第三章

未知の世界 その1

 アルケスに落とされた『孔』の中は、どこまでも続くかと思われる、暗い空間だった。

 接地感がなく、身体は宙に浮いていても、どこか一方へ流されていると体感で分かる。


 それは、たとえば川に流されている感覚に似ていて、レヴィンはとにかく手足を振り回した。

 どこか掴める物はないか、足に引っ掛かる物がないか試してみたが、それら全て徒労に終わった。


 ただ、救いがあったとするなら、その前方に神と神使がいることだ。

 彼女らに動揺した所は見られず、ただ流れに身を任せていた。


 その様な姿を見せられれば、即座に危険がないとも分かる。

 それでレヴィンは、ようやく背後を気に掛ける余裕が生まれた。


「アイナは……、皆は無事か……!?」


「あぁ、若。こっちは大丈夫だ、とりあえずな」


「アイナさんも、気絶しているだけで、それ以外は何ともないようです。しかし……」


 ロヴィーサはアイナを抱き寄せて、心配そうに見つめていたが、次に周囲へ視線を巡らす。


「ここは一体、何なのでしょうか。アルケスめは、アイナさんを返す、と言ってましたが……」


「あちらの神にお尋ねすれば、何か分かるんじゃねぇのか。様子に動揺が無さ過ぎる。流れに身を委ねる姿といい、貫禄があるなんて話じゃ済まねぇだろ」


「こういう事態に、慣れている感じすらしますね。この……通路、とでも呼べば良いのでしょうか? ここを通過した経験があるのかもしれません」


「……いや、しかし……。あり得るのか、そんなことが?」


 レヴィンは改めて、少し前方を行く神と神使の一行を見つめる。

 そこにはヨエルやロヴィーサの言う通り、不測の事態だというのに、全く緊張を感じさせない様子が見られた。


 腕を組んでまんじりともしない姿であったり、あるいは肘を付いて横になっている姿もあって、この状況を楽しんでいる様にすら見えた。


 その様な姿を見せられたは、頼もしいと思うより、むしろ不安になる。

 何より、この異質な空間こそ意味不明で、どこへ繋がっているかも不明なのだ。


 余裕を見せられる、その姿こそがレヴィンには理解不能だった。

 レヴィンは改めて背後へ顔を戻し、ヨエルの目を見つめて言った。


「……確かに、不思議と慣れてる雰囲気は感じさせるな。というよりは、むしろ開き直りの心境なのかもしれないが……」


「大体、今さっき大神様が敗北した……多分、したという事になるんだろう……? この何もない空間に落とされたのだとしたら、一生ここから出られない、という可能性も……」


「いえ、それはないと思います」


 ロヴィーサは首を振って断言したが、レヴィンはそう楽観的になれなかった。

 浮遊している身体が、何処かへ流れている感じは確かにある。

 しかし、だからといって、出口があるとは限らない。


 永遠にこの暗い場所を回り続ける可能性の方が、高いくらいだと思っていた。

 そもそも、閉じ込めたのなら、そこから出してやる理由こそがない。


 邪魔だと思っているのなら、それも尚のことだった。

 その意を汲み取ってか、ロヴィーサはレヴィンの背後へ――神のいる方向へと指を向ける。


「今はまだ点に過ぎませんが、確かに光が見えます。そして私達は停滞しているのではなく、進行している……。神と神使の御方々に動揺がないのも、出口に向かっている確信があってこそなのではないでしょうか?」


 指摘されてレヴィンが正面を向くと、そこには確かに光の点らしきものが見えていた。

 神と神使の姿に気を取られて、その更に奥まで見ていなかったが、どうやらその光点に向かって移動しているのは間違いないらしい。


「それに、これは信じて良いのか分かりませんが……。アルケスは、アイナさんを帰してやる、と言っていたんです。ここは、アイナさんの世界へ繋がる通路……。ですから、とりあえずそう考えて、良いのではないでしょうか」


「今更、アイツの口から出た言葉なんか、信用なるものか!」


 ヨエルが今にも唾吐くような気炎を上げて、大いに顔を顰めた。

 ロヴィーサは大いに同意した後、労るような視線を肩に抱いたアイナへ視線を向けた。


「無論、頭からあの言葉を信用できるものではありません。自分たちに都合よく盲信するつもりも……。ただ、本当に閉じ込められたのだとしたら、御方々も何か動きを見せるのだと思うのです。光点が徐々に大きくなっていますし、まず外へ通じていると考えて、良いのでは……」


「まぁ、通じているに越したことはねぇよ。この空間が閉じ込める為のものじゃない、って思っても良いのかもな。でも、繋がった先は魔物さえ棲息できない、不毛の地ってオチじゃねぇのか」


