決死の防衛 その4

 刻印・理術部隊を助け出したからといって、即座に戦況が好転する訳でもなかった。


 何しろ彼らは、数多の淵魔を受け止めるのに精一杯で、魔力の多くを失い、疲弊していた。


 手持ちの水薬も切れており、理術部隊は魔蛇を倒すのにも多大な消耗を強いられたのだ。


 昏倒する者が出ていないだけ、上等とも言えた。

 しかし、無垢サクリスばかりとはいえ、淵魔の勢いは留まることを知らなかった。

 

「既に半数近くは削ったと思うが……! 一体、どれだけやってくるんだ……!」


 部隊を救出するなり、再び城壁へと戻りながら、レヴィンは悪態をついた。

 弱気になっているのではない。


 しかし、文句の一つも言ってやらねば、気が収まらなかった。


「全くだぜ、クソッ! 昼休憩くらいしろよ! 勤勉すぎて涙が出らぁ!」


「あぁ、確かに腹が減ったな……!」


 朝の日の出を拝んでからこちら、常に戦い通しで、ろくに休憩を取る暇もなかった。


 水薬でスタミナは回復しても、腹までは膨れない。

 そして今、日は中天を大きく過ぎ去り、夕刻へと迫ろうとしていた。


「だが、奴らをここで食い止めなければ、飯を食えないどころか……明日の朝日も拝めない!」


「ここが踏ん張りどころですよ、ヨエル!」


「分かってらァ!」


「支援、掛け直します! 皆さん、頑張って!」


 その言葉通り、アイナから各種支援が飛んで来て、レヴィンの身体が軽くなった。

 そうして結希乃の所へ合流すると、城壁に空いたもう一つの穴を指しながら、吠える様に声を飛ばす。


「こちら、受け持ちます!」


「助かります。あちらもギリギリだった所でしょう」


 見た通り、結希乃の隊士もよく粘っているが、物量差というものは時に一戦力を押し潰す。


 そして、拮抗した時点で最早、勝ち目がなくなると言って良かった。

 結希乃とその部隊が救援に入ることで、傾きかけた天秤が元に戻る。


 防衛側は、一時歩廊を奪われはしたものの、ようやく戦況を五分に戻す事に成功した。


「しかし……!」


 城壁に空いた穴から、外の光景を見えしまい、レヴィンは後悔した。


 未だ溢れんばかりの淵魔が殺到しており、それが押し合いし合い、城壁目掛けて迫って来ている。


 一時は地平線まで埋まって見えた事を思えば、確かに数は半減していたかもしれない。


 しかし、今は頼りになる魔術の砲撃的援護もなく、剣と槍でこれを迎え撃たねばならなかった。


 ドラゴンも空を旋回してくれているが、息吹の数はめっきりと減った。


 エネルギーの放出だから当然なのかもしれないが、ドラゴンにも疲れが出ているらしい。


 人間だけでなく、ドラゴンも働き通しの決戦続きだ。

 辺境領での活躍を思えば、ここで息切れするのも当然だと言えた。


 だが、そうだとしても、今だけはもっと援護を、と求めてしまう。


 ――もっと火力を……。

 ――もっと助けを……!


「まだなのか……っ!」


 レヴィンは焦りを胸の奥に仕舞おうとしていたが、それでも抑えられず溢れ出る。


 この戦いは、最初からレヴィン達防衛側が、全ての淵魔を退けることが目的ではなかった。


 ミレイユが刺客を倒し、結界が解除されるまで、この場を死守しておくことだ。

 だからと言って、神よ全てを救い給え、と懇願したいのではない。


 とはいえ現実問題として、レヴィン達を含めた僅かな兵数で、全てを守り切るのは不可能だった。


 だから今は、ミレイユの参戦を何より切望していた。

 ――だというのに。

 

