決死の防衛 その5
ミレイユとルチアによる魔術は、戦場を迅速に支配した。
これまでレヴィン達が必死に守り通して来たものなど、神の力の前では、腕の一振りで決着してしまうものらしい。
いっそ、これまでの攻防戦は何だったのかと嘆きたくなる程、淵魔はいとも簡単に討滅された。
打ち漏らしがないよう周囲一帯を結界で囲い、それを縮小させることで、隠れた淵魔を強制的に引き摺り出す程の徹底ぶりだ。
そして、これだけの圧倒的力を持つのだから、敵がまずミレイユを攻撃したのは当然の判断だったろう。
留め置いている間に、神殿を落とせれば淵魔の勝利。
淵魔を留めている間に、ミレイユが参戦できれば人間の勝利。
これはそういう勝負、と言って過言ではなかった。
『ウワァァァァ……!!』
そうして、淵魔の全てが城壁前から消え去ったのを確認して、兵達の間から歓声と勝鬨が上がった。
この時にはヴィルゴットも戦線に復帰していて、誰より先頭に立って剣を振り上げている。
『おぉ、
『偉大なる力に! 偉大なる存在に!』
『守り給え! 我らを守り給え!』
口々に神を賛美する声が響き渡る。
最後にはレヴィンもそれに参加したのだが、幾らもせず赤竜が戻って来ると、中庭へ降り立った。
ヴィルゴットが先頭になって兵は整列し、そこへ結希乃とその隊士、鬼族、そしてレヴィン達が並ぶ。
神殿からも後詰めとして残っていたユミルや、物資の保管や供給を指揮していた神官長が出て来た。
部下たちを引き連れ、兵達の後ろに並ぶ。
全員の整列が終わったのを見ると、ミレイユは赤竜の頭の上で、全員を見渡してから口を開いた。
「皆、よく戦い、よくこの窮地を退けてくれた。この地を庇護する神として、その奮戦を称え、また感謝しよう」
ヴィルゴットが深く一礼すると、それに続いて全員が頭を下げた。
しっかりと五秒下げ続けてから、再び直立の姿勢に戻る。
「そして、此度の戦いで、失われた命があったことも、忘れてはならない。彼らの勇気と献身に、心からの敬意を捧げたい。……黙祷」
ミレイユが顎を下げて目を閉じれば、同じように全員がそれに倣う。
激しい戦闘において、犠牲なく勝利を収めることは出来ない。
そして、誰もがそれを理解して、戦いに望んでいた。
ヴィルゴットの目尻から涙が溢れる。
彼は正に、その献身によって庇われ、部下の命と引き換えに助かった。
死を憂うと共にその死を悼み、その献身に感謝せずにいられない。
そして、その死を神が直接悼んでくれるというのは、これ以上ない栄誉でもあった。
死後の世界でも、彼らは胸を張っていられるだろう。
それが分かって、ヴィルゴットは涙を止められない。
落日が空を朱く染めていく――。
戦闘の終了とその悲惨さを、空まで嘆いているようですらあった。
「……面を上げよ」
ミレイユから声が掛かって、レヴィン達は姿勢を戻した。
「皆の奮戦あって、防衛は無事成功した。改めて、大義であった。……しかし、さっきの今でこういう事を言うのは心苦しいが、戦いはまだ終わっていない」
それはレヴィンも分かっていた事だ。
敵首魁は多くの駒をけしかけて来たが、それら全て退けたからと言って決着ではない。
『核』たる本体を討滅しない限り、淵魔との戦いは終わらないのだ。
防衛の成功は間違いない快挙だが、それは局地的な勝利に過ぎず、未だ戦いは継続中だった。
ミレイユはそれまで厳しい視線を向けていたものの、全員を一通り見渡すと、その表情を和らげた。
「しかし、戦疲れも相当なものだろう。城壁の修繕、物資の補充等、やるべき事は多岐に渡る。死者の弔いも忘れてはならない。だが、今はまず……何か食べ、飲まずには動けまい」
全員が粛々と礼を取り、その頭にミレイユは優しく声を投げ掛ける。
「だから今は、とりあえず食事の準備を急がせよ。見事、敵を撃退せしめた勇者達は、厚く労われなければならない」
これには歓声が上がり、厳粛な空気が一気に霧散した。
ミレイユも柔らかな笑みを浮かべたまま、神官長に目配せして、万事滞りないよう指示した。
それが終わると、いよいよ一時解散となった。
大所帯だから、食事をするにしろ、全員が協力して作らねばならない。
彼らは戦闘とは別の所で、一致団結、協力して作業する必要に迫られた。
しかし、彼らの顔には笑顔が絶えない。
言葉が分かるのは現在、士官クラスだけなので、隊士達は一部困惑する部分があれども、全体としては上手く協力できていた。
レヴィン達の何か協力を、と動き出して所で、ミレイユからの視線が刺さる。
小さく顎を動かすと、そのまま神殿内へと入って行ってしまった。
「あれは……、付いて来いって意味か……」
「そういう意味だろうな……。ご愁傷さまだな、若……」
「何で俺だけ行く感じになってるんだ? お前も来るんだよ」
「いや、俺は違うんじゃねぇかな。多分、リーダーにだけ話を通せば済む内容だろうし……。若だけで行けよ」
「何でだよ、揃って怒られる内容かもしれないだろ……! 最後にこっち見た時、機嫌悪そうに見えたし……きっと良い内容じゃない。お前も来るべきだ」
