決死の防衛 その7

「じ、地震ですか……!?」


 アイナがテーブルの下に隠れながら叫ぶ。

 レヴィンやロヴィーサも、椅子から降りて地面に屈みながら様子を窺った。


「一体、どうなってる……!? これも淵魔の仕業なのか……!?」


 レヴィンにとって地震とは未知なるもので、これまで経験した事がない。

 近辺に火山など、地震の原因になるものがないせいもあり、そうした現象には全くの無縁だった。


 そして、それはこの大地に生きる者にとって誰もが同じで、外の兵士が助けを求めて声を上げるのも当然だった。


 淵魔の大軍勢が迫って来ても、ここまで大きな振動にはならない。

 完全なパニック状態に陥っていて、制御は不可能に思われた。


 しかし、どこまでも落ち着き払ったミレイユと神使の三人は、厳しく外へと視線を向けるだけだった。


「ミレイユ様、これは一体……!?」


「嫌な予感がする。ただの地震でないのは確かだ。何が起きてる……?」


 窓から外を窺っても、全体はようとして知れない。

 ミレイユは異質な揺れの中に、淵魔と同じ気配を感じ取ったその時、『孔』が開いてインギェムが現れた。


 そして、粟を食って慌てた姿は、とうてい尋常ではない。

 ミレイユが事情を窺うよりも早く、インギェムの方が口を開いた。


「おい、大変な事になってんぞ!?」


「あぁ、それは分かってる。何を見てきた?」


「根だよ! 地面から出てんだ、根が! ばーっと!」


「……根? 植物の根が?」


「そう! 植物っていうより木だが……いや、木というより樹木だ! でかくて太い樹! その根がバーッてんだよ!」


 インギェムにとっては明瞭であっても、それを見てない者からすると、全く意味不明だ。

 必要以上に慌てているせいもあり、伝えたい事が空回って、何を言いたいのか首を捻る程だった。


「悪いが、言ってる意味が全然、分からん。それが地震の原因か?」


「なに落ち着いてやがんだよ! 呑気に飯なんか食いやがって! さっさと表に出て確認して来い!」


 確かにその方が早そうだ。

 要領の得ない説明を聞いているより、いち早くそうするべきだった。


 ミレイユが退室する動きを見て、レヴィンもとりあえず口の中に詰めるだけ詰める。

 ヨエルも同様に口の中にパンとチーズを突っ込み、手に干し肉を持って立ち上がった。


 ロヴィーサとアイナはそこまでマナーを捨てておらず、口の中の物を飲み込んで二人の後に続いた。

 部屋から外に出れば、地面の揺れが更に激しくなる。


 単に歩くだけでも難儀する程で、地面が全てひっくり返ったかと勘違いしてしまう程だった。

 ミレイユは床から少し浮いている為、その影響を受けておらず、悠々と先頭を歩いていた。


 そうして、レヴィンは殆ど這々ほうほうていでバルコニー部分まで到達し、外の光景を見て唖然とする。

 遠く離れた地点から、何か巨大なものが隆起しようとしていた。


「何だ、あれは……」


 レヴィンはそう口にしながらも、あれこそインギェムが口にした『樹木』に違いない、と思い当たっていた。

 遠くと言っても、馬で行ける距離……三時間と掛からない程の遠所だと推測した。


 しかし、それだけ離れていても、隆起したものが樹木と分かる程度には巨大なそれが、時を経つ毎に全貌を顕にしようとしている。


 そして、何より注目するのが、その根だった。

 インギェムが焦っていた理由が良く分かる。


 樹木へと繋がる根は、全方向に向いていて、あげく無数に地を這う。

 樹木同様、地面から迫り出して、しかもそれが大蛇の様に暴れ回っていた。


 周囲にある森や小高い丘、加えて湖や山々など、全てをお構いなしに破壊している。

 まるで地面の全てを、耕そうとしているかのようだ。


 樹木の根はのたうち、うねり、時には鞭のように叩き付ける。

 汎ゆる方向に向かってそれが行われているので、それが振動となって地面を震わせているのだ。


「あれは……、あれは何だ?」


 ミレイユの口から、怒りに震えた声が漏れる。

 すぐ傍に寄っていたインギェムから、同じ様に怒りに満ちた声音で返答があった。


「そりゃあ、己にも分からねぇよ。だが、色んな所で根が溢れていたのは事実だ。最初は根だけだった。根の先端だけが顔を見せたんだな。そして、その根が一点に集まって姿を見せた時、出て来たのがアレだ」


