神たる者 その3

 嫌な予感を持っていたのはレヴィンだけでなく、アヴェリンもまた同様だったらしい。

 胡乱な目付きは鋭く、そして険しい。


 しかし、ミレイユが何も言わないので、とりあえず今だけ口を閉じている。

 ただしその視線は、ふざけた事を言おうものなら、すぐにでも殴り飛ばすと告げていた。


 先程までの態度を見ていても、現状ユミルを強制的に止められそうなのは彼女しかいない。

 いっそ今の内に止めてくれないか、とレヴィンは淡い希望の視線を向ける。

 だが、これには全く見向きもされなかった。


 そうしている内に、ユミルが自身の案を開陳する。

 どこから溢れてくるものか、その顔は自信に満ち溢れていた。


「まぁ、簡単な話よ。ところでレヴィン、アンタさ……白目、剥ける?」


「は……、はぁ……? 何ですか、それは?」


「いいから、さっさと答えなさい」


「それはまぁ、剥けると思いますが……。それが?」


「じゃあ、痙攣は? 陸に上がった魚みたいな動きが出来れば、なお良いんだけど」


「やった事ないですが、やってやれない事もないと思い……って、いや、だから何の話です?」


 ユミルが口にした内容は、代金の話と全く関係ないように思われた。

 またそれだけではなく、嫌な予感に更なる拍車が掛かっている。


 今すぐ会話を中断すべき、とレヴィンの本能は告げていた。

 しかし、彼の意思とは別に、ユミルは畳み掛けるように話を続ける。


「今から魔術解除して店員呼ぶからさ、そしたら白目剥きながら痙攣して、床に倒れなさい」


「何の為に!?」


「決まってるじゃない。目の前でそんなコトが起きてご覧なさいよ。その人を介護しようとか、救命しようとかして、場は一気に騒然よ」


「それ単に、囮を用意しただけの話じゃないですか!? 一体、食い逃げと何が違うんです!?」


 レヴィンは一足早く、目を剥きながら天井を仰いだ。

 何より、そのような下劣な提案が、神使の口から出た事実が信じられない。

 しかし、ユミルはどこ吹く風の表情で、まったく気にした風もなくそのまま続けた。


「馬鹿ね、食い逃げじゃないわよ。目の前で連れが倒れたんだから、原因は料理にあったんだと、イチャモン付けてやるのよ。逆に詫び代、せしめようって話ね」


「余計、タチ悪いじゃないですか!」


 レヴィンは痙攣しそうな勢いで、声を大にして叫ぶ。

 ここがユミルの魔術で隠蔽されていなければ、既に店員が何事かと駆け付けてくるかのような声量だった。

 ユミルは煩そうに顔を顰め、ハエを払うかの様な手を振る。


「大声出すんじゃないわよ。神の御前って自覚ある?」


「誰のせいですか……ッ!」


 言い分はともかく、神を前にしているのは事実だった。

 レヴィンは咄嗟に歯を食いしばり、怒気も顕にした表情のまま、大きく深呼吸する。

 歯の間から息を吐き出し、固く目を瞑って、もう一度大きく息を吸い出してから、改めてユミルに向き直った。


「どちらにしても、非道い詐術です。そんなの認められません。大体、そんな提案、大神様がお許しにならないでしょう」


 そう言って、レヴィンが不躾にならない様、細心の注意を配りながら目を向ける。

 すると、当の神は楽しげに、今の状況を見守っていた。

 レヴィンと視線が合わさると、その心情を理解したかのような首肯を見せ、それからユミルへと顔を向けた。


「まぁ、中々……面白い提案だったな」


「でしょ? 自信ありよ」


「じゃあ、それで行こう」


「――行くんですか!? 神たる者が、お許しになると!?」


 神の御前という前提を忘れ、レヴィンはまたも白目を剥いて叫ぶ。

 不躾、不敬、不遜、それら全てが、遥か彼方へ吹き飛んでいく。


「大体、その場合、俺の身柄はどうなるんです!?」


「神の為に身を捧げられると思えば、まぁ……」


「淵魔との戦いならともかく、こんなしょうもない事で!?」


「しょうもないとか言うな。今の状況だって、結構な危機だぞ」


 神たる者が、どこか拗ねた様な物言いをしてきて、レヴィンは愕然とした気持ちになった。

 これまで常にその信仰と共にあり、育まれた信仰は、この程度で崩れたりはしない。


 しかし今や、その形を変えつつある。

 そこへロヴィーサが、決然とした口調と共に口を挟む。


「若様一人を犠牲にする、などという提案は受け入れられません。必要とあらば、そこのヨエルが代わりにやります」


「――俺かよ!? いや、まぁ……若にさせるぐらいなら、確かに俺がやってみせるが……。しかし、本当にやるわけじゃないんだろ? 冗談……なんだよな? 大体、逃げるだけならともかく――いや、それも十分どうかと思うが、更に金をせびろうなんて……」