「嫌だよ! 怒られる様なマネしてねぇもん! 不甲斐ないとかなら、とりあえず若だけ怒られて来いよ!」
「何て言い草だ! お前だって……」
二人の間でマゴついていると、見かねたのかどうかは不明だが、アヴェリンが近付いてきて、鋭く口を開いた。
「何をやっとるか、貴様ら」
『はいっ、すみません!』
レヴィンとヨエルは同時にかしこまって、直立の姿勢で背を伸ばす。
彼女の前で口答えなどしても、全く無意味だと知っているから、従順にならざるを得ないのだ。
最も賢い態度は、それが嵐であれ地震であれ、通り過ぎるまでじっと大人しくしている事だった。
「何を訳の分からん態度を取っとるか……。ミレイ様は大層、お前たちの働きに満足していらっしゃったぞ」
「はいっ、すみま――って、そうなんですか?」
反射的に謝罪を口走りそうになって、レヴィンは慌てて言葉を直した。
直立不動の姿勢も止めて、とりあえず不躾でない程に態度も改める。
「淵魔の数が数だ。聞いた限りでは、そこそこ上手くやっていた様だしな。そもそも二万を超える淵魔の数だ。よく留めていた、というのが正直な感想であられるだろう」
「そ、そうなんですね……。それにしては、やけに機嫌が悪そうに……」
「それは……お前たちに対してではなかろう。いずれにしても、神官長の執務室に来い。そこで話がある」
既に遠い昔のようだが、ユミルが尋問の為にレヴィンを連れて行った部屋こそが、その執務室だった筈だ。
その奥には応接室があって、兵士に槍を突き付けられ、緊張しながらソファーに座らされた事を思い出す。
「それは了解しました、けど……。全員で、ですか?」
「全員である必要はない。全員の方が色々良いとは思うが、そこはお前の好きにしろ」
ヨエルがレヴィンの影で、よし、と拳を握っているのが見えた。
何か物申したい気持ちになるが、アヴェリンの前では強く何かを言えない。
そのまま、アヴェリンは続ける。
「無論、護衛を付けるのはお前の権利だ。それを無視しようとは思わん。だから、連れて来たければ好きにして良い」
「ハッ、ありがとうございます!」
レヴィンはアヴェリンに機嫌よく返事をしながら、ヨエルに威圧的な笑みを向ける。
ヨエルは下を向いて視線を合わせないようにしていたが、全く無駄な徒労だった。
「……さ、ミレイ様をいつまでもお待たせするな。さっさと行くぞ」
そうして、アヴェリンの指示でレヴィンはヨエルだけでなく、パーティ全員で執務室へ向かう事となった。
※※※
神殿へと正面から入り、正面の階段を上って執務室に入ると、そこでは既にミレイユが座って待ち構えていた。
かつてユミルが座っていた上座にミレイユが腰を下ろし、そのすぐ隣には神獣が行儀よく座っている。
ミレイユにその首元から背中に掛けて撫でられており、非常にご満悦な様子だった。
そして、上座の近くの椅子にはユミルが座り、テーブルを挟んでその正面にルチアがいる。
アヴェリンがルチアの隣に座れば、残りは四席だ。
誰がどこに座るのか、押し付け合いにも似た空気が発し、誰から座るのか譲り合う状態になる。
しかし、当然順番としてはレヴィンが先になるので、ミレイユの正面となる下座に座り、空いた席に三人が座った。
「さて……」
ミレイユが一言零すや否や、テーブルの上には様々な食料が並んだ。
ルチアが個人空間から取り出したもので、保存食に向いたものばかりがテーブルを占領する。
パンやチーズ、ソーセージやワインに水、他にも様々な食材が並んでいるのだが、レヴィンは当然起きた事態に理解が追い付かなかった。
「あの……これは、どういう?」
「私は特別必要でないのだが、他の者は必要だろう? そして、皆が準備している横で、自分たちが食べるのは気が引ける。だから、こうして呼んだ」
「しかし、よろしいのですか? 贔屓となってしまうのでは……」
「そうなんだが、全員分を賄う程の量はないしな。それに、流石のお前達だって食べる物もなく、次の戦闘にはいけないだろう」
衝撃的な発言に、レヴィンは言葉を失う。
しかし、失ったままでは拙い、と本能が警笛を鳴らし、ミレイユに食い下がる。
「どういう事でしょうか……!? 今すぐ、また別の戦闘に駆り出されるのですか!?」
「私としてもゆっくり休ませてやりたいが、敵は待ってくれないからな。後手に回らざるを得ない状況……、取れる選択肢は限られてくる」
それこそ機嫌が悪く見えた原因か、とレヴィンはようやく理解した。
そして、今回の大規模な攻勢は、複数ある攻め筋の一つでしかないかもしれないのだ。
どこかで有事があれば、これに駆け付けなければならず、そしてミレイユは必ずそれが起こると予想している。
レヴィンもようやく理解して、乾き切った喉を鳴らした。
その時になって、目の前の食事の匂いに釣られ、とうとう大きな腹の虫が鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます