女神と歓談、男神と迷宮 その5
モルディの私室から退去して、回廊を歩いている最中、レヴィンはミレイユへ遠慮がちに声を掛けた。
「何度も言うことではないと思いますが、意外でした……。モルディ様は明るいご気質で、よく笑われるのですね」
「昔はそうではなかった。自分の権能を制御できず、誰彼構わず被害を出していたからな。笑えるようになったのは、割と最近のことだ」
「それは……、失礼を。何も知らぬ身で、勝手を申しました」
レヴィンは殊勝に頭を下げて陳謝する。
しかし、ミレイユは先頭を歩きながら、首を横に振った。
「モルディも別に、今更それで気分を害したりしないだろう。暗い雰囲気が付き纏うのは、どうしたって仕方ないしな……」
「どうにかしてやりたい、と思ったこともあるのよ。でも、モルディの権能は強力過ぎて、そう簡単じゃなかったのよ」
そう言って、ユミルは肩を竦めた。
そしてレヴィンは、これまで感じていた違和感はそれだったのだ、と気付いた。
「そう、ミレイユ様ならそのまま、放置したりしそうにありませんものね。それに……そう、神器の存在だってあります。
「ところが、そう上手くはいかないんですよ」
今度はルチアが口を挟んで、レヴィンの思い付きを一刀両断、斬り裂いた。
「ミレイさんの権能は、その身に受ける権能の無効化、そして対象が発動した権能の挫滅です。それをモルディに持たせても、あまり意味はないんですよ」
「何故でしょう……?」
「モルディの権能は、自分に対しては発動しない。そして、発動する権能の対象は、無差別で広範囲だ」
ミレイユが憐れむ様な表情で、視線を遠くに向けながら言った。
そしてルチアが、より詳しい解説を挟む。
「近付くほどに、その対象として選ばれ易いという法則もありますが、範囲内であれば上限がありませんから。モルディに神器を持たせたとしたら、その権能の影響下にある人間へ、発動する瞬間その神器を使う、という形になると思います」
「それは、あまりに……」
大変どころの話ではない。
一瞬足りとも目を離せないだろうし、敷地内全ての人間を、守ってやるのは不可能に等しい。
モルディは心優しい性格をしていると分かったし、守ってやるつもりがあっても、仕損じは必ず生まれる。
その時、モルディの嘆きと悲しみは如何ほどだろう。
ただ一つ神器を渡して解決できる問題でない以上、失敗と分かる手段を提供する意味もない。
しかし、ならば女官全てに神器を与えれば良いか、と言えば、そう簡単な話でもなかった。
神器とは飴玉の様に配るものではない。
神の威容を体現する物であり、必要な所へ必要十分提供するものでもなかった。
それは神を軽んじる行為にもなり、これはと認めた者にしか下賜されないものなのだ。
それはモルディも良く理解しているので、現状に甘んじている。
というよりは、仕方ないことだと諦めているのだ。
文の遣り取りだけでなく、ミレイユが訪うこともある。
それで十分、自分は恵まれている、とモルディは考えているのだった。
「どうにか出来たら、と口で言うのは簡単ですよね……」
「本当にね。防護の膜を張る、って案も以前にはあったのよ。けど、権能の力が強すぎてね……。結局、無意味と分かって頓挫……」
「まぁ、基本的に権能は魔術よりも強力なものですから……。それがモルディともなれば、そうもなるって感じでしょう」
ユミルとルチアから、草臥れた感想が返って来て、レヴィンも力なく頷いた。
そもそも、レヴィンが腐心するのは不敬でさえあった。
当然、モルディにも信徒がおり、そのご尊顔を拝謁したいと、手を尽くしたこともあった筈だ。
実際、その居を移して貰う時は、これ程の神処を用意した。
無理だと分かって誰より落胆したのは、その信徒たちであったろう。
「まぁ、今アレコレ考える事ではないだろうさ。とりあえず、ルヴァイルの所へ帰るぞ」
回廊が終わりに差し掛かり、ミレイユは胸元から神器を取り出す。
入口広間で『孔』を作り出すと、アヴェリンが先頭になって入るなり、手慣れた調子で他の者も順に飛び込んで行った。
※※※
モルディの神処では、ゆったりとした時間を過ごしたとはいえ、長居した訳でもない。
まだ昼にもなっておらず、時間を無断にしないのなら、これからすぐにでもヤロヴクトルが庇護する大地へ飛ばねばならなかった。
「……で、どうすんだ? すぐ行くのか?」
長椅子に寝そべり、茶菓子を頬張りながら、実にだらけた態度でインギェムが訊いてきた。
神にも本来、色々と業務はあるはずだが、『虫食い』の対処でなければ、ミレイユが何か口を挟む権利はない。
インギェムは、もう長らくこちらに逗留しているが、そのせいで後から泣きを見ようと、それは彼女の自己責任でしかなかった。
だから、ミレイユは何も口にしない。
とはいえ、恨みがましい視線までは消せなかった。
「お前は楽そうで良いな……。ルヴァイルはどうした?」
「そりゃ、ルヴァイルにも聖務ってのがあるからな。何をしているか、詳しい所まで知らんが、神の務めってやつを果たしてるんだろうさ」
「そして、お前はここで菓子を片手に食っちゃ寝か……」
「お前が送れとか言うからだろ。己は大神様の務めを、これ以上なく補佐する為に、その労力を割いてるんだぜ?」
全く労を感じさせない仕草で、インギェムは新たな菓子に手を伸ばしながら答えた。
ミレイユは大いに気分を害したが、自分が言ったことであるのも確かなので、それ以上強く言えない。
