反撃、逆転。そして…… その2
百の騎馬隊は、僅か十名程度の前半部と、残り九十名の後半部に分断された。
足を止めた騎馬は弱い。
不安定な馬上で武器は満足に振るえないのは、騎士たちも承知の上だ。
だから彼らも必死なのだが、周囲からは波のように
彼らは釣り堀の中に投げ入れられた、餌そのものだった。
上から飛び掛かる淵魔、下から喰らい付こうとする淵魔が、大きく口を開け、牙も剥き出しに喰らい付こうとする。
彼らも武器を振るって応戦していたが、形勢は全くの不利だった。
ヴィルゴットは必死になって剣を振り回し、身を捩りつつ叫ぶ。
「神使様、どうかお助けを! 何卒ッ!」
九十の騎馬隊は完全に包囲され、自力での脱出は不可能な状態だった。
そして救出しなければ、騎馬隊の突進力を失うだけでなく、馬の脚力を手に入れた淵魔から背後を襲われることにもなる。
言われるまでもなく、救出が必要な場面だった。
しかし、その為には残った十名もまた、足を止めて応戦しなければならない。
下手をすると救出も叶わず、更なる被害を出す可能性が高かった。
誰もが、その救出は無謀だと分かる。
突進力の失った騎兵など、淵魔にとっても良いカモだろう。
戦術的には、涙を飲んで見捨てる所だった。
「リン様、ご決断を!」
救出か、撤退か――。
促しているものの、答えは決まっている様なものだった。
リンは淵魔の数体を一度にかち上げながら、その右手を頭上で掲げて大きく二度回す。
旋回せよ、との合図だった。
付き従う十名の騎兵から、息を呑む気配が伝わる。
突進力を失うわけにはいかないので、少し直進を続けてから緩やかに進路が変更された。
その動きは、救援を待ちわびる仲間からすると、希望の軌跡に見えたはずだ。
「ですが、リン様! 救出し離脱させるには、どうしても足を止める必要が……ッ!」
「分かってる。だが、そうせざるを得ない!」
――狙い通りに踊らされている。
それがレヴィンに限らず、この場にいる全員の共通見解だった。
だとしても、既に命令を発せられたのなら従う他なく、後は一縷の望みに賭けるしかなかった。
それに、リンの考えも良く分かるのだ。
全員と言わずその多くを救出、離脱させられなければ、これからの戦闘継続は望めない。
神殿内で籠城するだけでは、全滅は必至だった。
稼ぐべき時間はまだ多く残っており、そしてその為には攻勢を行わなければならなかった。
騎馬を失ってしまうと、その攻勢も最早望めない。
敵中で孤立してしまう恐れがあろうと、攻勢に打って出られる戦力を失うなら、早晩決着は付いたも同然だった。
「勝利を掴まんとするなら! 彼らを救え! 淵魔に喰わせるなッ!」
普通なら無理としか思えぬ状況でも、神使の力は強大無比だった。
常人であれば淵魔に飲み込まれるしかない状況、本来ならば無謀な挑戦でしかない。
しかし、リンの武威とルミのフォローと魔術で、どうにか救出できそうだった。
レヴィンは必死の形相で馬を
自分のみならず、馬まで呼吸が荒く、また汗の量も多い。
限界が近いのは、嫌でも分かった。
それでも――どれ程か細く無謀な挑戦でも、やるしかないなら、やり切るしかないのだ。
「ウォォォオオオッ!」
淵魔に囲まれ、馬から落とされ、それでも奮戦している騎士達の救援は熾烈を極めた。
何処かで見ているアルケスにしろ、ここが正念場だと理解しているのだろう。
複数の
レヴィンが淵魔の一体を斬り伏せている横で、ヨエルとロヴィーサもそのサポートに回りつつ、淵魔を打ち倒す。
しかし、斬撃の合間に、倒れた仲間を助け起こす事もしなければならない。
落馬させられた者も多く、怪我で即座に騎乗出来ない者もいた。
むざむざ淵魔に喰われるのを、許してやる訳にもいかない。
遠くの
「くそっ! このままじゃ……!」
「言ってる場合じゃないぜ、若! とにかく、この窮地を何とか……!」
兵は順調に助けられていて、馬の犠牲も殆ど出ていない。
リンとルミという、神がかり的戦闘運用が、この窮地を救っていた。
しかし、中には二人乗りになって逃げる必要があり、それが更に馬の負担となっている。
甲冑を着込んだ男一人分の体重が加算されるので、突進力の喪失に繋がるだけでなく、馬の体力も保たない。
只でさえ、ここまでの奮戦に付き合い、疲れ切っていた馬達なのだ。
ここに来て更なる負担は、神殿まで無事撤退させられるか不安になる。
「……何とか逃がすしかない」
兵と馬は可能な限り助け出した。
この戦場にあって、それだけ救出できたのは奇跡と言って良かった。
しかし今度は、速力が低下した馬を、無事神殿まで無事辿り着かせる必要が生まれた。
「どうするのよ、やれる?」
「やるしかあるまい……!」
リンの表情と口調から、既に余裕は消えている。
不満もありありと表出していた。
もっと兵力がいれば、もっと淵魔の数が少なければ、もっと多くの準備が出来ていれば――。
もしもを考え出せばキリがない。
しかし、それらを胸の内に飲み込みながら、リンはメイスを振り上げる。
振り上げついでに周囲の
「遅れるなッ! 付いて来いッ!」
「オォゥッ!」
血みどろの顔に息を切らせ、疲労感を滲ませながらも、返事する声には力がある。
遠くから
方向的にレヴィンが受け持つしかなく、しかしここから活路を見出すのは容易でなかった。
