神たる者 その1

 異世界の食事は、どこまでも驚きに満ちていた。

 贅を凝らした料理など、これまで興味もなかったレヴィンだが、この味を知ってしまうと考えも変わってしまう。


 贅に興味を持たなかったのではない。贅を知らなかっただけなのだ。

 もしも故郷で、金を払うだけで今日の料理を再現できるのなら、レヴィンはきっと、金額の過多を惜しまず頼むだろう。


 満足気に息を吐きながら、レヴィンは心の底からそう思っていた。

 そして、それはヨエルとロヴィーサにしても同様だった。

 感動の面持ちと共に、この料理を故郷で食べられない事実に悔いている。


 ユーカード領で同じ完成度の料理は、決して望めない。

 その制作工程を軽く聞いてみても、単なる挽き肉を焼いた物、という単純な料理ではなかった。


 タネに使う肉の厳選から始まり、繋ぎとして使う野菜の種類、そして何より、複雑で味わい深いソースの完成は至難を極める。


 それとなく似た別物は出来ても、同じ物は決して出来ない、と言われた時のロヴィーサの顔は、見ていて気の毒になった程だ。

 そして、食後に運ばれてきた飲み物を口にして、レヴィンの胸には更なる後悔が襲った。


「なん……だ、これは……ッ!」


 黒い上に気泡の浮いた飲料は、最初毒かと勘違いさせられた。

 しかし、神の勧めもあって口に含んだ瞬間、顔面が弾けたかのような錯覚を覚えた。


 舌の上を刺すような刺激に驚き、そして強烈な甘味を感じると共に、喉元を爽やかな刺激が過ぎていく。

 今まで口にした事のないだけでなく、類似した何かすら知らない物が、レヴィンを感動で震わせた。


「これは……、これはとんでもないものだぞ……! 天上の神酒があるとしたら、もしやこれとよく似たものなんじゃないのか……!?」


「見ていて飽きない反応するわよね、このコ達って」


 そう言って笑うユミルは、ワイングラスを優雅に傾けていた。

 他の者が飲む物は、レヴィン達が飲んだのとはまた違う飲料だったが、芳しい香りが魅力的だった。

 そちらも口にしたい衝動に駆られたが、初心者にはお勧めできない、との理由で断れた。


 悔しい思いもあるが、魅力的と思える食料、飲料ならば幾らでもあった。

 この世界では、美食に溢れている。

 今日食べた料理も、そのごく僅かな一部でしかないのだと知らされると、自然、他にも興味が移った。


 だが何より、レヴィンが気になったのはアイナの様子だった。

 食後の満腹感を楽しんでいる姿を見るに、彼女にとっても十分、満足できる時間だったようだ。

 そして、だからこそレヴィンは思う。


「アイナはこれまで、俺達の食事に不満を言った事なんてなかったが……。実は、凄く不便を強いていたんじゃないのか?」


「いえ、そんな……!」


 アイナは慌てる様な仕草で、手を横に振る。

 そこには強がりや不満を隠すものでもなく、純粋な気持ちで否定が込められていた。


「食べられるだけでも、感謝しないといけないんですから。大体において、私がお荷物なのは間違いありませんでしたし……。それに、どちらの世界であろうと、食に対する態度は、真摯であるべきだって思いますから」


「へぇ……。美味いモンだけ食ってると、味気ない食事には嫌気が差したりしそうなもんだけどな。チラっとでも、思ったりしないのかね?」


 ヨエルが嫌味なく素朴な疑問を向けると、これには苦笑と共に返答があった。


「全くないと言ったら嘘になります。でも、お米一粒にも感謝して食べなさい、って教育されて育ちますから。食べ物の好き嫌いがあるのも、良くない事と教えられます。……だから、よっぽど口に合わない物でない限り、感謝して口にするものです」


「へぇ……。そのオコメってのが何かは知らないが、良い考えじゃないか。親御さんは立派な人みたいだな」


「両親……というか、オミカゲ様の教えでもありますけど。この国の民は、大体その方のお言葉を聞いて育ちますから……」


「そういえば、何度かアイナの口から聞いたな、その名前……。こっちの神様……で、良いんだよな?」


 問われたアイナは嬉しそうに頷き、それから不躾とも思える視線を、ミレイユへと向けた。


「この日本を守護して下さっている神様です。非常に篤い尊崇と、崇拝を向けられる御方でもあります。ただ、それでどうして、そちらの大神様と良く似た御姿なのかは、分かりませんけど……」


「――今は捨て置け」


 ミレイユはつまらなそうに言い放つ。

 それ以上の余計な追求は許さない、と言外に告げていて、それでアイナもそれ以上何も言えなくなった。


 ミレイユがカップを口元へ持っていき、音を立てずに飲み干すと、静かに下ろして全員を見渡す。


「さて、そろそろ腹も満たされ、満足した頃合いだろう。……腹ごなしの準備運動と行くか」


「では……!」


 いよいよ元の世界へ返り咲き、反撃作戦へ移るのだ、とレヴィンの気合も否応なく高まった。

 全ての元凶であり、悉く人を都合良い駒と利用したアルケスに、報復する時が来たのだと、心に熱が灯る。

 

