魔王、謁見、再出発 その6

「まぁ、とにかく……俺達も宿を探すか」


「節約云々の話はどうなったんだ、若」


「今から考えずとも良いだろう。迷宮が再開されるまで、追加の資金は届くんだ。それに、実際の探索者の所見なんかも聞いておきたいし、攻略のいろは、みたいなものも知れたら得だ」


「あっちはそれで飯食ってるらしいし、そう簡単に教えてくれるとは思えんが……」


 ヨエルが熊の顔を難しく歪ませ、顎の下を撫でる。

 その度に豊かな獣毛が、わさわさと揺れた。


「俺達は一度潜っただけの素人だ。それも、ルチア様の支援を受けての突貫だ。素人よりも酷いと思うし、知らないことが多すぎる。知ってて当然の、基本のきの字すら分かってないだろう。何であろうと学びになるさ」


「まったく同感ですね。世間話程度のことすら、私達には貴重な情報となるでしょう。それでしたら、むしろ積極的な交流を、目指すべきかもしれません」


「何とも前途多難だな……」


 ヨエルのボヤキに、レヴィンは同意して大きく息を吐く。


「本当にな。あっさり済むとも思ってなかったが、予想以上に大変そうだと、今更ながらに実感して来たよ……」


「あれ、そうなんですか? 自信満々に言い切ってたのに、レヴィンさんでもそういうのあるんですね」


「あのな、アイナ……。俺だって自分の限界くらい、よく知っているさ。けど、あの状況で啖呵張らない訳にもいかなかったろ」


「そうですね、そういうものですね……」


 しみじみとした同意を得られた所で、出発となった。

 まずは今日の宿を確保せねばならず、すっかり日が暮れてしまった今、空いている部屋があるかどうか不安なところだった。


 それでも、交流を目指すなら野宿するわけにはいかないし、酒場つきの宿屋などを選ぶのが吉だった。

 そして、その宿屋の場所すら、レヴィン達は分からない。

 いきなり躓いた気持ちで、宿を探して奔走する事になった。



  ※※※



 迷宮に挑む探索者で成り立つ街だけあって、探せば幾らでも宿屋は見つかった。

 レヴィン達の軍資金は、金貨二十枚だ。

 七日分の滞在費、というからには、その価値についてレヴィンの知る所と大きく違わない、という考えに至った。


 その中には食事代も含まれていそうだし、そうとなれば宿を一泊した時の値段も分かってくる。

 そうして判明したのは、迷宮に近い宿ほど良い値段がする、という事だった。


 それ以外にも、商店街に近ければ用向きに何かと便利だし、その分値段が上がる。

 だから、安い宿を選ぶなら、壁に近い方が良い、という結論になった。


 そうして何軒目かになる宿を見つけて入ると、入口のカウンターに居た店員から、ギョッとした顔で見られた。

 そしてこれは、何もこれが初めてという訳ではない。


 むしろ、大抵の獣人には驚かれる。

 最初はヨエルの巨体を見て驚いたのかと思ったが、常にその視線は後方――アイナに向いていた。


 流石にアイナも気不味い思いをして来て、今では俯き加減になっている。

 まるで最初に会った頃の彼女そのものだった。


「なんか、悪いんですかね、あたしって……」


「いや、そんなことないだろ……。美人さんを見ると驚くもんさ。つまりあれは、そういう類いだ」


「驚くっていうか、怯えてませんか……? なんか、そういう視線なんですけど……」


 アイナは頬に両手を当てて、上下へ擦った。

 その手触りを楽しんで心を落ち着かせているようで、この短い時間ですっかり癖になっている。

 それはともかく、レヴィンは宿屋の交渉に入った。


「泊まりたいんだが、良いよな?」


「あ、あぁ……。しかし……」


「表の看板には、値段は一人三十銀貨だって? 飯代は別だよな? 部屋は幾つ空いてる?」


 ユミルに借りた指輪の凄いところは、言語だけでなく、文字まで翻訳してくれるところだ。

 見たことのない未知の文字だと分かるのに、それと同時に難なく読み解くことが出来ている。

 これについても、ユミルに感謝する所だった。


「うん、あぁ……。だが……」


「煮え切らないな。俺達の連れに、何かあるのか?」


 レヴィンが目を向けると、そこではやはり頬を両手で擦っているアイナがいる。

 傍にはロヴィーサが付いていて、その肩をやんわりと撫でていた。

 愛らしい二人組に見えるのだが、店員には別の何かが見えているらしい。


「いや、そういう訳では、ないんだが……」


「じゃあ、部屋を貸してくれ。飯はあっちで今、済ます。お代は先払い?」


 カウンターから向かって左側が客室、反対の右側が酒場兼、飯屋となっていた。

 今も騒がしく酒を飲んでいる探索者が複数おり、陽気に木製ジョッキをぶつけては、エールを喉奥へ押し込んでいる。


「あぁ、宿代は先に貰うよ……。飯は後払いだ」


 そうしてレヴィンが代金を払い、お釣りを貰う時になって、店員が顔を近付けて言う。


「面倒事は起こさないでくれ。特に後ろのには、よく言っといてくれよ。――頼むよ」