 いっそ何かの聞き間違いであってくれ、と懇願するかのような表情だった。

 しかし、ユミルの表情に変化なく、ミレイユの表情も揺るぎない。

 まさか本当に、と眉根を寄せつつ顔を前に出すと、ミレイユは一つ頷きながら口を開いた。


「そうだな……。無辜の民が一方的に迷惑を被る形は、やはり拙いか。……ならば、今の内に姿を隠して、ヤクザの事務所でも襲撃しよう」


「しゅ、襲撃……? その、やくざ、というのは……?」


「……同一ではないが、盗賊団の類とでも思っていれば良い」


 そうは言われても、やはりレヴィンは即座に状況を理解できない。

 何故そうも好戦的で、しかも露悪的発想が生まれるのかも理解不能だった。


 襲撃とは言うが、それが犯罪集団であろうとも、神が直接その手を下すなどという話は聞いた事がない。

 人の世の行いは、人の手でのみ解決される。


 神は人の世に干渉しないものだ。それを他ならぬ、大神が定めた。

 しかし、それを今から覆すという。

 それも小金欲しさという、小悪党の様な小さな理由が動機だった。


 レヴィンは頭痛を錯覚して――錯覚だと思い込みながら、額に手を当てる。

 それからもう一度、全てを聞いていなかった体で、改めて問い掛けた。


「全く……全く理解の外なのですが、襲撃と仰りましたか? その……賊の集団に?」


「まぁ、大丈夫だ。上手くやるさ、慣れたものだしな」


「――神たる者が!?」


 神の口から出た言の葉が信じられず、レヴィンは顔をユミルとアヴェリンへ向ける。

 両者は今の発言を問題とは思っていないらしく、完全に聞き流していた。


 ユミルなどは楽しげな雰囲気を発し、すっかりやる気の姿勢を見せている始末だ。

 そこへ再び、ミレイユが悩ましげな息を吐きながら言葉を落とす。


「これから行く先には、少々金が必要となる。その為にも、こうしたやり方は、いっそ有りかと思うわけだが……」


「少々の金銭が……? 一体、どのようなご用向きで……?」


「ゲーセンだ」


「げー、せん……?」


 聞き慣れない単語に、レヴィンはただ首を傾げた。

 ミレイユからもそれ以上の説明はなく、そして大神側であるはずのユミルは、今度は正気を疑うような目を向けていた。


 何を思っての態度か、レヴィンには予想つかないが、ユミルにとっても予想外の一言であったのは間違いないようだ。


 ただ、何も分からないでも、その単語を知ってそうなのは、レヴィン達の間ではアイナしかいない。

 それで彼女に目を向けると、やはりユミルと同じ様な視線をさせてミレイユを凝視していた。


「アイナ、とはどういう意味だ? 場所か? それとも武器か? 金がどれだけ必要になる?」


「それは……勿論、お金は要るんでしょうけど……。いや、ゲーセンってあれですよ。何て言ったら伝わるんだろ……。遊技場、とかですかね? お金を払って、遊ぶ場所です……」


「――神たる者が!?」


 今日何度目になるか分からない、心からの絶叫が響き渡った。

 形を変えつつあった信仰心が、今度は罅が入りそうになっている。


 遊びたいから金が欲しい。

 それで詐術を用い、あるいは襲撃して騙し取ろうとする神が、一体どこにいると言うのか。


 神は決して個を見ない、全を見る――。

 レヴィンはその様に聞いた覚えがあった。


 だが、これはそうした視点と全く別もので、全くの別問題だ。

 ごく個人的で、かつ独善的な手段による犠牲で、遊び心で殺されるようなものだ。


 冗談なのか、それとも本気なのか区別できず、レヴィンは叫んだ格好のまま固まってしまった。

 凝視するようにミレイユへ目を向けると、気分を害したかのように目を細めて言った。


「そうは言うがな……。こっちの遊技場を知ったら、お前はきっと腰抜かすぞ。それに凄く楽しい。とても楽しい。体験しておかないのは、人生における損失だ」


「は、はぁ……」


種類モノによっては、少額で長く遊べるんだぞ。いや、一生の体験というなら、遊園地とて捨て難い。……どうだ、ルチア。また行ってみたいと思わないか?」


「そうですね。時には童心に帰って遊ぶのも、一興かと思いますが……」


 訊かれたルチアは奥ゆかしい笑みを浮かべ、それから困り顔を混ぜた視線を、レヴィンとロヴィーサへ向けた。


「そうと納得してくれる者ばかりでは、ないと思いますよ」


「そ、そうです!」


 この際、はっきりと言っておかねばならないと思い、レヴィンは今だけ信仰心に蓋をする。

 下腹部に力を入れ、気合を発奮して言葉を発した。


「そもそも、遊ぶなどとは何事でございますか! 今も我が同胞……いえ、全ての命ある者達が、アルケスの暴虐に対抗しようとしているのに! その神たる者が、良い機会だから遊ぼうなどと……!」


 レヴィンとしては、精一杯の誠意、全身全霊の嘆願をしたつもりだった。

 しかし、その声はどうやら柳に風で、ミレイユには全く響いていなかった。

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