女神と歓談、男神と迷宮 その8
「……あれが、その迷宮ですか。入口は……こう言うと失礼ですが、普通ですね」
「ま、入口はね」
「そして、誰もが『恩寵』を宿して挑んでいる、と……。俺達はこのままで良いんでしょうか?」
「構わないでしょ。『汎用枠の恩寵』ってのはね、神が下賜した『お助けモード』なのよ。単身でやって来たんじゃ全く盛り上がりに欠けるから、そういうのを用意したワケ」
何とも酷い物言いの様だが、具体的な中身までは見えてこない。
それでレヴィンは、率直に問うた。
「汎用枠の恩寵って、どういうモノなんですか?」
「そりゃ、刻印同様、色々よ。そして、探索者だけじゃなく、この街の生活の根底になってるものでもある。例えば『剣技』を得れば、農民の息子だって一端の剣士になれる。『防御』を得れば鉄の肉体を得るし、『魔術』を得れば……ってな具合よ。ただし、これには『火術』『水術』みたいに、別途恩寵が必要になるみたいだけど」
「確かに、刻印と似ている部分がありますね。ただ、刻印で剣技を底上げはしても、ゼロから得られるものは無かったと思いますが……」
「今はね。昔はあったわよ、廃れて消えたけど」
それはレヴィンからすると、当然の事に思われた。
ただ剣を振るだけなら誰でも出来る。
しかし、斬るとなれば難しくなるものだ。
正確に、そして斬り上げから斬り下ろしまで、しっかり刃を立て物を斬るには、コツだけでなく必要十分な筋力もいる。
握り方は分かっていても、握力がなければ扱えないし、長時間扱えない。
そうした事は、日々の素振りと弛まぬ鍛錬なくして、決して身に付かないのだ。
その『コツ』だけを与えてくれたのが、かつての刻印だとしても、コツさえ掴めば強くなれるものでもない。
次第に使い物にならないと捨てられた、という言い分は正当に思えた。
「……で、この『恩寵』は探索を助ける為の技能なら、本当に各種色々備えてるって所に肝があるのよ。例えば『料理』、これがあれば探索方面だけじゃなく、店を開くのにだって有効よ。『鍛冶』なんか、そうした意味じゃ探索外でこそ有効って『恩寵』だわ。本人のレベルが上がる毎に、恩寵レベルも上げられるしね」
「まるでゲームみたいです……」
アイナがぽつりと呟くと、ユミルは大いに同意して頷く。
「そう、ゲームなのよ。ヤロヴクトルにとって、そして獣人にとって。……でもヤロヴクトルはさ、単に願いを叶えんと挑戦して来るだけじゃ満足できなくなった。もっと楽しみたかったのよ。もっと見てみたかった。強者との戦闘しかり、探索中の冒険譚しかりね」
でも、とユミルは一度言葉を切って、意地悪そうな笑みを浮かべて続けた。
「申し訳ないけど、彼らは弱かった。獣人は魔力を持たない種族だったから……。いや、これは人間も同じだけど、混血による先天性っていう、ちょっとしたズルもあったしね。獣人はそういうのなくて、世にマナが満ちてから自然発生した結果だから、まだまだ未成熟の領域なのよ」
「それはまた……。俺達が知ってしまって、良い事情だったんですか……?」
「別に良いわよ、このくらい。五百年も代を経れば、必要十分な形に適応していくんでしょうけど、そんなの待っていられないって、ヤロヴクトルは考えたワケ」
「……それで、ともかく張り合いがないから、『恩寵』を与えて底上げしようとした……のですか?」
ロヴィーサが自信なさげに尋ねると、ユミルは首肯して返答した。
「そう、『恩寵』に支配された街っていうのは、そういう意味でもある。一つ取得するだけなら、制限もないからね。低レベルでも、あるとなしでは雲泥の差。強くならないと恩寵の数は積めないし、強化も出来ないから、最下層を目指さない者でもダンジョンには入る」
「俺達も得た方が良いんですかね? ……これから、そのヤロヴクトル様の所まで行くわけですし……」
「いらないでしょ、アンタらには。多分、一夜で出るコトになるし……」
「――あんな軟弱なもの、お前らには必要ない」
アヴェリンから睨みと共に牽制が入って、レヴィン達は無言で顎を上下させる。
実際、街の中でしか通用しないのなら、全く意味もなかった。
