女神と歓談、男神と迷宮 その6

 レヴィン達が辿り着いたのは、立派な石壁に囲まれた、巨大な都市の前だった。

 振り返ればそこには石造りの超大な橋があり、河の間を貫いている。


 一本の大きな河が、街の側面から緩やかなL字を描いて通っていて、それを渡る為の橋だった。

 さながら頬を撫でるように通う河は、この街の流通を担う役割を持っており、荷下ろし出来る港が整備されてある。


 門扉へ続く道は全て石畳であり、歩廊を持つ石壁には歩哨の姿も見えた。

 ただし、物々しい雰囲気はなく、兵士たちの士気は高くない。

 外敵を警戒して置いているというより、箔付けの為に置いている雰囲気があった。


「ははぁ……、立派な城壁ですね。兵たちの警戒姿勢は奇妙ですが……」


「あれは隔壁って言うの。ここには城がないからね。名前の通り、内と外を隔てる壁ってワケ」


「隔てる……のは分かりますが、警戒心が無さすぎませんか。ここは一体、どういう街なんです?」


「なんていうのかしらねぇ……」


 ユミルは言葉を探して頭を捻る。


「ここの内側は権能の範囲内だから、色々と勝手が違うのよ。普通、外壁っていうのは内側を守る為にあるんでしょうけど、これの場合はハッキリと内外を区別する為の壁でしかないのよね」


「はぁ、区別……。中に居る人達は囚えられてる、とかですか?」


「まぁ、ある意味では、そうと言えるかもね。自ら好んで囚われに来てるから、そこに悲壮感はないけど」


 やはり意味が分からず首を捻っていると、ユミルはレヴィンの肩を叩いて皮肉な笑みを浮かべた。


「見た方が早いって、インギェムにも言われたでしょ。まずは入りましょうよ」


 ユミルが諭す様に言っている間に、アヴェリンが先頭となって歩き始める。

 一行が列をなして進んでいけば、開かれた門扉から、街の活気が見えて来た。


 門の両端には衛兵が立っていて、鎧兜を身に着けた完全防備だった。

 当然、腰には剣を佩いていて、内外の様子に注意を払っている。


「――あ、そうそう。忘れてたわ」


 ユミルが唐突に声を上げ、全員に向けて魔術を放った。

 身構える隙すらなく不意打ち気味に受けて、レヴィン達は困惑しながら身体中をパタパタと叩いた。


「な、何をしたんですか……!」


「やぁね、何でそんなに警戒してんの? アタシが何か悪戯するとでも思った?」


「――はい」


 レヴィンが迷いなく断言すると、無言のまま張り手が飛ぶ。

 手首のスナップを利かせた一撃は、実に小気味よい音を鳴らしてレヴィンの顔を揺らした。


「バカ言ってんじゃないわよ。アタシだって、時々しかしてないじゃない」


「何でそんな台詞言っといて、自信満々に否定する風なんですか……!」


 レヴィンが顎を押さえて非難しても、ユミルの飄々とした仕草は変わらない。


「そんなコトより、今の魔術の説明をするとね。前にも使った、認識阻害の幻術よ。アンタらが……というより、アタシ達も含めてだけど、単なる旅人に見えるようにね」


「いや、見えるようにも何も、純然たる単なる旅人なのですが……」


「ところが、そうはいかないの。――見なさい」


 ユミルが示した指は、門扉の奥を向いていた。

 そこには、活発に行き交う住人の姿や、冒険者らしき姿格好をした者の姿も見える。


 ともすれば、特に珍しい風景でもない。

 だが、決定的に違う部分が、近付くほど鮮明になった。


 街に居るのは人間ではなかった。

 頭に耳を生やし、あるいは腰から尻尾を生やし、上半身を晒している者には、立派な体毛が生えている。

 街の中にいる人種は全て、何かしらの獣人なのだった。


「は、初めて見た……! あれが……!」


「そう、ヤロヴクトルが庇護する大地は、獣人の世界よ。今のアンタが見て感動しているように、あちらからも同じ様な感想を持たれる。そのまま行ったら、如何にも騒ぎになりそうでしょ?」


「それは、えぇ……確かになりそうです」


 無用な混乱や目立つ行為は、この時代のミレイユに発見される危険を孕んでいる。

 だから、幻術で隠蔽するのは理に適っていた。


「でも、幻術って最初から注視していたら、効果が殆どないんですよね? 獣人は、何と言うか、こう……感覚に優れているイメージがあるのですが……」


「そこは間違いじゃないけど、人間がいるかもしれない、っていう前提を持ってないからね。おとぎ話の存在だって思われてる。だから多分、大丈夫だと思うんだけど……」


「その言い方だと、ちょっと不安に感じますね……」


「そこで暮らすとかなれば、もっとしっかり対策するわよ。魔術は時間制限もあるし、感覚的察知の部分で弱い。だから、完全に姿を変容させる魔術秘具とかもあるんだけど、駆け抜けて終わりにするんだから、そんなのここでは要らないわよ」


