女神と歓談、男神と迷宮 その7

「ダンジョン……? 街中に洞窟でもあるんですか?」


「その認識でも間違いないが、より人工的なもの……いや、工的な地下迷宮だ。ヤロヴクトル肝煎りというのはな、つまりそこの主がヤロヴクトルだからだ」


 ミレイユが無感動に解説したが、レヴィンとしては落ち着いてはいられない。

 一般的な常識と違いすぎ、どうにも受け入れられない、と言い換えた方が正しかった。

 それだけ、神とは神処に居るもの、というイメージが強かった。


「その洞窟だか、迷宮だかにいらっしゃるんですか? ヤロヴクトル様が? ……何故?」


「何故、と言われたら……」


 ミレイユは一瞬考え込んで、視線を空に向ける。

 それからすぐに視線を戻し、つまらなそうに答えた。


「楽しそうだったから、という理由に尽きるんじゃないか? あるいは単に、そうしたかったから、という以上の理由はないと思う」


「自分の欲望に忠実、とは聞いてましたが……。でも、やっぱり腑に落ちません。その迷宮で何をしているんです?」


「最下層で待ち構えているのさ。ヤツは『魔王』だから」


「……は?」


 レヴィンの口から、思わず素っ頓狂な声が漏れた。

 それを聞いたミレイユは、気を悪くした様子もなく、むしろさもありなんと笑っている。


「勿論それは、所謂ロールプレイに過ぎないが、ここでは魔王ヤロヴクトルとして君臨している」


「……何の為に?」


 魔王と言うのなら、この平和な街並みは何だ、と言いたくなる。

 今や後方に過ぎ去った広場には、幸せな空間が体現されていたし、見た目も美しい街並みは観光資源としてもやっていけそうくらいだった。


 魔物が溢れている訳でもないし、遠くから剣裁の音が響いてくる訳でもない。

 街の奥へと歩みを進める度、冒険者風の者たちが見える頻度は増えていったが、物騒と思えるのは、あくまでその程度のことだった。


 危機的状況どころか、その雰囲気すら遠い。

 どういう意味かと、レヴィンは重ねて問おうとしたが、それより早くユミルが口を添えて来た。


「さっきも自分で言ったばかりじゃない。欲望に忠実だから、こういうコトやってんのよ」


「それでどうして、地下迷宮を作って、魔王なんかに扮して……。いや、まさかそれが娯楽ですか? 人間が……じゃない。獣人が挑み、倒しに来るのを待っている?」


「そう、その通り」


 ユミルが指を一本突きつけ、それから上下に振って笑った。

 正解を引き当てたレヴィンだが、正解したとしても、やはりどちらにしても意味不明だ。

 ヨエルも納得いかず、ユミルへ口調荒く問い詰める。


「何で神が、そんな馬鹿をやってんです。普通に信仰を集められないからか? その昔やってた、畏怖を与えて願力を得るってやり方を、今も実践してるとか?」


「んー……、そうじゃない。そうじゃないのよ。畏怖とかじゃなく、普通……というと随分、語弊あるわね。……とにかく、信仰は集められているし、無駄に不安を煽って願力を得ているワケでもない」


「でも、普通じゃない方法で信仰を得ている、って? それこそ、何の為に?」


「だからそれがさ、楽しそうだから、っていう理由が先頭に来てると思うんだけど……それだけじゃないの。実際、これは成功例として褒められる部分でもあるのよ」


「……どこが?」


 レヴィンのボヤキにも似た呟きが、全員の総意だった。

 ロヴィーサも当然として、アイナまで興味深そうにユミルを見つめている。

 それらの視線を一身に受けながら、ユミルは解説を続けた。


「さっき、この街に入った時さ、平和そうだーとか思ったでしょ」


「事実ではないですか?」


「そうね。……でも、昔はそうじゃなかった。獣人もまぁ、喧嘩っ早い種族なのよ。力の上下で、事の成否を決めようとする。だから常に、戦乱が絶えなかった」


「何か……、鬼族と話が似てるな」


 ヨエルの感想に、さもありなん、とユミルは頷いて、事更に皮肉な笑みを浮かべる。


「言っときますけどね、人間族だって戦争が大好きな種族だからね。持ってなければ、ある所から奪えば良いって考え、別に何処の種族でも珍しくないから」


「いや、そうかもしれませんが……」


 レヴィンは否定しようと声を上げたが、すぐに眉を顰めて、渋い表情を浮かべた。


「あぁ、うん……そう、そうですね。貿易関係で揉めたとか、どこぞ攻めて来たとか、そういうの珍しい話じゃないものなぁ……。結局、程度の差でしかない訳か……」


「そうかもしれませんけど……。あの獣人さん達が、ですか? 本当に?」


 アイナは青ざめた顔で口元を両手で覆った。

 その表情から、一方的な蹂躙劇を脳裏に描いたと分かるのだが、ユミルはそんな彼女の態度を一笑に付した。


「アンタは可愛い可愛いって、はしゃいでいたものねぇ。でも、言ったでしょ、は喧嘩っ早いのよ。可愛らしい草食系の獣人が、肉食系獣人に蹂躙され、とか考えてるかもしれないけど……、そういうのないから」


「過去の戦争で、最も有名なのは兎の獣人だ」


 そう言って、口を挟んだのはアヴェリンだった。

 常と変わらぬ顰めっ面であるものの、どこか楽しげな雰囲気が漂っている。


「そもそも人口として草食獣の方が多く、襲撃するのはいつだって肉食獣だが、返り討ちにされる事も珍しくなかったのだ。ハンティング・トロフィーとして、敵の首をぶら下げた兎獣族がいたりして……。首刈り兎のエクーダと言えば、今でも語り草になる程の英傑だ」


