神たる者 その4

「そう固いこと言うな。……まぁ、良いじゃないか」


 レヴィンの熱弁など、神の耳には届かなかった。

 窓の外へと視線を移し、行き交う人々や町並みを見やっては、楽しげな雰囲気を発している。

 既に心あらずの状態で、気持ちは遊ぶ方向へ移っている様だった。


「何という事でしょうか! 神が人身を見捨て、遊びに興じようなどと! その事実を知ったら、民が何を思いましょう!」


「いやはや……言われてますよ、ミレイさん。とはいえ、彼らとしては極当然の主張、としか思えませんけれど……」


 ルチアがレヴィン側に立って諭すも、ミレイユは視線を外へ向けたままだ。

 まるで駄々を捏ねているようにも見え、現実を直視する事から逃げているようにも見えた。

 そこへ、ロヴィーサが一段低くなった声音で、低頭しながら静かにミレイユへ問い掛け始めた。


「我らが大神に対し、大変不遜な質問であるとは承知しています。……しかし、是非お答え願いたく存じます」


「何だ……」


 返事をしつつも、ミレイユの視線はロヴィーサに向かなかった。

 窓の外を見る表情には、何を察しているものか、苦いものが浮かびつつある。


「先程、こちらには知り合いがいる、という話が出ていた様に思います」


「そう、だったかな……」


「――はい。こちらの世界や世事に詳しい所を見ても、それは間違いありませんでしょう。金銭に困っていようと、所詮飯屋での値段。そう高額にはならないと存じます。素直に、そちらへお声掛けすれば、済む話ではないでしょうか」


「そうだが……。そうなんだが……」


「アイナさんから度々出ていた、オミカゲ様の名前……。それも無関係とは思えません。我らに無理を通すより、するべき事が他にあるように思えてならず、また襟度も疑われると存じますが、如何でございましょう」


