旅路 その6

 森の入口まで辿り着き、レヴィンは馬から降りて奥を伺う。

 馬車が入り易いよう木は切り倒され、道の横幅は広く、人の手が入った様子は見て取れた。

 しかし、轍の後が泥濘で溝を大きく作り、その整備までは十分に行われていないと分かる。

 注意深く観察しているところに、後ろからヨエルの声が掛かった。


「どうだい、若?」


「遠くまで暗い。……外の明かりは見えてこない」


「奥行きは相当深いと見えるな。しかし、主要街道であるのも間違いないだろ?」


「だから、抜けるのに半日も掛かる道ではないと思う。この時間から入るのに、適した時間かどうかは疑問ではあるけど」


 小川の傍で取った休憩時間は一時間ほど、そして森までも同じ時間が掛かっている。

 陽が傾くにはまだ早い時間帯だが、さりとて通行途中で暮れる心配もある。

 深くないと予想できても、予想は予想でしかない。

 そして、今の時間の具合は、何とも悩ましい頃合いだった。


「深い森なら、主要街道に使われない。迂回路が自然と出来るモンだろ。だが、ここまで別れ道はあっても、細い道ばかりだった。馬一頭分の細い道となれば、街に繋がる道じゃないと思う」


「そうだな……。だから、道はこのままで間違ってない。早めに休むか、一気に突っ切るか……つまり、そういう問題だな」


「どうする?」


 互いに森の奥へ目を向け、そして背後を窺った。

 ここを通る商人でもいれば、詳しい話を聞けると思ってのことだった。


 しかし、レヴィン達の後を追う何者もおらず、ロヴィーサたち二人が意見を求められたのかと、考える仕草を見せる。

 それに手を振って、何でもないと誤魔化して森に目を戻した。


「主要街道なのに、誰も通らないのか? 関所には結構な人数いたのにな……。もっと早い段階で、別の道を行く人が多いのか……」


「それこそ、関所を出たばかりの所では、太い道が左右に別れてた。こっちは近道かもしれないが、人気がないのかもな」


「森を嫌うのは当然か……」


 とはいえ、轍の跡が残るぐらいなので、通る人はいるのだろう。

 しかし、常に湿った地面は、重い物を運ぶと車輪が泥濘で取られてしまう危険がある。

 商人など重い荷物を運ぶ場合、むしろ利用しないのかもしれない。


「こっちじゃ魔物の討伐はギルド任せだろう? 仕事の種ってんで、俺らと違って狩り尽くしたりしないらしい。ここに何が住み着いているにしろ、そう怖い相手じゃないだろうが……、面倒はありそうだ」


「野盗や略奪者が、潜伏している可能性もな。ウチの連中は嬉々として山狩するが、領外では滅多にやらないと聞く。そういう輩には、潜伏場所として好まれる場所らしいな」


「あぁ……。じゃあ、博打に出るのも馬鹿らしいか?」


 急ぐ旅ではある。

 だがとりあえず、アイナを領外へ連れ出す事には成功していた。

 疲れも懸念に入れていたことだし、朝一番に抜ける方が安心できるだろう。

 そうと決めたレヴィンは、野営の準備をするよう指示した。


 幸い、枯れ枝の調達には困らず、わざわざ備品の火焚きを使わなくて済む。

 そうして太陽が稜線の向こう側へ消えていく前には、完全に準備が完了していた。


 ここから見える峻峰な山々には、その根本に木々が生え揃っているのが見える。

 しかし、唐突に途切れた部分には大きなクレーターがあり、そこから少し離れた場所では山肌が削られ、C形に穴が空いていた。


「何ていうか……、凄いですね。あの不確かな形と言いますか……、凄いファンタジーって感じで。まるで大規模な戦闘があった様に見えます」


「さぁて、どうなんだろうなぁ……。ところで、スゴイふぁんじぃ、ってどういう意味だ?」


 四人は焚き火を囲んで、思い思いの格好で座っていた。

 特に緊張感もなく遠方を見つめていたアイナの、不思議な単語にヨエルが尋ねる。


「いや、何と言いますか……。現実的でないと言いますか……」


「あれか? あの山の形? 現実味ないかね、あれ……?」


「あたしにとっては、まぁまぁ普通じゃないってだけです。……こちらにとっては普通ですか?」


 そうさなぁ、とヨエルが顎を上げて考え込み、それから幾分してから頷く。


「あぁいう抉れた形跡ってのは、別に珍しかないかな。そりゃあ、何処にだってポコポコあるわけじゃないが。で、誰がいつやったものか、そもそも戦闘跡なのか……それすら知る奴ぁいない」


「すごい昔からあるから、とかですか?」


「いいや――あぁ、うん。そういう意味でもあるんだが、ある日突然出来ていたりするからだ」


「突然!?」


 アイナは思わず声を荒らげて、山の中腹を指差した。

 何らかの採掘跡だとか、あるいは酷い崖崩れなど、何らかの理由がなければ、あぁはならない。

 そして、何一つ物音を鳴らさず、出来るものでもないだろう。


「でも、そういうものなんだ。ウチの領でも、海岸沿いに幾つも連なってクレーターが出来ていたことがあった。まるで、とんでもない爆発が連続で起きたかのような有り様でな。けど……」


