旅路 その3

 町長の屋敷に案内され、その妻からも挨拶を受けると、すぐに客間へと案内された。

 レヴィンは貴族階級が使う立派な個室で、ロヴィーサとアイナは同室、ヨエルは一人でベッドが二つある客間へと案内された。


 旅装を解き身軽になると、ようやくそれでひと心地つける。

 町長の屋敷には立派な馬房があったので、馬たちも問題なく休め、今頃は機嫌よくしているだろう。


 レヴィンはとりあえず自室で寛いでいたが、夕食の時間までやることもない。

 黙って部屋の中で大人しくしているのも面白くなく、それで二階の談話室に集まらないかと声を掛けた。

 食事の時間まで時間を潰そう、という提案には他の皆も賛同し、それですぐに全員が集まった。


 そこは階段に面した踊り場を利用した場所で、広々とした空間にはソファーやテーブルが置かれている。

 見栄えの良い調度品や、絵画が目を楽しませる場となっていて、屋敷の持ち主の為人ひととなりが分かるかの様だ。


 レヴィンが上座にある一人掛けのソファーに腰掛けると、ヨエルも近くのソファに背中を預ける。

 ロヴィーサとアイナは、その正面になる四人がけのソファーに並んで座った。


 何を申し付けた訳でもないのに、メイド達がやって来てお茶を準備してくれたり、その持て成しも良く、大変行き届いていた。

 アイナが紅茶を一口含んで喉を潤し、ホッと息を吐くと、呟く様に言葉を落とす。


「それにしても驚きました……。レヴィンさんって凄い人気なんですね」


「俺がっていうか……、代々のユーカード家に敬意を表してるのさ。誰が前面に立っているお陰で今の安全があるか……、この街の人達はそれを良く分かってる」


 それこそが、この街で見た歓迎の姿だった。

 そして、それはこれからも安全を保って欲しいという、気持ちと期待の表明でもある。

 仮に前線が決壊し、領都を放棄する事態になれば、その危険は自分達にも及ぶ。


 自らの身体を盾として、淵魔を受け止めてくれている――。

 その正しい認識と感謝が、先程見せた民の姿だった。


「そうなんですね。ずっと、脅威から……。少し、あたしがいた世界と似ています」


「そうなのか? そういえば、これまで余り聞けてなかったな。……聞いちゃいけないかと思ってたけど、平気なら話して貰えるか?」


「はい、勿論です。でも、あたしは淵魔を直接見たことないですから、どういう物か知りませんけど……。でも、あたしの世界に淵魔はいませんでした」


「だが、自分の世界が脅威に晒されているのは同じだと……」


 レヴィンが問えば、これには無言で首肯が返ってきた。


「色々、勝手も違います。こちらでいう魔力は、あちらの世界では一般的じゃありませんから。魔力も敵の存在も秘されていて、一般人は脅威があるとも思ってません」


「……それはつまり、陰ながら民を守ってるとか、そういう感じか?」


「ですね。多分、こちらでいう魔物を相手に戦ってるんだと思います。その指揮を神様が執っていて、危険を未然に……そして悟られぬよう処理する。そういう形が出来上がっているんです」


 アイナの話す内容はレヴィンにとって新鮮で、こちらとは全く違う魔物との関わりに興味を覚えた。

 一口飲んだ紅茶をソーサーの上に置いて、身を乗り出すように問い掛ける。


「俺達みたいに前線を引き受けてるのが、その神様か。……凄いな。民を愛してらっしゃるんだな」


「正確には、本当に武器を持って戦ってくれる訳じゃないんですけどね。でも、秘した討伐のシステムを作ったり、その為の兵や武器を整えたり……。そういうのをしてくれた御方です。今はその多くを人が担当していて、代わりに後ろで見守る存在として崇められています」


「へぇ……。世界が違うと、色々あるんだな」


 レヴィンが感心した様子で頷き、逆にヨエルは首を傾げて質問を投げ掛けた。


「でも、何で秘するんだ? それじゃ志願兵だって、ロクに集まらんだろうに」


「誰もが魔力を持ってないから、だと思ってます。何一つ対抗できず、抵抗も出来ないなら、知らずにいた方が良い。……そういう事なんじゃないでしょうか」


「そして、お前さんみたいに数少ない有力者が、力なき民の代行をするってわけか」


 アイナは曖昧な笑みを浮かべて頷く。


「レヴィンさんの御先祖様みたいに、神様から直接宣下あって戦うことを願われることもあるそうです。でも、大抵は既にそうした名家や分家があって……あたしの位置付けとしては、ロヴィーサさんに近いです」


 アイナが親しげさと苦慮を綯い交ぜにした視線を送ると、ロヴィーサは澄ました顔で見返した。


「初めから、自分の生き方を定められていた人生、ですか。あなたはそれを苦々しく思っているようですね」


「い、いえ……! お仕えするのは名誉だと、あたしも思ってました。その為に多く勉強しましたし、多く努力もやってきました。それに、本家をお支えすることは、そのまま神様のご意思を尊重する事になりますから……!」


「でも、何か不満そうに見えました」


 ロヴィーサの観察眼は鋭い。

 それはまさしく正鵠を射ていて、アイナは一瞬言葉を飲む。

 既にそれを自覚していた彼女は、数秒の間を置いて、それからそろりと口を開いた。


「時々は……何も知らず、華やかな世界で生きてる人を羨ましく思ってました。勿論、そうした人を助ける行いだと、崇高な行いだと理解してはいたんです。――でも、もし自分がそちら側だったら……知らずにいたらどうだったろう。そう思ってもいたんです」


