反撃、逆転。そして…… その3
「ワァァァァ……ッ!」
レヴィンのみならず、兵たち全員が上空を見上げて、喝采を上げた。
周囲には凍り付いた淵魔が壁となっているお陰で、感動を露わにする余裕もある。
武器を手にして臨戦態勢は崩さぬまま、上空の竜の群れへ手を振る者までいた。
レヴィンとしても、素直にその環へ加わりたい気持ちがある。
しかし、険しい顔をしているルミを見ると、参加するのも憚られた。
「どうしたんです、何か拙いことでも……?」
「本当に拙いコトが起こるかどうか、そんなの判断つかないわよ。ただ、予定にないコトが起きたなら、それにはきっと理由がある。早過ぎる到着と引き換えに起きた何かが」
「それがつまり、拙い事になるかも、と……?」
「虫食いの処理には時間が掛かる。アタシが夜明けまで救援に来れないって言ったのは、それが一番大きな理由なの。あの銀髪は第三神使で、大神と行動を共にしていた筈だった。虫食いの処理には結界術が必要だから……」
だからここに来られる筈がない、と言いたげな口調だった。
しかし、予定と違ったとしても、事実として目の前にいるのは確かだった。
それとも、来られない筈なのに、それでもいるなら偽物に違いない、という理屈だろうか。
確かに竜は、神の騎乗生物として知られる聖獣だが、神使も乗るという話は聞いた事がない。
それならば、ルミが異常に警戒して見せるのも頷ける気がした。
「もしかして、神様しか竜に乗れないんですか? そうですよね、神の騎乗聖獣として敬われる竜の背に――」
「別にそういう理由で否定したいんじゃないわよ。神使だって許可さえあれば、その背に乗るコト許されるしね。ただ、神がその御座から離れ、『虫食い』を対処するとなれば、神使だって付いて行く。ここに来たからには、そっちの処理を放棄か、あるいは放置して来たって意味になるんだけど……」
レヴィンは『虫食い』の何たるかを、未だに理解してなかった。
しかし、神が対処せねばならない程の、大事だとはにわかに理解できていた。
ルミがそこまで警戒する何か。
淵魔の大襲撃と天秤に掛け、なお優先せねばならない何かが、その『虫食い』なのだろう。
とはいえ――。
「救援して頂けたなら、別に文句もないのでは……。単にあちらが予想外に早く終わっただけ、かもしれませんし」
「そんなワケないでしょ。実は有り得るってレベルなら、嫌な予感なんてしてないわよ。何の為に、あれに傍を任せたのよ」
「あれ……? つまり、あの銀髪の第三神使ですか? 何か不満でも?」
「不満とかじゃないわ。あれが扱う魔術は、ちょっとレベルが違うから。使う種類を限定すれば、神と互角の魔術もそこそこ有るし……」
ルミが陰気な声をさせて論じていると、竜は颶風を巻き上げながら、そのすぐ直上へとやって来た。
顔を覗かせていた銀髪の美女も、それで全貌が明らかになる。
思わず目を奪われずにはいられない、絶世の美貌がそこにあった。
銀の髪はまるで月をそのまま溶かし込んだかのようで、冷たく見える流し目すら感嘆せずにはいられない。
歳の頃は二十代半ばで、薄布に包まれた肢体は艶めかしい。
色香を感じるよりも、彫刻を見ているかのような美を感じさせる。
妖精の女王というものが、もし本当に存在するのなら、彼女しかいないと思わせるだけの存在感があった。
その彼女の目はレヴィンを素通りし、隣のルミを視線で射抜く。
それから周囲の淵魔へと視線を移してから、小さな溜め息をついた。
「……何してるんですか、こんな事態にまでさせて」
「いや、まぁ……。これでも結構、頑張ったんだけどね」
「それはそうでしょう。でも、こうなる前に止めるのが、貴女の受けた使命だったと記憶してますけど」
