神たる者 その2

 空の皿を見つめる面々の間に、緊迫した空気が重く圧し掛かっていた。

 これまで感じていた幸せな食事と満腹感、それら全てが、今や吹き飛んでしまっている。


 用意するのが務め、と豪語したアヴェリンも、どうするかという明確なビジョンまで持っていたわけではない。

 眉間に皺を寄せ、皿に穴が空くほど見つめているだけだ。

 そこへユミルが、いっそ明るい声音で一つの提案を口にした。


「お金が無いなら、やるコトは二つに一つよ」


「……対価は労働で払えと? まぁ、それも一つの手かもな」


 アヴェリンが頷きを見せ、ユミルもまた頷いて、人差し指を立てる。

 そこへ中指を加えて二本目の指を小さく動かし、更に続けた。


「もしくは逃げる。食い逃げよ」


「……は? 神たる者に、そんな事をさせるんですか?」


 レヴィンがつい、口を挟んでしまったのも仕方ない。

 神使から犯罪を促す言葉が突いて出た、その事実が信じられなかった。


 何かの聞き間違いであってくれ、と祈る気持ちで更に問うと、ユミルは苦渋の決断をするかの面持ちで頷く。


「……そうよ。最早それしか、他に手がないわ」


「いや、何を真面目くさった顔して言ってるんですか。そんなわけないでしょう」


 レヴィンが表情も変えずに手の平を払えば、やさぐれた息を吐いて、ユミルは頬杖を付いて顔を背けた。


「はン! じゃあ、他に手はないわよ。お手上げ。もう何にも浮かばない」


「馬鹿を言うな、作戦担当。もう少しマシに頭を使って、ミレイ様をお助けしようとは思わんのか」


「いや、あの……」


 アイナがテーブルの端で小さく声を上げたが、これはユミルとアヴェリンの声に遮られた。

 

「そうは言うけどね、取れる手段なんて、早々あるワケないじゃないのよ。働いて返せばいい、なんてのも短絡的すぎるわ。こっちの世界じゃね、そういう形で解決するパターン、すんごい少ないんだから」