 しかし、そこへ水を差す冷徹な一言が、ユミルから放たれた。


「それは良いけどさ……。ここの食事代、誰が持つの?」


「は?」


 唐突な質問に、レヴィンは相手が誰かも忘れて、不躾な声を発した。

 神使の口から出される、あまりにも庶民的な言葉が、やけにそぐわない。

 飯屋なのだから、食事代を払うのは当然なのは、今更確認の必要などないだろう。


 そして払うというなら、まさか神に金を無心するわけにはいかない。

 順当な候補者として、まずレヴィンの名前が上がる所だった。


「差し支えなければ、私が出しますが……」


「差し支えありまくるに決まってるでしょ。……アンタ、金なんて持ってないじゃない」


「まだ十分な旅費は残してあります」


「そうじゃなくて、こっちの世界の金なんか、持ってないでしょって言ってるの」


 そう言われて、レヴィンは一瞬、虚を突かれた様な顔をする。

 そして、ロヴィーサを挟んで隣に座る、アイナへと顔を向けた。


「使えないのか……?」


「無理です。こっちでは何の価値もありません。いえ、何の……というのは語弊ありますけど。金貨は上手くやれば換金できそうな気がしますが……、どうなんでしょう?」


「……これ、このままじゃ使えないって意味か?」


 言いながらヨエルが懐から取り出したのは、大陸で流通している金貨だった。

 パチリと音を立たせ、テーブルに置いた物を、アイナは首を振って答える。


「はい、そのままじゃ使えませんし、換金するのもそう簡単じゃないと思います。大体、換金してくれる場所すら、私は知りませんし……」


「だったら、あれだ……。こんなこと頼むのは心苦しいが、アイナはこっちの世界の人間だし、ちょっと立て替えてくれたり……できないか?」


「いや、無理ですよ……。あちらの世界へ飛ばされた時は、着の身着のままでしたから。仮にお財布も一緒だったとして、一年も後生大事にとっていたかは疑問です。やっぱり、あちらで換金したりして、当座の生活費に変えてた気がします……」


「そうか……、そういうモンかもしれねぇな」


 その当時の事を思ってか、ヨエルは親身な視線を向けて、神妙に頷きを見せた。

 しかし、そうした同情めいた視線も数秒の事で、そこから一転、首を小さく傾げる。


「じゃあ、ここの支払い、どうするんだ?」


「だから、お金がないから困ってる、って話をしてるんじゃないの」


「え、ないんですか……!?」


 レヴィンが驚き、アイナもまた驚きで目を丸くさせた。

 その言動や態度はともかく、ユミルはれっきとした神使である。

 神の代弁者であり、地上の代行者として知られる存在に対し、レヴィンの方から金の無心など出来るはずもない。


 まして、その中心に座っているのは神そのものだ。

 こちら側から供するべきものであり、たとえ一時立て替えるだけでも、今だけ金を出してくれ、と言えるものではない。


 しかし、レヴィン達が実質的に無一文なのは、間違いない事実だった。

 ユミルは彼ら二人の視線を受け取って頷くと、それからミレイユへと視線を移す。


「アタシはお金持ってないからさ、今だけはちょっと出して頂戴よ」


 なんて頼み方だ、とレヴィンは思わず顔を顰める。

 神への敬意など微塵も感じられない発言に、苦言を呈しようか迷っていると、それより早く神の口から否定の言葉が出て来た。


「いや、私が金を持ち歩いているわけないだろ。……てっきり、お前が持ってるとばかり……」


「アタシだってね、こっちに来る予定ないのに、現金用意してるワケないじゃない。何が楽しくて、常にこっちのお金を持ち歩いてないといけないのよ」


「それは、そうかもしれないが……」


「勝手にズンズン歩いて、勝手に店を決めて入ったのはアンタでしょ? それなのに、自分で払うつもりないから金も持ってないって? ちょっと傲慢不遜すぎない?」


「――口が過ぎるぞ、ユミル」


 明らかな不機嫌な態度で、口を差し込んだのはアヴェリンだった。

 それまで黙って控えていたが、やはり神への不敬となれば、いつまでも黙って聞いていてくれるわけでもないらしい。


「どうであれ、ミレイ様に支払いをお願い申し上げるなど不敬に過ぎる。必要とあらば、それを用意するのが我らの務め」


「いや、そうは言うけどさ……。ないモンはないワケよ。どうすんの、これ?」


 今やすっかり空になり、ソースまで綺麗に拭われた皿を指差す。

 これは勿論、レヴィン達にとっても他人事ではない。

 どうするのか、という問いに返す言葉もなく、レヴィンは今や恐ろしく思える白い皿を暗澹たる気持ちで見つめた。

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