それは空からやってくる その7

 その日、村は上を下への大騒ぎになった。

 元より城からお達しがあって、森への進入を制限される程の事態だ。


 何らかの未解決な事件があり、それが村に不穏な影が覆っていた。

 村の人口は二百人程で、大きな事件などに縁はなく、そうしたお達しがあるだけでも十分な大事件だ。


 そうして矢先に、猟師が帰って来ない、娘が消えた、との騒ぎである。

 これが村で大袈裟にならない筈がなかった。

 しかし、それを天から降って来た、神の御使いが解決してくれたのだ。


 森にいたのは人攫いではなく、実は異形の化物で、それが人を喰らっていた――。


 もしもこれが放置されていたら、一体どれ程の被害になっていただろう。

 村の壊滅は間違いなかった、と異形の化物を見た者は、口を揃えて言う。


 だが、その絶対的な危機に際し、天は見捨てたりしなかったのだ。

 化物が倒された後、村では一気に酒盛りの雰囲気になった。


 猟師に三名、犠牲は出た。

 同じく犠牲になった兵を追って、調査に来た兵団にも十人を越す犠牲を出した。


 それは悼むべき事だ。

 村を挙げて追悼式をし、その魂に安らぎを与えるべき、という声が出るのは当然だった。


 だから、化物を追い払った勇者に――村を救ってくれた御使いに、感謝と礼を尽くすと共に、合わせて追悼すれば被害者の魂も安らぐだろう。

 そういう話で纏まった。


 今は村に唯一ある酒場にて、アキラ達を最も良い席に座らせ、大変な歓待を見せている。

 そこへ波々と注いだエールが渡され、集まった村民にも振る舞われた。


 事態に追い付いていないアキラは苦笑いを抑え切れなかったし、他三名はエールを見つめて、得も言われぬ表情をさせている。


「今はちょっと、エールは見たくない気分なんだよね、アタイ……」


「私もよ……」


「まぁ、飲まなきゃならなん雰囲気だ。少しだけでも、飲むべきだろうね……」


 しかし、村の好意を無下にも出来ず、口を付けない訳にはいかなかった。

 それで仕方なく、彼女達はちびりちびりと、啄む様に飲んでいる。


 酒場の中は、村中の人間全てが集まったかの様な盛況ぶりだった。

 この時ばかりは大人も子供も関係なく、皆一様にこの瞬間を楽しんでいる。

 ただ一つ、アキラが困っているのは、誰もが一度は四人の前に来て、祈りと感謝を捧げて行く事だった。


「まぁ……、勘違いされても仕方ない、のかな……」


 何しろ、マナの存在しない大地で、魔力を存分に発揮した戦いをやってのけたのだ。

 神の御使いではない、と否定してみせた所で、超常的な戦いを実際にその目で見てしまっている。


 その興奮をなかった事には出来ないし、そして酒場の話題とは、専らそれに尽きていた。

 子供の中で唯一目撃者となったサリサもまた、同年代の子供たちにその時の興奮を言って聞かせている。


 兵士に一時預けられたサリサは、戦いの間しっかりと保護され、そして兵士の背の上で、アキラ達の奮戦を見たのだ。

 人の領域ではなく、神の領域だから出来ること。

 そう思われて当然の戦いがそこにあった。


「それでね、すんごく速く走るの! 狼より速いんだよ! なのに、鹿みたいに左右に跳ねるの! 後ろに目が付いてるんじゃないかってぐらい、化け物の攻撃を躱してた!」


「うぉぉぉ、すっげぇぇ!」


「でもね、逃げてるだけじゃなかった! 誘い猟だよ! 待ち構えてた戦士様がね、もう、こぅ……ずがぁぁんって! とにかく凄いの! それ一発で、熊より大きい身体が粉々になっちゃったんだから!」


