それは空からやってくる その8
アキラの掛け声で、誰もが食堂の席を立つ。
そうして外に出てみると、村の入口付近に人だかりが出来ているのを見つけた。
村の中に兵とその一団が入っているのが、実際はその一部だけで、後ろは更に多くの兵団が控えている。
それというのも、それだけの大人数、村内に迎える容量がないからだった。
また、王を迎えるに辺り、十分な
アキラが先頭になってその集団へ近付いて行くと、人垣は自然と割れた。
その歩みを妨げてはならない、と村民の誰もが強く戒めているせいで、兵士の一団へ一直線の道が、自然と出来上がる。
そして、集団の先頭にいるのは、馬に乗り、豪華な鎧とマントを身に着けた美丈夫だった。
立派な顎髭が生えており、今は兜を脱ぎ払っている。
その周囲には、近衛兵と思しき兵士が取り囲んでいて、武器を抜かぬまま周囲を威圧していた。
アキラ達が近付くと、その警戒は一層強まる。
害するつもりなど当然ないが、近衛としては王から万難を排する為、警戒せずにはいられないのだろう。
未だ武器を抜いていないのは、アキラ達が本当に御使いだった場合、問題となるからだ。
神へと弓引く行為となり、それは重罪などという範囲で収まらない。
だから、兵団は全員が固唾を飲んで見守っているし、近衛兵の緊張は特に大きかった。
アキラは近衛と十分な距離を置いて、足を止める。
話をするには十分でありつつ、剣を握るには遠い距離だ。
とはいえ、それは常人ならばの話で、アキラ達にとっては無きに等しい距離でもある。
そうした懸念などおくびにも出さず、なるべく無礼とならないよう気を付けながら、アキラは良く通る声で話し掛けた。
「お呼びと聞き、罷り越しました」
「呼びつけたなどと!」
これには王が驚きと共に、直接声を出して返答してきた。
てっきり、付近に侍る偉そうな臣下が応答すると思っていただけに、アキラは少々面食らった。
「我が民を救い給うた御使いに、こちらが馳せ参じるのは当然のこと! 国が傾きかけない惨事の折、速やかにこれを解決してくれた事、この国を預かる王として感謝を述べる!」
「……なんか、予想と違うの返って来たね……」
「シッ……、いいから黙っときな」
スメラータのボヤきは、隣にいたイルヴィが肘を突いて黙らせる。
二人のやりとりを気にもせず、王の話は更に続いた。
「改めて名乗らせて頂く! 我が名はヴァルデマル・エネエン! この国を預かる八代目の王である!」
「ご丁寧に、痛み入ります。私の名前は
「おぉ! エィキルァー・ユッカッドー殿! 天の名前は、一風変わっておいでだな!」
「いや、ちが……」
「……まぁ、仕方なしって感じするけどね。アタイだって名字の方は、未だにちゃんと発音できないし……」
アキラは訂正しようとしたが、生来の気弱さが出て、強く否定できない。
そして、訂正を重ねようとするよりも速く、ヴァルデマル王が声を発する。
「兵より報告は受けておる! その強さ、まさに一騎当千! その速さ、疾風怒濤であると! 我の兵は、近付くことすら許されず、鎧袖一触だと聞いた! これぞ正に、天の御使いでなくして、出来ぬ所業と!」
ヴァルデマル王は興奮気味に言い終えると、次いで鼻息荒く言い募る。
「そなたさえ良ければ、是非とも家臣に召し迎えたい!」
「か、家臣……!?」
「――陛下っ!」
アキラは驚いて裏がった声を発したが、それ以上に驚き、動揺していたのは、近くに控えていた直臣だった。
「な、何を申されます!? その様なこと、許される筈がありますまい!」
「何故だ、誘ってみるぐらい良いであろうが。御使い殿が、地上にて位を得てはならない、とされているかは不明であろうよ」
「常識的にお考え下さい! その様なこと……」
言い分としては直臣の方が正しく思えるが、訊くだけなら
突然過ぎるし、不躾とも取られかねないが、こうしてわざわざ駆け付けた事といい、随分と柔軟性の高い王様であるのは間違いなかった。
それに、アキラは実際ミレイユと――
勧誘に際し、無礼という事にはならないのだ。
「うぅん……。実際、勧誘事態は、別に良いも悪いもないんだけど……。それにしてもなぁ……」
「おぉ! 然様か!」
「よ、余計なことを、言わないでいただきたい!」
喜色を浮かべるヴァルデマル王とは反対に、直臣の顔色はすこぶる悪い。
そして、軽率な発言であるのも間違いなかった。
そもそも、自由で闊達を好む冒険者と、しがらみに縛られる貴族位は、非常に相性が悪い。
そうした地位を、アキラは望んでいないのだし、それは女性陣からも同様で、反応も非常に薄かった。
これを機に貴族になれ、とは誰も言わない。
むしろ、非常に白けた雰囲気が漂っていた。
「そ、そもそもですぞ、陛下! 逆心を持たれたならば、我らに留め置く力があるとお思いか!? 内部から食い荒らされ、王位簒奪という事も……!」
「それならば、むしろ神のご意思という話になるではないか。我に国を預ける資格なし、と見られただけの事よ! そうならぬよう、民を愛し国の平定に努めれば良い」
「へ、陛下……! よくお考えください!」
ヴァルデマル王の言い分は、いっそ楽観的と言って良い程だった。
そして、直臣の懸念としては、真っ当でもあるのだ。
武力を持って蜂起されたら――そして、兵から話に伝え聞く通りであるなら、これを止める手段がない。
彼ら本人にその気がなくとも、逆心を抱く何者か、あるいは他国の間諜に踊らされでもしたら……。
危険物と分かるものを、そばに置く理由こそがない。