リンをもってしても、彼らを無事引き連れながら逃げ出すのは、相当な苦労がある。
それをサポートすべきか、レヴィンの方へ助力すべきか、ルミは逡巡して動きを止める。
包囲している淵魔の層は余りにも厚く、新たに犠牲を出さないようにするだけで精一杯だった。
――救出に時間を掛けすぎた。
分かっていたことだが、取り残された兵は撒き餌でもあった。
それらへ襲い掛かっているその間に、淵魔はより厚い包囲網を完成させてしまっていた。
そして、即座に離脱できない間に、
なけなしの、最後の一回――。
「グゥゥゥ!!」
金属同士がぶつかる様な甲高い音が響き、刻印によって埋まれた防壁は砕けて消える。
刻印を使って防御したが、衝突の衝撃に息が詰まった。
悲痛な馬の嘶きが響き、馬体が揺らめく。
「くそッ! こいつは……!」
刻印を砕いた衝撃で、この淵魔がどれほど強力な個体かが分かった。
これまで見てきた淵魔と、十把一絡げにして良い相手ではない。
本当なら、馬から降りて本気で戦わなければならない
前方ではリンの焦りを伴う怒号と共に、メイスを振り回しているのが見える。
活路を開こうと、ルミもそこへ参戦しており、到底余裕などなかった。
淵魔は彼女ら二人に成す術なく砕かれるのだが、その物量は未だ健在だ。
掻き分け進む前に、生まれた穴は直ぐ埋まってしまう。
「若様! ご無事で!?」
「若――ッ!」
ロヴィーサとヨエルが援護にやって来る。
こちらに来るな、とレヴィンは言いたかった。
討滅士ではない兵達の援護に回らなければ、そこからすぐに崩れてしまう。
危険を冒して助けた甲斐もない。
しかし、彼ら二人にとって、大切なのは兵よりもレヴィンだった。
強力な
即座に焦る気持ちが最高潮に達したその時、キンッと金属同士がぶつかる音と共に、違和感が戦場全体を覆う。
何かが変わったと思わないのに、何かが違うとだけは分かる。
それは不思議な感覚だった。
レヴィンは殴り掛かって来る
ロヴィーサも
「ちょっと、まさか……! まだ日が昇ってないじゃない……!」
ルミが顔を上げて、驚愕する声を絞り出しつつ、淵魔を右へ左へと斬り伏せる。
彼女にしても、リンにしても、この異常が何か、既に察しが付いているようだった。
知っているからこそ、その態度なのだと、表情からも察しが付く。
「ルミ様、一体なにが……!?」
「えぇ? 見て分かんない? 結界が張られたのよ!」
ルミは分かって当然、と言わんばかりの態度で切って捨てた。
しかし、結界と言われてレヴィンに思い付くのは、ごく限定的な防御壁、というイメージだった。
術者、あるいはその仲間の周囲に築くもので、半透明の膜にも似た壁が形成される。
範囲としては、大きくとも家屋を囲える程度でしかなく、実際の防御力や継続時間は術者本人の魔力に依存する。
堅固であるのは確かだが、自らの動きも封じる前提の魔術だった。
咄嗟の籠城として意味があっても、窮地を脱するには足りない。
この場で使われて意味があるのか、と
だが、そもそもそんな膜など周囲にないと、レヴィンはすぐに気付いた。
「結界なんてどこに……ッ!?」
「来るのが早すぎる! 救援は助かるけど――向こうで何かあったの?」
待ち焦がれていた救援だ。
しかし、予定より早すぎる救援でもあった。
レヴィンは素直に助かるとしか思っていなかったが、ルミは別の懸念があるようだった。
何を思い悩む必要があるのか、それを訊きたいと思った次の瞬間、これまでとは質の違う猛攻が襲い掛かってきた。
まるで淵魔の方こそ、追い立てられているかのようだ。
形勢は淵魔側が圧倒的に有利――だというのに、この猛攻には明確な焦りが感じられた。
そして、それが事実だと、その直後に分かった。
それはまるで、静謐な朝の湖に、一粒の水滴が落ちたかのようだった。
乱戦で轟く戦場に、明確な音として周囲へ響き渡る。
その水音が耳を拾ったかと思うと、周囲一帯が一瞬にして凍り付いた。
レヴィン達を中心として、何かが起こったのは間違いなかった。
凍り付いた淵魔それ自体が壁となり、後ろから襲いかかろうとする奴らの邪魔となっている。
余りに唐突な出来事に、ロヴィーサもまた状況を理解出来ないでいる。
「いったい、何が……」
「何であるにしろ、強大な魔術が使用されたのは間違いない……」
「淵魔だけを的確に? 私達を除いて……?」
凍り付いて固まっているのは、全て淵魔だけだった。
それ以外の者全て、巻き込まれた者は一人としていない。
どれほど高度に魔術を制御すれば、これ程の芸当が出来るだろう。
人に出来るものとは思えない。
しかし、それはここに神使がいる時点で、答えが出たようなものだった。
人には無理でも、人ならざる――より上位の存在ならば出来る。
「あぁ、来たわね……」
ルミが顔を上に向けると、そこには竜の群れが飛んでいた。
その先頭を飛ぶ竜の頭には、一つの人影が立っている。
魔力の燐光が収まるところを見ると、その人影が魔術を行使したのは間違いないらしい。
人を頭に乗せた竜が、颶風を巻き起こしながら接近して、低い位置で停止する。
銀髪を靡かせた美女が、身の丈程の杖を突き出した格好のまま、無言でレヴィン達を睥睨していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます