旅路 その7

 不穏な気配の正体は分かった。

 確認するなり、レヴィン達は一斉に肩の力を抜いた。


 アイナを庇うように隠していたロヴィーサも、やはり野盗と分かってからは警戒を緩め、元の位置に戻ってしまう。

 そうしてそのまま、食事の準備を再開しようとする塩梅だった。


 状況について行けないのはアイナだけで、レヴィンなどは構えを解いて、再び椅子代わりの丸太に座り込んでしまっている。

 堂々と背中を見せ、全くの無防備な姿まで晒した。


 しかし、何が起こっているのか理解できないのはアイナだけでなく、それは野盗の男たちにしても同様だった。


「なんのつもりだ? もう降参か。そのご立派な武器は飾りかよ?」


「楽できるのは結構な話じゃねぇか。馬も立派だ、高く売れる。女の方も綺麗な顔してるぜ」


「命乞いが愉快ならよ、男は見逃してやってもいい。ほら、何か言ってみろよ」


 男たちは互いに顔を見合わせ、下品な笑い声を上げた。

 ヨエルもまた焚き火の前に座り込みながら、つまらなそうに手を振る。


「……警戒して損したな。野盗かよ。さっさと失せろ」


「ハァ!? 武器も抜かずに降参したクセしやがって! 見逃すって言葉に調子のったかよ!?」


「誰がいつ、降参なんかした? 見逃してやるって言ってんのは、こっちの方だ。これから飯なんだ、邪魔すんな」


 ヨエルは既に、野盗たちを見ていない。

 薪を傍に寄せたり、焚き火の上に鍋を置けるよう、金具を設置し始めた。

 それに合わせてロヴィーサも鍋に水を注ぎ、食材の皮を剥き始める。


 まるで顔見知りを袖にするかの如き気安さだが、当然双方の間柄はそうでない。

 男たちはコケにされたと顔を赤くし、奇声を上げて斬り掛かった。


「ンならァッ!」


 男とヨエルの二人を、遠くから見守っていたアイナは、小さな悲鳴を上げる。

 大きく振り上げ、刃は風を切って振り下ろされた。

 だが一瞬あとには、無造作に上げたヨエルの手で刃が止まる。


 まるで落ちてきた木の葉を、指で摘むかのようだった。

 動かぬ刃を力任せに引っ張ろうとしていたが、剣の金具からカチャカチャと音が鳴るだけで、やはりびくともしない。


 ヨエルはそのまま男の手から武器を奪うと、柄部分で側頭部を殴り付ける。

 鈍い音が聞こえるのと、男が横倒しに吹き飛ぶのは同時だった。


 それを見て、アイナは元より、男たちも目を白黒させる。

 彼女はワナワナと肩を震わせながら、ヨエルを指差して呟いた。


「いったい、何をしたんです……?」


 それは野盗の男たちにしても、同じく意見だったろう。

 信じ難いものを見る視線で、ヨエルとアイナの間を行き来させている。


「……別に、野盗なんてわざわざ、警戒する相手でもないからなぁ。しかも、落ちぶれて食うに困るような奴らだろ? 負ける方が難しい」


「……てっ、てめぇ! ふざけやがって! こっちにはまだ十人仲間がいるんだ! それに俺らぁ、野盗じゃねぇ! 傭兵団だ! 『黒鉄の咆哮』精鋭十人が、お前らを包囲してんだぞ!」


