決死の防衛 その6

 ひどく間延びした腹の音が鳴り、レヴィンは赤面して顔を下に向けた。


 丁度、会話の隙間に起きたことでもあり、その音は全員の耳に届いている。

 ミレイユは小さく笑うと、掌を差し出して食べるように進めた。


「あまり辛抱させては可哀想だな。作法など気にせず、好きに食え」


「は……ハッ! 有り難く……!」


 レヴィンが更に深く頭を下げても、まだ誰も手を付けようとしない。

 礼儀の話として、主賓が手を付けなければ、他の誰かが手を伸ばす訳にもいかないのだ。


 それでレヴィンが固い顔をさせていると、ミレイユが察して手近なパンを手に取った。

 そうすると、アヴェリンも肉に手を付け、他の二人もめいめいに食事を取り始める。


 それでようやく、レヴィンも気兼ねなくパンに手を伸ばす事が出来るようになった。


「では、いただきます」


 そう言ってからパンに大口開けて齧り付き、大いに咀嚼する。

 保存性を高めた物なので、水分は殆ど抜けていて、中身は非常に固かった。


 しかし、そういう物と理解しているし、戦場で食べられるパンとなれば、そうしたものが主流だ。


 普通はスープに漬けてふやかさなければ食べられない固さだが、ヨエルは当然として、ロヴィーサまでも問題なく食べている。

 ただし、ロヴィーサは丁寧に一口大に千切って食べる、という品の良さを残していた。


 アイナは、固いパンを指先で千切れる握力に唖然とした視線を向けてから、食べやすいチーズやソーセージなどを手元に置いた。

 そうして、少しばかり食事が進んだ所へ、ミレイユから声が掛かる。


「食べながらで良い、聞いてくれ」


 そう言われても、レヴィンとしては傾聴しない訳にもいかない。

 他の三人も同様で、一度手を置いて次の言葉を待ったのだが、ミレイユは煩そうに手を振った。


「今のは建前じゃない。下手をすると、本当に食べる暇がなくなるから、食べながら聞けと言ったんだ。それとも、命令して欲しいか?」


「は……、そういう事でしたら……」


 そこまで言われたら、食べる手を休める訳にもいかなかった。

 半日以上ぶりに食べられる食事すら取り上げられたら、もうろくな働きは出来ない。


 不敬と言えども、神から許可が降りたとなれば、それに従うのみだ。

 アヴェリンなども何も言わないので、問題ないに違いない。


 そうして再び食事を再開させると、ミレイユは話の続きを語り始めた。


「ドーワからも聞いた事だが、今現在各地では、ちょっとした小康状態に入っている様だ」


「……つまり、淵魔に動きがない、と?」


 そう、とミレイユは顎を小さく上下させた。


「アルケスの暗躍からこちら、常に何かしらの動きを見せていた淵魔が、ここでピタリと動きを止めた」


「というより、止まったように見えるだけじゃなくて?」


 チーズを一口啄み、ワイン片手にユミルが尋ねると、ミレイユはこれにも首肯を返した。


「そうだろう、と思う。多くの淵魔を辺境領にて放出したのは、陽動の為だった筈だ。ただ一体の“新人類”を戦場から逃がし、淵魔の氾濫を隠れ蓑に、各種神殿を襲うところまでが計画だったろう」


「そして恐らく……龍脈を奪い、ロシュまで繋げるのを目的としていた……のよね?」


「そうだと思う。神が各所で釘付けにされるのも見越した上で、『虫食い』を使い……本来繋がらない龍脈同士を、橋渡しするつもりでいた」


「全ては、温存していただろう戦力を運ぶ為、ね……。そしてここを落とす為、それは分かるけど……。じゃあ、これで手の内は終了?」


「……そうとは思えない」


 ミレイユは重々しく頷き、小さく零した。

 ロシュ大神殿が預かる龍穴は、他の神殿とは一線を画す。


 大陸の心臓と言い換えることも出来、ここを制すれば、他の龍脈も自然と汚染される事になるだろう。


 まさしくポンプの様に作用して、勢いよく押し出された結果、他の龍穴から力押しで湧き出る様になってしまう。


 淵魔に奪取されれば、白に染まりかけた盤面は、全て黒に置き換えられると言って過言ではなかった。


「奴の狙いは明らかだった。そして、奪取に懸ける戦力も相応のもので、それが遂に打ち止めとなった。戦力がゼロになった訳ではないだろうが、大規模運用は不可能になったと思って良い」