彼らの主戦場はこの街ではなく、この大陸でさえない。
ただ少々、惜しいと思えるだけだった。
「実際、便利なんだろうけど、便利過ぎるものも考えものよ。刻印が出たばかりの頃も、そりゃあ多くの人に持て囃されたんだろうけどさぁ……。権能の元に得られる力、誰しも得られる力、範囲が決まっている力、ってのは拙いわよねぇ。……特に最後」
「そうですね、外に持っていけたら、どんなに……」
「いや、アタシが言いたいのは、それともちょっと違うのよ」
ユミルは今や遠くに見える隔壁へ顔を向け、困ったような笑顔をさせて言う。
「どこもかしこも、この都市目掛けて獣人が来るわ。でも、住める範囲は限定的。明確に壁があるからね。住宅を増やすのにも限界がある。……じゃあ、住めない者はどうすると思う?」
「どうするも……。追い出されたら、壁の外に行くしかないのでは……」
「そう、つまり壁外スラムで暮らすしかない。壁一枚隔てた向こうでは、当たり前に享受できる力が、そこでは使用できないのよ。これ以上なく明確な格差を見せ付けられるワケ」
レヴィンは先程、ユミルが言っていた歪の意味を、ここでようやく理解した。
元より実力主義が根底にあった社会だ。
そこへ『恩寵』の有る無しが加わり、力無い者の差は更に大きくなった。
最初は良くても、探索者として落伍してしまえば住む場所を失い、スラムへと居を移すしかない。
それまでの感じていた当たり前を喪うのは、腕一本失くすのと同義だろう。
料理や裁縫、生活基盤の能力さえ『恩寵』に頼っていたなら、スラムの生活は地獄であるに違いない。
まともな生活も出来ず、飢えるばかりではないか。
レヴィンは歪な構造に、吐き気を覚える程の怒りを覚えた。
「何故、そのようなことが許されているのです……! 歪であるなら、それを正さねば!」
「だから、そこは領主の領分だって言うの。ヤロヴクトルは神であって、最大多数の最大幸福を与える為にいる存在。だから、最大多数から零れ落ちたものまで面倒みない。――それにほら、格上からすると、格下の存在は心地よいでしょ? 優越感に浸っている間は幸福に感じられるもの」
「そんな……、馬鹿な……!」
ユミルが敢えて、悪意ある言い方をしているとは分かっていた。
それでもレヴィンは領主の息子として、次期当主として、悪意ある領制を看過することは出来なかった。
そして、それが神のする行いなのかと、怒らずにはいられない。
その矛先は、不敬にもミレイユさえ向けられた。
「ミレイユ様……大神として、これは許して良い行いなのですか。人々を苦しめる、その要因を作り、また増長させている神に対して、何か出来たりしないのですか……!」
「ユミルが言ったろう。そこから先は領主の領分だ。もしも、勝手に自滅し合う戦争など起こしたなら、これを止めるのに一計を案じるのも吝かではない。しかし、政治で解決できる範疇なら、神は傍観を決め込む。そしてこれは、政治の領分だ」
「しかし、しかし……!」
「お前が私に万能性を期待して、それを望むのは勝手だ。救える者に救いの手を、と言いたい気持ちも分かる。しかし、その理屈で言うと、再現なく神の手で救い挙げることになるぞ」
「それが、いけませんか……?」
レヴィンに神の理屈は分からない。
しかし、救える者に救いの手を……。それこそまさに、神の御業ではないか、と思う。
そこに苦しむ人が一人でも減るのなら、それに越したことはないと強く思った。
「可能か不可能か、で言えば可能だろうし、やろうと思えば出来るだろう。争いもなく、食糧に困らず、寝床にも困らない。平等で公平な世の中。……それを神から施して欲しいか?」
「出来る、というのなら……。それを望むのは不敬でしょうか?」
「いけなくはない。しかし、実践すると酷いことになるぞ。神による完全管理社会が生まれる。汎ゆる争いを許さず、汎ゆる貧困を許さず、汎ゆる身分を許さず、公平な労働力として駆使される」
「な、何故……? 何故、そんなことに……!」
「真の公平など、そうしなければ生まれないからだ。お前たちには自由を与えられる。自由とは不平等だ。貧富の差、強弱の差から、得られるものは違ってくる。それを失くせというのなら、全てが平等に檻の中で管理されなければ達成できない」
