それは空からやってくる その6
「クソッ、アイツ……僕らを近付けさせないつもりだ!」
追い付き、近付こうとしても、暴風がそれを跳ね除けて、一定以上の距離に近付く事を許さない。
だが、一度見た技に何度も煮え湯を飲まされるほど、アキラ達は浅い経験をしていなかった。
「七生さん!」
「――任せて!」
アキラが声を上げると、七生が刀身を鞘に納めて横に付く。
改めて濃い口を切り、前傾姿勢で左足を踏み込むと共に、一気に弾んだ。
「ハァァァッ!」
七生が繰り出した一閃は、一瞬の間を置いて、風の壁を両断する。
その隙の逃さず、アキラはスメラータへ手を伸ばした。
斜め後方から迫った彼女と、互いに手首を握るなり、アキラはその場で一回転する。
そうして遠心力を乗せて、力の限りスメラータを投げ飛ばした。
「そぉ――っ、れい!」
「ヒィー、ヤッハー! ――任せて!」
勢いよく飛んだスメラータは、寸断された風の壁を閉じる寸前で越え、大振りな大剣を振り回す。
「分かり易いとこ、ぶら下げてんじゃないよ!」
刻印の多くは、手に宿すものだ。
そして、喰われた手には刻印が光を放っており、それらが尾として尻から垂れている。
分かり易い弱点でしかなく、また格好の的でしかなかった。
スメラータが回転力を含めた一撃で、手足の尾は切断され、宙を舞う。
それと同時に暴風の障壁も消え、一層走り易くなった。
回転しながら落ちて来た手足は、アキラの近くへ弧を描くように落ちて来て、地面に落ちるよりも早く細切れにする。
「供養してあげたかった……!」
形を残していると異形の益になりそうで、アキラは後の禍根を断つ方を優先した。
誰とも知れない者であろうと、無念の死には違いない。
犯罪者であろうと、それを喰った異形には報いを与えてやらねばならなかった。
「何としても、これ以上、犠牲を出しちゃいけない!」
「それは良いさ、アキラ。やってやろうじゃないか。だが、具体的にはどうする? 足の切断は、今や難しそうだよ」
「考えてやっての事か知らないが、だからこその装甲だろう。――けど、捕食衝動は大きそうだ」
「そうだろうね。だから人の臭いを嗅ぎ取って、村を襲おうとしてるんだろ?」
未だアキラたちに、異形の全貌は掴めていない。
実は弱点が肉体内部にあるかも知れず、それを破壊すれば解決する問題なのかもしれない。
あるいは、今まで攻撃していたように、動かなくなるまで斬り付けるのが正解かもしれなかった。
しかし、今は余りに情報が少なく、手探りで打開策を見つける以外、方法がない。
「まず、喰われないのが大前提、そして最優先だ。倒すつもりが、ヤツに力を与えてたんじゃ世話はない!」
「こうなると、マナ持ちが新大陸に居なくて良かった、と思えてくるよ。これまでに犠牲になった全員がマナ持ちだったら、あたしらでさえ危なかったかもしれない……!」
「――アキラぁ! どうする!?」
前方でスメラータが更に斬り付け、背中から生えた手足を切断したところで、振り向きながら訊いてきた。
異形は叫び声を上げ、身体を揺すっては逃げる速度を増したが、反撃の手は緩く、身体を揺らして吹き飛ばそうとしかして来ない。
「……まずい」
だが、前方では目視出来る距離まで、村が近付いている。
村人の中には、異形の獣を目に留めて、叫び声を上げる者まで出始めた。
このまま手をこまねいていると、村での混乱は更に大きなものとなるだろう。
「悩んでる暇はない、か……。よし、僕が囮をやる!」
「危険だ! これまで何度、刻印を使って防いできた!? あんたのそれは、無尽蔵じゃないだろう!」
「手応えからして、アイツはマナ持ちじゃない。僕の刀じゃ、幾ら斬っても『簒奪』出来ないだろう。……けど、『年輪』は未だ力を残してる」
「だからって……!」
普段のイルヴィなら、ここまで食い下がらない。
あの異形が未知で、どこまで危険か分からないから、こうして反対しているのだ。
「言ったろう、時間がない。それに壁役、盾役は僕の役目だ。今更、他の誰かに譲る気はないよ」
「言ったら聞かない男だ、あんたは……。そういう男だったね」
「イルヴィ、上手く誘導するから、構えて待ってて」
「――へッ! 任せな、信じるよ!」
言うなり、イルヴィはその場で立ち止まり、大きく足を開いて仁王立った。
深く腰を落とし、背中を見せるほど腰をひねる。
槍を肩上で構えるその姿は、まるでやり投げの様だ。
彼女が唯一露出している部分――両太腿に宿った刻印が、にわかに光り始める。
刻印が開放されようとする予兆だった。
この刻印効果は至って単純――。たった三秒、たったそれだけ、身体能力を底上げしてくれる、上級刻印だ。
その短すぎる効果の代償に、凄まじい力を授けてくれる。
ただし、それだけに使い所が非常に難しい刻印でもあった。
止まった相手、もしくは動けなくしてから使うのが、無難とされる刻印だが――。
アキラが囮を買い、そして誘引すると言ったのなら、イルヴィはその言葉を信じて待つだけだった。
そして、これほど信じられる言葉もない。
「アキラ、あんたは絶対、嘘をつかない男だ……!」
どれだけ危険な地に赴こうと――。
どれだけ危険な戦いに身を投じようと――。
帰る、という約束を果たした男だ。
それを知っているから、イルヴィは全幅の信頼を置いて準備して待っていられる。
そして、接敵したアキラはというと――。
七生とスメラータに指示を出して、後退させている所だった。
「ここは僕が引き受ける。二人はイルヴィの一撃に合わせて挟撃! タイミングは任せる!」
「了解よ、無茶だけはしないで!」
「まっかせて! イルヴィの後に、デカいの一発ぶちかましてやる!」
二人は努めて心配を見せないようにしていた。
後ろ髪引かれそうになる表情をぐっと堪え、笑顔さえ見せて去って行く。
アキラは二人が離れた事で、表情を改めた。
絶対にミス出来ない、やり遂げる覚悟をした時に見せる顔だった。
「来い、デカブツ! こっちだ!」
声を張り上げ、抜刀一閃、その腹部を斬り付ける。
鎧のない腹部は、ごくあっさりと斬り裂けたが、出血がないだけでなく、直ぐ様その傷口が塞がってしまう。
鋭い切れ味はこの敵に限り、むしろ不利となってしまうと、この時アキラは初めて分かった。
だが、同時に確信する。
――これなら、イルヴィの一撃は必ず決まる!