「あぁ……、しかし後ろ? アイナか? 面倒起こす様な娘じゃないんだが……」


「分かったもんか。とにかく、ウチで泊まるなら、そっちでしっかり手綱握ってくれよ。分かったな」


 何度も念を押され、納得できないまま、レヴィンは部屋の隅にあるテーブル席へと足を運んだ。

 丁度四人掛けの席で、丸型テーブルの四方に座ると、ようやく一息付く。


 そうして初めて、ここまで歩き通しの立ちっぱなしだったと気付かされた。

 アイナなどは、明らかにホッとした顔付きで、だらりと背中を背もたれに預けている。

 そうしてまず乾いた喉を潤そうと、最初に頼んだ果実水を喉に流し込んだ。


 レヴィン達は既に成人し、酒を飲める年頃だが、未知の場所で泥酔するほど愚かではない。

 酒場としては有り難い客ではないだろうが、レヴィン達は自分を異物だと理解している。

 無様な失敗は許されず、だから敢えて酒を飲もうとしないのは、むしろ当然の行いだった。


 一息ついた後、何を食べるか注文しようとメニューを見た時、その料理のバリエーションの多さに驚いた。

 レヴィンはメニューの字を追いながら、感心しつつ言葉に出す。


「食材が多く採れるからか? 獣肉を使った料理が多いみたいだが、野菜系も同じだけ豊富だ……」


「冬だろうと関係なく、一定数確実に収穫できるのが大きいんでしょうね。獣肉の場合にしても、来年の確保を考えて雌は殺さない、とかしなくて良いのでしょうし……」


「羨ましいこって……」


 ヨエルが嫉妬混じりの複雑な笑みを浮かべる。

 肉にしろ、野菜にしろ、麦にしろ、それら全ては自然の恵みだ。

 自然との付き合いを疎かにすると、その行いは自分達に返ってくる。


 自然への敬意と共に作物を育て、家畜を財産として大切に扱い生活するのだ。

 そこに魔物や魔獣という討伐が入り、やはり牙や皮などの素材から自衛や攻撃手段を向上させる。


 レヴィンにとって、生きるとは自然との付き合いなしでは不可能なものだ。

 しかし、この街ではそれら全て、迷宮によって賄われる。

 隔壁の内側は富める者の世界として、十分潤っているのだろうが、果たして壁の外はどうなっているのだろう。


「ユミル様はこの街を、色々と歪と言ってたけど、改めて考えると確かにと頷ける。この恵みが大陸全土に行き渡るならまだしも、殆ど独占状態なわけだろ……?」


「富は壁から外へ持ち出せない、という制約があればこそ、なのかもしれません。その壁こそが、神の奇跡の限界を示す指標なのかも……」


「地下方向に進めたからだろ。横に広げりゃ、もっと違ったものに……って、俺等が言っても仕方ないか」


 ヨエルが熊の頭をボリボリと掻いていると、横の席から鋭い敵意と共に、愚痴とも警告とも取れない、不穏な台詞が耳に届く。


「これだから人獣は……。内側の恵みが、そんなに気に食わねぇのか」


「ん……?」


 隣席に居るのは獣人の探索者風の男女で、角と耳の特徴から男が鹿人族、女は牛人族と思われた。

 二人は視線を皿に向けたままで、レヴィン達を見てはいない。

 しかし、向けられる敵意から、誰に向けて言ったのは明らかだった。


「今のは、どういう意味だよ?」


 ヨエルが尋ねても、二人から返答はない。

 皿の上に乗った野菜の盛り合わせを、フォークを使って無言のまま口に入れているだけだ。


 殊更揉めたいわけではないので、レヴィン達は適当に肉料理を中心に頼み、料理の到着を待った。

 酒場の中は騒がしく、酔った者たちは声も大きい。

 自然とそちらに目を向けていると、ある事に気が付いた。


「……やっぱり、人獣って全然いないな」


「少ないけどいる、という話でしたが……。酒場の中に私達だけしか居ない所を見ると、その比率には随分と差があるのかもしれません」


「……なんか、差別とかしてんのかね」


 ヨエルが視線を隣の席に向けると、獣人の男女はあからさまに視線を外に向け、こちらを無視する格好をした。


「……なるほど、分かり易いぜ。壁を隔てたスラムとの対立かと思いきや、もっと広い範囲ので、対立があったりすんのかもな」


「だったら、何でユミル様は、こっちの格好にさせたんだよ……」


 レヴィンがげんなりと呟くと、ロヴィーサが何かを口にしようと開きかける。

 だがその前に、待てのポーズで手の平を向けて止めた。


「いや、いい。言わなくても分かってる。どうせ、そっちの方が楽しそうだからだ……」


「いえ、別にそうとは申しません。敢えて、なのかもしれませんよ。若様は将来、人の上に立つ御方。その為に、敢えて差別される側のお気持ちを知っておくべき、とか……」


「本当に、そこまで深く考えておいで下さったなら、心から感服するんだが……」


 案にそんな筈はない、と口にして、レヴィンはやって来る料理を心待ちにした。

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