 サリサは身振り手振りで、小さな体全体を利用して、何とかその時の感動を伝えようとしている。

 見たことを正確に伝えられてはいないが、とにかく凄いことがあったのだとは伝わっている。


 そして、子どもたちにはそれで十分であったらしい。

 大人たちもまた、それと似たようなものだ。

 興奮ばかりが先走りして、具体的な内容は分からないのに、まるで映画でも見ているような興奮ぶりを見せていた。


 しかし、それで良いのだ。

 凶事の後に吉事が起こり、それを最大限喜ぼうとしている。


 その歓喜の満ちた空気に当てられ、アキラも自然と笑顔になる。

 そこへ礼を言っていく村人の中に、ミーナがやって来て頭を下げた。


「この度は、本当にありがとうございました! 父さ……父も、お礼を言おうと来たがっていたんですが、やっぱり身体を安静にさせた方が良いかと思って……」


「傷は完全に塞がっていると思うけど、そうした方が良いだろうね」


「はいっ! 改めて、ありがとうございました!」


「大丈夫。お礼なら、もう何度も貰ったよ」


「全っ然っ、言い足りません!」


 そう言って、ミーナは興奮させた顔を近付けて熱弁した。


「王城に神様が降臨したとか、そうした噂は聞いていましたけど……。でも、噂が変な形で広まっただけだろう、って思ってました!」


「そうだね……。本当に神様だったとしても、こんな小さな村には関係ない話……。きっと祈りは届かない……そう、思っていたけど……」


 そう言って、話に割り込んできたのは、サリサの母親だった。

 無事、愛娘が帰って来て、大いに感謝している村人の一人だ。

 その彼女が、どこか遠くを見ながら、呟く様に言う。


「でも、違うんだねぇ……。神様ってのは、本当に見て下さっているんだ……。あと少し遅れていたら、娘は勿論、村だって無事じゃなかったって言うじゃないか。――本当に、感謝しております」


 そう言って、サリサの母親は、深く腰を折った。

 ミーナもそれに続けて腰を折って礼を言う。


 こうなってくると、全て誤解だと言えない雰囲気だった。

 別にアキラは神の使いとしてやって来た訳ではないし、この村を救えとも、森に潜む異形を討伐せよ、と命じられたわけでもない。


 だが、ここで本当の事を言うのは、誰の為にもならなかった。

 それに、アキラとしてはミレイユが敬われる分には、何の問題もない。

 神として立ったばかりの彼女のハードルが、ぐんぐん上がってしまってるのは、この際目を瞑るとして……。

 喜びに水を差す事もしたくない。


 ――それから、村の宴会はその夜、長く続いた。

 全員が引き払ったのは深夜を大きく過ぎた頃であり、宿の部屋を無料で提供してくれて、アキラ達が眠ったのもそれより後の事だった。


 そして翌日、驚くべき事が起こる。

 それこそ、村が襲撃されることより、余程驚嘆する者達が、小さな村にやって来たのだ。



  ※※※



 翌日、アキラが目を覚ましたのは、昼より少し前の事だった。

 狭い部屋には窓があるものの、ガラスを嵌めた上等な物ではなく、支え棒で板を留めておくタイプだ。

 だから、採光性は非常に悪かった。


 それで起きる時間を見誤ってしまったのだが、食堂へ降りた時には全員が既に揃っていた。

 アキラの顔を見たイルヴィが、手を挙げながら、開口一番に笑う。


「随分、遅いお目覚めじゃないか。酒も一番飲んでなかったのにさ」


「いや、面目ない……」


 そう言って席に座り、何か腹に入れようとした時、ミーナが粟を食った様子で、宿の中へ駆け込んできた。


「た、た、大変! 大変だよ……っ!」


「どうしたんだい、嬢ちゃん。また例のバケモンが出た、とか言わないどくれよ」


「強敵相手は歓迎って言っても、二日連続は御免だよね」


「あら、軟弱ね。日本じゃそういうの、別に珍しくなかったけど」


「出たよ、ナナオのニホン語り……。それで最後にはアキラとの惚気に繋がるんでしょ? もう、イイっての」


 スメラータはうんざりとした顔付きで、手をプラプラと振る。

 どこまでも緊張感のないやりとりに、息を切らせて飛び込んできたミーナは、我慢ならないと叫んで言った。


「そうじゃない、そうじゃないんです! 来てるんですよ、村に!」


「何が? 魔物? それなら確かに、アタイらの出番だね」


「違います! ――王様です! この国の王様が、兵隊を連れてやって来てるんですよ!」


 ミーナの切迫した言い方に、全員の動きが止まった。

 そうして数秒、スメラータの首が、ことりと横に傾く。


「……なんで?」


「昨日、派遣されてた兵が、王の子飼いだったとか、そういう類いかねぇ? それでまぁ……、天の御使いとかを一目見ようとやって来た、とか……」


「あり得るの……っていうか、有り得て良いの、それ? 王様のくせして、フットワーク軽すぎじゃん……」


「いやぁ、ウチの王様のテオ様も、割と簡単に城から出てきて、勝手に市場で買食いとかしてるからなぁ……」


 王城で椅子にふんぞり返っている王様こそ、アキラには想像が付かない。

 何処の王でもそんなもの、とは言わないが、王様が厳正な暮らしをしている方にこそ違和感がある。


 どうであれ、わざわざ足を運んだ王様を前にして、顔を見せずに去るのも拙い。

 アキラ自身は神の御使いでも何でも無いが、全くの無関係でもないのだ。

 逃げるように去ることは、ミレイユの名に泥を塗ることにもなりかねない。


「本当に王様かどうか知らないけど……、ご指名というなら会いに行くさ」


「良いの? どうせまた、面倒で大袈裟な礼を言われるよ?」


「それだけで済めば良いけれど……」


 七生には、スメラータよりも余程悪い想像が頭を巡っていて、そしてそれは事実でもあった。


「まぁ……、会ってみよう。礼は尽くさないと。相手が偉いのなら、尚更にね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る