「クックック……。言われてるわよ」


 ユミルの含み笑いにミレイユの眉間は皺が寄り、口の端もきつく引き締まった。

 何らかの事情で不可能というのなら、諦めも出来た。

 だが、ミレイユの表情からは、心情的な理由から拒絶していると分かった。


 ロヴィーサが一段低く頭を下げ、更に畳み掛けようとしたその時、けたたましいブレーキ音と共に、複数の車が店の前で止まった。


 それを目撃したミレイユの顔は、苦渋を吐くかのように顰められる。

 立ち上がって逃げ出そうという素振りを見せた直後、それより前に入店して来た者達が、次々と店内へ雪崩込んで来た。


「お、お客様……!?」


 それに驚いたのは店員の方だ。

 しかし、雪崩れ込んだ内の一人が、謝罪と共にその肩へ手を当て、ごく軽く押す。

 道を塞ぐ格好になっていた店員へ丁寧な態度で横へずらすと、その視線を店内奥へと鋭く向けた。


 レヴィンも突然の事に、何が起きたか理解できない。

 ただ、強盗の類でないとは察せられた。


 先頭に立つのは女性だったが、その彼女が周囲の部下らしき者達へ、素早く指を向けながら指示を飛ばしている。

 金品が目的ならば、まず店員を脅すか人質に取るはずだし、やっている事は周囲への警戒が主の様に見えた。


「おい、ユミル。大丈夫なんだろうな……」


「いやぁ、アタシの隠蔽は完璧よ。魔力の露呈は最小限も最小限、ここにいる魔力持ちは絶対外部に知られていないって自信あるわ」


「しかし、現にあぁして、何かを捜す一団がやって来てるんだが?」


 ミレイユが指摘している通り、やって来た十名程度の人間は、何かを探しているように見えた。

 店内には複数の客がいて、その人達へと丁寧に接しながら、何か魔術を当てている。


 巧妙に隠し、世間話で気を逸らしながらなので、声を掛けられた人は何をされているかまで理解していないだろう。

 しかし、それは明らかに幻術剥がしの魔術の一種だと、レヴィンは理解した。


「なぁ、アイナ……。こっちは魔術とか魔力って、殆ど見かけないって話じゃなかったか?」


 いつだったか、アイナの身の上を話して貰った時、その様に聞いた覚えがあった。

 そして、魔力を持つ者は、公には存在しない事になっているらしい、とも聞いた。


 人知れず魔物の脅威と戦い、これを排除する集団がいて、日夜平和の為に戦う者がいるという。

 つまりそれが、いま目の前で幻術を剥がそうとしている連中、という事になるのだろう。


 しかし、アイナは固まったままでレヴィンの質問には答えなかった。

 驚いた表情と感動、そして一抹の気不味さも合わさって、どうして良いか分からなくなっている。


 困ったレヴィンは顔を正面に戻し、ミレイユの方向を見れば、こちらもまた似たようなものになっていた。

 ただし、感情的な部分では、多くの部分で異なる。


 驚きと気不味さは共通しているが、他には悔恨めいたものが浮かんでいた。

 後ろめたさ、とも言えるのかもしれない。

 知られたくない顔見知りに見つかった――。


 まるで、その様にも見える。

 苦虫を噛み潰す表情が、それを如実に物語っていた。

 ミレイユは表情そのままに、傍らのユミルへ顔を向ける。


「なぁ、あれは明らかに当てずっぽうでやって来た連中じゃないだろ。お前の魔術がお粗末だったから、あぁして調査に来たんじゃないのか?」


「いやねぇ、アタシのせいにしないでよ。隠蔽の方は完璧よ。ただ、アタシ達の魔力を隠蔽するには自信ありってだけで」


「アタシ達だけ? だけって言ったか? 私はどうなる」


「そんなのまで隠蔽できるワケないじゃないの。アンタの膨大過ぎる魔力は抑えても限界があるし、それに付随する神力だって、アタシの魔術では隠し切れない」


 その、どこか外れた弁明の仕方に、ミレイユは動きを止めた。

 それではどう好意的に受け取ったところで、最初からミレイユの存在は筒抜けだった事になる。

 ミレイユは視線に敵意すら乗せ、じっとりとユミルを睨んだ。


「……つまりそれは、最初から私の存在を、に知らせる事になってなかったか? もっと言うなら、最初から知らせる前提でいただろう」


「そりゃあ、そうでしょ。知られずに行動するなんて、土台無理な話なんだから。さっさと報せておく方が、賢い選択ってものじゃない?」


「そうだとしても、絶対面倒な事になるだろ……!」


「面倒っていうのは違うんじゃない? ただ、色々と拘束されて自由を失うってだけで」


「それが面倒と言うんだろうが!」


 いよいよ声を荒らげたミレイユが、ユミルの胸ぐらを掴もうと腕を伸ばした。

 しかし、それより前に、幻術を突破して来た一人の女性が、何とも言えない表情をさせてミレイユ達を見つめている。


 態度は慇懃そのものだが、何故、どうして、という表情が顔に張り付いていた。

 もっと言えば、誤報であって欲しかった、と思っている顔だ。

 神たる者が、この様な場所にいる事そのものを許容しかねるかのようで、そしてそれは事実でもあった。


 魔術で隠蔽されている範囲をしっかりと確認し、その上で女性は膝を付いて頭を垂れる。

 しっかりと礼儀に則った一礼をして、それから表情を必死に取り繕いながら口を開いた。


「御子神様におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます。此度、オミカゲ様より、こちらにて神威の発露あり、即刻究明せよとの神命を受け、罷り越しました。御子神の御来臨、決して粗相があってはならぬと馳せ参じましたが、一体これはどういった事でしょうか」


「あぁ……、うん。まぁ、なんだ……。久しいな、阿由葉」


 目の前でミレイユに向けて頭を下げ、その尊崇を顕にしているのは、阿由葉結希乃と言った。

 この異世界・日本における貴族の一員でもあり、この国に降臨している神へ仕える一族の一人でもある。


 オミカゲ様と呼ばれる存在がその神で、ミレイユとも浅からぬ関係があった。

 そして、それこそミレイユが口にしていたで、また姿を隠していたい相手でもある。


 だが、そんな事を露とも知らないレヴィンとしては、単に外から助けが来た、くらいの印象だった。

 ロヴィーサが言っていた通り、こちらの世界に詳しい様子を見せていたミレイユだから、誰かしらの伝手はあるだろう、という予想も正解だったらしい。

 

 そして神たる者を迎えるならば、こうした態度を見せるのも自然ではある。

 話の前後が理解できないレヴィンは、とりあえず今の状況を、そのように納得させた。


 そうして、レヴィンが一応の納得をさせている横で、結希乃は一礼した格好のまま、口上を続ける。


「はい、大変お久しゅうございます。久方ぶりの沙汰、また事前に先触れなしでの御来臨でございますので、奥御殿でも色々と騒がしい事になっております」


「だろうな。だから、知られたくなかったんだ……」


 結希乃は顔を、ここで一度上げて必死に表情を変えまいとさせながらも、異論めいたものを叩き付ける。


「お言葉でございますが、御子神様。オミカゲ様の御子たる神の御来臨となれば、神宮が相応しい格式を持ってお迎えするのは当然のことです。この店を格下と侮るつもりはございませんが、それにしても神たる者に相応しい……」


 結希乃は店の外観や、料理などに難を付けたいわけではなかった。

 ただ、神であればこそ、『格』を蔑ろにすべきではない。


 それはこの日本において、長らく続けられてきた伝統でもある。その一点において、深く理解を示して貰いたいと思っての事だった。


 結希乃は店内の、その外観を目でなぞった先にいた、一人の少女の前で動きを止まった。

 そこにはミレイユ達と、席を一つにするアイナがいる。


 肩を窄めて、少しでも身体を小さく見せようと、涙ぐましい努力をしているが、当然そんなことで他人の目から隠れる事はできない。

 その少女が誰なのか理解した途端、結希乃は状況も忘れ、声を大にして叫んだ。


「あ、愛菜……!? どうして、ここに!?」

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