「なるほど……。後悔してはいない……けれど、羨望はあったと……」


 ロヴィーサの言葉に、アイナは弱々しく頷く。


「それが悪かったんでしょうか。不敬だったと思いますか? だから神様から見限られ、世界を追い落とされてしまったのでしょうか……」


 どうして違う世界から、こちらの世界に来てしまったのか、それは誰にも分からない。

 神ならぬ身ならば尚更で、誰もそれに返答できなかった。

 アイナも答えを求めているようで、その実、救いこそ求めているように見える。

 縋るような視線は、それを如実に表していた。


「神殿に行けば、あたしは本当に帰れると思いますか? もしも本当にその手段があるとして、追い出されたあたしは、帰りたくとも締め出されてしまうのではないでしょうか……。それが怖い……。見捨てられたと、知ってしまうのが怖い……」


 アイナが手に持つ紅茶の表面が、震えて揺れていた。

 強い信仰対象を持つ者にとって、その相手から見捨てられたと思い知らされるのは、紛れもない恐怖だ。


 アイナの顔は蒼白で、絶望の余り我を見失っているように見える。

 普段は明るい様子を見せていただけに、その落差は特に大きく見えた。

 ロヴィーサが震えた手に自分の手を添えると、それで紅茶の揺れも止まる。

 アイナの目を見つめて、それから諭す様に言葉を投げ掛けた。


「違う二つが見えたなら、普通は対比してしまうものでしょう。どちらか一方が良く見えたからといって、神たる者の勘気に触れたとは思えません」


「そう……なんでしょうか。だったら、どうしてあたしはここに……?」


「それは分からない。誰に聞いても分からないでしょう。だから、信じて願うことです。許しを請うのではなく、ただ一人の信者として、強く願い給う。あなたが自分の神を信じるなら、それが最も神の思いに適うでしょう」


 神はその信仰、願いの強さによって存在を確かにし、力を蓄えるという。

 ただ一人の願いでは雀の涙だろうが、強い願いは必ず届く。

 それが遠く隔たれた別世界からでも届くか、そこまでは分からない。

 しかし信仰とは本来、届かなければ思わない、などと利己的なものではない筈だ。


「はい、そうします……。許しではなく、強く想って願います。あたし、帰りたいです……。神の御座おわします世界に、帰りたいです」


「そうでしょうね」


「でも、でも、それより……」


 ロヴィーサが労しいものを見るようにすると、アイナはカップを包んでいた両手を震わせた。


「お母さんに、会いたい……っ」


「……そうでしょうとも」

 

 アイナが涙したものが、紅茶の上に落ちる。

 既に何度も泣いて、涙は枯れた筈だった。

 しかし、込み上げるものは一度枯れても、何かの切っ掛けで溢れるものらしい。


 ロヴィーサは肩に手を回して、頭をその胸に掻き抱く。

 小さな嗚咽が、広い部屋の中で静かに満ちる。

 誰も何の声も発っせられず、掛けてやれる言葉もなかった。



  ※※※



 ――結局、その日アイナはそのまま自室に籠り、部屋から出て来なかった。

 夕食は取り分けられたものを運ばれ、日がすっかり沈んでから、それに口を付けた様だ。

 ロヴィーサが同室だったのは、果たして幸いだったのかどうか……。


 本当なら、一人きりでいたかったかもしれない。

 しかし、結果として慰められる誰かが傍にいることで、アイナは翌日にはすっかり元通りになっていた。

 泣き腫らして酷い顔だったらしいが、そこは治癒術で綺麗さっぱり洗い流したと、からりとした口調で述べられた。


「ご心配お掛けしたようで、本当にごめんなさいっ。もう平気ですから!」


「本当か……? もし良かったら、落ち着くまで少し留まってもいいぞ」


「いえ、あたしを送り届ける為に無理して頂いてるんですから! そのあたしが、皆さんの足を引っ張る訳にはいきません」


 決然たる思いを口にし、アイナは胸を張って頷いた。

 しかし、昨日の様子を見たレヴィン達としては、素直に頷けないものがある。


「本当に平気か? 意地張る事と、意地見せるのは全く別の物だぞ?」


「はい、大丈夫です。たまに、発作みたいな感じで、ワッと泣けちゃうことがあるんです。普段は枯れたみたいに涙出ないんですけど、……時々、栓が抜けちゃうんですかね?」


 アイナは恥ずかしそうに顔を逸らし、それから鬱屈さを放り投げるように顔を上げた。


「あたしの存在が、皆さんの故郷を危険にするかもしれないんですから。早く離れれば、その分だけ安心でしょう? せめて領外に出るまで休めませんよ」


「それは、その通りなんだが……」


「どれだけ離れれば、淵魔がアイナを感知しなくなるか分からねぇのも、確かだもんな」


 そう言って、ヨエルはアイナを気遣う視線を切り替え、レヴィンへと向ける。


「またあの時みたいな異常発生が始まる前に、早いとこ領外に出た方がいい」


「先生が言うには、離れることで奴らの行動も治まった、という話だったから……」


 そうとなれば、素早い行動こそが領民を救うことにもなる。

 兵達が無駄に危険な目に遭う必要もなくなるだろう。

 立ち止まる必要があるにしろ、それはもっと先であるべきだった。


「……分かった。アイナの気遣いに感謝しよう。準備を進めてくれ。朝食が済み次第、すぐに発つ」

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