「あっそ。どうせブラフだろ? 本当に仲間がいるなら、最初から見せてこいよ。バレバレなんだよ」


 ヨエルはどこまでも真面目に相手をしない。

 設置した金具の位置を調節したり、焚き火に薪をくべたりと忙しくしている。

 最初から一貫して、視線すら合わせていなかった。

 それが男のプライドを触発したのか、つばを飛ばして大声を上げる。


「出てこい! こいつらに現実、教えてやれ!」


 その一言が引き金になった。

 足音を立てて背後の森から、十人の男たちがやって来る。

 半円状に包囲して、その誰もが抜き身の武器を持ち、剣呑な視線を向けていた。


 ただ、やはり全員草臥れているようでもあり、武器や防具に手入れをされた形跡は見当たらない。

 今度は流石に、ヨエルも目を向けずにいられなかった。

 しかし、それでもやはり、一瞥いちべつだけして再び作業に戻ってしまう。

 その代わり、レヴィンの方が背中越しに、彼らを興味深そうに見つめた。


「へぇ……、傭兵団と言ったのは、あながち嘘じゃなかったんだな。だったら、仕事を受けて真っ当に稼げばいいのな……」


「どうせ、何かデカい失敗しでかしたんじゃねぇのか。契約守らず潰走したから、あんな風に落ちぶれるしかなかったんだろ」


 傭兵は信用ならない――。

 そういう言葉も存在する。

 契約を遵守すべきと、非常に厳格な傭兵もいる一方、前金だけ受け取り、踏み倒す前提でいる傭兵もいる。


 勿論最初から持ち逃げするのではなく、敵とひと当たりだけして逃げるとか、契約違反と取られないギリギリの成果だけ上げる場合もある。

 だが当然、そうした傭兵の噂は、簡単に広まるものだ。


 雇う側としても、悪い噂の傭兵に仕事を任せたくはない。

 十人を超える規模に成長した傭兵集団ならば、最初は成果を上げ、順調に仕事をこなしていた者たちかもしれない。

 だが、大きなヤマを失敗したとか、楽をする方向に傾倒した結果、今の状態があるのかもしれなかった。


「うるせぇ! 若造にとやかく言われる筋合いはねぇんだよ! 食いもんと金を寄越せ! 馬も! 女もだ!」


「食い物だけなら、譲ってやっても良かったのにな……。どうする、一人一食ぐらいなら分けてやれるぞ」


「馬鹿にしてんのか! 何度も言わせるな!」


「……欲をかくと失敗するって、誰かに教わらなかったのか?」


 それを引き金として、レヴィンが武器を手に取り立ち上がろうとする。

 しかし、ロヴィーサが声と視線で、それを制した。


「ヨエル、若様をこんなことで煩わせないで下さい。早く片付けて」


「まぁ、そうさな。幾ら相手があれだろうと、護衛が見てる訳にもいかんしな」


 立ち上がりかけたレヴィンの肩へそっと手を置いて、その入れ替わりにヨエルは自慢の愛剣を手に立った。

 只でさえ高身長のヨエルの、その身の丈にまで迫ろうかという大剣だ。

 刃厚もそれに合わせて太く、剣というより鈍器に見える。


 淵魔を相手に振るう武器なので、刃の鋭さより接近させず振り払う事を目的としていた。

 何も喰らっていない淵魔の肉体は脆く、強固な外皮や筋肉を持たないので、力任せに振り切る方が有効な場合も多い。


 人や魔物に向けることを想定していないので、彼らからすれば滑稽な姿と映っただろう。

 それは実際、嘲る視線からもそうと判断できる。


「馬鹿がよ。この人数相手に大立ち回りがしたいって? 武器が邪魔して、ろくに動けねぇだろうが。素手の方がまだ――」


 喋っている間に、傍の男が鈍い音を立てて吹き飛んでいく。

 それを誰もが、信じられないものを見る目で見送っていた。


 二の句を告げない、とはこういうことを言うのだろう。

 喉奥から声を絞り出そうとした時には、更に二人、三人と野盗たちが吹き飛んでいた。


「ば、ば、馬鹿野郎! さっさと畳め! やっちまえ!」


 しかし、一際大きな男が力任せに振り抜いた剣を、やはり造作もなく指先で捕まえて反撃した時、彼らの中でなお抵抗しようという者はいなくなった。

 我先に逃げ出すか、武器を落として両手を上げて降参を示す。