「そりゃまぁ……。でも、あっちも中々、用意周到でさぁ……」
ルミは決して殊勝な態度ではなかったが、普段の悪びれない雰囲気ともまた違った。
気心知れた友人同士の、気安い会話の様にも聞こえ、実際ルミはこの会話を楽しんでいるようでもある。
だが、それも短い間の事で、すぐにルミは表情を改めた。
厳しく詰問するように、竜頭の上にいる神使へ言葉を投げる。
「アンタ、どうしてここにいるの? 『虫食い』はどうしたのよ」
「私はてっきり、貴女が何かしたのだと思ってたんですけど……」
「は……? 何か? 何かって?」
詰問した方のルミが、目を丸くさせて問い直した。
しかし、銀髪の神使は、その美しい柳眉を八の字に曲げた。
「そこまでは……。ただ、『虫食い』は既に処理済みでした。場所を知っているのは、私達以外では貴女だけだったでしょう?」
「だからって、アタシに何か出来た筈がないでしょ」
二人の間に沈黙が降りる。
兵達の歓声と喝采も、二人の耳には伝っていないようだ。
互いに不気味なものを見る目で、牽制し合っている。
「そうですよね……、不思議には思っていたんです。こちらに察知させず処理し終えるなんて、別にする必要ありませんから」
「それに、アンタらが気付けなかったんなら、つまり結界術も使われたってコトでしょ? それも、アンタぐらいの使い手じゃないと無理なレベルの」
「心当たりあります?」
「あるワケないでしょ」
レヴィンにはやはり、二人が何を言っているか理解できない。
もしかすると、何か拙い事が起こると言っていたルミの言葉が、現実になったのだろうか。
三人目の神使は小さく息を吐くと、上空の竜群へと目を向けた。
「とりあえず、お叱りは後でたっぷりと受けると良いです。いずれにしても、これらを討滅してしまうのが先決でしょうし」
「ちょっと待ってよ。もしかして来てるの?
その言葉が、引き金であるかの様だった。
妨害しようという魂胆か、彼女の頭上に複数の
レヴィンは逸早くそれに気付き、カタナを振り上げ、迎撃しようと構えを取った。
銀髪の彼女は、そちらへチラリとも目を向けずに、驚くべき制御速度で魔術を完成させると、即座に解き放つ。
しかし、喰らい付く直前で、口を開いたまま空中で凍り付いた。
そのまま頭上に落下して来るより前に、竜が尻尾を振り回して吹き飛ばす。
淵魔の身体はそのまま空中で、地面へ落ちるより前に砕けて四散してしまった。
銀髪の彼女が何事かを竜へ言うと、一つ頷いては翼を大きく動かし宙を叩く。
再び颶風が巻き起こり、あっという間に上昇して行ってしまった。
何の気負いもなく、何の造作もなかった。
魔術は使いこなせば何より恐ろしいと、この世の誰でも知っている。
しかし、それが出来ないから、刻印という技術が生まれた。
魔術制御を間違えることなく正確に、そして素早く行使するのは理想とされつつ、同時に不可能と言われていたのだ。
扱いに長けた魔族でさえ困難で、人間には端から無理――理論上だけは可能、と思われて来た。
だからこその刻印であり、半自動的だからこそ、素早い行使も可能にしていた。
しかし、魔術の行使、魔力の制御と確度、その理想形と思われる存在を知って、レヴィンは感嘆と共に息を吐く。
神使とは、常人からかけ離れた存在だと認識しているが、あれ程の存在がいるとは夢にも思っていなかった。
「あれが、第三の神使様ですか……。凄いですね……」
「まるでアタシ達が凄くない、みたいな言い方じゃないの。……ぇえ?」
「いえ、決して! そういう意味で言ったつもりではなく!」
レヴィンは慌てて弁明したが、ルミも本気で絡もうとしていたわけでなかった。
すぐに皮肉げな笑みを浮かべて、竜の姿を目で追う。