「だが、それならば罪を犯す前提で逃げれば良い、という話にはならんだろう。お前だけなら好きにすれば良いが、こんな事でミレイ様の名前に傷が付くなど赦し難い」


「じゃあ、それこそ勝手に店に入って、注文始めた御本人が悪いって話じゃないのよ。大体ね、店に入るより前に財布を確認するぐらい、当然やっとけって話でしょ」


「ム……」


 これにはアヴェリンも、一定の理があると思ってか、言葉に窮する。

 しばし目を彷徨わせたが、それでも素直に引かずに口論を続けた。


「ミレイ様が財布を持たないのも、それを確認しないのも当然だ。食の用意など、我ら臣下で行い、整えることだからだ。むしろ、お前の怠慢ではないか」


「はァ……? そこでどうしてアタシの怠慢って話になるのよ? 食事に関して、別に何か命じられたワケでもないんですけど?」


「おい、作戦担当。現状を良く鑑みてみろ。お前の作戦の杜撰さ、稚拙さがこの状況を生み出したのだ。ならば当然、これはお前の責任という事になるだろう」


「馬鹿じゃないの。どうして、そこでアタシの責任って話になるのよ。百歩譲って、この状況に落とされたまでは認めても良いわ。でも――」


 言葉を交わす度に白熱する二人の口論に、流石のレヴィンも居た堪れなくなって来た。

 とはいえ、レヴィンが神使同士の喧嘩に口を挟めるわけもない。

 それを止められそうな者は一人しかいないが、その者でさえ楽しそうに傍観するばかりで、止める気配は微塵もなかった。


 となれば、残る頼りは一人しかいない。

 レヴィンはルチアへと縋る様な目を送ったが、返って来たのは達観した視線だけだった。

 既に処置なし、と諦めているようだ。


 暗澹たる気持ちで、これからどうするべきか考えていると、アイナの動きが目に入った。

 先程からアイナが声を掛けようと奮戦していたのだが、その結果は芳しくない。


「あのですね――」


 本人も努力していて、声を挙げ、手を挙げ、どうにか二人の会話に混ざろうとしていた。

 しかし、いずれの挙動も無視され、神使二人の口論は続いている。


 諌めるつもりで、アイナも口を挟もうとしているのではないだろう。

 だが、この状況を止められるなら、何にでも縋りたい気分だった。

 それでアイナに声を掛けてみれば、彼女は困り顔で、眉を八の字に下げながら言う。


「どうかしたか、アイナ……? 何か言いたい事でもあるのか?」


「いえ、あの……はい。絶対の保障をするものじゃないんですけど、どうにかなるかもしれなくて……」


「この店の店主とは知り合いなのか?」


「いえ、そういう事ではなく……」


 アイナは困り顔に弱り顔を加えて小さく首を振り、それから厨房方面へ顔を向けて言った。


「電話とかお借り出来たら、実家が助けてくれると思うんです……。今時はスマホ決済とか珍しくないですし、無一文でも事情を話せば、猶予を貰えると思うんですよね」


 レヴィンには、アイナが言っている事の半分も理解できなかった。

 しかし、家族の助けを得られる可能性があるとだけは、辛うじて分かる。


 母親を恋しく思って涙していた事も、レヴィンはしっかり記憶しており、家族仲も良好の様だった。

 娘が助けを求めれば、きっと力になってくれるだろう、と展望が持てる。


 ならば早速、と彼女の言葉を進言しようとした時、それより早くユミルが口を出していた。

 アヴェリンとの口論は既に止めていて、頬杖を付いたまま、今度はアイナに面白そうに笑みを向けている。


「それは良いわねぇ。『久しぶり、わぉ、一年ぶりの連絡でごめんね! いま無銭飲食の真っ最中だから、お金持って来てママ!』 ……これこそ、理想的な再会ってやつよね」


「いや、そんな言い方……」


 レヴィンが眉根を顰めて、苦言を呈する様な声を出せば、アイナは非常に気まずそうな顔で消沈した。

 ユミルの発言内容はともかく、一年の間、音信不通だったのは確かだ。

 その再会の連絡で最初にするのが金の無心となれば、そうもなろうという表情だった。


「そう……、そうです。一年ぶりで……きっと家族は、誘拐か何かの犯罪に巻き込まれたかと、心配していると思います。もしかしたら、今も諦めず情報収集や、個人で出来る限りの捜索をしてるかも……」


「いえ勿論、私達としては助かるのですから、連絡自体は結構だと思うんですけど」


 そう言って、今度はルチアが言葉を挟む。


「でも、今どこにいるの、と聞かれて、場所を教えるまでは良いとして……。お金がないことを伝えない訳にはいきません。後の払いを親に頼めますか?」


「う……、それは……。いえ、でも……、帰って来たからには、いち早く家族に伝えるものとも思いますし……」


「えぇ、ですから、別に止めるつもりはありません。……ただ、話すタイミングってものがあるのではないかと。迷惑かけている認識があるのなら、そこに更なる迷惑を増やしたくないものじゃありません?」


 それはアイナの心を射抜く一言になったようだ。

 身体を背後に仰け反らせて動かなくなると、しばらくして、ぎこちない動きで元の姿勢に戻る。

 それからレヴィンに一礼すると、蚊の泣くような声で謝罪した。


「……すみません、レヴィンさん。私もすぐ家族に無事を連絡したいんですけど、そこにお金の無心を付け加える勇気は……」


「いや、大丈夫だ。分かる。アイナの気持ちは十分、分かるから……」


 家族との再会は先延ばしされるものでなく、今すぐ叶えたいぐらいのものだろう。

 本当なら、今すぐ飛んででも、会いに行きたいに違いない。

 その気があるなら、店に入るより前に別行動を取る事だって出来た。


 それをしないのは、一緒に食事を囲んだ仲、というだけでなく、金銭について何一つ指摘しなかったからも含まれるかもしれない。

 また、何も口を付けていないのなら、言い逃れる事も出来た。


 だが、共に食べてしまった以上、一蓮托生という気持ちも生まれる。

 常識と良識を併せ持つ彼女だからこそ、そのジレンマに絡め取られて動けなくなっていた。


 そうして、またも沈黙が場を支配した。

 今となって食後から随分、時間が経ってしまっている。


 そろそろ、店員から料金について話が来ても、おかしくない頃合いだ。

 レヴィンがうっそりと背後を気にし始めた時、ミレイユから軽い調子で声が上がった。


「こちらの世界で育った娘だ。それなりに配慮はしてやらねばならないな。家族との再会は、可及的速やかに、そして穏便に叶えてやらねばならない」


「あ、ありがとうございます……!」


 アイナが細い声音で頭を下げると、そこへ嫌味が含まれた声音でユミルが口を挟む。


「それは宜しゅうございますけれど、だから代金をどうするかって話で止まっているんですけれど?」


「作戦担当、どうにかしろ」


「えぇ……? アンタまでそんなコト言い出すの? あまりに無茶振りも過ぎると、アタシだって投げ出すって、よく理解してくれた所だったでしょ?」


「……とはいえ実際、本当にどうしようもないとは思ってないだろう?」


 これには不本意ながら、という体をありありと示しながら首肯があった。


「因みに……、アンタのに助けを求めるのは、駄目な方向なのよね?」


「当たり前だろ……。何の為に、ここまで頭を悩ませていると思うんだ。当然、却下だ」


「まぁ、考えろって言うんなら、考えるけどさぁ……。でも残った手段なんて、それこそ後は一つしかないわね」


 ユミルが剣呑な目をしてレヴィン達を端からなぞり、その中心近くにいるレヴィンへと目を止めた。

 射抜かれるような視線を向けられ、レヴィンは咄嗟に手を上げる。


「いや、逃げるとかは駄目ですよ! まさか、やるとか言わないですよね!?」


「当たり前じゃないの。もう却下されたんだから、食い逃げなんかしないわよ。……食い逃げは、ね」


 嫌な予感はしたものの、聞かずにもいられない。

 次に出て来る言葉を、レヴィンは固唾を呑んで身構えた。

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