未知の世界 その2
「うぐ、おごっ……!」
「あだ……!」
「うっ……!」
レヴィンが転げ落ちた後に続き、ヨエルとロヴィーサも、折り重なる様に積み上がった。
その下敷きとなったレヴィンは、全員分の体重に耐えながらヨエルを睨む。
「悪いが、とっとと退いてくれないか……っ」
「も、申し訳ありません、若様……!」
ロヴィーサは肩に抱いたままのアイナを、怪我させないよう気遣いながら即座に退いた。
その迅速な対応にレヴィンは謝意の視線を送ると、次にヨエルへ鋭い視線を送る。
何しろ彼の大剣は、それ一本で優に大人一人分の重量がある。
ヨエル一人で、二人以上の重量が加算されているのと変わらない。
だというのに、ヨエルは重なった体勢のまま前方を見て固まって、動こうとしなかったのだ。
「……あぁいや、すまん。わざとじゃねぇんだよ……。だって、ホラ……。見てみろよ」
ヨエルも身体をどかした後、手を差し伸べてレヴィンを起こす。
そして、首を巡らせ示した周囲には、全く見慣れぬ光景が広がっていた。
そこは薄暗く、光すらろくに差し込まない細い
しかし、それは天候や時間からの問題ではない。
高い建物が左右に並び、空が狭く見通しの悪さから、まるで圧迫されているような錯覚さえ覚えた。
レヴィン達からすると、ただ灰色で無機質、生の気配が皆無という、地獄の様な光景に見える。
しかし、少し離れた前方にいる神と神使達は、そうした中にあっても、変わらず緊張感が皆無だった。
簡単に最低限の警戒は向けているものの、それ以上の動きを見せない。
とりあえず、合流する方が良いだろうと思い始めた時、それまで意識薄弱だったアイナが顔を上げた。
そこには驚愕と共に、感動に近い表情が浮かんでいる。
「こ、ここは……!」
誰よりその光景に驚いていたのは、アイナに違いなかっただろう。
そして、驚きの種類も大きく違った。
レヴィン達は未知の物に対する驚愕だが、アイナの場合は既知に対する驚喜だった。
大きく目を見開いて、ゆっくりと周囲を見渡し、それから空を見上げて感涙に咽びそうになっている。
「帰って……。帰って、これた……?」
「ここ……、本当にアイナの故郷か? なんつー所だよ……、なんて言ったら怒られるか」
何しろ、ここには何も無い。
ただ前後を貫く路と、塀のように突き上がる灰色の建物。
嗅いだことのない異臭が蔓延り、遠くない場所からは、絶えず聞き覚えのない異音が流れていた。
それの多くは、何かが通り過ぎていく音だ。
ただそれだけは判別できたが、何が通り過ぎていくのかまで想像できなかった。
獣の類ではない。
そうした動物的な何かが立てる音ではなかった。
想像の範疇から逸脱していて、それがこの世界特有の魔物が出す音なのか、それとも他の何かなのすら、判別不可能だった。
ヨエルやロヴィーサも、当然それらの音には当然気付いている。
そして、それが何か分からず困惑している事も、レヴィンと共通していた。
「なぁ、アイナ……。急なことで混乱しているだろうし、何が起きてるかも不明だろうが……」
「い、いえ……、何が起きていたかは覚えています。靄が掛かったみたいで曖昧な部分はありますけど、記憶はちゃんとありますので……」
「そうなのか……。事情の説明が省けて助かるが、それなら教えて欲しい。ここが……、ここはアイナの故郷で間違いないのか?」
問われてアイナは、しかと頷く。
その誤解ない態度を見ても、レヴィンからすると、到底信じられない気持ちが強かった。
こんな世界で――。
そう思えてしまうのは、レヴィン達が生きた世界と余りに価値観が違い過ぎるからだろうか。
しかし同時に、いつだったかアイナが、自分の世界を知ったら驚く、とも言っていたのを思い出していた。
それでレヴィンは、改めて周囲を見回す。
確かにこれを見れば、驚かざるを得ない。
そして、レヴィンは全く身勝手な想像をしていたのだと、今更ながらに自覚した。
どこか平和的で理知的なアイナの故郷だから、同様に平和的な世界から来たのだと思い込んでいた。
「変な場所、と思われるのは仕方ないと思います。ここ多分、裏路地ですから」
「多分……? 見覚えがある場所だから、驚いてたりしたんじゃないのか?」
「いえ、違います。そういう事ではなく……。どこにでも、というと語弊ありますけど、こういう裏路地って結構あちこちに在りますから……。それにこんな光景、あちらの世界にないと思いますし……」
それはレヴィンにとっても、受け入れやすい事実として突き刺さった。
世界を広く知っていると言えずとも、大陸の外にさえ、こんな光景はないに違いない――。
そう思えるだけの根拠が、目に映る随所に見え隠れしている。
その時、ふとアイナが通路の奥へと目を向けると、レヴィンもそれにつられて顔を向けた。
そちらでは、御方々が悠々とした足取りで、今まさに近付いて来る所だった。
アイナは目に見えて緊張し、肩を強張らせ、口の端を引き絞って到着を待っている。
まるで、死刑を言い渡される直前の囚人の様にも見え、そして、レヴィンはそれを当然とも思った。
――神に直接、その武器を向けたのだ。
剣の類ではなく神器ではあるが、やったことは明白だ。
アルケスに利用されていただけ、という言い分が、この場合、通用するかも分からない。
何しろ、こうした事態への発端となったのは、間違いなくアイナの一撃からだった。