 だが、ヨエルの攻撃は一切容赦しなかった。


 武器を小器用に振り回し、その度に骨を砕く音や悲鳴が上がる。

 森の奥へ逃げようとしても、その前に驚くべき速度で追い付き、誰一人逃さず仕留めていた。


 五秒に一人、確実に一人が仕留められ、そして誰であろうと為すすべがない。

 そのような地獄の中、全く場違いな声が一つ通る。


「あまり風を立てないで下さいね。砂が入ると台無しなので」


 事もなげに言ったのは、ロヴィーサだった。

 皮の剥き終わった具材を、手の中で刻みながら鍋の中へ投入している。

 そしてやはり、その視線は戦闘に向けられていなかった。

 ヨエルは苦笑しながら陽気に応える。


「あいよ!」


 そして、その返事通り、一切風を巻き上げず、男たちへの反撃を許さず、次々と昏倒させた。

 最後に残ったリーダー格は、額に脂汗を浮かせ、顔を青くさせながら喘ぐように呟いた。


「お、お前……お前ら、一体……!?」


「知ったところで意味あんのか? お前は自分の今後を心配してろ」


 その台詞と共に武器が振り下ろされ、鈍い音を立てて地面に転がる。

 後には、優に十名を超える男たちが、死屍累々の様相で倒れ伏せる光景が残された。


 それまでずっと動けず、固唾を呑んで見守っていたアイナが、ここでようやく動きを取り戻す。

 まったく疲れていない筈なのに、疲れた溜め息を零し、ノロノロと丸太に座り込んだ。

 そして、畏怖の籠もった視線を、レヴィンとヨエルの交互に向ける。


「お二人共、凄く強いんですね……。いえ、強そうだとは思ってましたし、武門の家系なら弱いわけないと思ってましたけど……」


「でも、……あまりに一方的で驚いた?」


 レヴィンがあくまで優しく尋ねると、アイナは小さく首肯した。


「それに、あの人数でしたし……。手傷程度じゃ済まないだろう、だなんて……」


「まぁ、そっちの世界とは色々違うんだろうな。さっきのアレも、俺達が特別強いっていうんじゃないんだ」


「そう、なんですか……?」


「あいつらが特別弱かったんだよ」


 そうは聞いても、アイナはピンと来ないらしい。

 武装した集団、そして十を超える人数とくれば、普通は適わないと思う。

 あるいは、適うにしても苦戦は免れない。

 そう考えて然るべきなのだが、この世界には刻印という技術がある。


「こっちの多くは、荒事を生業とする場合、刻印を持つものだから。あいつら、そんなの使ってこなかったろ?」


「魔術の代わりとなる技術、でしたか……」


「十分な食事と休養がなしに、魔力を回復させるのは時間が掛かる。野盗へ身をやつす場合、大抵は敗残者って相場が決まってるものだろう。武具の手入れも酷いものだった。追い詰められ、食い詰めてもいたようだ」


 そう言って、レヴィンは倒れ伏した男たちへと目を向ける。

 アイナもその視線に誘われて男たちの様子を見た。

 詳しく観察するまでもなく薄汚れた身なりで、破損し修復されてない防具、研ぎの甘くなった武器……。

 確かに、それらはレヴィンの指摘がそのまま形となって表れている。


「実力者であろうと、常に勝ち続けられるわけじゃない。時には実力以上に、運が絡むこともあるしな。だが、本当の実力者があそこまで落ちぶれるってのは、中々あることじゃないんだよ」


「それで、すぐに相手するまでもないって見切ったんですか」


「勘もあるけどな。でも、俺の勘違いなら、他の二人が何か言ってきた。意見は一致してたから、やっぱり問題にはならないと思ってたよ」


 レヴィンの目には、二人への全幅の信頼が浮かんでいる。

 向けられた二人もまた、互いに信頼の目を向けていた。

 一人が油断や勘違いしても、他の二人も見てくれる。互いに支え合って対処出来る。


 その気持ちが溢れているかのようだった。

 三人の間には明らかな主従関係が存在するが、それすら跳ね除けるだけの信頼も、確かに存在していた。


 アイナはそれを三人の外側から、ただ羨ましそうに見つめていた。

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