旅路 その4

 そうして、クラセルタの街を出立しようとした、正にその時のことだった。

 町長夫妻の見送りを受けていたら、正門の方が何やら騒がしい。

 何事かと窺えば、レヴィン達をひと目見ようと、多くの人が集まっているのだと分かった。


 出発の日時など、町民に報せていない。

 どうやら、物珍しさと、滅多に出来ない恩返しにと、自主的に集まったものらしい。

 手土産を受け取って欲しいと言った者もいたが、旅の必需品は揃っていたし、消耗した保存食も町長の計らいで補充が済んでいる。

 馬もまた、必要以上の重さは嫌がるものだから、これには感謝だけ述べて受け取りは固辞した。


 全ての対応は不可能なので、挨拶もそこそこに出発となる。

 来た時よりも出て行く時の方が、多くの人々に囲まれ、大変難儀しながら進むことになった。

 何しろ、誰も彼も感謝の意を伝えたいだけでなく、有名人をひと目見たいという野次馬的感情もある。


 到底制御できるものではなく、街から出る時には、人払いをやってくれていた町長の声も枯れていた。


「それじゃあ、町長。世話になった。行き届いた持て成しに感謝する」


「もったいないお言葉! 是非、また今度いらしてください。その時は、もう少しゆっくりご逗留なされては如何ですかな。この街の良いところをご案内しますぞ」


「それはありがたい。急ぐ旅でなければ、是非そうさせてくれ」


 最後にまた礼を言い、ヨエル達からも同じく感謝の言葉を述べてから、馬の腹を蹴る。

 手を振る姿と声援は、その姿が見えなくなるまで続いていた。



  ※※※



「いや、それにしても凄い歓迎だったよな、若。……とはいえ、この先の街も同じ感じだと思うと、少し気疲れもするが」


「そうとも言えるが、それだけじゃない」


 レヴィンはヨエルの言葉に同意したものの、その顔には笑顔が浮かんでいた。


「皆、幸せそうで良かった。後顧にその彼らがいると思えば、力もより湧いてくる。それを知る機会と思えば、悪いことでもないさ」


「……そう言われたらそうだ。淵魔を倒すのは使命だが、彼らの安寧を守るのも俺達の為すべきことだった」


 互いに笑みを交わしていると、その後ろからアイナの感心した声が掛かる。


「やっぱり、凄いですね……。普通の人と見てるものが違うっていうか……」


「どうした、突然?」


「……いえ、故郷の人達も――本家の人達も、そういう考えだったんです。自らを盾に、無辜の民を守る。それも、誰にも知られず感謝されず、それでも立ち向かっていく人達でした」


「立派な方々だ。敬意を表するよ」


 レヴィンは本心の真心から、アイナへ――アイナの先にいる者達へ敬礼した。


「俺はどこか、感謝を示して貰うのは当然の様に思っていた。血を流した分、労苦に報いる何かがあるべきだと。でも、アイナの故郷ではそれすらもない」


「古くからある名家ですし、ある程度はやっぱり尊敬されてるものですけどね。でも、本質までは理解されてません。そういう方達だから、あたしみたいに知ってる方々からの尊意は、相応に強かったですけど」


