決死の防衛 その3

 魔蛇の身体は穴だらけだが、巨体に見合う生命力も持っている。


 しかし、その再生は明らかに追い付いておらず、穴が塞がるよりも速く、次の穴が空いている有り様だった。


 傷を塞ぐ度に身体が縮小していくのも、混合体ミクストラとして共通した特徴で、だから魔蛇は今や頭が僅かに歩廊を乗る程度だ。


 自分に後がないと、魔蛇なりに感じたのだろう。

 その頭部に再び亀裂が走り二つに裂けると、また巨大なエネルギーを蓄積し始めた。


 先程のものとは違う……しかし、より巨大な力の奔流に、レヴィンは思わず目を疑う。


「なっ……!?」


 理術による光の矢も次々と突き刺さるが、威力の減退もあり、これを妨害するには至っていない。

 その間に力の奔流は更なる高まりを見せ、妨害もままならないまま、臨界点を迎えようとしていた。


 そして、魔蛇が頭を低くして、息を吸い込むような動作を見せる。

 それが何を意図しているかを悟り、レヴィンは戦慄に顔色を変えた。


「全員、退避ィィッ!」


 その号令を合図にしたかのように、魔蛇から地獄の業火とも言うべき、火炎放射が吐き出された。

 その業火は床と壁を舐める様に、レヴィン達へと迫り……。


「うぉわーっ!?」


 間一髪のところで、レヴィンは歩廊から飛び降りたことで事なきを得た。

 だが、火炎放射の勢いと火力は凄まじく、逃げ遅れた兵や、飛び降りる事を恐れた兵は、そのまま焼かれてしまった。


 高台の刻印・理術部隊も炎に巻き込まれたが、これは咄嗟に張った防壁によって炎を防ぎ、犠牲者は出ていない。

 それより問題は、現場を放棄してしまったことだ。


 登り来る淵魔の抑え役が居なくなったことで、奴らに城壁を乗り越える自由を与えてしまった。

 即座に戻り、再び城壁を確保し直さなければならない。


 ――絶望的な状況だが、やるしかなかった。


 その中での朗報は、魔蛇が火炎放射を最後に、溶けて崩壊したことだ。

 あの一撃は、死なば諸共で放たれたものだったらしい。


「とはいえ……どうする、若?」


 鎧の半分を焦がしたヨエルが、荒く息を吐きながら問う。

 城壁に上がる階段は健在で、登る分には問題ない。


 部隊を移動出来るよう、普通の階段より遥かに横幅はあるが、飛び降りた兵全員を戻すには、いかにも狭かった。


 何より、一度瓦解した部隊を立て直し、編成し直す所から始めねばならず、その間に淵魔は、歩廊を占拠してしまうだろう。

 今も続々と乗り込んでいる筈であり、歩廊から溢れ、中庭にまで攻めてくるのは時間の問題だった。


「だが、迷っている時間はない……」


 兵の多くは、淵魔と戦った経験に乏しい。

 ここまで良く戦った、と言える程であり、歩廊を奪われて士気の低下も激しかった。


 その中で、今も素早く部隊を立て直し、即座に臨戦態勢まで整えたのは、結希乃麾下の部隊だ。


 結希乃と隊士の練度は高く、淵魔に対する怯えも見られない。

 その時、ロヴィーサが上を見上げて、歩廊の一部を指差した。


「若様! あそこを見て下さい!」


 そこには、淵魔を薙ぎ払いながら戦う、ヴィルゴットの姿があった。

 指揮官だから残った、といった責任から来るものではないだろう。


 外の兵同様逃げ遅れたか、あるいは逃げ切れないと察した騎士が、その身体を盾として彼を護ったのだ。

 ヴィルゴットは仲間の騎士からも信頼篤く、よく慕われている様子だった。


 そして何より、エネエン王国の王太子殿下だ。

 身を捧げて護るのに、十分な肩書を持っている。


 しかし、その場で命を長らえさせたのは、果たして幸か不幸だったのか……。

 歩廊の上で一人、孤軍奮闘する羽目に陥っていた。


 レヴィンもまた、エネエン王国の領主一族として、王太子殿下を見捨てる訳にはいかなかった。


「結希乃さん、部隊を率いて西側から歩廊に登って貰えませんか!」


 レヴィンが叫ぶように声を掛けると、結希乃はそれに応じて頷く。


「構わないけれど……、他の部隊も纏めて?」


「指揮下にない者を、勝手に動かすのは無理でしょう。俺も次席指揮官を探すべきなんでしょうが、今は時間が惜しい。他はこちらで預かります」


「えぇ、了解しました」


 結希乃から返事があって、それから高台に今もいる刻印・理術部隊を見やる。

 淵魔は彼らにも牙を向こうとしていたが、彼らが展開する防壁によって、その侵入が防がれていた。


「一部取り残された部隊もある。今は何とか凌いでいるけれど、それも時間の問題でしょう」


「はい、早急に救出せねばなりません!」


「では早速、私は救出に向かいますけれど……貴方は?」


「逆方向から斬り込みます」


 城壁は長く、神殿を覆う様に建てられているから、当然歩廊に上がる為の階段は複数用意している。

 ヴィルゴットが孤軍奮闘していられるのは、焼かれて重なった死体が、上手く防波堤の役割を果たしているからだった。


