それぞれの決意 その5

 翌日、とうとう帰還の日がやって来た。

 レヴィン達はいつも決まった時間に起床し、身なりを整え、それから朝食を取るのが習慣だった。


 それは故郷にいた時から続けていたもので、こちらに来ても変わりない。

 旅の最中は、決まった時間に寝て起きるのは難しい。

 だが、今の安全な環境下では、朝食より前に鍛錬がてら、身体を動かしたりする余裕もあった。


 しかし、本日ばかりは、そうした時間は取るわけにもいかない。

 時間厳守と申し渡された訳でないものの、神を待たせる不敬は働けない。

 素早く準備して、腰にカタナを佩くと、他の二人も準備完了していた。


「……奮い立つな」


 レヴィンがカタナの柄に手を置きながら、不敵に言い放つ。

 それにはヨエルも、真っ直ぐな瞳で同意した。


「随分とヤキモキさせられたがよ……。それでも、振り返ってみりゃ、俺達にとって必要な時間ではあったな」


「あのまま即座にとんぼ返りして、あの戦いへ舞い戻っていたら……。相討ちに持ち込めていたか、それすら怪しかったろうな……」


 レヴィンは右手を顔の前まで持ち上げ、力強く握る。

 魔力の制御力を高めたお陰で、レヴィン達は飛躍的に強くなった。


 より正確に言うなら、そのポテンシャルを最大限、発揮できるようになったというべきだろう。

 自らの努力とは別に開かれた才能だから、出来ていたのは、それを振り回すことだけだった。


 本当に使いこなす力とは全く別もので、だから今のレヴィン達は、ロシュ大神殿の時とは比較にならない力を得ている。

 そして当然、アルケスはその事実を知らない。


「一種の目眩まし……。油断を誘う手段として、使えるかもしれない」


「然様ですね」


 ロヴィーサもまた、真っ直ぐにレヴィンを見つめて首肯する。


「アルケスめにとって、直前に姿を消した者が、突然強くなっているなど想像できない事でしょう。……勘付く機会があるとするなら、それはどうした状況で発見されるかに、関わってくると思いますが……」


「どの道、騙せると言っても、剣を一合か二合、交わせるまでの間だろう。それまで騙せれば良し。……それに、どういう場面で戦う事になるのか、未だに想像できないしな」


「然様ですね……」


 レヴィンが悩まし気に言うと、ロヴィーサもまた形の良い柳眉を八の字に曲げた。


大神レジスクラディス様や神使の方々が、先に攻撃を仕掛けるかも知れず……。そして、実力的に鑑みて、順当という気がします」


「まぁ、そりゃあなぁ……」


 これには、ヨエルも苦い顔をさせて、表情を歪めた。


「神々の遊びにすらついて行けない俺らが、本気の戦いになって、どこまで喰らいつけるかって話でもあるからよ……」


「そうとなれば、出番なしとも思えるし、周囲の淵魔がどういう状態かによって、どうとでも変わると言えるが……」


 レヴィンは眉尻を指先で掻いて、それからいっそ愉快に笑った。


「まぁ、最初から俺達は眼中にないだろう。だからこそ、その背を刺してやるチャンスが生まれるかもしれない。今は、それぐらいの心構えでいよう」


「……だな。まぁ、俺達ゃ大神レジスクラディス様のオマケだ。そのぐらいの実力しかねぇのは、身を以って実感した。それは仕方ない」


「でも……仮にそうだとしても、抵抗することそのものが、無意味だとは思いません。敵わぬ相手と知っても、なお抵抗する意味はある。――私はそう信じていますから」


「あぁ、そうだった。少し状況が変わっただけ。最初から、そういうつもりで挑んだ戦いだった」


 レヴィンが力強い笑みでロヴィーサに同意した時、襖の戸が控えめにノックされた。

 部屋付きの女官が取り次ぐと、そこには以前の旅支度姿をさせている、アイナが立っていた。


「……アイナ! 良かった、無事やって来られたか!」


「勿論です。共に戦うって決めましたから」


「いや、そういう意味じゃなくて……」


 レヴィンは今更ながら、気不味くなって顔を逸らす。

 それから頬を掻きつつ、ぽつりぽつりと話し始めた。


「ほら、女官の方に、アイナを通す様に頼むって言ってただろ?」


「え……? はい。ですから、こうしてやって来られましたけど」


「いや、よく考えたら、俺に誰かを奥宮ここに招く権利なんてないんだよな……。客人扱いして貰って、誰もが恭しい態度を取ってくれるけどさ。だからって、俺が個人的に招いた客を受け入れる理由なんてないし……」