「気配としては、淵魔に近い。とても近いが……、それとも異なる気がする。まさか……」


「ここに来て、端正に育てた混合体ミクストラって事はねぇだろうよ。って事は……」


「まさか、自ら姿を晒すのか……?」


 ミレイユが驚愕して目を見開く。

 見れば、ユミルたち神使も、既に樹木の正体にアタリを付けているらしい。


 レヴィンは床に膝を付けて揺れに耐えながら、近くのユミルへ控え目に問うた。


「ユミル様……っ! これは一体、どういう事なのです……? あれは何なんですか……!」


「認めたくないし、多分そうだろうって予想でしかないけど……。アレは『核』なんだと思う。淵魔の親玉、全ての元凶……それが、アレなんだと思うわ」


「まさか……!」


 一般の兵は知らない事だが、ユーカード家には代々、伝わる話がある。

 そして、それこそ淵魔と永きに渡る争い、その終止符を打つ方法だった。


 淵魔の『核』を倒せば全てが終わる。

 しかしそれは、姿を隠して決して表に出て来ない、というものだ。


 また、一体足りとも残っていれば、そこから元に復活するとも言われ、最後の一匹まで根絶しなければならない理由がそこにあった。


「しかし、何故……!? 姿を隠して、遠くから淵魔を送り込む事こそ、これまでの策としていたのでは……!?」


「その策が、失策だったのは明らかでしょ? 今まで一度として勝って来なかったんだから。……まぁ、局地的な勝利は過去幾度もあったけど、結局、大陸の端に追い詰められたのは間違いないし」


「しかし、アルケスとの共謀で、盤面を引っくり返す用意もしてあった……。いや、今となっては、何処までがアルケスの意思であったかも曖昧ですが……」


 ユミルは鼻を鳴らすだけで、それにはコメントしなかった。

 ただ、つまらなそうに顔を背けて、その視線をミレイユに向けた。


「まだ確定ではないけど、『核』がわざわざ姿を見せたというのなら……多分、そういうコトだと思うのよ」


「そうだな、してやられた……」


 ミレイユも苦虫を潰した顔をしながら、遠方の樹木を睨んだ。

 樹木は夜の帳が落ちる中で、今も成長を続けている。


 いや、あれを成長というには語弊があるだろう。

 あれは植物的な成長とは掛け離れており、地の底から次々に迫り出している、と言った方が正しい。


 木の根は未だにのたうち回って暴れているが、それは良く見れば、地の底から樹木の幹を引っ張り出す補助の動きにも見えた。


「ミレイユ様、それはつまり……?」


「辺境での淵魔の氾濫……そして、そこから続く各種神殿への攻撃、これら全てが何らかの陽動だ、とはアルケスが遺した言葉からも推測は立っていた」


「では、全てはあの『樹木』が出現するまでの、時間稼ぎでしかなかったと……?」


 そう、とミレイユは短く返答して、表情を更に険しくした。


「あれだけの質量、そしてあれだけ異質な淵魔の気配だ。どれだけ密かにやろうと、見つからずに出現するのは不可能だ。そして、見つけたなら私を始め、誰もがもその妨害に入るだろう。あれだけの質量が、出てくるより先に手を打っていた」


「では、今すぐにでも……!」


 レヴィンは床から立ち上がって攻め込む姿勢を見せたが、揺れが酷くてたたらを踏んだ。

 またすぐ座り込む羽目になり、ロヴィーサとヨエルに支えて貰いながら態勢を直した。


 その遣り取りを見て、インギェムが問う。


「どうする、行くかい?」


「当然、行く。……が、もうあれの出現は止められないだろう。幹が出る前なら、『虫食い』と同じ手段であれを消し飛ばせただろうに……。あれでは流石のルチアでも、結界内に閉じ込められない」


 樹木の高さは、既に城より大きくなってしまっている。

 どこまで伸びるか不明だが、雲にまで掛かっても不思議でない太さを持っていた。


 そして、出遅れたのは確かでも、その成長が終わるまで待ってやる必要もなかった。


「その上、どうやって倒すべきか、見当も付かない。あの根が暴れ回っている限り、普通の兵は幹に辿り着くことすら出来ないだろう。寡兵で挑むしかない」


 ここから見る分には細く見える根だが、一本一本が民家一つ分よりも太いのは間違いない。

 木の根は入り乱れて互いにぶつかっている場合もあり、その間を抜けて進むのは不可能に思えた。


「空を飛べる奴……あるいは、ドラゴンが乗せられる数まで。そういう事になるな」


「そして何より、相手が相手だ。上限いっぱいまで連れて行けば良い、という話でもない」


「まぁ……、だな」


 インギェムが難しい顔をさせて頷く。

 レヴィン達を見て、こいつらは大丈夫、という視線を向けたが、他に適性物となれば困った様子を見せた。


「けどよ、何れにしても行くなら急いだ方が良いぜ」


「そうだな……。しかし、無策で行くのも問題だ。向こうは必勝のつもりで、その身体を曝しているんだぞ」


「それも分かるが、既に先行してるのがいる。孤立させちゃ拙いだろ」


「誰がそんな無謀なことを?」


 ミレイユが不愉快そうにインギェムを睨み、これに肩を竦めて返答した。

 

「……モルディだよ」

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