 呑気に、あるいは感心して頷きかけたレヴィンだが、途中の言葉で動きが止まった。

 レヴィンのみならず、ヨエルまで凝視する視線を向けていた。


「へぇ、そんな便利な道具が……って、ちょっと待って下さい。駆け抜けるって何ですか? 非常に聞き捨てならないんですが……!」


「嘘だろ、おい。まさか、こんな所でまた、地獄特訓の再開か……!?」


 ユミルは煩そうに顔を顰めて、ぱたぱたと手を振る。


「あー、もう、煩いっ。行けば分かるって、何度言えば分かるのよ」


「いや、しかし、我々も不安なんですよ……! 少しくらい、教えてくれても……」


「教えるわよ、きちっとね。でも、そんなの後回し! まずは街に入るわよ」


 ユミルの機嫌もいよいよ急降下を見せ、そうとなればレヴィン達から更に何かを言う度胸などなかった。

 大人しく門扉を潜るだけだ。


 両脇にいる衛兵は、鎧兜の隙間からレヴィン達を注視していると分かったが、呼び止めようとはしない。

 あくまで形式上立っているだけで、他の街なら当然ある足税などの徴収も見受けられなかった。


「ここはそういう街なのよ。来る者拒まず、去る者追わず。何と言っても、ヤロヴクトル肝いりの街だから。神の命には、逆らえないのよねぇ……」


 ユミルがぼやく様に言った台詞は、レヴィンの耳には届かなかった。

 門扉を越えてから街の様子がより鮮明に映え、その様な余裕は既に何処かへ飛んでいた。


「綺麗な町並みだ……」


 漆喰で固められた白い壁、またあるいはレンガ模様の壁に、オレンジ色の屋根が連なる。

 植木なども多く植えられていて、見ているだけで目の保養になった。


 入って直ぐの道は十字路になっていて、正面は広場に続く階段があり、左右には商店が軒を連ねる道がある。

 それ故、活気のある呼び掛けの声や、目的別に行き来する人がいて、常に獣人が流れて行く。


 その種別も様々で、犬科や猫科が最も多く、中には爬虫類族の姿も見えた。

 体格や毛並み、毛色も様々で、人間よりも余程多種多様だった。


 獣よりも人に近い見た目をしているせいで、帽子や兜など、頭を隠してしまえば分からなくなる者がいる一方、獣が二足歩行している様な獣みたいな種族もいる。

 そうした獣の種族は、上半身を顕にしている者も多く、胸元や臍回りなどに、刻印が刻まれているのも多々見られた。


「へぇ……、こっちにも刻印があるんだ」


「そりゃ、あるわよ。元々、アンタの所の大陸だって『魔』と付くものは、全て流入して来たものでしょう? こっちだって似たようなモンよ」


「誰かが持ち込んだ、と?」


「誰かっていうか、ヤロヴクトルだけど。まぁ、あぁいう面白そうなもの、放っておかない性格してるから」


 これまでも出て来た話の中で、ヤロヴクトルの悪評めいたものは多く出ていた。

 他者と軋轢を生みやすい性格をしており、そして自分の欲望に忠実でもある。

 そうした神が、自分が庇護する者たちにも、そうした物を下賜するに躊躇いなど生まれなかったに違いない。


「それにしても、凄いです……! あたし、感動しちゃいます……っ!」


 レヴィンも獣人達の街に感動していたが、それよりも大きな感動を顕にしていたのはアイナだった。

 両手の指を組み合わせ、胸の前で掻き抱いては、目を輝かせて道行く獣人を見つめている。


「見て下さい、ロヴィーサさん! ほら、ウサちゃん獣人もいますよ……! まだ子供の……小さくて可愛くて……! だ、抱き締めたい……っ!」


「分かっているとは思いますが、いけませんよ。接触なんてしたら、すぐにバレてしまいます」


「勿論です、分かってますっ。あっちの猫獣人さん、耳の動きが可愛らしいっ。うぅ……っ、ナデナデしたいです……!」


 もしも、お目付け役がいなければ、そのまま飛び出してしまいそうな感動ぶりだ。

 見ていて微笑ましい程だが、ミレイユが歩き出したことで、他の神使も動き出す。

 いつまでも見つめていそうなアイナを、ロヴィーサが腕を取って歩き出し、それで中央広場に向かって行った。


「凄い……! 憩いの場ですね!」


 強制的に引き離されて、ご機嫌斜めになり掛けたアイナは、広場に踏み入るなり感嘆の声を上げた。

 中央には噴水があり、周囲には草の絨毯が敷き詰められている。


 住人が思い思いに過ごす場所らしく、家族連れの姿も多く見られた。

 子供が駆け回っているのを、微笑ましく見守り――それをアイナが歓喜の表情で見つめている。


「平和な街なんですね……!」


「ところが、そうでもない」


 感動に水を差す一言が、ミレイユの口から落とされた。


「こうして見ている分には、勿論平和そのものだ。住人に危機感がないのも当然。――危険は街の奥にある。そしてそれこそ、この街が持つもう一つの顔だ」


で覆う程の……ですか。一体、そこに何があるんです……?」


 レヴィンが街の奥――ここからでは見えない街の奥を見つめて、喉元を鳴らして尋ねた。


「ヤロヴクトルの酔狂だ。……そこには、ダンジョンがある」

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