そして、トドメを刺したのも同様だった。
怒りを覚えられて当然で、この場で処断する、と言われても文句は言えない。
レヴィンは間違いなく敬虔な大神信者だが、もしもそのつもりあるならば、慈悲に縋れないか交渉するつもりでいた。
神への嘆願は、簡単な事ではない。
その言葉一つで、レヴィンもまた連座となる可能性すらある。
しかし、アイナを巻き込んだ一人として、レヴィンには彼女に対して責任があった。
たとえ神の御前であっても、それを蔑ろにするつもりは、毛頭なかった。
大神が先頭となって、レヴィンの五歩前で足を止める。
レヴィンがまず深く一礼しようとした時、その手を小さく上げて止められた。
何も言うな、という意思表示でもあり、レヴィンはいきなり出鼻を挫かれ硬直する。
しかし、アイナはそれが目に入っていなかったらしい。
極度に緊張した様子で、その場に平伏し、大きく頭を下げた。
「こ、この度は、ほ、本当に申し訳ありませんでした! わ、わ……私は!」
「――いいから。別に怒っちゃいない」
アイナは緊張の余り、舌もろくに回っていない。
しかし、最初から聞く気を持っていない
それでも、アイナは黙っておられず、なお顔を上げて食い下がった。
「しかし、オミカゲ様……!」
「お、オミ……?」
その呼び名に、困惑した声を上げたのはレヴィンだった。
初めて
しかし、なぜ彼女がそんな呼び名をするのか、レヴィンには全く理解できなかった。
過去、大神レジスクラディスを、そうして呼び習わした事実はない。
だというのに、大神は深く理解した表情で、手を上下に振る。
そうしてから、困った様な笑みを浮かべた。
「その名を知っているなら、やはり間違いないと思って良いんだろうな。かといって、お前を即座に開放すべきかは迷うところだが」
「何で――あ! いえ、失礼しました。どうか、その御深慮の程、お聞かせ願えませんでしょうか?」
咄嗟に出してしまった言葉を、慌てて言い直しても、もう遅い。
厳しい叱咤が飛ぶと覚悟し、背筋を伸ばして身構えていたが、いつまで経っても音沙汰がなかった。
沈黙に耐え兼ねて、そっと盗み見してみれば、全く気にした素振りを見せていない。
どこか拍子抜けした気分でいると、その質問には大神の隣にいたユミルが、気軽な調子で代わりに答えた。
「専門的な話をしても、アンタにはどうせ分からないだろうし、説明する義理だってないんだけど……。でもまぁ、説明は必要かしらね。下手すると、そのコが拉致された時間より、もっと以前に来ている可能性もあるからさぁ……」
「え……、タイムスリップしてるとか、そういう可能性もあるって事ですか……!?」
レヴィンにとっては耳馴染みのない単語だったが、アイナには十分理解の及ぶものだったらしい。
驚いた声を出して、顔を仰け反らせている。
それをユミルは曖昧に頷いて肯定した。
「アンタの生きた時間を正確に知らないから、今はそうかも、としか言えないけど……。でも、アンタって理力持ちでしょ? 神宮を襲った大事件の前後から、やって来た可能性は大きいのよね」
「何故、でしょうか……?」
「魔力が大きい程、『孔』を通るのに制限を食らうから。で、アタシ達が通れた以上、今は穴が最大まで拡がった『大戦』以降って話になる。それ以前は、孔の大きさが足りてないの。だから、こうして無事に通過した以上、現在の年代はある程度まで絞られるんだけど……」
「大戦……? 大戦って、一体……」
アイナが眉を顰めると、今度は一転して興味深そうな顔付きになる。
「あら、知らない? 神宮で起きた、そっちの世界じゃ相当有名な事件よ。正確には『神宮事変』って呼ばれてて、真偽を巡ってあれこれ憶測も多く飛んだとも聞いてるわ」
「し、知りませんよ! 神宮って、御影神宮って意味ですよね? そんな事になってたら、知らないはずないじゃないですか!」
「そうよねぇ……。じゃあ、アンタはそれが起きる以前から来た人間ってコトね。自分が居なくなった日付、今でも覚えてる? 大抵の場合、ショックで記憶が曖昧なのよね」
これには、少しの迷いがあってからアイナは答えた。
「二〇二一年、八月二十日です。多分、そうだったと思います」
「あら、じゃあ大戦の半年前か……。まぁ、理力の大きさを鑑みて、孔の拡大が始まり出した時期って思えば……有り得る話かしらね。神器を使わせるって役を与えられたんなら、本当に単なる一般人より、理力持ちの方が色々都合良いし」
「それだけが理由じゃないでしょう」
これには銀髪の魔術士から言葉が飛んで、目を細めた値踏みする表情で言って来た。
「特筆すべきものでなくとも、理力を扱う訓練は受けているようですから。つまりオミカゲ様の所有物って扱いな訳で、ならば無事に帰してやりたいと思うのが、うちの神様じゃないですか。いの一番に攻撃されたのに、放置していたのもそれが理由でしょう?」
「一体、……一体、何を知ってるんですか? 余りにも、こちらの世界に詳し過ぎませんか……?」
「素直に答えてやっても良いんだけどねぇ……」
悪戯好きそうな笑みで言葉を濁し、それから傍らの大神へと視線を移す。
即答の期待はしかし、当の神が首を横に振る事で潰えた。
「こんな所で長話か? どうせなら場所を変えたい。まず移動してしまおう。うるさいのが来る前にな」
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