「ギイィィイヤァァァァアア!」
異形は耳を塞ぎたくなる不協和音で、叫び声を上げる。
傷が致命傷でもなく、痛みを感じていないのだとしても、不快ではあるらしい。
憤怒で歪む鹿頭を、アキラに向けて叫ぶ。
「ギィィィィイイイイ!!」
次の変化は劇的だった。
それまで村へ一直線だったのに、唐突に標的をアキラへ変えた。
身体を半分に割ったアギトを形成するなり、喰らってやろうと大口を開く。
「マナ持ちが美味そうに見えるのか? それとも、この刻印が欲しいか。どっちもありそうだな!」
アキラが咄嗟に左へ避けると、直前まで居た所がアギトで挟まれる。
次々とキツツキの様に、口先が突き出され、アキラはそれを右へ左へと直前で躱した。
「速い――! 最初の時より、強くなってる……!?」
それこそ、生命を食らった故、なのかもしれない。
喰らう毎に生命を体躯に蓄積し、そして力に変換、そのうえ刻印などを好きに使える――。
常識外れにも程があるが、そういう魔物であると、今は考えるしかなかった。
「あくまで、予想であって欲しかった……!」
しかし、現実はいつだって非情だ。
アキラが慕う女神も、決して安易に微笑んでくれない。
いつだって平手打ちか、それに近い仕打ちをして来るものだ。
だが、同時にいつでも非情の先に、光明が用意されていた。
「これしきの事、嘆いていたら笑われる!」
突き出して来るアギトを、アキラは更に躱す。
しかし、突き出す程に速度を増す攻撃は、いつまでも躱せそうになかった。
最初は全て躱せていたものが、次には掠る様になり、更に次では肩を噛まれた。
刻印効果のお陰で傷こそないが、遂に限界容量を突破してしまった。
ガラスの割れる音がして、アキラを覆っていた膜が消える。
「ちぃ……ッ!」
アキラは口の端から息を吐き出しながら、大きく旋回してイルヴィの元へ駆ける。
そこでは既に準備万端整った彼女が、大きく腰を落として、必殺の構えを見せていた。
「んっ……なろぉぉぉッ!!」
アキラは駆ける。
必死の思いで、走り、
それでも腕を噛まれ、無数の乱杭牙がアキラの肌を削り取っていく。
血は流れたが、アキラはそれを努めて無視した。
それよりも、イルヴィの元へ帰る方が先決だ。
そして、それは結果として、――正しいと証明された。
異形は点々と地面に落ちた血を舐め取りたいのか、アギトを開き大きな舌で舐め取りながら追っている。
そこで生まれた余計な摩擦が、異形の足を鈍らせた。
目先の欲に囚われ、異形は最後の勝機を逸したのだ。
「――退きなッ!」
その一声と共に、アキラは全力で横に飛ぶ。
そして同時に放たれたイルヴィの一撃は、全身の筋肉の躍動と連携した刻印の発動で、空を衝き、地を抉る一撃となった。
イルヴィの刻印から放たれる眩い発光は、螺旋状に渦巻く一撃と共に放出される。
それが過ぎ去った後に残ったのは、下顎から下半身を残す異形の体躯だった。
凄まじい勢いで放たれたエネルギーの奔流は、通過点上の全てを抉り、あらゆる物を消し飛ばしてしまった。
だが、それでもまだ、異形は朽ち果ててはいない。
傷口が蠕動し、体躯を再生させようと蠢いている。
そこへ、奔流と共に左右から動いていた七生とスメラータが、互い違いとなる様に武器を振るった。
上から半分全てを失くし、更に身体を三分割された異形は、そのまま地面へ崩れ落ちる。
後は残った体躯も腐り落ちるように溶けていき、後には何も残らない。
「勝っ、た……!」
アキラは安堵の息を吐き、その場に膝をついて落ちる。
傷は受けたが表面の肉を抉らただけで、もう一つの刻印があれば、それも綺麗に治せる。
ただ、あの見るもおぞましい異形に追い掛けられるのは、恐怖そのものでしかなく、心身共に披露させられた。
――今は勝利の余韻に浸って休みたい。
そう思って息を吐いたのも束の間、三人の仲間が駆け寄ってきた。
「まったく、やっぱり無茶したんじゃないか!」
「まぁ、いつものアキラって感じだけど」
「結果良ければ全て良し、で片付けるのは、皆の悪い癖よ」
三者三様の苦言を呈され、アキラも弱り顔で笑みを向ける。
そこへ、誰とも知れぬ大歓声が、周囲から降ってきた。
それは森で出くわした兵士たち、そして付近の村の住人たちだ。
口々に何かを言っているが、歓声で良く聴こえない。
だが、アキラ達の奮戦ぶりを見て、大いに感動したのだと、その表情が何よりも雄弁に語っていた。
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