? まさか……?」


「そう、これまでの陣取りゲームを、ここに来てひっくり返そうとしている。ここはもう、淵魔の通り道として機能してしまった。ならばこれから、次々と他の神殿も襲い、他と繋げ直そうとする筈だ」


「拙いじゃないですか!」


「あぁ、拙い」


 ミレイユの口調は淡々としていて、レヴィンと違い、焦りというものを感じさせない。

 しかし、それは努めて外へ出さない様にしているだけなのは、眉間に刻まれた皺の数から分かった。


 表情は口ほどに物を言う。

 彼女の表情は怒りに満ちていた。


「すぐに戻る。次の行き先が決まった」


「ど、どこです!?」


「ここと繋がる龍穴だ。逃げた“新人類”は次々と神殿を食い破って、淵魔が通れる龍脈を拡げて行くつもりに違いない」


 レヴィンの顔から血の気が引く。

 それこそ正に、ユーカード家が三百年もの間、阻止し続けて来たことでもあった。


 無論、それは独力で成し遂げた事ではなく、領民の献身と、また時して神の助けがあって出来たことだ。

 それを食い破るつもりだという考えには、怒りだけでなく嫌悪感まで沸き上がる。


「では、絶対に阻止しなければ!」


「勿論だ。淵魔が跋扈する世界にしたくないから、ここまでやって来たんだ。土壇場でひっくり返されて堪るものか」


 ミレイユの口調には、嫌悪感と怒りが滲んでいた。

 急ぎ足で入り口に戻ると、神官たちが撤去作業を続けており、ミレイユ達の姿を認めると手を止めて叩頭礼する。


「精霊は排除されていた。新たに召喚して、契約を結び直せ。龍穴を封じるんだ」


「は、ハッ……! 可及的速やかに……!」


 それだけ言うと、ミレイユは赤竜に乗って空へ旅立つ。

 そうするとルチアの竜も傍にやって来て、レヴィン達もまた乗ると、ドーワを追って飛び上がった。


 遠くに離れていく神殿を見ながら、レヴィンはルチアへと話し掛ける。


「……でも、少し安心しました。龍穴は一度破られても、すぐに直せるんですね」


「すぐになんて直せませんよ」


 しかし、ルチアから冷淡な返答が返って来て、レヴィンは言葉に詰まる。

 どういう事か、と口にするより早く、ルチアは前方を向いたまま続けてくれた。


「契約なんて早々、簡単には結べませんから。運も絡みますしね。けれど、万が一もあるので、一応やっておこうの精神でしょう」


「そんなに……難しいものなのですか?」


「召喚自体は、そう難しいものではありません。対価として魔力を払って、それで何か一つやって貰うだけなら尚更です。たとえば目の前の敵を攻撃しろ、とかなら断られる事の方が稀ですしね」


「しかし、龍穴の守護は、そう簡単なものじゃないと……」


 そう、とルチアは首肯して続ける。


「長い契約になりますから。精霊に寿命なんてありませんけど、長い拘束を嫌がるのは……やる気の問題でしょうかね。精霊にだって感情はあるので」


「……つまり、やっても良いと言ってくれる精霊が出るまで、何度も召喚し直す……のですか?」


「あら、今度は勘が鋭いですね。……その通り。あなたにだって、虫の好かない相手とか、逆に馬の合う相手とかいるでしょう? その場で意気投合してしまえる相手とか。その意気投合できる相手を探す所から始めます。中々、気の長い話になりますよ」


 それを聞くと、確かに簡単そうではない、と思えた。

 レヴィンは精霊について詳しくないし、どことなく精霊は我儘なもの、という認識だった。


 それが馬が合うかどうかで、素直になるかも決まるなら、運が絡むと言ったルチアの言葉にも頷ける。


「自分より魔力の高い相手には、大体いう事を聞いてくれるので、多くは神々が召喚するのが通例でした」


「じゃあ、ミレイユ様があの時やってれば……」


「そんな暇ないですよ。言うことを聞こうとはしてくれますけど、契約内容が土地との契約ですから。移住しても良い、と思ってくれないと。その部分の成功率は、誰が相手でもそう変わりありません。今この時、説得する時間なんてないでしょう」


 あの神殿はそれで良くても、同じように神殿を襲撃されたら、その度に召喚と契約を結ぶ必要も生じる。

 その度に足を止めていたら、敵の行動を阻止するどころではない。


「期待は薄いですが、あちらはあちらでやっておいて貰いましょう。それに、次の襲撃を阻止すれば、それで済む話です」


「ですね、赤髪の“新人類”……。行き先は一つだけなんですか?」


「いえ、二つ……三つですか。どちらに向かったかまでは……」


 ルチアがそう言い掛けた時、再び爆発音と衝撃波が耳朶を打つ。

 遠くに見える神殿からは薄い煙が立ち昇っており、何が起きたのかは明白だった。

 駆け付けるのが遅すぎ……、そして敵は一歩その先を行ったのだ。


「早過ぎやしませんか。こちらは竜で移動しているというのに……!」


「転移を使用しているのかもしれません。だとすると、むしろ納得しかありませんが……」


「でも、“新人類”は魔力を持たないのでは!?」


「では、魔力以外の代替方法を持っているのでしょう。コンマ数秒の過去転移は、既に確認済みです。あれ一つのみ、という保障もなし。与えて得られる力なら、他の誰かも使っていて可笑しくないでしょう」


「しかし、……いや、そうですね……」


 理屈の事は、レヴィンには分からない。

 しかし、誰か一人に起因した、個別の特殊能力ではないようだった。

 それならば、新たに作られた“新人類”が、その能力を持っていても、別段不思議ではない。


「敵は未知の相手なんです。それも淵魔を元としている、未知の敵。ならば、何があってもおかしくない、程度に思っておくのが良いでしょう」


「そう、かもしれません……!」


「憶測に過ぎませんけどね。何もかも悪く取って、臆病になっても仕方ありませんし……」


 どちらにせよ、とルチアは嘆息混じりに言葉を続ける。


「相手は竜より早い転移手段を持っている……。その前提でいる必要があります。ならば、追っているだけでは後塵を拝すだけになるでしょう」


 こちらは何処を狙うのか、その当たりを付ける事は出来る。

 龍脈が繋がる場所を探せば良い。


 しかし、常に候補は複数あり、現状では探す手足が足りなかった。

 これでは追い付いては逃げられ、逃げられては追い付く、という事を繰り返す破目にもなってしまう。


 どうするべきか、と考えている内に、ルチアは竜の飛行位置をずらし、ミレイユへと近付いて行った。

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