「まぁ、得手不得手ってのがあるからねぇ。接近戦で言えば、ウチのアレに勝てるヤツなんかいないし……」
ルミは親指でリンを差す。
レヴィンは半ば、引き攣った笑みで頷いた。
それは誰しもが認める所だろう。
この世の誰より自信を持った戦士でさえ、彼女の前に立てば認識を改める。
「そして作戦の立案やら、敵の目的を看破して挫くのなら、アタシの出番って感じだったんだけど……」
そこまで調子の良かったルミの表情が、一気に鎮静した。
重い溜息をついた彼女の顔には、まるで幕を下ろしたかのように、その表情が暗くなる。
「ヤッバイわよねぇ……。どうにか誤魔化せないしら……」
「その……厳しい御方なのでしょうか、大神様は……」
「いや、そんなコトないわね。一方的な言い方なんかもしないし。前後の状況を汲み取って、出来るだけ正確に、公平な判断をしようとする。まぁ、大体のことには、やる気ないんだけど……」
「は、はぁ……」
何と言葉を返して良いか、非常に困る返答だった。
レヴィンとしては、勝手な思い込みで断罪しない良い神の様に聞こえたが、ルミの言い分は余りに不敬不遜だった。
互いに神使の関係ならば許される言い方でも、それが神――それも大神ともなれば、不興を買うだろう。
そのはずなのに、ルミが向ける大神への態度は、どこまでも気安かった。
「だから、公平な判断自体は疑ってないんだけど……。大変な大見得、切っちゃったからさぁ……」
「はぁ、大見得……」
「何を企んでようが、実行させない、出鼻を挫く……。そう
「大丈夫なんですか、それ……」
そもそもの理由は分からない。
しかし、神使が直接動いて何かする、という部分に事の重要性は感じられた。
何かを調査するにしろ、実行部隊を用意するにしろ、指示があれば動かせる人員が地上には溢れている。
それらを駆使すれば、より確実に捜査を進められた可能性があった。
今更言っても、詮無きことではある。
しかし、そこに怠慢――あるいは慢心があったからこそ、起こった事態だとすれば、確かにそれは咎めに値する。
ルミが今更ながらに気不味い態度を見せるのも、つまりそれが理由なのかもしれない。
「何とか誤魔化すしかないわよねぇ……。といっても、これを見られた後じゃ、何を言っても同じコトか……」
ルミは独白しながら、周囲を見渡した。
今や竜達が上空から一方的に攻撃を開始している。
それぞれが得意とするブレスを口から吐き出し、炎や雷、氷の蹂躙が巻き起こった。
決して手を出せない上空から、一方的に攻撃を加えられ、淵魔達は為す術もない。
時折、竜の頭上から淵魔が落ちてくるが、それら全て、魔術の障壁によって跳ね飛ばされていた。
これまでの苦戦が、嘘のような光景だった。
竜による救援とその逸話は、レヴィンも良く知っている。
そうした逸話は、多少なりと誇張が含まれているものだと思っていた。
しかし、目の前の光景は、聞いた逸話以上の脅威を知らしめている。
淵魔は命惜しさに逃げ出したりしない。
しかし、襲う事も出来ない距離を取られて、そのうえ一方的に攻撃されている状況は、まさしく蹂躙と言って良かった。
そこへ、一際大きな赤竜が上空を横切る。
大きく迂回し、レヴィン達の傍へとやって来た竜の頭には、一人の人物が立っていた。
冷たく見える瞳で一塊の集団を一瞥すると、再び上空へ戻って行く。
ただ茫然と見送る事しか出来ずにいると、自分の身体が燐光を纏っていると気付いた。
「あちゃー……、マジで来てるじゃないのよ……」
ルミが片手で目を覆って顎を上げる。
神の魔術か神力か、とにかく何かしらの加護で守られていると理解した瞬間、眩い光が視界一杯に埋め尽くされた。
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