 しかし、それは同時に彼の退避を阻害するものにもなっていて、淵魔を振り解いて逃げるには、死体の山が邪魔して難しい。


 無理して駆け上がったとしても即座に追い付かれ、無惨に喰われてしまうだろう。

 ヴィルゴットが逃げないのも、それを容易に想像できる故だ。


 だが、その中でも幸いなのは、淵魔が炭化した焼死体に興味を示さなかった事だった。

 もしもそれを喰って強化されていたら、とっくにヴィルゴットは淵魔の餌食となっていただろう。


「では、上で合流しましょう。また後程!」


 レヴィンが敬礼すると、結希乃も日本式の返礼したのち、隊士を率いて西側の歩廊へ駆け上がり始めた。

 それを皮切りに、レヴィンも部隊も率いて動き出す。


「よし……全員、俺に続け!」


「応ッ!」


 とはいえ、部隊単位で統率が取れている訳でもない、兵の集まりである。

 効率的な部隊運用など望むべくもないが、今はとにかく数を頼みにぶつけるしかなかった。


 多くの兵がこれで死ぬと分かっても、ヴィルゴットの救援と歩廊の奪取は、成し遂げなければならない急務だ。

 レヴィンを先頭にして、兵達は東側から歩廊を駆け上がり、そうして城壁の端へと到達した。


 そこには今も淵魔が溢れており、特に魔蛇の体当たりや爆発によって、穴の空いた箇所から雪崩込むような有り様だった。

 淵魔の狙いは、その多くが高台に陣取る刻印・理術部隊だ。


 より人の密集している箇所が、淵魔を釣り寄せる状況を作り出せている。

 物量の割にヴィルゴットが凌げている理由は正に、それが理由にあった。


 一通り戦況を確認すると、レヴィンはすぐ脇に控えていたヨエルへ指示を飛ばす。


「このままじゃ、ロクに兵を入れられない。――やれ!」


「応とも、刻印発動・『咆哮アンブリ・ロアー』! ウォォオオオ……ッ!」


 ヨエルが発した大音量は、指向性を伴う衝撃となって直進する。

 歩廊の上に蔓延っていた淵魔は、それで多くが吹き飛ばされた。


 上空に舞い上がり、そして続く第二射が、中庭に落ちそうになった淵魔すら掬って、城壁外へと追い遣る。


「突貫!」


 レヴィンの号令と共に、兵は一斉に駆け出す。

 未だ十分なスペースが出来た訳ではなかった。


 しかし、その間隙があれば十分だ。

 レヴィンとヨエル、ロヴィーサの三人が戦闘となり、穿った穴を拡大しながらねじ込んで行く。


 唐突に横合いから殴り込まれた淵魔は、波に呑まれるように蹂躙されていく。

 レヴィン達が見せる猛攻が功を奏したのか、一時は著しく落ちていた士気も回復している。


 恐怖に負けじと戦う者が多かったのは、レヴィン達の背中を追いかけたからだ。

 そのお陰で、想定以上の速やかで事を運べていた。


 淵魔を次々と斬り倒し、実体を維持出来なくなって、泥とへどろになって溶けていく。

 それで通路と足場に余裕が生まれた。


 更に兵の機動性は高まり、士気は更に勢い付いた。


「うぉぉオオオ!」


 ヨエルやロヴィーサ繰り出す攻撃は、無垢サクリスなど紙のごとしだ。

 迷宮踏破前でも似た事は出来ていたが、何より勢いが止まらないのは成長の証に見えた。


 だが逆に、長い迷宮生活を経ていなかったら、と思うとゾッとする。

 レヴィンは改めて迷宮踏破を命じたミレイユの慧眼に感謝し、淵魔を斬り伏せていった。


 そうして、カタナを振るうに任せて直進することしばし……。

 そこでは、結希乃達の奮戦が見えた。


 勢いに任せて淵魔を斬っていたら、いつの間にか中央まで達していたらしい。


 そして、それはヴィルゴットの救出が、既に為されたことを意味していた。

 分かっていても、レヴィンは訊かずにはいられない。


「ヴィルゴット殿下は!?」


「ご無事よ、こちらで保護しました。殿下は傷も多数、疲労も限界に達していたので、神殿内へ護送を命じています」


「よし……! ならば、後は……!」


 城壁を登ってくる淵魔を追い落としながら、高台を攻めている淵魔を掃討するだけだ。

 そして、彼らが自分たちを保護している防壁は、罅だらけで今にも砕かれそうになっていた。


「高台へはこちらが! 結希乃さんは城壁をお願いします! 出来れば、穴を塞げると良いのですが……!」


「それは流石に無理ね。登って来る端から、斬り落とすしかないでしょう」


「ですよね……」


 レヴィンは苦い笑みを浮かべて、部隊を高台へと向ける。

 そちらの淵魔は完全に、目の前の餌に喰い付く事しか考えておらず、レヴィン達に尻を向けている。


 寡兵で向かうに向いており、そして今の戦力なら十分に、討滅できる数でもあった。


 レヴィンは雄叫びを上げながら、その背中に向けてカタナを振るう。

 仲間達の決死の突貫もあって、見事孤立した部隊を救い出したのだった。

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