それぞれの決意 その4

「……アイナの覚悟は、良く分かった」


 レヴィンは絞り出すように声を落とすと、それからヨエルとロヴィーサへ、順に顔を向ける。


「お前たちには、改めて訊く意味もないって感じだが、一応な……。アイナを連れて行く……いや、改めて巻き込む。それで良いんだな?」


「巻き込むって言い方は、どうかと思うぜ。俺達が勝手に手を引っ張るわけでもねぇ。むしろ、振り払った手を握って来たのがアイナじゃねぇか。それだけの覚悟を決めて来たんだろうよ」


「若様の気持ちも分かりますけれど、彼女の意思を蔑ろにし過ぎるのは、どうかと思います。勿論、私にとっても大切な友人ですから、軽率に自分の命を扱って欲しくない、とも思っていますけれど……」


「だが、止める気はないんだな?」


 レヴィンが努めて視線を厳しくさせて問うても、ロヴィーサは意見を翻したりしなかった。


「別れるのが寂しいとか、この場の思い付きで言ったことなら止めました。けれど、そうでないのは、その目を見れば分かることですから」


「……そうだな」


 アイナの意志は熱烈だった。

 レヴィンにとっては、か弱いイメージばかりが先行する彼女だが、今回ばかりはその瞳に滾るような熱意が浮かんでいる。

 それはこの質問をするより早く、レヴィン自身も理解していたことだった。

言う

「俺自身、どうも……何て言うかな。アイナはいつも、帰りたいって泣いているイメージばかりあったものだから……。せっかく帰って来られたんだ。別れを惜しむ気持ちが先行したから、出た言葉かと思った」


「そんなつもりは……」


「分かってる。だが、アイナが俺達を思ってくれるのと同じくらい、俺達は君に死んで欲しくないと思ってる」


「……はい」


大神レジスクラディス様からすると、俺達ですらギリギリの及第点を貰えた程度さ。じゃあ、アイナは? 俺達と一緒に歩めるだけの実力を備えてるのか?」


 これは誰かに対する確認というより、むしろ独白に近かった。

 しかし、それにはヨエルが首を傾げながら答える。


「でも、そうか、大神レジスクラディス様なぁ……。俺達が良しとしても、の神が許すかどうか、って問題もあったな……」


「です、ね……。力量不足だから、一度はわたくし達を主戦場から離そうとされたぐらいです。アイナさんにも同様に思うのは、むしろ自然といいますか……」


「……やはり、止められてしまうか?」


 レヴィンが瞠目しながら問うと、ロヴィーサは重々しく頷く。


「恐らくは」


「そこは伺い立てて見るしかないだろうよ。治癒術士は必要だって訴えれば、それで許可貰えるかもしれねぇし」


「実際、そこに期待するしかないだろうな……。大神レジスクラディス様が許可しなければ、俺達がどれだけ嘆願しようと無理だ。勿論、最大限訴えかけるつもりではあるが……」


 レヴィンは申し訳なさそうに言うと、アイナは頭を振ってから頷く。


「勿論です。神様に抗ってまで、我を通そうとは思いません。何より、御子神様に言い募るなんて、余りに不遜です。……今回の同行についても、御子神様をお助けする為なら、という条件があって両親が許可したようなものですから」


 この国で最大限の尊崇を受け、そして同じだけ感謝を捧げられる神の、御子たる神なのだ。

 その敬虔な信徒であるアイナからすると、レヴィン同様、大神レジスクラディスに物申すことなど出来ないに違いない。


 そして、どうして再会しばかりの娘を、両親が同行する旨を許可したのか、それで分かった。

 ユーカード家と同一に考える事は出来ないが、神を助ける為と言えば、許可を得るのはそう難しくなかったに違いない。


 アイナは力なく笑みを浮かべていたが、すぐに態度を改めて、レヴィン達を順に見つめて頷いた。


「実は私……旅の間、一つ思っていた事があるんです」


「それは……?」


「一つはご恩返しです。守られてばかりいる自分が、許せない気持ちが最初にあって……。それでも見捨てず、帰還の手段を考えて、危ない橋を渡り続けるレヴィンさん達に、何か返せないかと思っていたんです」


「それが、今の動機に繋がってる?」


 アイナは真っ直ぐに瞳を向けて頷く。


「やり返したい気持ちは口実、って訳でもないですけど、むしろそっちの方より気持ちは強いです。意趣返しを伝える方が、案外すんなり受け入れて貰えるかと思って、敢えてそう言いました。騙す様なこと言って、ごめんなさい」


 アイナは真っ直ぐに伸ばしていた背中を曲げて、実直な態度で頭を下げる。

 だがそれを、ヨエルは一笑に付して手首を振った。


「いや、それは別にいいじゃねぇか。騙すためって訳でもねぇし、実際その通りだったしな。でも、それを今更、明かす理由は? 下手に意見を翻すと、俺達だって翻すかもしれねぇぜ?」


「不誠実だと思ったからです。レヴィンさんは大神レジスクラディス様に直訴するとまで言ってくれました。それなのに、その渦中の中心にいる私が、本音を隠したままでいるわけにはいきませんから」