「そうだろうな。それを知った俺でさえ、敬意を向けずにいられない。……叶うなら、そっちの戦士も見てみたいもんだ」


「きっと驚きますよ。本家の方々だけじゃなく、あっちの世界そのものに」


 実際に帰還するつもりのアイナはともかく、それに便乗してレヴィン達が付いて行くのは無理だ。

 それを分かっているから、夢のまた夢と、とりとめもなく笑い合える。

 アイナの語る故郷は、こちらの世界とあまりに違い、想像して何かに当て嵌めることすら困難だった。


 おおよそ、常識の範疇にあらず、全く理解の外だ。

 本当にそんな物あるのか、と笑いながら旅路を進んで行く。

 それは目の前の不安から目を逸らす話題に過ぎなかったが、誰もそれを口にしない。

 興味の赴くまま質疑を繰り返し、遠い異国へ思いを馳せるように楽しんだ。



  ※※※



 旅の行程は順調で、他二つの街――かつての領都を経由して、遂に領の境目までやってきた。

 ここまで約三日、各街では歓待を受けた以外で足を止められそうになる要因もなく、トラブルも無しでやってこれた。


 魔獣や魔物との遭遇もなく、実に平和なものだった。

 ユーカード領では巡回兵がいて街道を守っているし、常に訓練相手として魔物を探して狩りに行く。


 人に害が及びそうな場所に巣を作れば、これを積極的に利用するので、大抵の危険はそこで摘まれる。

 この大陸で魔物被害が一番少ない、と言われる理由はそこにあった。


「何しろ魔物ってのは、単に人へ害なす存在なだけじゃないからな」


 旅の道中ではヨエルの話し好きが如何なく発揮され、この時もまた得意げに語り始めていた。

 そして、アイナも良い聞き手として受け応えるので、特に話が饒舌となりがちだった。


「違うんですか? 他に一体なにが?」


「これは別に魔物に限った話じゃないが、淵魔ってのは何でも喰う。力あるモノを喰らおうとする習性があるのさ。自分をより強くする為だ」


「それはつまり、食物連鎖みたいなものですか? 強い魔物だって、より強い魔獣には喰われる、みたいな」


 それはある種、的を射ていたが、ヨエルは大袈裟に首を振る。


「そういう事じゃないんだな。魔物なり魔獣なり、何かを食らうってのは命を繋ぐため、それが大前提だ。淵魔の場合、そもそも生命であるかも怪しい生態だ」


「そう……なんですか?」


「奴ら、地の底から湧いて出るからな。龍脈を伝って移動するんだし、どこか生命とは根本的に違うんだ」


 なるほど、とアイナは難しく考え込みながら頷く。


「生殖で増えないし、食事も必要としていない……。でも、捕食を前提とした行動を取るんですね……」


「ただ自己存在を強化する為に喰らう。それが淵魔ってもんだから、魔物すら喰われる訳にゃいかないんだ」


「魔物一体で、どれくらい強化されるものなんですか?」


 その疑問に答えたのは、横で聞いていたレヴィンだった。


「――そりゃあ上から下まで。色々あって、一言じゃとても言えない」


「へぇ……?」


「何を喰らったかは勿論、個々の淵魔によっても違う。弱い相手を喰らっても、必ず変化が生まれるのは間違いない。でも、同時に相手の特徴を引き継ぐ所に、その問題がある」


「問題、ですか……?」


「何ていうのかな……、存在として矛盾してしまう場合がある。例えば馬を喰らったとするだろ? そうして長い脚と速く走れる特徴を持つとする。そこから更に、鳥を喰ったらどうなると思う?」


 アイナはきょとんとした視線を見せたものの、幾らもせずに返答した。


「それはやっぱり、翼を背中から生やすんじゃないでしょうか」


「そういうパターンもある。でも、鳥ってのは骨が軽いだろ? 飛ぶ為に構造上、その身体を軽くしてある。だから翼じゃなくて、そっちの特徴を出してしまう場合だってあるんだ」


「え、じゃあ……自重で潰れちゃいません?」


「あぁ、その通り。潰れて自滅する。馬鹿みたいだろ?」


 レヴィンはいっそ愉快に笑ったが、その目は笑っていない。

 即座に笑みを引っ込めると、今度は脅すような視線で言う。


「奴らは生命の何たるかを理解してない。だから、とりあえずの特徴を適当に取り込む。けど、必ず上手い組み合わせになるわけじゃないし、さっきの馬鹿みたいな特徴を重ねる場合もある」


「じゃあ、魔物の特徴を複数、上手く噛み合わせられたら……」


「とんでもない化け物が出来上がる。勿論、外見上って話じゃないぞ。いや、外見上も十分、化け物だが。とにかく、手を付けられない化け物が誕生する」


 かつて、レヴィンが生まれるより前の話だ。

 祖父エーヴェルトから、幾度も聞かされた逸話がある。


 獣の強固な肉体に複数の頭、それぞれが違うブレスを吐き、空すら飛ぶ淵魔が、更に人間を喰らい魔術を扱う力を得た。

 今の領都を建設中の話で、神殿の建立も完了間近という時期だった。


 たった一つの淵魔が包囲網を抜け出し、そのまま逃げ出したからだ。

 特に小さく、特に素早い個体だった所為もあり、殲滅が大原則である討滅を失敗した。


 一度逃がし、潜伏した淵魔を探し出すのは容易でない。

 そうして次に発見した時は、先程の化け物となって逆襲して来たのだ。


 その時は、竜の助力もあって討滅できた。

 しかし、常に助力を期待するものではないし、助力を前提に討滅を考えるものでもない。


「だから、俺達は口酸っぱく言われてきた。戦場で淵魔を絶対逃がすな、必ず全て討滅しろとな。魔物の討伐を領兵が率先してやるのも、その一環さ」


「食べる魔物がいなければ、強化される事もない、と……」


「その通り。実際、小さな淵魔ほど見逃しまいがちだ。万全に万全を重ねても、戦場ってのは幾らでも問題が発生するもんさ。淵魔は基本、目の前の得物を狙う。人が目前にいるのに、それを避けて別の獲物を狙ったりしないものだし」


「――だから、基本的には平気なんだ。幾つもの隔壁だってあるからな」


 ヨエルが注釈を入れて、東端の鉄壁を誇るように謳う。


「両端は高い崖で、木だって生えてない不毛の大地だ。生き物は基本いない。だから、他に気を取られて人間を無視するってこたぁない」


「それでも、万全を期すんですね」


「そうとも。誰もがここを最後と理解してる。完全に淵魔を追い落とせば、俺達人間の勝利で、その脅威も消えてなくなる。――だから、最後の最後でヘマする訳にはいかんのさ」


「……それを、あたしが台無しにする所だったんですね……」


 暗い顔をさせたアイナに、ヨエルも焦った様子を見せる。

 叱責めいた視線が、ロヴィーサから向けられた。

 それに気付いたレヴィンが、精一杯のフォローを、と口を開く。


「アイナに責任があるなんて、誰も思わないさ。むしろ、先生の方に非があるんじゃないか。分からないから試してみるか、そんな気持ちでこっちに来たみたいな口振りだったし。それでアイナのせいなら、堪らないって!」


「そうだよな! 結果的に遠く離れれば解決って判明したんだし、今頃は前線も平常に戻ってるんじゃないか?」


「すみません、気を使わせてしまって……! そんなつもりで言ったんじゃないです」


 馬上なので上手くいってないが、アイナは平身低頭、平謝りしていた。

 レヴィンとヨエルもアイナに頭を下げる事になり、一種異様な空間が出来上っていた。


 しかし、そこに加わっていないのがロヴィーサだ。

 謝罪はともかく、彼女の涙を見てからというもの、アイナをよく気遣っていた彼女が、何の反応も示さないのは不思議に思えた。

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