魔王、謁見、再出発 その5

 アイナは白い毛皮に覆われた腕を見て、驚きながら小さな声を上げた。

 肌触りを確かめて、その滑らかな様子に満更でもない様子を見せる。


「綺麗な白色……。どう、どうですか? どうなってますか、あたし?」


「いや、まぁ……可愛らしいとは思うぞ」


 ヨエルの返答には更に気を良くし、頭に生えた耳を触っては疑問符を浮かべる。


「でも、これ……うん? どういう動物……」


「多分、兎だと思いますよ、アイナさん。それも……あの、人獣の方です」


「えぇ……っ!? あたしも人獣ですか……!?」


 耳から手を離し、頬をぽんぽんと叩いた。

 顔面は殆ど動物に等しいので、ひくひくと小さな鼻が動き、小振りな口が愛らしく窄まる。


「うぅ……、モッフモフですぅ……っ! 喜んで良いのか、悲しんで良いのか分かりません……!」


「でもアンタ、兎のコト好きそうだったからさぁ」


「好きですけど……! うぅ、複雑な気分です……」


 悲しみながらも、頬を撫でる手は止まらず、柔らかな触感を堪能したままでいる。

 ロヴィーサはその頭頂部、耳の間に手を置いて、ゆっくりと前後に動かして撫でた。


「あら、本当……。撫で心地が良いですね」


「自慢の毛皮になりそうですぅ……!」


 最早、憤りかもどうか分からない台詞を吐いて、アイナは悔し涙を流した。

 ユミルは全員を見渡し、満足げな笑みを浮かべ、更に別の指輪を用意する。

 今度は人数分用意された指輪を見つめ、恐々とした目付きでレヴィンが問うた。


「……今度は何ですか?」


「自動翻訳の指輪よ。こっちでしばらく生活するコトになるんだし、それないと不便でしょ」


「あっ、違うんですか、言語……?」


 ヤロヴクトルとは普通に会話が通じていたので、そういうものだと思っていた。

 だが、思い返してみても、入口広場で回復屋が呼び掛けていた時、その言葉は聞き取れていたように思う。

 疑問に思って尋ねてみると、ユミルは首を横に振って答えた。


「アンタらが聞き取れていたのは、アタシがそういう翻訳魔術使ってやってただけ。認識阻害の幻術と同時に、ちょちょいとね」


「でも、これからはそうしたサポートが出来ないから……」


「場合によりけりだけし、全くサポートを放棄するつもりもないけど……。でも、いつ魔術が切れるか、気にし続けるのも馬鹿らしいから」


「ヤロヴクトル様からは、一応騒ぎを起こすな、とか言われてますしね。姿形だけではなく、馴染むにはこういうのが必須ですか」


「突然、ワケの分からない言語を話し出したら、騒ぎにならない方がおかしいもの」


 ユミルは小馬鹿にした様に笑い飛ばし、指輪をそれぞれに投げつける。

 レヴィン達は素早く反応して片手で受け取り、アイナは一人、慌てて両手で受け止めた。


「えっと、不思議な言語を話し出すのを不審がるのはともかく、騒ぎになる……んですか?」


「なるかもしれないって、そういう話。あまり難しく考えなくて良いわよ。基本的には大丈夫だと思うわ。アンタらだって、実は自分の街に姿を偽装した獣人が暮らしているかも、とか考えたコトないでしょ?」