「まぁ、アイナらしいと言えば、らしいのかもな」


 ヨエルは笑って手を伸ばし、アイナの頭を乱暴にも思える手付きで撫でる。

 大きな掌は、そのままアイナの頭を握り込める程だし、無造作な撫で加減は、彼女の頭髪を乱れさせた。


 手が離れたあと、アイナは手櫛で髪を整えつつ、ヨエルに仕方ないな、と言いたげな視線を笑って向けた。

 ヨエルの女心が分からない雑な態度も、今に始まった事ではない。


 アイナにとっても慣れたものだった。

 一同に流れた空気が切り替わった事を察し、レヴィンは更に問いかける。


「さっきアイナは、理由について一つは、って言ったろう? 他にも理由はあるのか?」


「はい、もう一つだけ……」


「どんな?」


「これはご恩返しとも、少し重なる部分ではあるんですけど……。あなた達を死なせないことです」


 意外なことを言われ、レヴィンは虚を突かれた気分になった。

 目配せしたヨエルやロヴィーサも同様で、互いに意を窺う形になっている。


 しかし、無言で探り合っていても、答えなど出ない。

 詳しい事を訊こうと、レヴィンは口を開いた。


「俺達は、あっちに帰ると死ぬって思われてるのか?」


「あぁ、いえ! そちらではなく! 旅の間に思った事です……!」


 アイナは焦って両手を横に振り、必死に否定してから詳しく語り始めた。


「レヴィンさん達は、ずっと危険な綱渡りをしていたじゃないですか。そして、成功する見込みだって、実は殆どありませんでした。……そうでしょう?」


「……そうだな」


 それは認めない訳にはいかなかった。

 レヴィンはアルケスに踊らせて、神殿襲撃を繰り返していた。

 だが、それは同時に、アイナを日本に帰してやれる神器がないか、それを探す為のものでもあった。


 一度襲撃を行う度に、レヴィン達が発見される公算は高くなり、そして例え見つかったとしても、レヴィン達の未来は暗かった。

 アイナは一人、安全地帯へ逃げ込めるかもしれないが、彼らにとってはそこからが本番だ。

 道行く先が崖になっていると知って尚、レヴィン達は進み続けるしかなかった。


「……それを止めたいと思っていました。でも、私にそんな手段はなく、仮にあっても余りに無力でした。私には万が一、助かる希望がありました。……でも、あなた達にはそれすらもない。それを凄く……、凄く歯痒く思っていたんです」


「それで、そうか……。恩返しか」


「して貰った以上の事をお返しする。それが我が家のご恩返しです。――以前は、私にはどうにもならなかったかもしれない。でも、今は……!」


 語る程に、アイナの口調は熱意を帯び、最後には叫ぶようになっていた。


「今なら、私でも皆さんの助けになれます。何も出来ない、何をすれば助けになるかも分からない、八方塞がりの状況とは違う。明確に、皆さんの傷を癒やす助けになれる……! だからどうか、私にご恩返し、させて下さい!」


 アイナは再び背筋を伸ばし、つむじが見える程、深く頭を下げた。

 レヴィンはその間、呆気に取られた様に、微動だにしなかった。

 そこに横からヨエルが肘で突付いてきて、我に返ってアイナに促す。


「……あ、あぁ! いや、アイナ、頭を上げてくれ。君の熱意は分かった」


「俺達が気に入りそうな動機よりよ、最初からそっち言ってりゃ、即断で許可貰えてたろうになぁ……」


「……あ、う……っ。最初から、体当たりで行けば良かったです……」


 今度は背筋を丸めて、俯いた頭を下げたアイナにヨエルが笑う。

 ロヴィーサは幾らか感激した面持ちで、隣に座るアイナの肩を抱いた。


「貴女の熱意、確かに伝わりました。そして、それだけの熱意、若様は決して無下にもしないでしょう。大神レジスクラディス様への口利きも、一層熱を入れて下さると思いますが……」


「俺だけの熱意じゃ、大神レジスクラディス様には届かないだろうな。というか、俺だけの話じゃなくて、誰であっても容易じゃないと思うけど……。それこそ、神使の方々でもなければ……」


「けど、俺達に味方する得なんかねぇしな……。居るかどうか本当の所は知らねぇが、優秀な術士ぐらい多数抱えてそうなもんだろ。治癒術士なら、そこから選べって言われるかもしれねぇぜ? 負けられない戦いに、敢えて劣った術士を加える理由がねぇ」


 それは実に、有り得そうな仮定と思われた。

 神がその庭に、多数の兵を持っていないと思う方がおかしい。


 そして、神の側に控える許しを得ているなら、よほど上等な術士の筈だろう。

 全くの初対面で連携も知らない相手と、気心知れたアイナ、どちらと組むと言われたら、アイナの方が良いと言いたい。

 しかし、それを吹き飛ばす程の実力があるとすれば、また話は違ってくる。


「ちなみに……アイナ、出発は明日だ。それは大丈夫か?」


「え……、はい。家族にはもう、いつでも経てる形で話は着けています」


「それなら、出発直前にねじ込んでみよう。女官に俺達からも頼み込んでおくから、明日奥宮まで来てくれ」


「出発前にゴタゴタを持ち込んで、うやむやのまま出発しようってハラかよ?」


 レヴィンは難しく眉を顰めながら、それでもしっかりと頷く。


「そういう時に、俺とアイナで熱意のままに伝えれば、もしかしたら、があるかもしれない。今はそれに賭ける方が良いと思う」


 レヴィンの提案に、誰からも反対意見は出なかった。

 アイナもまた、誰より緊張した面持ちだったが、それでも力強く頷いた。

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