「まぁ、そうね。同意するわ」


 ワインを喉に流し込みながら、ユミルは頷いた。

 そこへルチアが指を一本立て、咀嚼していた物を飲み込むと、意見を口にする。


「でも、無垢サクリス混合体ミクストラに数が無いのだとしても、“新人類”が残ってる可能性はありませんかね?」


「……ない、とは言えない。奴もまだ、諦めてはいないだろう。だから実現可能な方法として考えられるのは、一体だけで秘密裏に潜入し、龍穴を確保してしまう事だ」


「それって、拙いじゃないですか……!」


 レヴィンが口に詰めたものを、吐き出す勢いで声に出す。

 それをミレイユは、分かってる、と宥めるように手を動かした。


「かもしれない、の段階だが……有り得ないとも言い切れないから、こうして準備してるんだ。お前たちだけ飯を先に食わせているのも、その一環だ」


「な、なるほど……」


 ようやく特別待遇の意味が理解できて、レヴィンは心を落ち着かせる。

 今も中庭で食事の準備をしている兵達は、よく奮戦してくれたと思うが、“新人類”に対しては全くの無力だ。


 今回攻め込んできたフロリオにしても、ミレイユでさえ瞬殺できなかった程の実力を持つ。


 一定水準に満たない兵は、全て無駄死にする可能性の方が高かった。

 敢えて関わらせないのも、ミレイユなりの配慮だと分かる。


「……しかし、それで言うと、結希乃さんはどうなるのでしょう? 十分、こちらで通用する実力者なのでは……」


「それには同意するが、彼女はむしろ指揮官として輝くタイプだ。実力に申し分ないが、士官は不足している。使うのならば、戦士としてより士官で使いたい」


「しかし、ならば私共も、そうした分類ではないでしょうか?」


 ロヴィーサが控え目ながら尋ねると、ミレイユは薄く笑って頷く。


「確かにそうだな。しかし、お前たちは四人で動く遊撃隊として、実に有能な働きを示した。軍の中で使えるのは確かだが、もっと別の働きを期待したい」


「つまりそれは……、“新人類”と戦える戦力として、という事でしょうか? しかし、ここにはミレイユ様のみならず、神使の方々まで御わすのです。我らの出番などあるのでしょうか」


「うん……?」


 含み笑いにそう言って、ミレイユは試すような視線を向けた。


「あると思うから、こうしているんだ。少なくとも、敵はこれで諦めたりしないし、攻め込む好機を窺ってもいるだろう。しかし、我らとしては待ち受けるだけじゃなく、落とされた龍穴を取り戻したいとも考えてるしな」


「そう……、そうです!」


 レヴィンは咀嚼途中のソーセージを無理やり詰め込み、水で流し込んでから口を開く。


「即座に奪還しなければ! いつまでも、奴の触手を伸ばさせておく訳には参りません! ここに攻め込む通路の遮断が、何より重要だろうと愚考いたします!」


「あぁ、そうだな……。だが、飯も食わせず次の戦場に向かえ、と言うほど私も人でなしではない。まぁ、私は言葉通り……人ではないんだが」


 その一瞬、空気が固まる。

 誰からも反応がないまま一秒が過ぎ……たかと思えば、唐突にユミルが声を上げて笑った。


 テーブルをべしべし叩いて、お世辞ではない腹からの笑いを上げている。

 いっそ笑いすぎでは、とレヴィンがドン引きする程だった。


「だーっはっはっ! いいわね、最高よ。今度から、随所に寒いギャグを差し込むカミサマ狙ってみたら? 案外、皆に好かれるかもよ!」


「分かった、もう言わない。はいはい、すみませんでした」


 投げ遣りな謝罪があっても、アヴェリンからのフォローもない。

 それだけで、彼女の中でどれだけ不評だったか、分かろうというものだ。


 ともかく、と咳払いしてから、ミレイユは話を再開した。


「ともかく、敵は沈黙したままで済まさないだろうし、こちらも神殿を放置するつもりはない。当然、これを奪取しに動くつもりだが、戦力を分散させるのも怖いんだよな……」


「というか、アレじゃない? 何をどう動かしても、何処かに不安が残るのよ。ロシュは固めるのは当然としてもさ、龍穴を取り戻すには神が行くしかないんだけど……」


「そうだな……。一つずつ、順番に奪取する時間が残されているかどうか……。神々を差し向けた先で、返り討ちに遭うなり、弑されてしまう危険性の方が問題だ」


「戦力次第では、有り得ないと断言できないのが何とも……」


 ルチアが思案顔で俯き、悩ましげな息を吐いた。

 ミレイユも同じような息を吐いて、所見を述べる。


「“新人類”は数を用意できてない……そう思ったりしたが、実は各神殿に配置しているとか、あるいは送り込まれてるかすると、非常に面倒な話になる」


「分かりますけど、神々を見張りのまま置いておくというのも……。盛り返すには大胆な手が必要、と思ったりするのですが……」


 そうして更なる意見を募ろうとした時、それが起こった。

 最初に僅かな振動を感じ、次には大きな揺れとなって襲い掛かったのだ。


 テーブル上のワインが落ちて、床に赤い染みを作る。

 ただ座っているだけでも難しい程の揺れが襲い、中庭からは兵士たちの悲鳴が起こった。

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