「……ここに来て、か……!」


「クソッタレめ……!」


 レヴィンだけでなく、ヨエルからの口からも悪態が漏れる。

 城壁を越して覗く淵魔の頭が、その視界に入ったからだった。


 それも、単なる淵魔ではない。

 先ほど倒したばかりの混合体ミクストラ――、魔蛇がもう一体、ここに来て追加されたのだ。


「頼みの綱の理術部隊は……!?」


 淵魔を斬り伏せながら、背後を窺う。

 既に制御を始めている姿は目に出来たが、術の規模が明らかに小さい。


 あの時の、一方的で圧倒的な理術を、使えるだけの余力は残っていないのだと……それで察した。


「ならば、俺達で……!」


 口に出したものの、即座に冷静な部分が否定する。

 魔蛇を剣で打ち負かすには、相手が巨体過ぎる、と先は断念した筈だ。


 それこそ、アヴェリン並の力量を持つならともかく、今のレヴィン達では一蹴されて終わりだろう。


「しかし……、他に……!」


 ……他に手がない。

 そう思うのと同時に、この持ち場はどうする、という問題も浮上する。


 一撃で倒せるならまだしも、激戦は免れないだろう。

 そして、その間の防衛戦では、間違いなく押される。


 魔蛇を倒す以前に防衛は決壊し、そこから連鎖的に瓦解するに違いない。

 レヴィン達を抜きにして、この場の堅守は適わず、どちらに重きを置いても無理が出る。


 ――敗北。

 その一言がレヴィンの脳裏を掠め、恐れが背筋を走った。


 それは許容できない。

 レヴィン達の敗北は、ロシュ大神殿の陥落に等しい。


 そして、それはこの地に淵魔が蔓延することを意味した。

 いち兵士の死亡、いち拠点の陥落で済まないから、レヴィンは敗北を恐れる。


 ――どうする。


「せめて、魔蛇だけでも仕留めるべきか……!?」


 後の戦況を考えれば、その方が良い様に思える。

 神殿の中にはユミルが詰めているし、最終的にはそこで無垢サクリスの侵攻は止められる筈だ。


 しかし、魔蛇は建物ごと倒壊させる力を持つ。

 排除するなら、やはりこちらを優先すべき、とレヴィンは判断した。


 ――その時。

 空を疾駆して上空を駆け抜け、魔蛇に駆け寄る影が見えた。


「あれは……!」


 巨大な炎の塊が、獣の姿を取って魔蛇に体当たりする。

 それと同時に大爆発が起こると、その喉元辺りから全てを消し飛ばした。


「ぐぅぅ……っ!?」


 爆発の余波で、レヴィンは顔を庇って爆風を凌いだ。

 魔蛇のすぐ傍にいた淵魔は、その爆風に煽られ吹き飛んでいる。


 肌を焦がす爆風が過ぎ去ってから、レヴィンはようやく爆発の中心に目をやって、その正体を目にした。


「あれは……、ミレイユ様の……神獣」


 炎の中から姿を現したのは、よくミレイユが肘掛け代わりにしている、あの神獣で間違いなかった。


 大抵は澄まし顔をしている姿ばかり印象にあるが、今は敵意を漲らせ、低く唸りながら牙を見せている。


「ガァァウッ!」


 鋭く雄叫びを一つ上げると、白い毛並みが炎へと変貌した。

 そのまま砕けた頭部へ突っ込み、残った胴体を食い破るように直進する。


 魔蛇は為す術なく、身体を中心から引き裂かれ、あっという間に全身を焼かれてしまった。


 何程の苦労もなく、ほぼ出現と共に討滅されて、レヴィンの口から乾いた笑みが漏れた。


「倒された事には、何の文句もないんだが……」


「流石、ミレイユ様が傍に置くだけある……って事なんかね」


 一度は死を覚悟したが、それがあっさりと覆って、気持ちの置き場が無くなってしまった。


 だが、強く望んだ救援があって、喜ばない筈がない。

 レヴィンは結界が張られた中庭へと目を向けた。


「ミレイユ様は……!?」


 しかし、結界は依然として変わりなく、今も無機質に展開し続けるのみだ。

 既に決着したと期待したが、どうやら戦力の一つを貸し出してくれただけらしい。


 僅かに落胆を感じたが、即座に気持ちを切り替える。

 何れにしても、窮地から脱した事実は変わらない。


「よしッ! まだ戦えるな!」


「当たり前だぜ、若!」


「どこまでも、お供致します」


「び、微力ながら……!」


 それぞれから返事があって、レヴィンは不敵な笑みを浮かべながら、カタナを柄を強く握る。

 未だ溢れる勢いの淵魔に、鋭い気合と共に斬り掛かった。



  ※※※



 それからの戦いは、神獣の独壇場と言って良かった。

 元より、ミレイユの魔力を糧として育った強力な精霊だ。


 戦場を縦横無尽に飛び回り、触れる端から淵魔を討滅していくようなものだった。

 淵魔は触れられず、喰らいつこうとも逆に燃やされ、一方的な蹂躙が繰り広げられていた。


 城壁近くでそうした戦いが繰り広げられているから、歩廊で戦うレヴィン達への圧力も自然と弱まった。


 余力が生まれれば、倒し続けることは変わらずとも、勝利が近付くのを感じられる。

 部隊の兵達の士気も戻り、目に活力が宿った。


「神獣サマサマだな、これは」


「今のところ、他に混合体ミクストラらしき姿も見えねぇ。数も順調に削れてる。……まずまず、良いところじゃないか?」


「順番に交代させる余裕すら、ここで出来たのは嬉しいですね。あのままでは、たとえ魔蛇がおらずとも潰れていました」


「……あたしの方も、そろそろ水薬が心許ないところです。支援は控え目で構いませんか?」


 城壁の下、今も神獣が元気よく駆け回り、蹂躙して回っている姿を見て、レヴィンは首肯を返す。


「あぁ、いいぞ。次の補給がいつになるか分からないし、今はちょっと休ませておこう」


 アイナが疲れた顔で、ホッと息を吐いた時だった。

 背後から何か強い気配を感じ、咄嗟に振り返ると結界が消え失せる所だった。


 そうして、空中で飛んでいた赤竜がその元に駆け付けると、ミレイユを乗せて再び飛び上がる。


「ミレイユ様……!」


 待ちに待った瞬間が、遂に訪れたのだ。

 だがここで、安心から隙が生まれないよう自制する。


 レヴィンはまたも登って来た一体の淵魔を、油断なくそのカタナで斬り伏せた。

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