しかし、ヴァルデマルとて、何も全て考えなしで言った発言でもなかった。
「よく考えるのは、お前の方だ。我が民を冒した、危険で異質な化物……。あれが二体いたと言う。ならば、三体目が居ないと、どうして言い切れる」
「そ、それは……!」
「あるいは、もっと多くの化物が、この国の何処かに巣食っているやもしれん! その時、我の兵はそれらに対抗できるのか!」
「う、うぐぅ……!? しかし、それで我が国に留め置くというのも……! 危急の際に、ご助力願う形で……」
「――馬鹿者ッ!」
ヴァルデマル王は激して、その腰に佩いた剣を抜いた。
「我らの都合で、体よく御使い殿を利用しろと、お前はそう申すのか! それが正義の行いか! 誠意ある行いか!」
「も、申し訳ありません、陛下! 平にご容赦を! 己の不明を恥じる次第です!」
「我らは化物どもに対抗し、対策せねばならん! その時、御使い殿が居てくれたら、どれほど心の支えになる事か。民とて不安で押し潰されずにいられよう!」
「ハハッ……!」
直臣は平身低頭、ヴァルデマル王の言葉に耳を傾ける。
そして、その言葉に熱心なのは、実際の被害に遭った村人たちだった。
「我らが御使い殿に誠意を見せるのだ! 便利使いではなく、その日払いの金貨で払うのではなく、立場を尊重し、その立場に見合う位を受け取って頂く! その為に与える爵位が、お前は不遜と申すのか!」
「いえ、いえ陛下……! 仰りますこと、一々ご尤も! されど、結局のところ……、御使い殿の御心次第でございましょう! 陛下の誠意、果たして御心に適いますかどうか……!」
そう言って、直臣はチラリ、と視線だけをアキラに向ける。
その視線を見たスメラータは、嫌味たっぷりに呟いた。
「……嫌な言い方」
そして実際、嫌味と感じるに十分な発言でもあった。
イルヴィもまた、眉間に皴を寄せて、吐き捨てる様に言う。
「自分の意見を、こっちの意志次第とすり替えやがった。家臣となって、爵位を受けたら、あぁいうのと顔を合わせるってんだろ? それを嫌がりそうってのも、計算に入ってやがるのかね?」
「ひどく貴族的って感じね……。珍しくないわよ、あぁいうタイプ」
「流石、元お貴族様は、言う事の説得力が違うねぇ」
「別に勘当も、離縁もされた訳じゃないから。今もきっちり貴族よ、私は……」
七生が呻く様に言うのと、返事を期待するヴァルデマル王から、誰何が飛ぶのは同時だった。
「さぁ、返答は如何に!? 我としては、是非とも受けて欲しい話だ! 無論、こちらの嘆願で受けて貰うのだ。低爵位などとは言わぬ。最低でも伯爵位を考えておる!」
「は、伯爵……!? へ、陛下、それでは年度予算の組み直しに……! 年金の支払いだけでも、余りに膨大な……!?」
ヴァルデマル王は直臣の忠言が、全く耳に入っていないようだった。
爛々と瞳を輝かせ、少年の様な期待を込めた視線を向けている。
しかし、そうした決断を、アキラが即断できる筈もなかった。
冒険者ギルドへ辞表を届ける事にもなるだろうし、それを不義理とされる考えもあるかもしれない。
爵位を受け取り、貴族として生きるにあたり、アキラに貴族的生活などまるで出来ないことは想像に容易い。
アキラは貴族生活が何たるものか正確に理解していなかったが、社交パーティでダンスを披露する姿だけでは、辛うじて思い浮かんだ。
「いやぁ、無理だろう……」
そして、その空間で浮きまくる自分の姿が、ハッキリと思い浮かんだ。
それに、貴族として生きるのなら、使用人の統括であったり、領地の運営など、やるべき事は多岐に渡るはずだ。
それら何一つ理解していないアキラに、とても貴族が務まるとは思わなかった。
更に言えば、貴族社会の常識だってある。
それら一切知らないアキラは爪弾きにされるのがオチで、結局、貴族とは名ばかりで終わるかもしれない。
返答は如何に、と言われても、ほとほと参ってしまった。
そして村民たちは当然、期待の眼差しを向けている。
この人が地に足を付けて守ってくれるなら、化け物など恐れる必要はない、と信じ切っていた。
爵位を受けるということは、その地に根を張るということだ。
気軽に何処かへ飛んで行かれる心配はない、と思っている。
「どうしたものか……」
露骨に困った顔や態度は見せられないので、泰然と見える姿勢で悩んでいたが、そう簡単に答えが出るはずもなかった。
しかし、そこへ突如、頭上に雲が掛かる。
晴天だったはずなのに、雨雲でも流れて来たのか、と思うほど、唐突に空が陰った。
「面白い話をしているな。――受けるのか?」
「へ……?」
見上げてみると、それは全く雨雲ではなかったし、そもそも天候とは全く関係なかった。
巨大な赤竜が翼を広げ、空を滞空している。
その頭の上には、見知った……よく見慣れた者の顔が見えた。
いつだって、神は空からやって来る。
竜に乗ってやって来る。
偉大な姿に、一瞬思考が停止する。
それはアキラのみならず、ヴァルデマル王とて同じだった。
しかし、対応については誰より雄弁で、そして俊敏だった。
武器を収めて下馬すると、ヴァルデマル王はその場に膝を付いて頭を垂れる。
自国の王がそうしたとなれば、直臣や兵も、それに倣わない訳にはいかない。
波打つように全員が膝を付き、村人たちも見様見真似で頭を垂れた。
最後に残ったアキラは、一人立ちっ放しで茫然と、その名前を呟いた。
「ミレイユ様……」
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