「そんな、馬鹿な……」
レヴィンは我知らず項垂れ、胸中に畏怖の念を抱えずにはいられなかった。
余りにも苛烈な思想と、神の本質を垣間見た気がして目眩すらする。
そこへユミルが、いつもの明るい声音で言い添えた。
「ほんと、おバカねぇ。誰も苦しまない楽園が、ポンと出て来ると思った? それだって見栄えの良い檻だと思うけど、神ってヤツに、ちょっと理想を押し付け過ぎね」
「ユミル様……」
「真の平和だとか、誰も負けない競争社会なんて有り得ないの。アンタだってそうでしょ? 領主の息子で、次期領主。資産も、その土台もたっぷりある。力だって大したモンよ。力ずくで奪いに来た輩がいたら、実力で追い返せるわよね? つまり、勝者の側よ」
「ですから、その勝者たる者が、皆を護らねばならぬのです!」
「うん、アンタはユーカードとして、立派にその任を果たしてる。ずっと、そのままでいなさいね。……では、世の勝者の多くが、そうしないのは何故?」
そう言われても、レヴィンには答えられない。
村長、領主、国王、それぞれ預かる者があり、預かった分だけ返すものがある。
だが、ただそれだけの事を、やれない者が実に多い。
そして、何故出来ないのかについて、レヴィンには考えたところで答えが出なかった。
「ヒトにはそうする自由があるからよ。無論、それは法によって、悪と定めるのも自由。罪には罰を与えられる。でも、見える所でやらなくても、見えない所でやるのがヒトってモノなのよね」
「それを、制限するのは……」
「神が? それを縛る? 自由でなくなる引き換えに? 悪いコトしたら空から落とす? 雷ピッシャーンって? じゃあ、汎ゆる悪事の線引はどうするの?」
ユミルは首を傾げて指を一本立て、線を引く様に足元へと向ける。
「殺人には、ピシャン。窃盗にもピシャン。その他諸々、悪そうなものにもピシャン。色々と線を引いていった結果、……じゃあ、悪口はどうなるかしら?」
「う……、え……? 悪口ぐらいなら、許されるべきではないでしょうか……」
「じゃあ、社会で一番重い罪は、悪口ってコトになっちゃうわね。それ以外は神が裁くから。あらあら……随分、息苦しい社会ですコト」
レヴィンは返す言葉が見つからない。
そして、神が許す自由とは、どれほど寛大か分かった気がした。
「この世の終わり、みたいな顔してるんじゃないわよ。アタシが虐めてるみたいじゃない」
「虐められてますよ……」
「まぁさ、自由の代償って大きいのよ。強弱があり、大小があり、格差がある。それはヒトの社会では、どうしても生まれるものよ。そして、ヒトの社会が生んだのなら、他ならぬヒトがそれを是正しなくてはならない。神がするのは、ヒトにはどうしようもならない領域だけ」
レヴィンには返す言葉が見つからない。
ただ、ユミルの顔を見返して、後悔にも似た気持ちを、心の奥底へ押し込むことしか出来なかった。
「そして神は、最大多数の保護に努める。そうでなければ窮屈よ。神の論理で支配される世界はね、人にとって快適ではないの」
「俺には難しい話です。でも、神様こそを人にとって、便利で都合の良い存在だと思っていた気がします。神ならば、人を助けて当然だと……。余りに自惚れた考えでした」
「それが分かっているだけ、他のヤツより上等かもね。――ほら、文句あるなら、ヤロヴクトルに直接言いなさいよ。お前が馬鹿やってるから、格差を助長してるんだって。何とかしろ、とか言えば良いのよ」
「何言ってるんですか、言えませんよ!」
レヴィンの身体が反射的に跳ねた。
それまで丸まっていた背中が伸び、絶叫が響き渡る。
それを見たユミルが笑い、ミレイユもまた笑った。
その無茶振りが彼女の優しさであり、そして気遣いだと分かったレヴィンは、空元気であろうと無理やり笑う。
一種異様な空気になっていた状況を、払拭しようとしてくれたユミルに感謝して、レヴィンは元の元気を捻り出した。
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