旅路 その5

 レヴィンが顔を向けると、ロヴィーサは思案した顔付きで下を向いていた。


「どうした、ロヴィーサ」


「……いえ、先生は確証がなかった、と言ってましたよね……。それってつまり、隔壁近くまでわざわざ移動していたって意味でしょうか?」


「どうなんだ、アイナ」


 少し口籠ってから、アイナは申し訳なさそうに首を下げた。


「なるべく顔を出さず、フードを目深に被ってろと言われていたものですから……。自分がどういうルートを通っていたのか、よく分からないんです。荷台の上とフードの隙間、そこから見える光景が、旅の全てでした……」


「それもまぁ、用心の為だったんだろうが……」


 ただひたすら、映り代わりのない光景を見続けながら、荷台でじっとしているだけというのも、相当な苦労があるものだ。

 レヴィンは不憫そうな目を向けたが、ロヴィーサの思案顔は変わらない。


「……先生は南方からいらっしゃった、と言っていました。隔壁方向には、領都へ行く道を迂回しないと通れません。わざわざ遠回りした事になります」


「……そうなるな」


「事実の検証、それを狙って……とは思います。でも、それは決壊するかもしれない危険な賭けを、先生がしたという意味になりませんか」


 思わず重い空気が流れる。

 それが事実だとしたら、到底冗談と笑い飛ばせるものではない。

 淵魔を押し込め、封殺できる最後の段階、人類の勝利……そこに手を掛ける所まで来ているのだ。


 それは余計な横槍としか思えず、一度ひとたび淵魔が溢れでもしたら、目も当てられない所だった。

 これまでのユーカード家と、それと共に奮闘して来た勇者たちが積み重ねてきた努力を無駄にしてしまう。

 アクスルの行動は、いっそ危険な裏切り行為と見られかねないものだった。


「……結果的に危機感を煽られ、アイナさんの重要性を強く印象付けられました」


「じゃあ、先生はその為に……?」


「……分かりません。アイナさんが隔壁を遠くに見た訳でもない限り、実は完全な邪推かもしれませんから」


 ただ、とアイナの後頭部を見つめながら、ロヴィーサは続ける。


「それが事実なら、どうしても我々に、アイナさんを送り届けさせたかった――。その様に見えてしまいます」


「そうだとして、それにどんな意味が? 先生は俺達だけじゃなく、お祖父様より前の代から世話になってる恩人だ。悪意があって何かしたとは思えない」


「そうですね……。だから、困ってます。単なる奔放では済まされない行動です。でも、先生は神器すら盗み兼ねないと思うと、何をしても不思議じゃないと申しますか……」


 沈黙が場を支配し、アイナもまた居た堪れなさに身体を小さくする。

 更に重苦しくなりそうになった時、そこへ殊更、明るい声音でヨエルが声を上げた。


「まぁ、なんだ! 何か裏があったのか、それとも単なる邪推だったのか? そんなの分かりゃしないだろ。だったら今は、送り届けることだけ考えてりゃいい!」


「そうだな。俺も先生を疑いたくないし、まずアイナを思っての事だったかもしれない。先生の奔放さで頭を痛めるのは、今に始まったことでもないだろ」


「信頼の置ける相手に預けたいから、という口振りでしたけど……。道中の安全を確保しつつ、実力者に無事届けて欲しいとなれば、確かに分からない話でもないですが……」


 ロヴィーサは納得を見せつつ、未だ不安な気配は消していなかった。

 しかし、それを振り払うように、レヴィンもまた殊更明るい声を上げる。


「ほら、もうすぐ領外だぞ。ここから先は、これまで通りの順調な旅とはいかないだろう。より一層、注意が必要だ」



 ※※※



 領と領の境には、その多くに関所が設けられているものだ。

 それはこの場も例外ではないが、他では見られない特徴として、何より強固で高い壁が見られる。


 それは無論、淵魔が万が一逃げ出したとしても、辺境領だけで完結することを望んでの物だった。

 時にこれを見て、外から来た人間はユーカード領を封鎖する為だ、と見る者もいる。

 しかし、事実は異なり、ユーカードの祖先が、そうするべしと築いたものだった。


 本来は長く待たされる順番も、レヴィンがいれば関係なくなる。

 最優先で対処され、そして爽やかな挨拶と共に見送られた。


「まぁ……これを見ると、やっぱり若がいるかどうかで、旅の歩みが違うってのを実感するな」


「あの顔パス……というか、徽章を見せた時ですか?」


「こんな領境の憲兵にまで、若の顔は知られてないからな。でも、領主本家にしか持てない徽章を見せれば一発だし、俺達だけならここで長らく足止めされていたのも事実だろうな」


「もう一歩で領外に出れるのに、ずっと待たされていたら、きっとイライラしてたでしょうね」


 大きく同意を示してヨエルは頷き、そしてそこにレヴィンが口を添える。


「下手をすれば、ここで半日待たされたかもしれないんだ。ともあれ、早く通過出来て何よりだった。これで一応、前線への危機は去った……と、考えて良いんだろうか」


「そこは何とも言えません」


 そう言って、ロヴィーサは硬い声音で否定した。


「先生は離れたら異常が収まった、という言い方をしてましたけど、どれだけ離れれば安心とは言ってませんでしたから。……詳しい距離まで、把握していなかっただけかもしれませんけど」