「あ……」


 レヴィンの言葉で、アイナもようやく事態を飲み込めたらしい。

 今更ながらに青い顔をさせて、壁際と背後に佇む女官へ、何か恐ろしいものを見た表情をさせる。


「まぁ、来られたからには、問題ないって判断なんだろうけど……」


 呟く様に言って、レヴィンは改めて女官へ伺い立てる。


「えーっと、大丈夫なんですよね? 相当な無茶をお願いしていたと言いますか……。このまま神処へ連れて行って、問題ないですか?」


「はい、問題ございません。無論、レヴィン様の客人と言えど、好きに招き、そして応じて入れる許可など得られません。許可申請は、御子神様お付きの側仕えから出されてますので、詳しくはそちらでお訊き下さい」


 嫌味のない笑みと共にそう言われ、レヴィンは少し不思議に思いつつ、とりあえず頷いた。

 アイナの受け入れは、レヴィンの頼み一つで請け負われるものではない。

 そして、出来ないものを肩代わりしてくれたのが、その側仕えになる、という事らしかった。


「……礼を言うべき、なんだろうな」


 助けてくれた事になるのだろうが、どこか違和感も拭えない。

 だが、こうしている間にも時間は流れていた。

 アイナが時間通りにやって来たのなら、神処にいるミレイユ達も待たせてしまう事になりそうだった。


「とりあえず、今は移動だ。ヨエル、ロヴィーサ、整列しろ」


「ハッ……!」


 レヴィンの視線から何を望んでいるか察した二人は、鋭く返事をして、機敏な動きで後ろに付く。

 両隣に付くより二歩下がった位置で止まった二人は、踵を合わせて背筋を伸ばし、顎を引いて直立した。


 レヴィンは右手を胸に当て、部屋付きの女官たちに一通り目を向けて、それから深く腰を曲げる。


「長らくお世話になりました。何処の誰とも知らぬ我らに、食事と寝床を提供してくれた御恩は忘れません」


「御子神様のお客人、そしてオミカゲ様がお認めになられた事です。お気遣いは結構……ですけれど、感謝の言葉は受け取らせて頂きます」


 レヴィンに続いてヨエルとロヴィーサも頭を下げ、そして女官達もまた所作の美しい返礼をした。


 互いに頭を下げて五秒した後、レヴィンが頭を上げると、女官もそれぞれ頭を上げた。

 アイナと二人を部屋の外へ誘いながら、レヴィンは部屋付きの女官へと、最後に会釈のような礼をする。


「……お世話になりました」



  ※※※



 ミレイユの神処に辿り着いた時、再び護衛の兵に呼び止められた。

 今度は入室を許されず、ここで待て、と言い渡される。

 そうして言われるままに待っていると、奥からミレイユ達が姿を見せた。


「おはようございます! それで、一つ、ご相談したいことが……!」


「……あぁ。だが、まずは移動だ」


「は、はいっ! ……しかし、どちらへ?」


 兵に待て、と言われたのは、最初から移動する予定だったからだと、今更ながらに分かった。

 レヴィンとしては、すぐにでもアイナがここにいる理由と、同行の許可を貰いたかったのだが、それを言わせぬ迫力がある。

 それで仕方なく、ミレイユの後ろを歩く、神使たちの後ろに付いて行った。


「……ま、ちょっとピリ付いてるのは、許してやって頂戴ね」


「ゆ、許すだなんて、そんな……! 畏れ多い!」


 愉快そうな顔付きで言ったユミルと正反対に、レヴィンは青い顔をさせて否定した。

 しかし、すぐにその顔を窺いながら、距離を縮めて言葉を投げかける。


「あの……ちなみに、どちらへ? もしかして、またどこか遊びに、とか……」


「やぁね、言わないわよ。これから天門宮ってトコに行くの。奥御殿で転移術を使って良い場所って決まってるから」


「それは……、そういう設備がなければ転移できない、という……?」


「いえ、意識の問題……というか、礼節の問題かしらね。転移って術が実際にあっても、どこへでも好き勝手出入りを許すワケにはいかないの。……分かるでしょ?」


「は、はい。それは当然、ですね……」


 どこからでも侵入を許さないから壁があり、入退出場所を制限する為に門がある。

 それは個人の敷地であろうと、町の出入り口だろうと同じことだ。


 しかし、転移はそれを無視してしまえる。

 だから、決まった門が用意され、礼節でもって行動を縛ろうというのだろう。


 転移ほどの高度な術は、使えば制御反応から居場所が判明してしまう。

 秘密裏の侵入はまず難しいが、それとこれとは、また別問題だ。


「でも、その……ユミル様。ミレイユ様に、少しご相談あるんですが、後で取り次いで頂けないでしょうか」


「なによ、そっちのアイナについて?」


「えぇ、既にお気付きの通りとは思いますが、どうにかご許可頂けないかと……」


「許可ねぇ……? 別に許可なんて、今更必要ないと思うけどね。こっちでも把握してて、門を通す命令出したのアタシだし」


「え……?」


 レヴィンは驚きを目にした者そのままのリアクションで、ユミルの横顔に刺すような視線を向けた。

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