大神からの頼み事、だからこの場で待機していた、という言い訳はこれ以上なく有効だった。
「……で、どうすんだよ? 今から行くってんなら、すぐに繋げるけどよ」
「……行くさ。行きたくはないが、行くしかないなら、行ってやるさ」
ミレイユがそう言って口を引き絞ると、インギェムは愉快そうに笑う。
「まぁ、あのヤロヴクトルだもんなぁ……。これまでがすんなり行き過ぎてたんだよ。さりとて、最後に持って来たのが賢明だったのかどうか、己にゃ分からんが……」
「それなりに有益な情報を貰ったんだ。正直、少しでも遅らせたい気持ちから最後にしたが……、結果としては最良だった、と思う」
「ふぅん……? じゃあ、行くか?」
「――ちょっと待て」
インギェムが権能を使用した瞬間、ミレイユが手を小さく挙げて止めた。
それから何度も深呼吸して、両頬を挟み込むように幾度か叩く。
「……よし。ふぅぅぅ……、よし……、よし……! 行くぞ……ッ!」
「いや、ちょっと待ってください」
前のめりに歩き出そうとしたミレイユを、咄嗟に手を出し、レヴィンが止めた。
やる気を横から削ぐ真似をされて、ミレイユは明らかに気分を害している。
しかし、レヴィンとしても訊いておかねばならない所だった。
「あの、そんなに気合を入れないと行けない場所なんですか? その……ミレイユ様ともあろう者が?」
「あぁ、そうだな。……嫌だ」
「そんなに……!?」
「私は毎度、あいつとの遣り取りに辟易しているし、非常に不愉快な思いをしている。またかと思うと、今すぐ回れ右したくなる」
「えぇ……!?」
早くも出た撤退宣言に、レヴィンは驚きを隠せなかった。
それも当然だろう。
ミレイユとは誰より強い神であり、誰より威厳の在る神である。
そのミレイユが逃げ出したい相手、というのは想像がつかなかった。
「しかし、その……今回はモルディ様から有益なアドバイスを戴けましたよね?」
「あれは尤もだと思うし、今後活用して行きたいが、今日はその最初の一回目だ。どう接するべきか、正直困る……」
「怒れば良いって言うんだから、素直に怒ってあげれば? いつもみたいに、ムスッとした無愛想じゃなくてさ」
ユミルから援護が入って、ミレイユはこれまでの表情を体現するかのように、不愉快そうな顔を見せた。
「そうは言っても、アイツの言葉尻、動きや対応、その全てが癪に障る。……何というか、嫌いと思う内に、その気持ちがどんどん深まって来たというか……。素直に怒りを顕にすると、また違った感じになるだろうし、……加減が分からん」
「まぁ、怒り慣れてないもんねぇ……。それこそ、仇敵相手なら幾らでも怒れるんでしょうけど、その気持ちをヤロヴクトルに向けるのは違うしね……」
「他人の神経を逆撫でするのが好きな奴だ。そんなのと、まともに会話したいと思うか? 適当にあしらってやるのが筋、と思っていたんだが……」
「それ自体は間違いじゃないと思うケド……。いや、あれは逆撫でするって言うより、一種の求愛行動なのかも……」
ユミルの控え目なフォローは、むしろミレイユを頑なにさせた。
眉を吊り上げ、勢い良くユミルへ顔を向ける。
「求愛!? おぞましいことを言うな。挑発だろ、あれはどう見ても!」
「まぁ、それならそれで良いから、今度はその挑発に乗ってやるとかさ。それで適当にあしらいつつ、嫌なら嫌でしっかり怒るとか。アイツが……というより、あの権能が敵に回るくらいなら、それぐらい安いモンでしょ?」
ミレイユはゆっくりと息を吐く。
武術家が行うような、呼気を用いた呼吸法だ。
それ程までに強い精神制御が必要なのか、と思わせるが、どうやらミレイユにはそれが必要らしい。
「……嫌だが、非常に嫌だが、話の方向次第で検討しても良いかもな」
「任せるわ、お好きにどうぞ」
ユミルも積極的に推したい案ではないらしく、両手を挙げて降参の様なポーズを取った。
ミレイユは十分な時間を使って気持ちを落ち着かせると、インギェムに目配せした。
「いいぞ、やってくれ」
「何処に出す? ヤロヴクトルの目前とかに出すと、絶対あいつ、ヘソ曲げるぞ」
「あぁ、そうか……。それに今は、ほとんど神処に居ないしな……」
「そう、ヤツの道楽に付き合わんきゃならんぜ」
ミレイユはまたも大きく息を吐く。
今度は、実にげんなりとした息だった。
「そうなると、あれか? ……探索者の街」
「そう、玄関から入らんと、口も利いてくれんだろうさ」
インギェムが肩を竦めた所で、レヴィンが割って入って、恐る恐る問う。
「どういう意味です? 探索者って、俺達がよく知る、あの冒険者とは違うんでしょうか?」
「その冒険者と良く似ているが、色々違う。いいから、そんなのはアッチ行って確かめりゃ良いんだよ。説明するより見る方が早ぇ! ――おら、送るぞ!」
レヴィンを半ば無視して、インギェムは『孔』を開く。
アヴェリンは不満そうな顔付きをしていたが、結局何も言わぬまま、先頭で中に入って行った。
ミレイユやユミルからも詳しい説明はなく、彼女らも次々入って行く。
インギェムが言う通り、まずは向こうに着いてから、という事だった。
誰もが否定的なヤロヴクトルの所へ行くのは、レヴィンとしても覚悟がいることだ。
しかし、信奉する神の前から逃げるわけにもいかない。
レヴィンもまた一度呼吸を整えると、意を決して『孔』の奥へと飛び込んだ。
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