「……となると、前線から遠退いたとはいえ、油断すべきじゃないか」


「どこまで行っても、安心できないものではないでしょう。気持ち的には、もう十分という気がしています。しかし……」


「そうだな、基準がない以上、とにかく離れてみるしかないか。次の街では、少し休息を取ろうと思ってたんだが……」


 元より、十日ほど掛かる旅だ。

 普段から荒事に従事していて、大抵の疲れには慣れていても、移動疲れというのは馬鹿にならない。

 無理をすれば体調を崩し、寝込むこともあり得る。

 喫緊の状況でもなければ、休める時に休むべきだった。


「アイナさんのことを思えば、そろそろゆっくり休ませるべき、とは思います……」


「いえ……っ! あたしのことは、どうぞお気遣いなく!」


「乗馬の揺れは、慣れた者でも長く続けば辛いものです。慣れていないアイナさんなら、悲鳴を上げて当然の頃合いですから」


 最近はアイナの手綱さばきも慣れたもので、基本的に彼女が握っている。

 馬を走らせることも、苦も無く行えるようになった。

 もうしばらくすれば、完全に独り立ちしても良いだろう、とロヴィーサも判断している。


 そして、それはアイナが見せた、不断の努力の賜物でもある。

 お荷物にはならない気概を、見せているかのようだった。

 その努力をもっとも間近で見て来たロヴィーサだから、その疲労も良く分かっていた。


「ですから、一応懸念だけはお伝えました。その上でどうなさるかは、若様が判断して下さい」


「そうだな……」


 考える仕草を見せながら、レヴィンは周囲を見渡した。

 既に領境を越え、今はマードス領内だ。

 野盗の類も出るかもしれないし、魔物や魔獣も野放し状態なので、街道を歩いているだけでも危険がある。


 そして街道とは、その多くは隊商が通る道だし、常に護衛を多数雇って移動するものでもあった。

 少人数での移動は、それだけでカモと見られる。

 アイナが感じる緊張の度合いも、これまでと違ってくるはずだ。


 その緊張も慣れるものだが、レヴィン達はアイナという人物を余りに知らない。

 気心知れる仲になったばかりで、体力や疲れの限界など、旅において必要な部分の多くを、未だ知らなかった。


 そして、それはアイナ自身も明確に答えられないものだろう。

 アイナが努力家なのは、これまでの行動からも理解できている。

 しかし、努力できる気質と共に、我慢し過ぎる傾向があることも、また理解できていた。


「うん……」


 レヴィンは視線を遠く前方へと移す。

 陽は中天を差す頃合いで、昼食と共に休憩を取る時間だった。

 遠くには森が見え、今日中に次の街へ辿り着けるか分からない。

 地図こそあるが、曖昧な部分も多く、日程を計算できるほど信頼の置けるものではなかった。


 野宿で身体を休めても、疲れは澱の様に溜まっていく。

 既に領都から旅立って、三日が経っている。

 判断の難しいところだが、無理が祟っても意味はない。


「……そうだな、次の街で一度ゆっくり休もう」


「良いのですか?」


「休まないと、自分の疲れがどれだけ溜まっていたか、自覚できない時もある。休ませてみて、翌日からすぐ行動するかは様子を見て決める」


「はい。では、そのように」


 ロヴィーサが頷くと、アイナは背中を丸めて頭を下げた。


「すみません、あたしの為に……」


「なぁに……、気にすんな!」


 カラリと笑ったヨエルが、顔の横でハエを払う様に手を振った。


「俺達だって超人じゃねぇ。休まなきゃヘバるのは、誰もが同じだ。若も丁度良いタイミングって思っただけさ」


「そうとも、旅は長いって程じゃないが、体調管理は気を付けなきゃいけない。これはアイナだけの問題じゃないからな」


「はい、ありがとうございます……」


 今度はもう少しマシな状態で、アイナは小さく頭を下げた。

 それに小さく返事しながら、レヴィンは遠くに流れる小川と、その傍に生える大木を見つける。


「それじゃ、今はとりあえず、あそこで昼の休憩をしよう」



  ※※※



 昼食といっても、食べるものはいつもと代わり映えしない保存食だ。

 馬たちにも青い草が幾らでもあるので飼葉は必要なく、飲み水も小川の清流がある。


 レヴィン達にしても、飲み水の確保は非常に重要だ。

 馬に専用の革袋を積み、また各自携帯できるサイズの水袋を持ち歩いているが、常に補給できるとは限らない。


 これまでは街の井戸から補給できたが、これから先では街と街の間隔も正確ではない。

 だから、不足する事態にならぬよう、常に注意し工夫しなければならなかった。

 しっかりと補給も済ませ、腹も満たせたとなれば、休憩もそこそこに急がねばならない。


 何しろ、道の先は森だ。

 木々の隙間から光が見えず、それならばそれなりの深さがある森と見るべきだった。

 日が暮れる前に抜けられるか。

 無理なら野宿だが、それならば森の外で行うべきか、敢えて進める所まで進んだところで行うべきか。


 考えべきは多くある。

 しかし、まずは行き着いてみなければ、その判断も下せない。

 休憩が終わると、レヴィンは愛馬に騎乗して、遠くへ見える森の入口を指して言った。

 

「それじゃ、様子見がてら、まずは森まで行ってみよう」

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