「それは……、えぇ……。確かにそうです」


「あったにしても、妄想の類だな……」


 ヨエルが納得顔で頷いて、ユミルは妙に不安にさせる笑顔で、ニヤリと笑う。


「まぁ、精々頑張んなさいな。アタシのお膳立てを、無駄にしたりないでよね」


「何でしょう……。ユミル様のお膳立てと聞くと、凄まじく嫌な予感がするんですが……」


「言うわね、アンタも。狼になったから、一丁前に噛み付いてやろうってワケ? 偉くなったモンねぇ、えぇ……?」


「いえ、決して! 決して、そういう訳では……!」


 レヴィンが必死に無抵抗アピールで首を振ると、ユミルは小さく息を吐いて、今度は小さな皮袋を投げ渡した。

 それも片手で受け取ると、僅かに振って中身を確かめる。

 金属同士が擦り合わさる音――、中身は硬貨に違いなかった。


「……お金ですか?」


「そう。当然、アンタらが持つお金は使えないから、用立ててあげるわ。稼ぎには困らなさそうだけど、どうせすぐには攻略できないし」


 あからさまに低く見積もられ、レヴィンはムッと眉間に皺を寄せる。

 確かに一日で攻略できると豪語できないが、五十層までの手応えとして、長く時間は掛からないと見ていた。


 前半と後半で難易度が違う、という話も納得出来るし、その後半部分は全て飛ばして来たレヴィン達だ。

 実際の難易度など、見当もつかない。

 しかし、最初から無理と思われるのは心外だった。


「ユミル様は、俺達では多く時間が必要、とお考えですか」


「まぁ、思うでしょ、普通」


「そんなに大変なんですか……?」


 アイナが恐る恐る問うと、ユミルはあっけらかんと答える。


「知らないわよ、そんなもん」


「えぇ……!? だって、今……!」


「アンタら、ヤロヴクトルの言葉聞いてた? 緊急メンテやるって、言ってたのよ?」


「あぁ……」


「……ん? どういう意味だ?」


 アイナは一定の理解を示したが、レヴィン達にとっては意味不明だ。

 この大陸には来たばかりで、専門用語など全く知らない身としては、首を傾げるばかりだった。


 しかし、それでアイナが納得している点は腑に落ちない。

 レヴィンは傾げた格好のまま、アイナに問う。


「詳しく聞いても良いか?」


「いや、ですからメンテですよ。修復するって言ってたじゃないですか」


「メンチがなんだって?」


「メンテです、メンテナンス。壁も床も、空いた穴を修復しないことには、再度の挑戦は受け付けないって事ではないかと……」


 そして実際、その為にミレイユはあの場に残り、奥の部屋へと入って行ったのだ。

 実際にどういう作業が行われるかは想像の彼方だが、修復されるまで閉鎖されるとしても不思議ではない。


「どのくらい掛かるもんなんだ?」


「そればっかりは、あたしにも分かりません。穴一つ塞ぐのに、どれほど時間が掛かるかも分からないですし……」


「そりゃあ、そうだよな……」


 それに、とユミルが口を挟んで、悩ましげに息を吐いては頬に手を添えた。


「四十二日周期の問題もあるじゃない? メンテ期間が三十日とかだったら? それで残り時間が僅かになったら? やっぱりその分、攻略は遅れるワケでしょ」


「いや、ですが……その数字も全て憶測でしかないのでは?」


「勿論、そうよ。全て仮定の数字だわ。メンテ期間次第じゃ、開放されたその日から新周期を始めるかもしれないし、何もかも仮定の話。……そもそもとして、周期が終わると三日ほどメンテ期間が置かれるのよ。だから今回も、最低三日は掛かると思うけど」


「そうか、三日か……。迷宮の前半構造は毎回変わる、という話もあったしな……」


 『速達組』の話題が出た時に、聞いた話だ。

 そして、熟知した彼らであっても、三日の時間が掛かるものでもあるらしい。


「あの……、俺達は速達組の転移を利用出来るんですか?」


「駄目ってコトはないでしょうね。でも、お高いわよ? その袋には七日分の滞在費が入ってるけど、それでも全然足りないし」


「そんなにするんですか……」


「そりゃあそうでしょ」


 呆れた声と態度でそう言って、ユミルは自明の事のように続けた。


「考えても御覧なさいな。五十階分の行程全てをスキップできるのよ? その間に遭遇する敵を無視できるだけでなく、体力、食糧、水も温存できる。何より時間の大幅短縮! それだけの恩恵を受けられるのに、隣町までの馬車代程度で使わせてくれるワケないじゃない」


「そうか……、時間か。何より貴重な資源は、この場合時間だろうな……。駆け抜けるだけに特化した獣人でも、三日も掛かるんだ。俺達なら、三倍……いや、五倍は掛かってもおかしくない」


「然様ですね。そこから更に下層の攻略が始まるとなれば、到底踏破は無理でしょう。敵の排除についてはともかく、まさしく時間が大敵となります」


「どうやって攻略するか――。それが迷宮に挑む者の永遠の課題よ。アンタらも気張りなさい。一応、七日毎に顔見せに来るわ。滞在費が足りないと、追加であげないといけないし」


 迷宮に潜り、そこで換金素材を入手出来るようになれば、そうした手助けも無用になる。

 しかし、今はその迷宮に潜れない、という話なので、その手厚い援護もありがたかった。


「まぁ、まずはこの街に慣れるコトから、かしらね。宿選びだって重要よ。アンタらは最低限のお金しかないから、選べる候補は多くないけど」


「恵んでいただいている立場です、贅沢は言いませんよ。野宿だって慣れたものです。最悪、壁の外で眠っても良い」


「節約するなら、それもアリよね。相談して決めなさいな。じゃ、出来る限り速い攻略を祈ってるわ」


 そう言って身体を翻すと、後手に手を振って雑踏の中へ消えて行く。

 しばらくすれば完全に埋もれて見えなくなり、夜の闇へ溶ける様に消えていった。

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