「誰も、その瞬間を目撃していない、と……」


「そう。あの山も……」


 言い指して、指で輪っかを作り、視線を通してその中へ納めるようにしながら眺める。


「領都からはちょっと遠いが、やっぱり似たものがある。こっちじゃどうか知らないが、俺達は神が寝転んだって言ってるぜ」


「神が……寝転がる?」


「まさか本当にそうだ、と言いたいんじゃないけどな。突然、不思議なことが起きるのは、そりゃ神がやったことに違いないって理屈さ」


 神がどれほど巨体なのか、それは知る由のないことだ。

 人の背丈と変わらない、という者もいれば、山より巨大だという者もいる。

 そうした者からすると、突然生まれるクレーターは、寝転ぶ衝撃で出来るものに見えるらしい。


「よくある与太話さ。誰かが爆発する光や音を見てるなら、もう少し話は簡単だったんだろうな。でも、見たことないから、あれこれ想像働かせるんだろうさ」


「前に聞いた、七柱の神様ですね。それぞれが、凄い強い力を持ってるんでしょうか」


「さて……? そうだ、とはされてるな。あと厳密に言うと、一柱の創造神と、六柱の従属神だ。もっとも偉大な神と、それに付き従う神々。そういう構図だ」


「その一番偉大というのが、前に言ってた……えぇと、レジスクラディス様、ですか」


 正確に名前を言えたことで気をよくしたのか、ヨエルは笑みを浮かべて頷いた。

 焚火の炎を整えながら話を聞いていたレヴィンも、その名が出てきて会話に参加する。


「だから、単純に区別して大神、小神って言ったりする。どっちでもいいんだ、そこは。ただ、各地に祀る神殿は、その多くが大神のものだし、ウチの領では特にそうだ」


「あぁ、初代様が直接……って話でしたものね」


「そうとも」


 レヴィンは誇りを感じさせる声音で、腰に佩いたままの刀を撫でた。


「この誇りは誰にも汚せないし、汚しちゃならない。俺は子どもの頃から、ずっとそうやって言い聞かされて育ってきた」


「それ……少し分かります。ウチと同じです」


 アイナが遠い目をして悲しげに微笑み、ロヴィーサからの視線を受け、レヴィンは話題を変えた方が良いと、咄嗟に話を逸らした。


「あぁ、だから……不人気な神の神殿は、自然と数が少なくなるんだな。それで、ウチの領じゃアルケス神殿がなかった訳だが……」


「他の神様の神殿作るより、それならもっとも信仰篤い神を奉りたい、ってことですか」


「そうじゃないと、寄進が集まらないって切実な問題もあるからな。同じ神を信奉する神殿同士は、横の繋がりで足りない費用を工面したりするんだよ。そういう意味でも、不人気の神はやっぱり不利だ。龍穴を封じるなら、それなりの規模になるからな……」


 その一言に、少し疑問を感じたアイナは、首を傾げなら問うた。


「じゃあ、封じる目的でないと、神殿は作られないものなんですか?」


「……まぁ、やっぱりそうだな。そうじゃないのは社といって、非常に小ぢんまりとしたものになる。だからって信仰に貴賤はないから、祈るだけならそれで十分なんだけどな」


 そうは言っても、祀る規模が大きくなれば、信徒も同じく誇り高くなる。

 近所の社より、少し足を伸ばした神殿の方が良いし、祈りもより届きそうな気持ちになるものだ。


 そして、祈りの力――願力は神の礎になると、そう明確に周知されているので、熱心であるほど神殿に拘る。


「信仰に順位付けなんて野暮なことするもんじゃないが、やっぱり一番人気は大神レジスクラディス様だ」


「じゃあ、アルケス様って、ちょっと低めなんでしょうか……」


「上位三柱以下は、どれも横並びってイメージだ。実際の神殿の数も、やっぱりそういう感じと聞く」


「アルケス神殿も、やっぱりその横並びに位置してるんでしょうね……」


 そうでなければ、もっと近場に神殿があるだろう。

 アイナの達観した瞳はそう語っていた。


 レヴィンもそれ以上は言えず、曖昧に笑みを浮かべるに留める。

 劇場俳優の人気を論じるのとは違う。

 あまりに不敬なやり取りは、やはり口に蓋するものだ。


 会話が一区切りしたところで、ロヴィーサが率先して食事の準備をし始めた。

 アイナもそれを手伝おうと立ち上がる。

 その瞬間、レヴィンとヨエルが揃って身を翻した。


 二人とも武器を手に添えて、森の方を睨み付ける。

 まだ武器は抜いていない。

 しかし、突然の様変わりにアイナは驚き、何が起きたか分からず身を固くしていた。

 そこにロヴィーサがそっと肩に手を置いて、馬の蔭に隠れるよう誘導する。


 しばらく沈黙が続き、焚き火の薪の立てる音が、やけに大きく響いた。

 レヴィンとヨエルは動きを崩さない。

 だが、森の方では動きがあった。


 草を踏みしめる音、小枝を踏みつけ割れる音などが聞こえ、そうして姿を見せたのは、一人の薄汚れた男だった。

 風呂に入った形跡もなく、土と埃で薄汚い。

 手には剣を、身体には修繕の行き届いていない革鎧を身に付け、ギラギラとした視線を向けていた。


 ――野盗だ。

 そう判断するのと同時に、その背後から二人の男が森から顔を出してくる。

 下劣な笑い顔を隠そうともせず、三人の男はじりじりと、レヴィン達へ迫ろうとしていた。

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