「首刈り、兎……」


「英傑、ですか……」


 先ほど、広場で見た光景からは全く想像できない敬称に、レヴィンとヨエルは何とも言えない顔をする。

 アイナの苦虫を噛み潰した様な顔は、中でも衝撃だった。

 そこへユミルが、含み笑いをしながら解説を再開する。


「まぁ、さ……。元より好戦的なモンだから、ヤロヴクトルが呼び掛けた所で、そう簡単に止めようとはしなかったワケよ。別に争い事ぐらい、好きにさせても良いんだけど、人口の減少に歯止めが利かなかったからね……」


「それで一計を案じた結果が、地下迷宮と魔王なんでしょうか?」


 ロヴィーサが首を傾げて問うと、ユミルは頷く。


「そうよ、そういうコト」


「……しかし、外敵が出現した程度で、争い事を止めるでしょうか……。いえ、現状を見れば、とりあえず止まっている様には見えますが……」


「見えるだけじゃなくて、実際止まっているし、第三の外敵が現れた程度で争い事を止めるハズない、ってのも正しいわよ。ただし、これには単なる外敵とは違う、大きな要素がある」


 勿体ぶった話し方に、レヴィンは眉間に皺を刻みながら、自身の見解を口にした。


「その外敵が、神様だってことですか?」


「間違いじゃないけど、満点はあげられないわね。そうじゃないの、これはね……魔王を倒すと願いが叶えられる、ってところにあるのよ」


「願いが、叶う……? どんなことでも?」


「謳い文句としては、そう」


 奥歯に物の挟まったような言い方をされ、レヴィンは皺の数を増やした。


「では、実際には違うと……」


「そうね。あくまでも、ヤロヴクトルが持つ『恩寵』の権能内。それに限った願いだから、効果的にも範囲的にも限定的。だけど、凡そヒトが望む願いは叶えられるわよ」


「叶えられるのは、魔王と対峙した一人だけですか?」


「いいえ、チームとして参加して良いし、その場合はチーム内人数だけ叶えられるわね」


「では、それぞれの願いが叶えられるんですか? たとえば、不老不死も? 巨万の富も? 尽きぬ食糧も? 誰もが羨む力と名声も?」


「可能ね」


 短く断言して、ユミルはニヤリと笑う。

 レヴィンが眉間から力を抜いて、感嘆とした息を吐いた時、ロヴィーサがその間隙を突いて質問を飛ばした。


「――お待ちを。範囲的にも限定される、とは? 範囲とはどれ程を指すのでしょう?」


「丁度、この隔壁の内側だけ」


「……つまり、不老不死は都市から出れば消えてしまい、富や食糧は外へ持ち出せず、授かった力も発揮されない?」


「その通り」


 またも短く返事して、そしてやはりニヤリと笑った。

 先程と全く同じ笑みなのに、意味を知った今では全く違う笑顔に見える。


「それでは詐欺みたいなものではないですか」


「詐欺じゃないわよ。この都市で生きる限りは、望んだモノが約束されるんだから。お金は都市内でしか使えないから、外部との取り引きは出来ないけど、都市内で生活する分には、全く不都合がない」


「そうでしょうか……?」


「まぁ、色々と歪なのは認めるわ。でも、ここはそうした歪で以って、成立している街でもあるの。ここは『恩寵』に支配された街だからね」


 個人が望み、叶えられる願いなど、現実にはごく限られたものだ。

 争い事の種にしても、その切っ掛けは些細なものに過ぎない。

 外には持ち出せずとも、内側で完結しているなら、そこに不都合が生まれないのは確かなのだ。


「つまり、ここは一攫千金を狙う街、なのでしょうか? 先程言っていた、自ら囚われに来てる、とはそういう意味で……。己の欲に従って、力を振るうのは同じでも、その矛先を変えている……」


「そうね、そういう認識で合ってると思うわ。そして、この街と恩寵があるから、人口の減少は緩やかに緩和され、今ではしっかり盛り返した実績がある。どういう手法で大地を治めるか、それは神の自由だから、失敗してないなら口を挟むことでもないの」


「なるほど、先程の成功例として褒められる、とはそういう……」


「そう、でも……。これは別にヤロヴクトルだけの話じゃないし、為政者の領分だと思うから、また違った話になると思うんだけど……」


 そう言って、ユミルは表情を難しくさせて、唸りながら言った。


「この『恩寵』ってヤツはさ、成功者だけに与えられるモノじゃないのよ」


「先程と、少し話が違うような……?」


「何て言えば分かり易いかしら……。『汎用枠』と『特別枠』が用意されている、とでも言えば良いのかしらね。最下層まで到達したら、その『特別枠』で望みの願いを叶えられる。でも、『汎用枠』も設けてあって、それで自己能力を強化、増設できるのよ」


「刻印みたいな感じですか?」


「そう、それの特別版。魔力とは別枠で使える刻印、と思えば良いのかしらね。特別な制限もないし、ここの住人は誰もがそれを身に着けてる。何より迷宮踏破には必須な力よ」


 ユミルが意味ありげな視線を道の先へ向けると、そこには地下迷宮への入口が見えていた。

 隔壁同様の石壁で覆われていて、それがポッカリと暗い口を開けている。


 そして、武器を手に持ち、防具を身に着けた獣人達が、和気藹々と中に入って行く姿も見えた。

 中には欲望を隠さず、それを持て余す者までいて、迷宮へ挑むにしろ熱量の違いがあるようだった。

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