「それもまた、あり得ます」


「どこに繋がっているにしろ、今は流れに任せて待つしかない。だから、あの方々も動きを見せないだけかもしれないな……」


 むしろ、余裕を見せる理由は、それなのではないかと、レヴィンには思えた。

 悪意の塊となって、ぶつかって来たアルケスだ。

 その最後の最後で、温情を見せるとは考え難い。


 百年以上も前から計画を始め、本来の姿を隠して暗躍し、多くを偽り利用して、そうして遂に悲願を果たした。

 だというのに、大神を世界から追い落とすだけで満足するだろうか。


 真なる神として降臨するつもりのアルケスは、そこで更なる大望を実現しようとするだろう。

 神の思うまま、気の向くままに、世界を蹂躙するつもりかもしれない。


 そう思うと、レヴィンは腸が煮えくり返る思いもする。

 到底それだけでは足りず、感情も制御できず、黙っていられず身体を遮二無二動かす。

 だが、どう動かそうとも、手足は何かに引っ掛かることもなく、結局更にもどかしくなるだけだった。


「くそ……っ!」


 アルケスが具体的に何をするつもりか、レヴィンには知る由もない。

 しかし、こうしている間にも、アルケスが世界とそこに住む者に対して、悲惨な何かを強いている様に思えてならなかった。


 当然、それはレヴィンの家族や、その領民にも降りかかるだろう。

 ――それが許せない。

 そして、それを止められる状況にない自分が許せなかった。


 レヴィンは悔しげに前方を睨む。

 そこには相変わらず、緊張を感じさせない御方々が流れに身を任せていた。

 神と神使がその様子、というのが、尚のことレヴィンの胸を掻き毟る。


 信じたい――信じられる相手だと、そこに御わすは紛れもない神だと理解している。

 だというのに、事態を正確に把握していない様に見えて、それがレヴィンの不安を煽るのだった。


「なぁ……、大丈夫だと思うか?」


「若様の不安も、ご尤もだと思います。ですが、今は何をするにも待つしかないかと……」


「なぁ、若……。焦って当然だろうが、ここには大神様がいらっしゃるんだ。大船に乗ったつもりで良いだろうさ」


「そう思う……いや、思いたい。そう、なんだが……」


 レヴィンは素直に頷けず、言葉を濁した。

 前方を盗み見てみれば、その大神こそが、光点に背を向けた格好で腕を組んでいた。


 横這いになった精霊の腹を枕代わりにしていて、まるで優雅に昼寝でもしているかのようだ。

 もしも、かの神や神使らが、この状況を打開しようと動いていたなら、焦る気持ちなど持たなかった。


 手を振り回し、足を動かしても、互いの距離も縮まないので、今は静観するしかなく――。

 ただ、ヤキモキする気持ちばかりを募らされてしまう。


 焦るばかりでは気が疲れ、体力まで無駄に消耗する。

 それぐらいなら、神と神使がそうしているように、深く考えない方がきっと良いのだろう。


 そう思えるのに、あくまで思うまでに留まった。

 そこまで達観できるほど、レヴィンは人間が成熟していない。


 やるせない思いを溜め息で追い出して、改めて背後へ向き直る。

 そうして、今も気絶しているアイナを見た。


「大丈夫なのか、アイナは……?」


「脈拍も、呼吸も正常ですから、恐らく問題ないでしょう。あの時は強制的に意識を支配されて、身体を勝手に動かされていた状態だった、と推測します。今はそれから解放されているので、切っ掛けさえあれば、すぐにでも気付くのではないでしょうか」


「後遺症とか、そういうのは?」


「そこまでは何とも……。それこそ、専門家でなければ分からぬ事でしょう。場合によっては、精神汚染などを残す、などと言いますが……」


 ロヴィーサは難しく頭を捻り、それから労わる様に、アイナの肩を撫でた。

 実際、どれほど精神的負荷が掛けられた状態だったのか、それは本人にしか分からない。

 そして、本人であっても、正確な所までは分からないものだ。


 条件付けで発動する洗脳も、一つだけだったと断定できるものではない。

 現状がアルケスの目論見どおりであるなら、それ以上の事はないと思いたいが、それもまた希望的な憶測にしかならなかった。


「無事かどうか、問題ないかどうか、まず本人が目覚めてみなければどうしようもないと思います。どうせ考えるなら、出口の先を心配した方が良いかと……」


「これから何処へ出るにしろ、そこがもし本当にアイナの故郷なら、本人に確認して貰うのが一番だろうな……」


「帰郷……。アイナにとっては念願の……、って事になるんだろうが……。こんな形で帰郷ってのも、本人的には複雑じゃねぇかな」


「そうだな……」


 その時、アイナが小さな呻きを上げて、その瞼を震わせた。


「う……」


「アイナ? 目が覚めたか……?」


 レヴィンが伺う様に顔を近付けさせようとしたが、実際には距離を縮められず、その場で顔を傾げる様な形になってしまった。

 何とか格好だけでも付けようとしたが、それより前にロヴィーサから注意が飛ぶ。


「若様、前を……! 光点が!」


 言われて正面へ向き直ると、驚く程の速さで光が迫っていた。

 点と思われていたものは、もはや大きな穴にまでなっており、大神などは今まさに、その光へ飲み込まれようとしている。


 レヴィンは顔を覆うように両腕で防御し、ロヴィーサはアイナを強く抱き留めながらマルクなる。

 その次の瞬間に、レヴィン達は光の中へ身を投じ、そうして宙から投げ出された。

 浮遊感は消え去り、代わりに重力が身体に圧し掛かる。


 突然のことで上手く着地できず、そのまま地面へ放り出された。

 肩から落ちて、咄嗟に受け身を取って衝撃は逃がしたものの、痛みに顔を顰める間もなくヨエル達が降って来た。


 レヴィンはそれらを躱すことも出来ず、彼らの下敷きとなるがまま呻き声を上げた。

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